中途難聴になって・・・・。

7年前40代半ばに中途難聴になって、鬱になって。

やっと鬱は治ったけれどこれからどう生きていこうと模索中です。

父が亡くなって

2016-08-18 22:51:54 | 介護
この7月に父が突然亡くなった。

今までいろいろな病気をしていたので、

その辺かなと思っていたら、全く考えてもいなかった肺の病気で。

胸が苦しいと言って月曜日に入院して

はじめて、肺が80パーセントほど真っ白になっているのにきづいたらしく

主治医の先生すらびっくりしていて。


間質性肺炎だった。


入院から1週間。


私もあわてて飛んで行って、水曜には病院に入ったが土曜日の朝にはもう帰らぬ人に。

前日まで娘たちと普通に会話していたが

眠たくなったと言って高いびきで寝入ったので

私たちも仮眠をとった。

で、朝7時過ぎになくなってしまった。

全く眠ったままの状態だった。

あっけない命の終わり。


7月7日は母を苑から連れて来て七夕さんの逢瀬と言って会わせたが


母といろいろ話してツーショットの写真まで撮って…母はニコニコ笑顔の写真だった。


まさか、9日の朝には亡くなるなんて本当にびっくりだった。


91歳のパーキンソン症の母も、わけわからないまま葬式に出て


おいしそうにパクパクお料理を食べていたが。


最近やっと、しみじみ、実感がわいてきたらしく、涙を流しておられる時があります。と


苑の方が言っておられた。


それほど、あっけない死だった。


生きているときは本当にお騒がせな父親だったが


長引いたら、父自身が不安で精神的にも耐えきらなかったんじゃないかと思うので


最短距離の死は


父の為であったのかもしれないと思う昨今だ。


最後の先生へのお願いは


苦しまず眠ったようにいかせてくださいというものだったが


まさにその通りの死であった。


これから、地元に置いている母のところへ通う日々になるが


出来ればこちらで施設に入れたいと思う気持ちと


現実の狭間で悩んでいる現状である。



今はいっている特養は非常に環境がよくて出るのはもったいない。


と思うものの、母1人を故郷に置いておいていいものか?


母自体が、ここの苑は嫌いだと言っているのだが


パーキンソン症の末期の被害妄想が出ているような感じがあるし


どこまで真に受けていいかも難しい。


おかずが1品少ないとか、盗聴器が仕掛けてあるとか・・みんなが母にだけ冷たいとか。


父がいる時は、母を煽るような話方をしていたので一段とそう思い込んでしまったようなのだが。




でも実際、私が毎月1週間から10日ほど九州に帰ることができるか?


でも、長岡京の特養なんて480人待ちだとか・・・・


コネもない私に何ができるんだろう?


有料老人ホームは30万から40万近くいるとか・・・


そんな費用を毎月なんて無理だし。


老健は母の場合パーキンソン症があるので入れない。


みんなどうしているのかなあ・・・・涙