新笠通信 奄美電信版

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先天的に 知能発達障害を抱えているヒトは 迫害を受けてきたか?

2024-03-17 17:51:37 | Diaries
なにかが違う。 なにが違うのだろう。

神 といった 抽象概念 を 理解できないので 環境になじめない。 集団でもよおされるセレモニー ならわしごとに 共同歩調をとれない。
主従関係を理解できず、 納得もしていないので、 なぜ 人々が うやまっているのか、 したしんでいるのか 不思議でしょうがないのかもしれない。
あのご家庭は つねひごろから おやこともども どうして私より神が偉いのですか? といった趣旨の発言を繰り返しているため、一般世間の集合体の中では 特に浮いてしまう。
ふるまいの規範となるルーツが 私にはありません。 宗教指導者や 国家の元首などを 私の行動規範としたことはありません。 といったことが 発言のふしぶしに にじみ出ているので、
神より偉い といっている人を 監督することは 雇用主には 荷がおもすぎるでしょう。 そもそも 主従関係が成立しません。 上を上と思っていないので、指示を出すこと自体がナンセンス。勝手に解釈をかえて 想定している 仕上がりとはほど遠いものばかり 出してくる。 かもしれません。

太古より みようみまねをできない、 習わし事をしたがらない、 神仏を信じられないという 個体は あっという間に 発見できてしまうという 伝統が続いています。
神との主従関係は納得できない という 内心は 自由なのですが、 いちいち なにか ことがあるにつけ、 なぜ神をうやまわなければならない なぜ教えに従わなければならない
と 身近な他人に 不満を口にする ものだから、 育ちの悪さを なげく まわりのものは 大変 耳のいたい 思いをしている。

さまざな宗教がありますが、それぞれの文化圏で、神を信じられない という たみは、 どこに 居場所を求めていったか?
国の宗教 国教がある国では、 国民として受けられるさまざまな優遇措置からはずされる 対象となってきたか?

神は 神を信じられない という 個体を どのように 導いてきたか。
放置すると 神を信じている 多数派から ふるまいが みぐるしい めざわり みみざわり ということで 離れていくことは あっても 手を差し出してくる機会はどんどんなくなっていくでしょう。

冠婚葬祭の場で 誰よりも 目立ってしまうことも少なくなく 誰が 招いたのだ? ということで 怒り出す人もいるでしょう。
まず 冠婚葬祭の場に 招かない ということは おきやすいのではないでしょうか。
うちの一族に ああいうのはいない という 血統の系統面を 誇りにしている ということを ことさらに みせるという 時代はあったかもしれませんし そのなごりを持っている方は現在でもいらっしゃるかもしれません。

ある国で 少数派となっている 宗教には 誰もやりたがらない という 仕事が 与えられやすい 割り当てやすい ということがあるかもしれません。
誰もしたがらないこと というのは どこに集まるか? 世の中で 誰かの世話をしたくない ということが積み重なると 誰かが世話をするしかなくなります。
世話をせざるえなくなった 人 の ことを たまには おもいうかべてみましょう。


昨今 世間に 衝撃を与えている 象徴的な出来事 と いえば アルバイトテロ であります。

2024-03-14 18:36:35 | Diaries
製造 整備 の現場で 魂の入れ方を知らない作業者の増加。
労働運動のてほどき、指南のやりかたを誤ると 製造物や 整備を必要とする動産の 搭乗者を人質とした 報復が おこりうるのではないか。
製造業では いにしえの 鍛冶職人に ヒントを求めて たてなおすことを 切望しているのではないか。

構造上に問題はみられない。
使用のたびに負荷のかかるパーツではあるが 耐用の限度に至っていない。
となると あまりにも 話ができすぎている。 

犯行グループが 作業員になりすますことはもとより 作業員を買収してしまうことを危惧する。

そう難しくははない作業ではあるが、作業者が慢性的に不足。業界経験のない者、素性がいまいちわかりにくい者も採用されやすい環境がある?



産業指導。 産業指導を謳う人間がいますよね たとえば 農業。

2024-03-11 15:09:46 | Diaries
失敗例が 蓄積されていくと 同じ失敗を繰り返さないようにと 設計が進みます。 開発が実現するわけです。
失敗例をぜんぜん知らない人が 産業指導を始めると どうなるか。
俺の言うとおりに 進めれば うまくいく。 という 主張はするくせに 
途中から うまくいかなくなり 事業が 頓挫 しても 
俺の知ったことじゃない。 と 責任だけは 負わない。 
それどころか 事業が失敗したことが 表に出ないように 働きかけ、 事故などが 発覚しないようにつとめるのが 俺の仕事だと 信じている人さえ いるでしょう。

航空産業では 失敗の蓄積 という 土台の上に 成り立っているから こんにちの発展を実現し ほかの産業に比べ いいかげんなところが少ないだろうと 信頼がよせられているわけです。
航空機では 空気力学に注目が集中しますが、実は、着地の際 衝撃をどのように逃がす 軽減するか というのは 研究の余地がまだまだ あるのではないか。
地球以外の天体に ランディングするにあたって、 衝突ではなく、 どのように フィニッシュを決めるか につながるでしょう。
大地震の衝撃をのがす 構造 費用をかけるだけの効果を得られるか。
壊れるときには 壊れて 新しく建てる という 自然に 寄り添う 自然を受け入れる やり方も 並立していく必要があるでしょう。

事故の蓄積が進みにくい 産業のひとつに 医療 薬品事業 があるのではないでしょうか。
進んで 失敗例を 申告する というのは 社会に 高度な 倫理価値観がゆきわたっていて ようやく実現するというものではないでしょうか。

失敗例を 申告させないようにしようという リーダーのもとでは、 リスクを負ったものが 正直者が どのような 憂き目にあうか 知れているので、 はじめから挑戦を考える 若い頃から開発に従事しようと励む者は誕生しなくなるでしょう。