日本全国のあちこちから梅の開花が伝えられだしました。
付近の梅はまだ花を開いていません。
我が家の梅も花はまだだが蕾は大きくなっています。
紅梅の蕾のほうが白梅のそれより大きい。
今年も、紅梅が早く咲き出すことでしょう。
紅梅の蕾を見ていて気がつきました。
松ぼっくりの形をした塊がたくさん釣り下がっているのです。
蓑虫というやつでしょう。
葉っぱや木の皮で身を包み、
枝からぶら下がって越冬しているのでしょう。
どうしようか思案しました。
ほっとけば梅ノ木が被害をうける。
といって、駆除には心が痛む。
悩んだ末の結論を昨日実行に移しました。
24個落としました。
4個残しました。
お釈迦様の掌
ご隠居。
はっつぁんかい。まだなにかあるのかい?
<陽>が膨張の限界に来て<陰>にバトンを渡す、というのは解りますよ。
「週末つれづれ草子(2005年12月11日)」でいったあのことでしょう。
「戦国時代から江戸元禄期までの発展時期とその後の江戸末期までの停滞(安定)時期とでは価値観がガラッと変わった」
というやつ。
「派手・華美から地味・質素・わびさびへ。
もてはやされた派手・華美がヤボといわれるようになった」
というやつですね。
まあ、そういうことだ。
解らないのがあるんです。
<陰>の面のことなのですが・・・、
共生・協調とかいいましたよね。
あれって、社会主義と同じではないのですか?
もしそうだとすれば、ソ連や東欧が崩壊したのはどうしてですか?
中国や北朝鮮が強権を発動してしがみついているのは正しいのですか?
いいところに目をつけたね、はっつぁん。
これまでの社会主義というと権力が無理やり押し付けたものだ。
それに<個と共><私と公>のバランスを欠き、
極端な<共と公>主義をとった。
それに対して、資本主義が成熟し高齢化して生まれた共生・協調というのは、これまでの自由・個人主義を基にした枠組みや仕組みがどうにもならなくなってきたために代わって打ち立てられるもの・・・多数がうなずいて打ち立てるものというわけだ。
<強制>と<自発>の違いですか。
そういうことだ。
中央集権――地方分権――地域主義への流れ。
資本主義を支えるイデオロギー<自由主義・民主主義>が深まれば、
この流れは必然といえるだろう。
このような社会を緩やかな社会主義といえなくもないな。
でも、これまでの社会主義とは根源が大違いだ。
<強制>と<自発>。
そういうものですか。
社会主義者は性急にことを運びすぎたのだな。
それに、<個>を抑制しすぎ<共>に偏りすぎた。
どういうことで?
マルクスかエンゲルスか知らないが、
資本主義が成熟し、社会主義が取って代わる、
というようなことを言ったのではないかな。
今まさにそういうことが起きているのだ。
地域・コミュニティー・共生・・・・。
これまでの社会主義国は、資本主義が発達しないうちに暴力で無理やり打ち立てられたがために、うまく機能しなかったとうわけだろう。
高齢資本主義は社会の流れの中から自発的にうまれた社会主義といえるだろう。
社会主義者が革命で<共>に偏りすぎた社会主義を実現したのは性急だったということだ。
そういうものですか。
ということは、やっぱり、中国は凄いということですね。
そうだな。
<社会主義・市場経済>という思想は、そういう目で見ると優れた思想といえなくもなさそうだな。
先人の言を実現しようとしているのだったら。
先ずは、市場経済の導入で、高度な経済産業社会を実現させる。
そして、<高度に発展した資本主義からは社会主義が芽を出す>。
先進資本主義の国々にその兆候が出ている。
社会主義実現のための中国のアプローチは間違っていないのかも知れないな。
ただ、強権で体制を維持しているのが弱点ということだろう。
週末つれづれ草子(2006年2月26日)おわり。
a href="http://blog.majide.org/diary/in.php?id=turedure" target="_blank">人気日記BLOG
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付近の梅はまだ花を開いていません。
我が家の梅も花はまだだが蕾は大きくなっています。
紅梅の蕾のほうが白梅のそれより大きい。
今年も、紅梅が早く咲き出すことでしょう。
紅梅の蕾を見ていて気がつきました。
松ぼっくりの形をした塊がたくさん釣り下がっているのです。
蓑虫というやつでしょう。
葉っぱや木の皮で身を包み、
枝からぶら下がって越冬しているのでしょう。
どうしようか思案しました。
ほっとけば梅ノ木が被害をうける。
といって、駆除には心が痛む。
悩んだ末の結論を昨日実行に移しました。
24個落としました。
4個残しました。
お釈迦様の掌
ご隠居。
はっつぁんかい。まだなにかあるのかい?
<陽>が膨張の限界に来て<陰>にバトンを渡す、というのは解りますよ。
「週末つれづれ草子(2005年12月11日)」でいったあのことでしょう。
「戦国時代から江戸元禄期までの発展時期とその後の江戸末期までの停滞(安定)時期とでは価値観がガラッと変わった」
というやつ。
「派手・華美から地味・質素・わびさびへ。
もてはやされた派手・華美がヤボといわれるようになった」
というやつですね。
まあ、そういうことだ。
解らないのがあるんです。
<陰>の面のことなのですが・・・、
共生・協調とかいいましたよね。
あれって、社会主義と同じではないのですか?
もしそうだとすれば、ソ連や東欧が崩壊したのはどうしてですか?
中国や北朝鮮が強権を発動してしがみついているのは正しいのですか?
いいところに目をつけたね、はっつぁん。
これまでの社会主義というと権力が無理やり押し付けたものだ。
それに<個と共><私と公>のバランスを欠き、
極端な<共と公>主義をとった。
それに対して、資本主義が成熟し高齢化して生まれた共生・協調というのは、これまでの自由・個人主義を基にした枠組みや仕組みがどうにもならなくなってきたために代わって打ち立てられるもの・・・多数がうなずいて打ち立てるものというわけだ。
<強制>と<自発>の違いですか。
そういうことだ。
中央集権――地方分権――地域主義への流れ。
資本主義を支えるイデオロギー<自由主義・民主主義>が深まれば、
この流れは必然といえるだろう。
このような社会を緩やかな社会主義といえなくもないな。
でも、これまでの社会主義とは根源が大違いだ。
<強制>と<自発>。
そういうものですか。
社会主義者は性急にことを運びすぎたのだな。
それに、<個>を抑制しすぎ<共>に偏りすぎた。
どういうことで?
マルクスかエンゲルスか知らないが、
資本主義が成熟し、社会主義が取って代わる、
というようなことを言ったのではないかな。
今まさにそういうことが起きているのだ。
地域・コミュニティー・共生・・・・。
これまでの社会主義国は、資本主義が発達しないうちに暴力で無理やり打ち立てられたがために、うまく機能しなかったとうわけだろう。
高齢資本主義は社会の流れの中から自発的にうまれた社会主義といえるだろう。
社会主義者が革命で<共>に偏りすぎた社会主義を実現したのは性急だったということだ。
そういうものですか。
ということは、やっぱり、中国は凄いということですね。
そうだな。
<社会主義・市場経済>という思想は、そういう目で見ると優れた思想といえなくもなさそうだな。
先人の言を実現しようとしているのだったら。
先ずは、市場経済の導入で、高度な経済産業社会を実現させる。
そして、<高度に発展した資本主義からは社会主義が芽を出す>。
先進資本主義の国々にその兆候が出ている。
社会主義実現のための中国のアプローチは間違っていないのかも知れないな。
ただ、強権で体制を維持しているのが弱点ということだろう。
週末つれづれ草子(2006年2月26日)おわり。
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