つかっぴぃの雑記帳

たくさんの楽しみと、さまざまな体験を徒然なるままに。

最期までの顛末記

2016年06月08日 | 日記
このひと月、特に後半はおかんの病状が更に悪化、実家との往復頻度も上がりました。
ラスト一週間は意識もなくなり、いつお迎えが来てもおかしくない状況に。おとんと妹
(wz子供たち)とローテーションを組み、24時間の介護体制です。
夜は10時過ぎに就寝、午前2時過ぎから夜明け過ぎまで状況を見ながらマッサージ
などして過ごし、朝飯の後ちょい寝して、昼前後からまた随時枕元に張り付く生活の
繰り返し。
自由時間にパソコンを…と思っても、老夫婦だけが住む築40年近い家には化石のような
win95の端末が1台、勿論ネット回線などありません(自慢そうに言う親には呆れました)。
姪っ子のWi-Fiも、電波が届かないこの家では使えないらしい…

不規則な生活は苦になりませんが、実家に滞在し家族と生活することは相当なストレスでした。
家出同然に生活を別にして20年ほど。仕事が忙しかったこともありますが、顔を出すのは
車のタイヤ交換(夏⇔冬)の時くらい。そこまで疎遠になれば、生活スタイルは無限大に
かけ離れ、親子兄妹関係が冷え切るのも自然な流れ。
病院への見舞でさえ、何かしっくり来ないことが多かったのに、相手の本丸へ飛び込み、
24時間生活するというのはかなりしんどかったです。
おかんには一日でも長く生きていてほしいけど、でも早く自分の家に帰して!という
複雑な気持ちの妥協点は6月6日。午後1時5分永眠、享年79。
訪問看護の方のデイリーケアが終わった直後、それまで一定だった呼吸が急に深呼吸の
ような状態に変わり、何かおかしい?と妹が察した次の瞬間に息を引き取ったようです。
あまりにあっけなく、別の部屋にいた私も最期を看取ることが出来ず。確かに不謹慎な
お願いはしましたが、最後の最後にこんな形で返してくれなくてもいいんじゃない?

そもそもが終末を看取る自宅介護で、早晩必ず訪れる結末だったこと、無職で時間的
余裕があり、3月の緊急入院からそれなりに接する時間も長く取れたことで、勿論
喪失感は大きく悔いがないとは言いませんが、訪問医の先生と同じく『よくぞここまで
頑張った』と労う気持ちと、一つの時代が終わり、枷が外れたような解放感のような
ものが強いですかね。
『悲しんでないで、自分の現状を自覚し、早く仕事決めて正しい生活に戻しなさい!』と
おかんもきっとその辺で言ってると思います。

また、終活の必要性を実感する良い機会にもなりました。
今回の実情はこんなものです。
・葬式などのことについては妹だけに御義口伝状態。しかもアバウト。
・紙に残っている情報も知りたいところが書かれていない。
・キャッシュカードの暗証番号を忘れ、記憶以外の記録がなく貯金の引き出しに苦労。
・今後は遺品整理が控えていますが、4LDKの各部屋に所狭しといろんな収納家具が置かれ、
 どの棚や引出しもほぼびっしり物が入っています。勿論、どこに何が隠れているかなど、
 誰も知りません。
・何も書かれていないエンディングノート

お一人さんであっさりあの世へと考える私にとって、エンディングノートの情報がどこまで
必要かは疑問ですが、連絡先(連絡系統)、資産や負債、私物の管理(整理)と介護や
葬式等をどうすべきかくらいは、最初は簡単にまとめておき、事あるごとにアップデート
することで、とりあえずは『(冥土への)旅の恥はかき捨て』にはならずに済むかな、と
思います。
お金は遺してないようですが、確実に反面教師としての教えを一つ遺してくれました。

日取りの関係で明日が通夜。昨日自宅での納棺式を見届け、昨夜のうちに一旦家へ。
今日は1週間以上閉め切っていた雨戸を全開、空気を入れ替えました。
朝から下痢が続き、病院には行きましたが大したことはなさそうで、葬儀の最中便所往復
とか、礼服の下に紙おむつという、主役の長男坊として情けない状況は避けられそう…?

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