週末つれづれ草子:お釈迦様の掌

2003年4月以来週末(日曜日)に、身辺事象・時事などについての観察・感想・見解をつづっているエッセイ。

週末つれづれ草子(2012年9月12日)・わが介護の記(4)

2012-09-16 17:32:22 | わが介護の記
週末つれづれ草子(2012年9月16日)
わが介護の記(4)

2009年7月22日に話をしました。
妻の看護についての話をして欲しい、とのことでした。
依頼者は、「在宅介護の会」でした。
妻の介護の話ではちょっと的外れだな、と思いました。
そこで、妹が母の在宅介護をしたことを話すことにしました。
以下が、そのときのレジメです。
どういう話をしたかはレジメから想像してください。
大きい反響をいただきました。

わが介護の指針・要諦がこのレジメに凝縮されています。


<自宅介護について>・・・レジメ(2009年7月22日)

「妹とその家族による母の自宅介護の話」

<情況>
・母、2004年死亡 84歳
・介護認定5・・認知症(アルツハイマー)とパーキンソン病
・妹家族の自宅介護・・1994年~2004年10年間 
・掛かりつけ医師と看護士・・近くの診療所

<話の要諦>
・妹の話
10年間自宅介護したが
日常の生活の一部としていたので苦に思ったことはなかった。
・妹とその家族の自宅介護を見てきて感じた介護要諦(大切なこと)
その1:要介護者の気持ちや思いを汲み取って介護すること
      (自宅介護・施設介護を問わず)
その2:要介護者に疎外感を抱かせないこと
家族などがいる場に一緒におくようにすること
その3:介護者が介護作業を日常作業の一部とすること
その4:周囲のものは要介護者と介護者に特別な気を遣わないこと
      (普通の付き合いをすること)
その5:介護が終了したときには、周りの者は介護者家族をねぎらうこと

<病状の進展>
(初期)
同じことの繰言  しまい忘れ
(第2段階)
  時間が分からなくなる
  何でも片付けてしまう(身にしみた主婦の習性?)
  判断判別に支障をきたす
  ・・・この時点では近所の人は認知症と気づかなかった
(第3段階)
  方向が分からなくなる
  ・・・この段階で近所の人も認知症と気がつく
  ものの区別が付かなくなる
  (第4段階)
  家族関係が分からなくなる
  子どものときの記憶に戻る

<経緯>
・1978年、母に認知症症状起こる。
・1986年、父死亡。症状促進、妹家族同居。
・1993年、特別介護施設にあずけた。
この施設は大変なところであった。
・6ヶ月ほど後、市内の病院に転院。
病院に<付添い人制度>というのがあった。
一人が3人の患者を24時間世話(看護ではない)をしてくれるもの。
費用は公費(後から還付された)。
付添い人の世話は行き届いていた。
顔も穏やかさが戻り、表情も出てきた。
・1994年付添い人制度廃止。看護師の看護になった。
看護は付き添い人の世話と違い心がこもらないマニュアルどおりの行為となった。
  状態が悪化。
・自宅介護に(1994年)。
公的援助あった・・ベッド・車椅子などの支給
  居間にベッドを置き、常に家族などと一緒に過ごさせた。
  精神状態も安定しいきいきとした表情を回復した。
・2000年介護保険制度開始。
  要介護5 
  入浴利用週1~2回
  ショートステー利用年1~2回
  主治医往診 月2回
    顔をじっと見て、食事と便の状態を聞くだけ。
    「病院に入っていたらとっくに亡くなっているよ」
ショートステーの時は、必ず高熱を出すので
ショートステーを避けることにした。
   妹が出かけるときは夫や子どもが世話をした。
   家族みなが外出するときには叔母に世話を頼んだ。
   長時間のときも叔母に頼んだ
(夫が長時間見たときにオシメを換えようとしたら、
「女だから」と拒否されたから)。
・最後の半年、飲み込みが困難、鼻から栄養剤注入に。
痰がよく出るようになり、吸引をした。
・2004年4月、栄養剤注入拒絶。死去。

<妹の回顧>
・10年余りの在宅介護は自然の流れでやれたと思う。
・食事や下の世話は自分のペースに取り込んだので苦にはならなかった。
・最後の半年は、痰を取ったり栄養剤を鼻から入れたりするときに
気を遣ったので介護をしたという意識はあった。
しかし、このときも特に気構えることもなく
自分の生活を主体にした流れの中でやってきたと思う。
・苦に思うか否かは、要は気持ちの持ちようと思う。
・朝起き夜寝るまでの日々の生活の一環とすれば、
介護という行為ではなくなる。
生活の一部になると思う。

<私の感じたこと>
・自宅介護に越したことはない。
・介護を掃除洗濯と同じように生活の一部と思ってやることが極意のようだ。
・要介護者の気持ちを十分汲んでやることが大切だ。
要介護者は感覚が鋭くなっているので
 介護が心からの介護かそうでないかを敏感に感じ取るのだ、
ということを知らされた。
(介護施設での状態・付添い人から看護士への変更時の状態から)
・要介護者には疎外感を抱かせないこと、
そのためには家族や客などが居る場におらすようにすることがよいようだ。
 (家族や訪問者が居る居間に一緒に居るときのいきいきとした変化)
・身内は介護者や要介護者に特別の気持ちを抱かないことが肝要だ。
 (兄妹の家族は介護をしている妹家族に特にねぎらいなどを表さなかった)
・母の葬儀が済んでから、兄妹家族が全員集まった席で私から介護した妹家族一人ひとりにねぎらいとお礼を言った。
以上

週末つれづれ草子(2012年9月16日) おわり

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