みなさんは、『看板建築』という言葉をご存知でしょうか?
最近は、ほとんど聞かなくなりましたね。
『看板建築』とは、
関東大震災以降に建てられた装飾付きの商店建築(店舗と住居が
ひとつになった、いまでいう店舗併用住宅)のことです。
しかも現役(建物も仕事も両方)で頑張っている建物をいいます。
実際に看板が付いているのではなく、
建物の外壁に“モルタルや銅板製”の装飾が施されている様子が
“看板のように見える”ことからついた名前と言われています。
以前は、下町でも多くの看板建築を見かけることができましたが、
いまでは、少なくなりとても残念です。
たまーに!
銅板の看板建築を見かけることがあるぐらいではないでしょうか。
少なくなった貴重な『看板建築』を神田須田町で見かけました!
神田界隈に残る唯一の“モルタル看板建築”の代表でもあります。
この建物(医院併用住宅)は、
おそらく大正末期から昭和初期にかけて建てられたものです。
今でも、こんなに立派&現役で頑張っているから驚きます。
建物を見たときに
とっても大切に使用されているんだなぁ!という思いがしました。
これだけきれいな状態で残っている“モルタル看板建築”
も見たことがありません。
建った当時は、たいへん“豪華な建物”だったはずです。
というのも、この頃建てられた
医院や交番の建物は、たいへん豪華だったといわれています。
その証拠に現在も現役でがんばっていられるのだと思います。
大正、昭和、平成とこの街をながめてきた建物の顔だけあって、
風格や貫禄さえ感じられます。
残しておきたい“下町遺産”のひとつではないでしょうか!
ガンバレ!看板建築さま!
靖国通りから少し入ったところ(神田まつやの斜め前)で
いまも現役で頑張っています。
最近は、ほとんど聞かなくなりましたね。
『看板建築』とは、
関東大震災以降に建てられた装飾付きの商店建築(店舗と住居が
ひとつになった、いまでいう店舗併用住宅)のことです。
しかも現役(建物も仕事も両方)で頑張っている建物をいいます。
実際に看板が付いているのではなく、
建物の外壁に“モルタルや銅板製”の装飾が施されている様子が
“看板のように見える”ことからついた名前と言われています。
以前は、下町でも多くの看板建築を見かけることができましたが、
いまでは、少なくなりとても残念です。
たまーに!
銅板の看板建築を見かけることがあるぐらいではないでしょうか。
少なくなった貴重な『看板建築』を神田須田町で見かけました!
神田界隈に残る唯一の“モルタル看板建築”の代表でもあります。
この建物(医院併用住宅)は、
おそらく大正末期から昭和初期にかけて建てられたものです。
今でも、こんなに立派&現役で頑張っているから驚きます。
建物を見たときに
とっても大切に使用されているんだなぁ!という思いがしました。
これだけきれいな状態で残っている“モルタル看板建築”
も見たことがありません。
建った当時は、たいへん“豪華な建物”だったはずです。
というのも、この頃建てられた
医院や交番の建物は、たいへん豪華だったといわれています。
その証拠に現在も現役でがんばっていられるのだと思います。
大正、昭和、平成とこの街をながめてきた建物の顔だけあって、
風格や貫禄さえ感じられます。
残しておきたい“下町遺産”のひとつではないでしょうか!
ガンバレ!看板建築さま!
靖国通りから少し入ったところ(神田まつやの斜め前)で
いまも現役で頑張っています。
看板建築ですか!先日木造三階たての看板建築(神田須田町1丁目たぶん医者)の壊しの現場に、仕事の関係でちょっとだけ関わったのですが、その時思ったのが、この建物を壊さないでレトロ風の喫茶店にでもすると、いいのではと思いましたね。
>takeさん
こんにちは、コメントありがとうございます。
東京も雪が積もりました~
ホントに、神田界隈でも少なくなりました。
看板建築のレトロなところがいいですねぇ!
わたしは、小川町交差点のところにあった
“洋品店”のモルタル看板建築も大好きでした。
いまでは、立派なビルにかわってしまい残念です。
きのう、たまたま“洋品店”のご主人と会って
懐かしい看板建築の話を聞くことができました。
昭和3年に建ったものだそうです!
できることなら、
いつまでも残しておきたいですね!
壊さないで、うまく利用できればなぁ!
と思いますが。
今日一日、降り続く模様です。
足元に気をつけてください。