中途難聴になって・・・・。

7年前40代半ばに中途難聴になって、鬱になって。

やっと鬱は治ったけれどこれからどう生きていこうと模索中です。

実家から帰ってきました。

2014-05-19 11:02:27 | 闘病の悩み
今回、母の米寿の祝いも込めて主人ともども帰ったのですが


母を苑から日帰りさせての米寿祝!

とても楽しく、喜んでもらいました。

私が以前買ってて

まだ全くつけていなかった

ゴールド花珠の子ぶりですが上品なパールネックレスと

着やすい服を2枚プレゼント!


後は母の大好きなお寿司を注文したり

おいしそうな生クリームイチゴケーキを名前入りで作ってもらい

食べてもらいました。


すこしずつ壊れていく母の姿はちょっと切ないですが

お祝いがちょっと遅れて

もうこの1月で89歳になっちゃいました。


来年1月1日は90だねえって話しながら


仕事を退職してほんのわずかな間にパーキンソン症を発病し


あれから本当に長い間病院通い!

初めはキツネにつままれたような感じだった母も

病気になった現実を受け止めなくてはならず

本当に辛かったと思います。

これから人生を楽しもうと思ってた矢先だったようで・・・・!


父親も、舌癌、大腸がん、心臓弁取り替え手術、胆のう摘出、薬からのc型肝炎、腎臓病等


いくつもの病気を抱えながら母の病気に付き合ってきました。

父の方が若く今84?ですが


それだからやってこれたんだろうなあって思います。


その母親の心臓が肥大しているという話で、後日

私と父は病院に呼ばれました。


専門医こそが病気にはとても大事だという父のポリシーを

ついに下ろす時がやってきました。


母を特養に入所させるとき

このことで大分、苑の方と揉めたのですが

その時は半年に1度都心から通ってこられる


パーキンソン症専門医の先生にかかるということを許していただき

ここ数年そのようにやってきていました。


パーキンソン症の先生は


何十年もかかっている先生でもあるし

母も安心するのでということでしたが


本当のところは、その、苑と提携している先生が

初めて出された薬が、製薬会社の違いの為か母の病状が急に悪化し

表情のあった顔が急に能面のような顔に退化したので、毎日見ていた父はすぐにわかったのでしょう!

これはいかんと思った父のとっさの機転で、パーキンソン症だけは前の先生に通わせてほしいと

懇願したからでしたが・・・・。



新しい先生はいまだに自分の出した薬に間違いはなかったと固執されているので言っても無駄なんです。

もちろん間違いではなく、効果的には同じ薬のはずでしたが

個人に作用するときに、微妙に変化するということもあるのではないかと

私は思っています。


とにかく、今まではそういういきさつから薬も以前の先生の処方だし

母にとってベストな状態で

苑生活を送っていたわけですが

今回の心臓肥大の為、


そのマルチの提携医者さんから

このままでは母に薬も出せないので

こちらに一任してくれとの要望が出たのでした。


父も観念したのか

他にも肺に嚥下による白い影もいっぱいあるし

これから先どこが悪くなってもおかしくない状態の母なので

心臓だけを自分のかかっている専門医の先生に見せるということも難しく


お宅にすべてお任せします。と頭を下げてしまいました。

お宅もその方が楽になりますよ!という先生の顔はどことなく怒っていましたが。



帰ってきた父親はご機嫌が悪く

ついに母を見捨てることになったのか!とふさぎこんでいました。



そこで、出てきたのが、お前さえ京都を離れて


九州の実家に住みついて


母を苑から出して介護してくれれば


専門医にかかることができるのにという想いでした。


でもでもせっかく入れた特養を出して私が介護するってことは


もう、母が亡くなるまで特養には入れないってことなんです。(200~300人まち)


レビー小体型認知症の疑いも出てきている母親を苑から出して面倒見るということは


ある意味逆行だし、父親自体が心房細動を何度も起こして


施設に入ったら?と言われているくらいなのに


私1人の肩に2人の介護が掛かってくるということなんですよね。


親戚も兄弟も夫も子供たちもいない状況の中で


私1人の肩にかかってくる現実を考えたら・・・・・汗


私自身数年前まで鬱を患っていたし


ほとんど耳も聞こえない人工内耳の障害者なのに…


ストレスでまた聞こえなくなるかもしれない・・危険です・・・・。


2,3か月に一度掃除をしたり母の様子を見に来るからねって言ったら・・・・


すごく居心地が悪くなって・・・・・


自分の病気に比べたらおまえの耳なんて大したことはないと言われ・・・



でも、私はまだ何十年と生きていかなくてはならない!

父のように大病をいくつも重ねてするのが普通ではないんだし、

コミュニケーションが取れなくなるってことはそれはそれで本当に大変なことなんだよ!って言い返してしまった。





仕方なく・・・嫌な雰囲気のまま残り10日余りを残して早めに帰省して参りました。


知り合いの方たちに相談したら


環境が整っている中での自宅介護は可能ですが、あなたの場合


24時間介護は難しいと思いますよって言われた。(夜中に3回は小水も漏らすのでね。)


おかげで経済的には選択肢もあるし、特養で楽しく暮らせているのならそのままでよいのでは?と。


私も心を鬼にしてそう思うことにしたのだが、なかなか、心の奥低のところがうずく・・・。



だからと言って父の要求を飲むと絶対後悔すると思うのだ。

できなくなった時に、自分自身追い詰められるのが想像できるし。

できることは精一杯するけれどできないことはできない!

そう思うことにした。

後々後悔する事があったとしても・・・・