週末つれづれ草子:お釈迦様の掌

2003年4月以来週末(日曜日)に、身辺事象・時事などについての観察・感想・見解をつづっているエッセイ。

週末つれづれ草子(2011年10月30日)

2011-10-30 19:28:33 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2011年10月30日)


(写真略)
干し柿。
おととし作るのに挑戦したが、失敗しました。
カビに取り付かれたのです。
今年は皮をむいてから半分は熱湯に浸け、半分は焼酎を吹きかけました。
消毒したのです。
軍配は、熱湯消毒に上がるか、焼酎に上がるか。
それとも両方に上がるか、どちらにも上がらないか。

気にかかるのは、焼酎のアルコール度が25度ということです。
昔の焼酎のように40度以上あればばっちりでしょうが・・・。


お釈迦様の掌

欧米、就中アメリカが血を流して広めようとしているスタンダード
<民主主義>
の正体は?

<お金持ちがますますお金持ちになるシステム>

お金持ちがそれを維持し拡大することに血道を上げるのは、
ますますお金持ちになるという際限のない欲望がなせるわざでしょう。
「ごう:業」
数千年前、お釈迦様は、
自らが多くの業に悩みました。
また多くの人がいろいろの業や苦に悩むのを見ていました。
救われる道を探すのに一生をかけました。
しかし、<民主主義>を錦の御旗に自分たちの利益を拡大する人たちには、
お釈迦様の思いなど、それこそ思いも寄らないことなのでしょう。

「お釈迦様の掌(2009年6月21日)」で次のように言いました。

“・・・ホワイトハウスとウォール街とのコネクションが続いていることは、
経済面の閣僚や顧問にウォール街出身者を指名していることからも窺えます。
ガイトナー氏・バーナンキン氏・ルービン氏。
ブッシュ前政権の経済閣僚は、
ポールソン財務長官・バーナンキFRB議長。
ここに名を連ねるお方はすべてゴールドマンサックス出身でした。
ブッシュ前政権時と「NO、UNCHANGE」全く変っていないわけです。
オバマ氏のキャッチフレーズ「YES、CHANGE」は、
強烈な目くらましとなっているのではないのでしょうか。

何故そうなのでしょうか?
お金です。
アメリカの大統領には資金の多い候補が当選してきています。
広い選挙区と長い選挙戦を勝ち抜くには途方もない選挙資金が要ります。
なにせ党の候補指名ですら長期間の消耗戦を戦わせるのです。
そしてやっと党の指名を獲得したらいよいよ本番の選挙戦に突入します。
これも激しい消耗戦です。
派手なキャンペーン・パフォーマンスで人となりのイメージ創造。
イヴェント業者の大活躍の場でしょう。

一昨年の年末にアメリカからの客人が一週間我が家に逗留しました。
アメリカ民主党の大統領候補が、
オバマ氏とクリントン氏とで争われている最中でした。
その頃の日本のメディアは、クリントン氏優位を伝えていました。
そのことを言うと、その逗留者はこういいました。
「そうとはいえない。日本のメディアはアメリカを見ていない」
「どういうこと?」
「大統領はウォール街の金の行き先によって決まる。
オバマ氏はクリントン氏をしのぐ資金を獲得する勢いだ」
そしてこんな話をつづけました。
「クリントン氏は、
夫のビルクリントンが大統領になったときの後ろ盾が付いていて
それなりの資金源をもっている。
ということは、クリントン大統領誕生の暁には、
彼らの中から閣僚が任命されることが約束されているということだ。
そこで、フリーの金融業者は、
献金をオバマ氏か共和党のマケイン氏かの二者択一に絞ることになる。
マケイン氏には奥さんという強力なスポンサーがいる。
奥さんはHENSLEY&CO.という
アメリカ最大のビール販売会社の一族の中核人物だ。
一族からの献金で活動資金には苦労しない。
ということで、マケイン氏にも献金して食い込む余地がない。
オバマ氏がネットの専門家を雇って
ネットを通しての献金を集めることをはじめた。
それを見て、フリーの金融業者がオバマ氏への献金に動きだしたという」

オバマ氏は圧倒的な資金を集め、大統領になりました。
報道では、ネットによる献金集めをオバマ氏勝利の決定打にしています。
正確には、ネットによる献金集めという新機軸が勝利のきっかけであった、
ということでしょう。
決定打は、オバマ氏へなだれを打った金融業者の献金ということのようです。
ちなみに、
あのゴールドマンサックスもオバマ氏に多額の献金をしたといわれます。
そして、ポールソン氏の後を継いで
ガイトナー氏を財務長官に送り込んだといういきさつでしょう。

ここで、考えさせられました。
「民主主義」
先の敗戦で日本は連合国のGHQのもとで改造が行われたことは、
「お釈迦様の掌~因果・予約・天命~」シリーズ語りました。
そして、今の為政者は、
なにかというと「民主主義・資本主義・自由主義・・・」を枕詞にする、
といいました。
アメリカが戦後わが国に植えつけた価値観の受け売りです。
「民主主義」
響きはいいですね。
何が民主なのでしょうか。
間接であろうと直接であろうと、国民が選挙で代表を選べること?
なるほどと合点します。
しかし表面だけですね。
「民主主義」を世界に押し付けるアメリカの実態は、
上の述べた大統領選で明らかでしょう。
選挙で選ばれるという形態は民主主義の真髄だといえましょう。
しかし、その民意の裏には金がものをいっているのです。
すなわち、お金を出すスポンサーの意向に沿っているのです。
アメリカの民主主義はお金持ち階層のための制度なのです。
ブッシュ前大統領のときは、
金融・石油業界そして兵器業界などの献金がものを言ったといいます。
クリントン元大統領やレーガン元大統領のときにも
それぞれタニマチがいたということです。

正体見たり、アメリカ「民主主義」。
アメリカが武力にかけても輸出している「民主主義」とは、
お金持ちのための制度であり、
それを世界の国々に広めることは、
もと締めのアメリカのお金持ちがますますお金持ちになる、
いうことなのですね。
アメリカはアメリカにとって好もしからぬ支配者を追放し、
民主化という大義名分のもと親米政権を作ってきました。
武力とお金とで作り上げた親米民主政権というわけです。
中南米の独裁国を民主化した国ぐに。
アフガンやイラクも?
でも、最近はこのごり押し民主主義に反発したリーダーが誕生しています。
ベネズエラのチャペス大統領のような。

アメリカのいう「民主主義・自由主義・資本主義」は、
わずか数パーセントのお金持ちのためのものであることは、
誰もが認めないわけにはいかないでしょう。
先の大戦後、敗戦に打ちのめされた日本に写ったアメリカは夢の社会でした。
多数を占める中産階級が広い住宅に住み電化生活を謳歌していました。
アメリカ。
ミュージカル映画「ウエストサイド物語」でのプエルトリコ移民の一団の群舞。
「アメリカ」
そこで歌い踊って賞賛したアメリカは今やありません。
日本が垂涎をしたアメリカ中産階級は消滅し、
数パーセントの富裕階層と残りの下層階級に二極化しているのが、
いまのアメリカの実態でしょう。
そして、そういう状態の社会を世界に輸出しつつあるのです。
「イエス」といって、日本はそれを輸入しつつあるのです。
規制緩和・市場重視・資本重視
お金さまの自由自在の社会・・・お金持ちにお金が集まる社会“

あまりにも格差がひどい、といってお膝元のアメリカでデモが発生し、
各地が連動したと言うニュースが駆け巡りました。

週末つれづれ草子(2011年10月30日) おわり

週末つれづれ草子(2011年10月23日)

2011-10-23 19:31:18 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2011年10月23日)

前回、9月18日に撮った韮の花の写真を掲げました。
その花のその後です。

10月20日に撮りました。
花はすっかり落ちています。
でも、茎や葉は緑健在です。強くて食すにはちょっと・・・・


お釈迦様の掌

リビアのカダフィ氏が死に至らされました。
先にエジプトのムバラク大統領が追われました。
中近東の王制や独裁制の国ぐにが揺れています。
欧米はこの際に中近東の各国を彼等の言う<民主化>を果すよう動いています。
しかし、思惑通りには行かないでしょう。
リビアやエジプトがすんなり欧米の言う<民主化>を果すとは思えません。

お釈迦様の掌(2007年1月21)で次のように言いました。

“・・・アメリカが使命感をもって世界に広めようとしている
「民主主義」「資本主義」「自由・平等主義」がヨーロッパの国以外で根付いた国があるだろうか?
アフリカ・アジアの国にどれだけあるだろうかね?
アメリカは、いろいろ手を尽くして
アメリカの基準では民主国家でない国の「民主化」を果たしてきた。
しかし、根付いた国はないだろう。
イラクやアフガンもお先真っ暗の状態だろう・・・“

お釈迦様の掌(2007年1月28日)で続けて語りました。

“・・・アメリカが人類の普遍的価値だとして世界に広めようとしている
民主主義・平等公平主義・自由主義・資本主義
などがヨーロッパ以外の国で根付かないのはなぜか、という話ですよね?
そうだったな。
今風のことばで言えば、前回言った“DNAの違い”といえるのではなのかな。
“DNA”?
そう。日本もアメリカの主張に追随しているが、
実態はアメリカの掲げる主義とは大分かけ離れているのだ。
アメリカはとっくにそれに気づいて、日本を改造しているわけだ。
わしの見るところでは、1回目は1980年前後、そして、今が2回目だ。
その話はまたの機会として、今は“DNAの違い”の話。
そうだったな。

アメリカやヨーロッパの国が標榜している
「民主主義」「自由主義」「平等公平主義」「資本主義」
がその他の国に根付かないのはなぜかを考えるのに、
彼らの掲げる「主義」がどのようなもので、
どのように打ち立てられたのかを見てみるとはっきりすると思います。

高校の歴史で、
古代ギリシャのアテネなどの都市国家では“民主制”が敷かれた、
と学びました。
ただ、その民主制は、市民が直接参加する直接民主制とか、
いろいろな面で今のアメリカやヨーロッパの進める民主制とは違っていた、
ということです。
今の「民主制」は、ヨーロッパの国に芽生え、
ヨーロッパとアメリカで育ちました。
16世紀、ヨーロッパの封建制が崩れ、
王権が強大になっていく過程で芽生えたのですね。
強大化する王権に対抗するために
封建諸侯が団結して王の権力に足かせを掛けたのでした。
その後、十字軍として出兵した諸侯は疲弊し、
代わって都市の市民=商工業者が経済力をもとに発言権を強め、
産業革命以降は主役に躍り出ました。
市民が主役に登り詰めるのには、
生産や流通手段の革命の他に精神面での作用が欠かせなかったでしょう。
考えや行いをガラッと変える精神的な何か。
ウェーバーだったかが言ったところのエトス(思想・信念など)の変換です。
ヨーロッパの人たちにエトスを変換させたもの、それは何か?
キリスト教に起こった変革以外に見当たりません。
この時代は、キリスト教に大きな変革=宗教革命が吹き荒れた時期なのです。
<強大化する王権・諸侯の対抗・台頭する商工業市民・宗教革命・産業革命>
これらが前後して生まれ、
ひとつの坩堝の中で混ぜ繰られて<民主制>、
そして資本主義が生まれたということでしょう。
最中、宗教上の軋轢を逃れて
カルヴィン派新教徒がアメリカに渡ったのはよく知られた出来事です。
メイフラワー号で渡った新教徒たちが交わした「メイフラワー契約」は
有名ですね。
契約の骨子<自治組織を立ち上げ、その決定に従う>
その後、アメリカの民主化はイギリスからの独立、
<人民の人民による人民のための国家>に繋がりました。

ということだよ、はっつぁン。
ヨーロッパやアメリカは、<民主><平等公平><自由>を血を流す苦しい戦いを通し
多大の犠牲を払って手に入れたわけだ。
その上にキリスト教がその精神的支柱となっている、ということだ。
それに対して、
わが国などはアメリカやヨーロッパの国の後押しで<民主化>したわけだろう。
国民が「自主的に」犠牲を厭わず打ち立てた民主ではないのだな。
その上、精神面での不可欠要素であるキリスト教は浸透していない。
<民主><自由><平等公平>がヨーロッパの国やアメリカに根付き、
わが国などに根付かなかったのは、
こういう歴史・経緯があるからに違いないのだ。
すなわち、<DNAの違い>というやつだよ・・・“

アメリカの標榜する<民主>の正体、
さらに<民主>と並んで昨今肩で風切る<人権>の正体については、
次回掲げます。

週末つれづれ草子(2011年10月23日) おわり

週末つれづれ草子(2011年10月16日)

2011-10-16 19:35:48 | 感想・見解
週末つれづれ草子(2011年10月16日)

(写真略)
この花は何でしょうか?
いささか季節がずれましたが、夏の野菜です。
食するのは花ではなく茎(葉?)です。
暑気を克服する料理に使われます。
レバーと一緒に炒めたり、餃子やスープの具にしたりします。



我が家の畑に沿った道の脇の溝に自然に生えました。
数年前に我が家の畑に植えた韮が種を付け、
それがこの溝まで何かに運ばれて来て芽を出し、
数年を経てこのように増えたと思われます。
夏にはウォーキングに励む人が断りをいれて摘んでいきました。
暑さを乗り切るスタミナ料理に使うのでしょう。
道路端に育っているのでこちらが断りを入れられるいわれはないのですが・・・。

写真は9月18日に撮ったものです。
現時点、花はなくなっています。


お釈迦様の掌

<原点に返れ>
今回のキーワードです。

今年もノーベル賞の時期がきました。
各賞の受賞者が発表されました。
残念ながら、日本人はおりませんでした。
iPS細胞の中山教授が高い下馬評を受けていた、とのことでしたが・・・。

エレン・ジョンソン・サーリーフ(リベリア共和国)
レイマ・ボウィ(リベリア共和国)
タワックル・カルマン(イエメン共和国)

平和賞受賞の3女史です。
この3女史が、どのように平和に貢献したのでしょうか。
前に<平和>が「民主」「人権」に取って代わられた、
と言う趣旨のことを述べたことがあります。
民主だ、人権だ、といって力で立ち向かうことは平和行為なのでしょうか?
まさに欧米の価値観の押し付け(授与)、といえないでしょうか。

ノーベル平和賞は欧米の価値観を押し付ける一手段となり、
政治的色彩を帯びた、といってもいいのではないでしょうか。
そのため毎年受賞者が発表されると物議を醸しますね。
昨年は劉暁波氏(中国)の受賞に中国が猛反発しました。
氏の民主化活動を評価してのことです。
<民主>が<平和>を駆逐したのです。
中国は、対抗して「孔子平和賞」を創設したが、雲散霧消しました。
ノーベル平和賞には<龍車に向かう蟷螂>だったようです。

ノーベル平和賞は廃止すべきというと、多くが「過激な」と言うでしょう。
そこで原点に返れと言います。

「国家間の友愛関係の促進、
常備軍の廃止・縮小、
平和のための会議・促進に最も貢献した人物」

ノーベルが残したという平和賞の授与基準。

週末つれづれ草子(2011年10月16日) おわり