歌う介護士プラス

「死ぬとき後悔したくない!」を心に留め、高齢者施設勤務、そして市民後見人をしながら、地域密着で演奏活動をしています。

花の寺

2015-03-29 19:57:35 | 日記



うすぼんやりした桜も悩ましいかと(笑)
桜はまだ7分咲き、都内とは違いますね。

クリスマスローズもたくさん種類が植えてあります。

グリーンのは、背が高くなって大きな株になってました。

で、これは?なんだったかしら?
楮、か?




来季の市民企画講座に申請するつもりでオペラ時代史を調べています。
以前から、歴史と照らし合わせて時代背景を見たいと思っていたのでよい機会となりました。

ついでに邦楽も合わせて!と思ったら、これがなかなか難物!(苦笑)
ここくらいに作られた…?
とかしか分かりません。

だいたいの時代背景が分かればよいとしましょう。

さて、これをどのように比較演奏できるか!?
2時間の講座(コンサート)では無理かも知れません。
連続講座として、ホールを提供してくれるといいんだけどな・・・


思いついたら教えてください!!!

風は冷たいですが、

2015-03-25 18:35:22 | 日記
うぐいす君のさえずりも聞いたし、素敵な日になりました!


昨年あたりから音楽歴、プロフィールを書く機会が再びあり、
そのたびに「何年だったかなぁ?」と数える始末(笑)
昔のチラシもプログラムも全部は取り置いていないので、後悔してます。



舞台は好きですけど、あまり執着心がないのかもしれません。
どちらかというと経過が好きなのかも。
このところ、伴奏合わせ程度ですから、ちょっと淋しいです。

だって、やっと余裕が出来たのだもの~
え?忙しいって?
そんなこと言わないで、ねぇ~。

と、遊んでもらっています(笑)



昭和天皇が崩御された頃はすでにかかわっていたので、ほぼ平成と歩みをともにしてるのかな?
関係したオペラも書き忘れていることがしばしば!(笑)
いちおうキャストで歌ってたんですが・・・


私程度の素人で、これほど舞台に乗れたというのはそういうタイミングに恵まれたんでしょうね。
市民オペラ、アマチュアオペラの始まったばかりでしたから。

いらないものは処分しまして、記録は書いておかないといけないです…
そう、緊急時の時のためにも私の意思は残しておかないと。
いつ何時何が起きるかなんて、
神様でもお分かりにならないかもしれません。(神様、ごめんなさい)

古い日記は捨てました。
夢想の時代は終わり!
現実を見ていかなければ…

行く道を先に見させていただいているので、
後悔しないで済むような生き方にしたいですねェ。

・・・らしい

2015-03-19 20:04:04 | 日記
85歳以上の方ばかりのケアをしていると、いつまでも年を取っていないつもりになってしまう。
「先生、若いね!」
「薄着で寒くないの?」
「ほっぺが可愛い!」とか言われるものですから!(笑)

ご家族よりもたくさんの時間をこうして伴にするのも「縁」
この世の最後の息を聞かせていただくかどうかは分からないけれど、
この仕事を最後の職に選んだのは間違っていなかった。

そのおかげで収入が得られ、好きな歌を歌うことが出来ている。


駆けだし介護職のころ、
男性入居者達の暇つぶしがてら、
ダイニングで下手なキーボードの弾き語りをしていた時。
「あなたの声には癒される、ずっと歌っていてほしい」
と、言われた言葉は身に染みている。

気難しかったけれど、面白味をたくさんお持ちの方たちだった。
そのあと何回かはお聞かせできたように思う。
だんだんそういう時間を持てる人員の余裕がなくなって行った・・・


今日はビル改装で閉店するお店の人と尽きない話をした。
売り物ではない展示用、と言われていたドレスを譲って頂く。
傷物なので申し訳ないということだったが、舞台用ならと互いに納得の上なので^^
おぉ!もう一度お嫁に行けそう!!!(笑)
そのうち着ると思いますので、お楽しみに!
気に入ってたお店なので、学芸大にお店があるので、そちらへ足を運ぶつもり。

最後は道を聞かれた人。
我が家のずっと先まで行く人で、名残惜しそうだった。
話したりなかったみたい(笑)


春よ、春

2015-03-17 19:12:23 | 日記


一番前の座席ならぬ、一番後ろから!(笑)
ここに座れるのって、たぶん2回目!
お子様連れに譲ってしまうのです。


山の麓は杉がたわわに花枝をつけていて・・・(^^;;)
お目目がかゆいこと!!!



お地蔵様も春、
心地よさ気にたたずんでおられる。
桜の花芽や樹木の新芽が膨らんできています。


参る方の身体拘縮はつよくなり、とてもドライブに出かける状態ではなくなったようで・・・
やっと財布に余裕が出来てきたのになあ
代わりと言ってはなんですが、
すこしでも気持ち良く暮らして頂けるように福祉用具購入をお願いしました。

喘息も軽減、息が楽になって良かった!


この方のことを患者さんたちのほとんどは「赤ちゃん」だと思っておられる。
「かわいいねえ」
小さくなって、言葉を言えないので「あー、あー」だから。
そして、困らせることがあっても忘れてくださる方たちだから。
看護師さんや助手さんの言葉かけはとても多い。
この方にとって最も幸せなことだろう。

「さようなら、バイバイ」と言うと、手を握って離してくれない有難さ。
看護師さんたちにもそうだと聞くが、
たまに行く私にも同じことをしていただけるのはmとても嬉しい。

あの日をふりかえる

2015-03-10 22:52:50 | 日記


3月11日14時46分、
もう4年になるのですね、変わり果てた街は少しづつでも立ち直っているのでしょうか?

あの日、私は座間の老人ホームで勤務していました。
自分の仕事に切りが付いたので、歌遊びのレクリエーションをしていました。

「もう1回やってみましょうかあ!あとはお茶にしましょう!」
と、言った瞬間!
突き上げと、大きな揺れが長く続く
地震だ!
「動かないで!歩いちゃダメです!」
「そのままですよぉ」

今にも歩こうとする人の膝をおさえて揺れが治まるのを待ちました。
たった2,3分、
ですが、どれほど長く感じられたか!
ほかの職員が各フロアのご入居者の安否確認に走りました。


エレベーターが使えないので車椅子の方たちをどうするかでした。
まず、食事、
いま、居室にいる方々は、そのまま居室で食べていただく。
フロアにいる方々は、食事を食べてから居室に戻す。
(職員が車いすごと担ぎ上げ)

電源が入るまで、介助が必要な方も居室で配膳、介助。


その施設は4階まででしたけど、高齢者向けは高い建物は建てないほうが良いと思います。
エレベーターが使えないと、食事も運べない。
階段に職員が並んで、バケツリレーでした。
(これ、停電の時も、です)


あの日は寒かった・・・
まわりにメールをして返ってきだしたのは18時過ぎ。
身内も、親しい友達も無事でした。
身内は帰れないから職場に泊まると・・・

私の帰宅も、今では笑えるけど、寒くて誰かに頼りたくて泣き言を言いそうでした。(言わなかったけど)
見知らぬ他人と助け合えることが実体験して分かりました。
同じ立場にいると性別年齢を超えて共感できるのです!
人間って素晴らしいですよ!


いま振り返れば、どんなに嫌でも施設に泊まればよかったと思います。


東北の、自分の故郷の、あまりの被害に言葉も出ませんでした。
私の体験など、たいしたことではありません。
もっともっと寒い中、水に浸かったままだった方、
自然災害の恐ろしさを痛感しました。