ひかりのことば *豊葦原瑞穂国に光満ち溢れさせたまえ*

すぐ傍にある、美しいもの・こころやすらぐものをみつけました。一緒に楽しんでいただけたら幸いです。

ひとはなんびとたりともあやめてはならない。

2008-06-11 22:23:25 | ひかりのことば
ひかりのことばであるこのブログに、こういうことをかくのがふさわしいのか
しばらくためらっていました。

新聞もテレビもネットも、陰惨なニュースばかりなので
みないように・きかないようにと 情報を遮断しています。
それでも、のりあわせた電車のひとびとの手にしている記事や売店にならぶ新聞で
知ってしまうこともあります。

陰惨なニュースは、こころを暗くし、人をうたがい、世の中すべてが悪くなっているかのように、疑心暗鬼をうみだします。
くりかえし、根堀葉堀、いろいろな根拠やくわしい状況を報道することは、こころを闇にひきずりこむようにおもえてなりません。


ひとは ひとを あやめてはならない。
ひとさまに めいわくを かけてはならない。
(迷惑というのは、傍目にみっともない・不愉快だとおもわせる風貌や言動をすることもふくみます)


祖父母の時代には、こういうことが、ことあるごとに、くちやかましくいわれつづけ、
ひとやじぶんをあやめるということすら、おもいもつかないような健全な精神であったろうとおもうのです。

天寿を全うせずなくなられたかたがたに哀悼の気持ちをよせ、不意の悲しみにしずむ御家族やゆかりあるひとびとの心痛にこころをいため、痛みの和らぐ日がおとずれることを切に祈ります。

あやめるにいたった経緯や理由づけなどは、ほんとうは、そういうことを知ってしまったわたしたちの混乱するきもちをおちつけるためだけのものなのかもしれません。
闇にとらわれてしまったひと、刃のうえをあるくごとくにあやういこころもちのひとびとが、この世にたしかに存在していることに、そうなるにいたってしまったことにこころをいためます。いつの日か、いかされていること、いのちということを、はっきりとしり、ひかりのみちへとあるきだされることを祈っています。


なんびとたりとも、いかなる理由をもってしても、天からさずけられた時間をうばってはならない。
宗教や人種や、思想やさまざまな思惑も、理由としてはならない。
それは、わたしも、あなたも、この時代にいきるすべてのものに、平等にあたえられている、かみさまからの任務であるから。


「六根清浄大祓」


天照皇大神(あまてらしますすめおほかみ)の宣(のたま)はく

人は即ち天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり

須(すべから)く静めしずまることをつかさどるべし

心は即ち神明(かみとかみと)の本主(もとのあるじ)たり

心神(わがたましひ)を傷(いた)ましむるなかれ

この故に目に諸諸の不浄を見て 心に諸諸の不浄を見ず

耳に諸諸の不浄を聞いて 心に諸諸の不浄を聞かず

鼻に諸諸の不浄を嗅いで 心に諸諸の不浄を嗅がず

口に諸諸の不浄を言ひて 心に諸諸の不浄を言はず

身に諸諸の不浄を触れ 心に諸諸の不浄を触れず

意(こころ)に諸諸の不浄を思ひて 心に諸諸の不浄を想はず

この時に清く潔よきことあり

諸諸の法(のり)は影と像(かたち)の如く

清く浄(きよ)ければ仮にも穢るることなし

説(こと)を取らば得(う)べからず

皆因(みなはな)よりして業(このみ)とは生る 我が身は即ち六根清浄なり

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

五臓の神君安寧なるが故に 天地の神と同根なり

天地の神と同根なるが故に 万物の神と同根なり

天地の神と同根なるが故に万物の霊と同根なり

万物の霊と同根なるが故に 為す所願いとして成就せずといふことなし

無上の霊宝神道加持






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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
尊い命 (ヒロユキ)
2008-06-14 17:13:35
はじめましてヒロユキと申します。
私も神の国日本の現状を憂いています。日常的に起こる殺人事件は後を絶たず、末法の世と言わざるを得ない状況です。神様から頂いている尊い命を、人の我欲で奪うことは許される行為ではありません。では、どうしたらこのような悲惨な事件を無くせるのでしょうか。やはり、この世の波動を良くするしかないのでしょうかね。人を妬む心、憎む心、恨む心等、悪しき想いを無くさない限り悲惨な事件は起きてしまうのでしょう。一人でも多くの気付きし者が、良い言霊、良い波動で祈り(意乗り)世の中を奇跡的に変えたいです。(微力な私ですが。)
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じぶんをみつめることで。 (月下  桜)
2008-06-14 21:50:12
ヒロユキさん、かきこみありがとうございます。
いつの時代でも人をあやめるということは、絶えずにあったものですが、もっと切迫したものであったろうし、それなりの覚悟のようなものもあったようにおもうのです。それは「タブー」という歯止め・規制がかかっていたからだとおもうのです。
いまや、日本全国の陰惨なニュースがひろく知れ渡るようになりました。それは、ある意味、知らなくてもよい情報なのではないかとわたしはおもっています。タブーであるもの、滅多におこるはずのないことが、毎日、日常茶飯事のように伝えられるということで、タブーでなくなり、「あ、またおこったんだ」と事態が軽くとらえられるのではないかと危惧しています。

宗教的なことではなく、ひとりひとりがしずかなじぶんとむきあう時間をとって、「じぶんとはなにか」「生きているとはどういうことなのか」などにおもいをはせ、じぶんなりの答えをじぶんでみつけてゆくことがひいてはまわりをも尊重する気持ちになってゆくのだろうとおもいます。

一方で、社会のありようの変化も大事だろうとおもっています。
いまの社会は、あまりに複雑で、手にあまるようなことを一人でかかえなければならないシステムになってしまっています。
たとえば、農林水産業を生業としているならば、(けしてその職種を軽んじているわけではありませんが)いまの社会でなじめない人々もみようみまねで技を身につけ、こつこつと努力すればそれなりに生きてゆけるようにおもうのです。ひいては、自己否定ではなく、自分も周りにも感謝の念をいだく生活となり、いくらか健全なこころになってゆくようにおもえてなりません。

だれもが素直なこころをもっているとしんじています。いまは暗闇にとざされているとしても、きっとひかりのみちにたちかえるときがくるとしんじています。

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今の世の中にあって・・・。 (ミータロウ)
2008-06-17 09:49:55
今の世の中にあって、
桜さんのような心がけができるって、
とっても精神力が強い人なのだなあと、
読みながら思いました。

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他人事ではない (Yossy)
2008-06-18 23:32:53
あの事件の、数分前にあの場所を通っていました。私とすれ違った人が、犠牲者の一人だったかもしれません。ご冥福を、祈らずにはいられません。

犠牲になった方々は、神様が、天に引き上げて、御霊を救われた方々なのだとでも思わなければ、あまりに哀しいです。

私たちも、また、悪の波動に引き込まれないように、心を絶えず清めなければなりませんね。

桜さんの写真に心を洗われるのは、私だけではないと思います。
いつも、いつも、桜さんの写真を見る度に、この世界の美しさに気付かされます。ありがとうございます。



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どの瞬間にでもこころを切り替える。 (月下  桜)
2008-06-20 22:22:40
ミータロウさん、いろいろなものを見聞きするたびにこころを痛め、抱え込んでしまうときもありました。「他人事」とわけて考えるのではありませんが、同胞のいたみや苦悩は事実としてうけとりつつも、自分のこころのありようを常に見定めておくことも学びました。まだまだですが、一歩づつです。

Yossyさん、守護霊団様方・大神さまに護られましたね。たてわけのとき、まさにわらをもつかむきもちで、わらわらとわたしたちの想像もつかないようなものたちが、常にわたしたちを取り巻いていることにますます留意せねばなりませんね。
過分におそれることはありませんが、微妙なこころや体調の変化に気をつけて、なにをするにも「こころをこめて」「意識して」言葉と行動をひとつひとつ自覚しながらということがますます命綱となってくるようにおもわれます。
そのためにも、太日月地(おおひつきくに)の大神様の慈愛とあたたかいひかりをいつなんどきでもおもいえがき、体感できるようにしておきたいものですね。

自然のうつくしさ、ことりのおはなし、空の自由闊達さなどにふれることは、そのまま大神様の御心に直接触れることだとおもっています。
写真という手段で、わたしのみつけた御心の片々に触れていただけるのは、なによりの歓びです。いつもありがとうございます。

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