ウィズコロナ生活を楽しむ

新型コロナと共存しなければならない時代ですが、すでに田舎に移住して在宅勤務を開始。そんな生活をご紹介。

ノストロダムスは大予言をする際、実は酔っぱらっていた!?

2020年10月26日 18時16分59秒 | 田舎暮らし
去年の今頃は、2020年が今のようにとんでもない年になると、誰が予想していたでしょうか?
世に名だたる占い師の方々も、個別の占いは当たったとしても、世の中の大筋では誰も予想はしていなかったと思います。
まるで”1999年に恐怖の大王がやってくる”と、ノストラダムスが大予言したのが20年ずれた感じの世の中になってしまいました。

今回、災害と呼んでもいいくらいのコロナ禍が、どこかの一国だけではなく地球規模で発生しているんだから、まさにノストラダムスの大予言が20年ずれたとしか思えないですね。
ノストラダムスも酔っぱらって大予言をしたか、あるいはプラスマイナス20年くらいの幅はあるかもしれないと思っていたかもしれません。

感染のメカニズムがわかってきたり、もうすぐワクチンが市場に出回るとか、ウィズコロナ時代を生き延びる術もそれぞれ工夫できるようになったり、明るい話題もあります。

その一方で、倒産したり、会社を解散したり、非正規雇用者が職を失ったりとまだまだ新型コロナの負の遺産的なニュースも多い。

今回のコロナ禍では旅行業界が大きな打撃を受けました。
宿泊施設や観光地もそうですが、移動手段であるJRや航空業界も大打撃。
JR東日本などは、昨年の台風19号で車両基地に停泊中の新幹線が水没して、全車両が廃棄処分になりましたが、今回はそれ以上の損失があるといいます。



昨日と今日の新聞で目に留まった見出しはJALとANAの件。
ほとんどの人が飛行機に憧れて入ったはずで、まさか自動車を扱う仕事をすることになるとは、想像もしなかったでしょう。
自動車を扱えるのはまだましで、3500人くらいは削減の対象に。




千葉の田舎に移住して、在宅ワークを開始してから約10年。
東京にしがみついていた頃とはだいぶ意識が変わりました。
前にも書きましたが、今は退職して嘱託的なことをしています。
在宅勤務といっても定期的に出社をしなければならず、それさえも苦痛になってきたからです。

自分の用事で東京に行くことは別に問題はありません。
しかし仕事として行くと、人の多さや、時間に追われている歩き方、電車に乗れば全員が首を下に向けてスマホを見ている、それらを見ていると眩暈さえ覚えます。

大前研一氏だったか「日本人は死ぬ時が一番金持ち」と何かの本に書いてありました。
まあ、全ての人が当てはまるわけではないけど。
欧米の人は退職後の楽しみ方を知っている、ということを大前氏は言いたかったのかもしれませんが、お金は使ってこそ意味があると、最近つくづく思います。

お金は確かに欲しいけど、それを使えるような時間が取れない、あるいは環境がないよりは、収入が減る方を選択しました。

自然災害の多い日本ですから、ある程度の貯えは必要だと思います。
でも、手段がいつの間にか目的に変ってしまうことに早く気がつかないと「死ぬときに一番金持ち」になり兼ねません。

コロナ禍で東京などの都会から田舎に移住する人たちが暫くは増え続けると思います。
そういった場合「郷に入ったら郷に従え」が一般的な考え方かもしれませんが、移住者が増えるとそうもいかないと思います。

海や里山風景に憧れて移住する人ばかりではなく、都会で他人との摩擦に疲弊してなるべく人との接触を避けたいから、あるいは自分のアイデンティまで東京に捨てて移住する人ばかりではないと思います。

田舎では「同質を求め同調を強いられる」場面に多く遭遇します。
移住者が増えると、こういった部分での調和をどうやって取っていくかがすごく大事になってくるのではと感じています。

鉄道模型 一番の難所に手こずる

2020年10月25日 21時57分04秒 | 鉄道模型
東海道本線が開通した時まだ丹那トンネルは無く、今の御殿場線を経由していました。
しかし勾配がきつく、補助機関車をつけての登攀です。

小田原から三島へはトンネルで結んだ方が距離が短いことは当時もわかっていましたが、長いトンネルになるので排気(当時は蒸気機関車)の問題と、何より大量の湧水が懸念されていました。
そのため、まだ勾配の方が攻めやすく今の御殿場線経由となっていたのです。

実際に丹那トンネルの工事は難工事の連続で、わずか8キロ程度のトンネルですが16年もの時間がかかったようです。




ベースのスタイロを線路に合わせて抜き取って道床にする工事は一応は出来上がりました。
しかし不安定で補強のため柱に補強のスタイロを貼りつけたため、奥の線路に手が届気にくい状態に。
ループ作成時と同じ状態をまた作ってしまいました。
計画性がないですね。



そして私のレイアウトも一番の難工事場所に差し掛かりました。
6畳の長辺から押し入れに続く部分が大きくくびれています。
メンテナンス性と、何より押し入れ部分を最大限に使うにはこうするしかなかったのです。
この狭いところに線路が8本も上下に集中しています。

カーブの半径やら勾配を全部の線路に対して調整しなければなりません。
最終的にはここは山の中に隠れてしまうので、とにかく全部の線路の整合性が取れればOKなのですが。

設計段階から車両限界(特に高さ)ぎりぎりなのはわかっていましたが、見切り発車というか、いつもの通り何とかなるだろう、で作り始めてしまったため、この部分の調整で1ヵ月以上はかかったと思います。

ウッドデッキや、フェンスなどは多少木材の寸法が違っても何とかなりますが、この場所はミリ単位の調整が必要でした。





横から見るとこんな感じです。
スタイロフォームの道床ではもう無理なので、5㎜の板をジグソーで切っています。
それにTOMIXの線路とKATOのフレキシブルレールの結合がかなり大変でした。。
この二つは基本的に適合しません。
そのため多少の加工が必要です。
最初はこの部分が外れて難儀しました。
特にカーブの半径が小さいところは、苦労してこっちをはめていると、先にはめた方が外れてしまう、という悪循環を何度も繰り返していました。





難工事の場所でも一番上の直線からくる部分は難しいところはなく特に問題ありません。
この部分を利用して、一周コースを作ることにしました。
走行する車両でモチベーションを保つことができますので。
実験的にカントも付けましたが、これは付けすぎですね。
でも模型だからOKかな。
少しオーバー気味の方が面白い気がするけど。



一方で車両の方は着実に増えていきます。
この連中を早く走らせたいですね。



鉄道の好きな方は、○○系とか○○型とかほんの少しの違いも見分けてすごいな~と思っています。
でも私の場合は気にしません。
というよりわからないのです。
中学生のころはよく知っていたのですが。
とりあえず雰囲気だけ出せればそれでOKです。


To be continued...


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天気が良かったのでDIY

2020年10月24日 22時42分05秒 | DIY
何を作ると言う訳ではありませんが、以前に買っておいたワンバイフォーの6フィート材に防腐剤を塗りました。

このところ天気が悪く、作業が先延ばしになってました。
室内で使う分には白木のままでもいいんですが、どこで使うかわからないので、一応室外でも使えるようにクレオパワー(ウォルナット)という防腐剤を塗って、ブルーシートをかぶせて保管をしておきます。



このSPFワンバイフォーの6フィートは一番コスパが良いのです。
1枚が大体198円くらい。
この夏に西日対策フェンスをDIYしましたが、ほぼこれを使いました。
防腐剤もクレオパワーの一斗缶を買って、このフェンスに塗っています。

ウッドデッキの時は何もわからなかったので、評判の良い「キシラデコール」を使いましたが、結構高価です。
それに臭いがきつい。

それに比べてこのクレオパワーは臭いは遥かに少ない。
何よりも乾燥時間がものすごく短い。
作業するうえでこれはすごく助かります。

だから今日も、西日フェンスの時に経験していたので午後3時くらいから初めて10枚のSPFを両面2回塗りできました。
ウッドデッキのキシラデコールは、さすがに昨年あたりからかなり劣化が見られましたので、8年目の今年クレオパワーで上塗りをしました。

でもこれは失敗。
真っ黒になってしまいました。
高圧洗浄機か何かで一度きれいにしないとダメですね。
でもこのクレオパワーは白木に使うととても上品な色が出ます。
だから防腐剤兼、塗料として使っています。

便秘が原因?「今日、死んじゃうかもしれないよ」と言われた日~続き

2020年10月23日 10時29分16秒 | 田舎暮らし
こうして約3週間の入院となったわけですが、最初の2日間はICUでした。
下腹部の痛みはだいぶなくなっていましたので、しばらく様子を見る方針になったようです。
かと言って、まだ予断を許さない状況だったのでICUで過ごすことに。

全て初めての事なので、逆に新鮮さを感じました。
腕には点滴が刺されているので、寝返りを打てません。
そればかりかベッドには振動センサーのようなものがついているらしく、少し動いただけでもアラートがなって看護師が飛んできます。

病院や病状によって異なるのかもしれませんが、2日間だけですが若い看護師のお姉さんが全身を蒸しタオルで体を拭いてくれます。
恥ずかしいやら、嬉しいやら。
入院もなかなか悪いものじゃないな、なんて思いました。

しかし、一般病棟の3人部屋に移ってからは辛いの一言。
病気が病気だけに、何も口にできません。
水さえNG。
点滴で水分と栄養を摂るだけです。


他の2名のベッドには一日3回、食事が運ばれてきます。
普段は食べ物にそんなにこだわっていませんでしたが、日を追うごとに鼻が敏感になります。
病院の1階にはコンビニがあるのですが、そこへ納品される食材の臭いも感じるくらい、犬並みの嗅覚になった感じです。


点滴の針を刺している場所も少しずつ変えていますが、紫色に変化して化膿寸前。
いよい点滴を刺す場所もなくなってきて、確か手首付近だったと記憶していますが、そこから血管に管を挿入しっぱなしになりました。

そうそう、腹痛が始まった時の発熱を忘れていました。
入院する前は39℃ほど出ていて、座薬を使うと37℃台に。
それでも39℃と37℃はだいぶ違います。
平熱に戻ったと勘違いするくらい楽になりました。
ただ座薬が切れると、再び38℃~39℃になります。

それに腹膜炎の痛さについて。
下腹部全体が激しく痛みます。
体をまっすぐに出来ません。
歩くのも困難で、足が地に着くたびに下腹部に激痛が走ります。
布団の中では横向で「くの字」の姿勢じゃないと無理でした。
こんな感じでしょうか。
話では腹膜炎はかなり痛い、と聞いていましたがやはり初めての痛さでした。




緊急手術だと思いましたが、救急車で運ばれている最中に段々と痛みが少なくなっていきました。
入院後、何度も造影剤を体に入れてCTを取りましたが、徐々に塞がっているようでした。
若い医師が首をかしげていて、消化器の権威ともいわれる大先生とも相談しているとも言われましたが、結果的に手術することなく退院できました。
これは極まれなケースだったと言われました。

一時は人工肛門も覚悟しましたが、手術なしで何よりです。
医師からは「お腹が痛くなって、発熱があったらすぐに救急外来に来てください」と言われての退院でした。

結局、原因ははっきりしなかったのですが、複合的なものらしいです。
一つは加齢による大腸の劣化で「憩室」ができやすく、そこに宿便がこびりついて何かの刺激が加わった可能性。
これには思い当たることがあります。
腹痛の直前、あるコンビニの「ペペロンチーノ」を食べたこと。
鷹の爪がいつもより辛かったのです。

それに便秘気味なのも原因に。
在宅ワークをするようになって明らかに運動不足。
アルコールをやめたことも便秘の遠因です。
通勤している頃は毎日飲まないと眠れないので、浴びるようにお酒を飲んでしました。
だから、どちらかと言えば下痢気味だったのが、お酒を断ってから便秘気味になりました。
当然、トイレで息むことになるので、これもよくないらしい。




20代のころから割と健康で病気知らずでした。
病院嫌いで、少々のことでは医者に行かなかったこともありますが。
そのため独身の頃は健康保険組合から、10年連続で「保険を使わなかった」として記念品をもらっていたくらい。

入院中は医療保険に入っていてよかったとつくづく思いました。
親戚の叔母さんが保険外交員になったので、しぶしぶ契約させられた保険ですが、今回役に立ったのです。
入院費をまともに払っていたら、60万円近くになっていました。
行政の高額医療費の補助がありましたので助かりましたが。
保険金申請の病名は「大腸穿孔による腹膜炎」です。

それにもう一つ。
看護師さんの献身的な対応です。
仕事、と言ってしまえばそれだけですが、よく入院患者と看護師が結婚するケースがありますね。
私も独身だったらプロポーズしていたかもしれません(笑)。
気持ちの上で、それほど心強かったです。
こんな対応が私の自己免疫力を高めてくれ、手術なし・早めの退院となったことは間違いないと感じています。

便秘が原因?「今日、死んじゃうかもしれないよ」と言われた日

2020年10月22日 09時27分28秒 | 田舎暮らし
千葉の田舎に移住して2年目の秋のこと。
朝トイレから出ると、左下腹部に異常な痛みが。
いや、トイレの最中から異変があった。
汚い話で申し訳ないのですが。
便意があるのに最後のひと絞りが出ない。
在宅勤務にしてから、どうも便秘気味になっていたのが気がかりでしたが。

そのまま腹痛を我慢していたが、その日の夜いよいよ我慢できずに近所の内科へ。
座薬を処方してもらいましたが、やや痛みが治まるだけ。
ちょうど台風が来ていて暴風域にも入っていましたが、台風どころではありませんでした。
布団の中で体を「くの字」に曲げて痛みをこらえていました。

それまでにも同じような場所で腹痛はたまにありましたが、いつもと何かが違う。
もしかしたらずっと予兆があったのかも。
左側が激痛なのだが、その痛みが下腹全体に伝わっている。
そして翌日、自分でなんとか運転して地域の医療センターで診察をしてもらいました。


同じ年の3月、同病院で私より半年前に妻がヘルニアの手術をした際、家族の待合室。
他の家族と一緒になることはなく、専用の待合室です。少しでも家族の不安を取り除くためか、ソファは海に向いています。



問診の後、CTだかMRIだったのかわかりませんが、ドーナッツ状の機械で診察。
結果を見て医師が慌てだしました。
小走りに院内を動いています。
看護師は車椅子を持ってきて、座ってじっとしてなさいと言ってます。

一体何がどうしたんだ?

暫くすると・・・
「今、画像ををDVDに焼いているから、それが完了次第、救急車で鴨川の○○病院に搬送します」
との事。

事情を聴くと「大腸に穴が開いて、そこから便が漏れ、腹膜炎を起こしている」という。
「大腸に穴?」
そんなに簡単に開くものなの??

それにしても救急車とは大げさだと思ったので
「自分で運転して行けますよ」
と言うと
「そんなことをしたら、今日死んじゃうかもしれないよ」
と冗談とも本気とも取れることを言います。

あとで事情を聴いたところ、動くと穴が広がって敗血症の可能性も出てくる、そうなると命の危険もあったらしい。
穴が広がるなど、万が一の場合ここでは手術ができない、とのことで救急車となったのです。

それにしても自分が患者として乗る、人生初の救急車。
そしてこれまた人生初の入院。
ここ20年ほど寝込む風邪も引いたことがないのに。
家系的に血圧は注意していましたが、まさか大腸に穴が開くなんて。
人生ってわからないものです。


鴨川の病院敷地内からなんと東京駅までの直通バスが。なんで?と思っていたらこの病院は私立病院としては日本でも最大級で、500人近い医師がいるという。
平成天皇の手術をした先生もこの病院にいたこともあり、東京からも患者さんが多く来るとのこと。
それで納得。


鴨川についてすぐに造影剤を投与しての再CT。
やはり大腸に穴が開いているのに間違いはないという。
寝て待っている間にインターンなのか入れ替わりやってきて
「押したときと、離したときと、どっちが痛いですか?」
と聞いてくる。

手術の前に家族の同意書等、諸手続きがあるというので妻に連絡。
しかし、夜遅いということもあり、我が家には愛犬が2匹もいるし、チョコのお腹には赤ちゃんがいますのですぐには動けません。
それほどの緊急性がなかったのか、翌日以降の処置となりました。

ここ数年、この季節になるとどうも落ち着かいのはこの入院のせいかもしれないと感じています。
10月初旬に発症して、10月下旬に退院。
まだ暑さが残っているときに入院し、退院した日はとても寒かったのを覚えています。
季節が一つ進んでしまったように感じました。
この年から、自分の中では秋という季節がなくなってしまったような気がします。