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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

古の都 奈良 散策 その4

2019年04月15日 | 旅行
ふたたび、猿沢池のところに戻ってきました。





ここで、鷹を手にとまらせた方に出会いました。








私が、おそるおそる近づくのを見て、

「大丈夫ですよ。」

「この鷹は、賢くて、優しいです。」

「アメリカ生まれなのです。」

私の肩に、鷹をとまらせてくれるとのことです。

お願いしました。





少し、ビクビクしていました。


楽しい?経験をして、次の観光ポイントの「浮見堂」へ行きます。





地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。


猿沢池の反対側まで歩きました。





「衣掛茶屋(きぬがけちゃや)」です。

甘味とか、蕎麦が食べれます。

その昔に、天皇の寵愛を失った采女が、世を儚んで裏の樹木に衣を掛けて、猿沢の池に身を投げたところから、この名前が⋯⋯⋯。


ここから石段を上がって、奈良駅前からの三条通り(春日大社参道)に入りました。

しばらく歩きました。

左側に興福寺の五重塔が見られました。


春日大社の一の鳥居のところにやってきました。





高さは約7m近くあります。

春日大社の「表参道」の玄関口になります。

一の鳥居から、二の鳥居、春日大社の本殿へ、1キロ以上に渡り、小石が敷き詰められた立派な参道が続きます。

「一の鳥居」の風景をよく見ると、「御神木」が北側の用柱のみにかけられた状態になっていることがわかるでしょう。

「猿沢池に住む龍」が、春日大社の「宝珠」を獲得しようと、一の鳥居のところで頭を北に向けて寝ているという伝承に由来していました。

「御神木」を鳥居の南側にも置いてしまうと、寝ている龍の尻尾に木があたる⋯⋯⋯⋯。


この一の鳥居の前で右に折れました。しばらく歩くと右側に「荒池」が見れました。





手前の池が「荒池」で、遠く向こうに見えるの建物は「奈良ホテル」です。

奈良はいにしえより有力な川に恵まれなかったそうです。

明治16年と、19年の2回の大干ばつに会い、この荒池が人工的に造られました。


奥に見える「奈良ホテル」は、明治42年に営業を開始した奈良の有名なホテルでした。

かっては、興福寺の塔頭である大乗院が所在した跡地の小高い丘の上にたっています。

著名人が多く宿泊します。


この荒池前から、道の反対側の脇道へ入りました。





曲がり角に建っていた大きな旅館「四季亭」。


しばらく道なりに歩くと、「浮見堂」に到着しました。





奈良公園・鷺池に浮かんでいました。

檜皮葺(ひわだぶき)で、八角形形式(六角形)のお堂です。

水面にうつる姿が美しく、水辺の憩いの場所になっていました。





池をまわりこんで、堂に行くことができる木橋にやってきました。

この橋を渡って堂までいきました。

堂の中は、椅子があって座って池の風景が楽しめるようです。


ふたたび橋を渡って、元のところに戻ってくると、





洞水門がありました。水琴窟とも言います。

手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けです。

私も水を手前から流し、音を楽しみました。

ここちよい音を聞きました。



この近くの、鷺池の全体を観れる場所で休憩します。





古の都 奈良 散策 その3

2019年04月13日 | 旅行



今、「ならまち 」の中心ぐらいに位置する「菊岡漢方薬局」の前です。


黄色の線に沿って番号順に歩きます。





まずは、菊岡漢方薬局の前を右の方へ散策しました。





手打ちそばの看板がかかっています。

右に見えるのは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、災難が家の中に入ってこないようにつるしています。


「奈良町資料館」にやってきました。





私設の資料館。

懐かしい昔の看板、美術品、奈良町の良俗資料や、仏像などを展示しています。

生活を感じる民具類もあるようです。

ここも、10:00に開くということで(今、8:00)、残念でした。

旧元興寺(がんごうじ)本堂跡の看板が⋯⋯⋯。

「1451年に炎上する」の文字も。





このすぐ近くの「時の資料館」。





ふつうの家のようですね。

古の時代から現代までの幅広いジャンルの時計や、関連資料が多数展示されているようでした。

世界最古のスイスの機械時計のレプリカも見られるみたい。

ここも10:00にオープン。


ふたたび、菊岡漢方薬局の前を通り、隣の「奈良町物語館」です。





伝統的な町家を利用した展示、イベント空間です。

NHKの「ブラタモリ」でも紹介された、元興寺の礎石が家の中に残っているらしいのです。

古きよき町家の生活感を感じながら展示品を見て、町家の雰囲気をまんきつできるそうです。



すぐ近くの「吉田蚊帳」です。











大正11年創業の老舗でした。

蚊帳は、奈良県が8割のシャアを占める一大生産地です。

現在、この店は、観光客の人気の店で、蚊帳の布地を使った暖簾、ふきん、コースター、ランチョンマット、麻ストールを販売しているとのこと。

もちろん、蚊帳も販売。

私も、幼いとき、蚊帳の記憶があります。


少し歩いて、「木奥家」にやってきました。





前に見えているのが、木奥家の主棟です。

ここは、建設開始時からの棟札が複数枚残っていて、建築年代と増築過程がよくわかるそうです。

主棟は1820年築で、「表屋造」として、奈良町最古とみられるだけでなく、全国的にみても古例だそうです。

(表屋造とは、町家形式のひとつで、表通りに面して店を構え、その奥に居住用の建物を別の棟として建てたものをいいます。)

正面は2階建てで、下屋(げや)を通して一体感のある表構えとし、出格子を4か所も設け、庇上は、黒漆喰壁に虫籠窓があります。

旧奈良町の伝統的な町家の姿をよくとどめていました。





南から見た主屋。




ここから、「元興寺(がんごうじ)」に行きました。


元興寺の前に、「寧估庵」。





何の店か考えましたが、やはり、猫カフェでした。


元興寺です。





世界遺産で、古都奈良の文化財。

ならまち の大部分が、かって、元興寺の境内地でした。

日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が、平城遷都にともなって、新築移転されたのが元興寺です。(718年)



ここから、猿沢池に戻ります。







古の都 奈良 散策 その2

2019年04月11日 | 旅行
今、猿沢池のベンチにいます。





遠く池の向こうに見えるのは、興福寺の五重塔です。





ここから、黄色の線に沿って番号順に歩きます。





このウォーキングコースは、10年以上前にJR西日本から発行された駅からはじまるハイキング MAPの奈良コースです。

今から、少し寄り道して「ならまち 」へ行きます。

「ならまち 」の拡大図です。





猿沢池からまっすぐ南へ歩きました。(拡大地図の左端に猿沢池があります。)

この街道は、「上街道」と言います。


猿沢池のすぐ南側の率川にかかる橋の下に、「率川地蔵尊」が⋯⋯⋯。





元からここにおられたのではなく、周囲の河川工事の際に見つかった大量の石仏を一ヶ所に集める形で成立しました。

毎年8月16日には、この周辺で、地域の人による「灯篭流し」が行われ、多くの人が集まるそうです。


この通りを南へ歩きます。





左が南です。(地図と反対)

南へすぐのところで右の路地を西に少し歩いてみました。(古い建物が見えたので)





風情ある街並みが続きます。





右手前の建物は「旧料亭 明秀館」。

現在は料理旅館です。画家絹谷幸二氏の生家。

花街情緒の香りがするまちなみでした。





再び、元の上街道(伊勢街道)に戻ってきました。

奈良町の中心にある「菊岡漢方薬局」を目指して南へ歩きます。



電信柱に「今御門商店街」の文字が。





この通りには、お茶屋街、飲食街、旅館があり来街者を迎えます。











お茶屋さんの老舗でしょうか。








突然、新しい建物が。パンの店でした。サンドイッチが美味しい店のようです。





「樫舎(かしや)」、老舗和菓子店。





ここから大きな通りをひとつ横切りました。

さらにこの通りを南へ歩きます。

左に「奈良町情報館」を見て歩きます。

じつは、奈良町の観光地図や情報のパンフレットが欲しかったのですが、朝が早すぎてまだ開いていません。(今、8:00です。)


情報館から、南へすぐのところに「奈良町落語館」がありました。





定期的に落語会があるような感じでした。


左側に「春日庵」。





奈良の銘菓「さつま焼」の店。明治30年の創業。


「元興寺 西室」がありました。





元興寺の寺務所、意楽庵。


さらに南へ歩きました。

「ならまち 」は、元興寺の旧境内を中心とする界隈をいいます。

古い家が数多く残る、狭い路地の多い、レトロな町です。





右側に「杜園」の看板が見えました。





剣ショップ。


奈良町「にぎわいの家」にやってきました。





築100年の町家空間。まだ、閉まっています。(10:00にオープン)

中は公開されています。


猿沢池から、まっすぐ南へ歩いて、突きあたりのところまでやってきています。


この奈良町の中心にある建物がありました。





「菊岡漢方薬局」。

元暦元年(1184年)より二十四代続いている漢方薬の老舗の薬局でした。

遣唐使と共に中国から伝わった漢方薬は1000年以上の時をかけて日本で育ちます。

観光客には、大峰山の和漢胃腸薬「陀羅尼助丸」や、しょうが湯、しょうが飴が人気のようでした。


ここで、少し休憩します。

古の都 奈良 散策 その1

2019年04月09日 | 旅行
昨日に、五条を散策し、JR 奈良駅の隣のスーパーホテルに泊まりました。

駅から0分でした。





今日は、朝早くから、奈良をウォーキングします。

出発点の奈良駅です。





と言っても、こちらは「旧奈良駅」です。

昭和9年に竣工し、平成15年まで駅舎として使われました。

今は、奈良市総合観光案内所として活躍しています。

JRの高架化に伴い、一時は解体されそうになりましたが、他に類を見ない貴重な建築の保存を望む者が多かったので残されることに。

曳家工法によって、前の位置より18メートル移動したそうです。

内部は、リニューアルによって、より奈良らしい装飾が取り入れられたようでした。

9:00からオープンということで、案内所はまだ閉まっています。



地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。





旧駅舎の真ん前の風景です。





前のスーパーホテルは、奈良駅にあるもうひとつのスーパーホテルです。よく間違えるそうです。

前の両側に見える「常夜灯」は、春日大社参道のもので、その先に三条通り(春日大社参道)が春日大社の一の鳥居につながっています。





三条通りも、朝が早いので、荷物を運ぶトラックでいっぱいです。





もう少し時間が経てば観光客でいっぱいになる場所ですが。





老舗の菓子舗、千鳥屋宗家。

創業寛永七年(1630年)です。歴史ある看板「万菓堂」。





三条通りは、歴史のある古都のメインストリートです。

古くから、多くの人が行き来していたのですね。

朝が早いので賑わいがありませんが、ゆっくり楽しみながらウォーキングができます。


ローソンも奈良にふさわしい姿でした。





奈良らしい建物です。



街の中に古いいわれの社が⋯⋯⋯。








「中街道」の説明板。





中街道(下ツ道)は、奈良市から橿原市をへて、五條市に至る街道です。



猿沢池に向かって歩いています。





前方左手に見える南都銀行は、大正15年に竣工した国の登録有形文化財とのこと。

現役店舗として利用されています。



だいぶん歩いて、やっと、「猿沢池」まできました。





前の池が「猿沢池」です。

興福寺の行う「放生会」の放生池として749年に造られた人工池でした。

放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教的儀式です。


この池の遠く向こうの、左端に小さく見えるお堂は、「興福寺 南円堂」です。

右端の五重塔は、「興福寺 五重塔」です。

興福寺五重塔が、周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」は南都八景のひとつになっているそうです。





「猿沢池のこんなお話し」、采女まつり。





対岸にある「衣掛茶屋」。



猿沢池の七不思議のこと。





猿沢池の水は、決して澄むことがなく、またひどく濁ることもないそうです。

水が流入する川はなく、また流出する川もありません。

でも、水の量は一定を保っていました。

亀はたくさんいますが、なぜか蛙はいません。

なぜか藻も生えません。

毎年、多くの魚が放たれているので増える一方にもかかわらず、魚であふれる様子もないです。

不思議ですね。

周囲は360メートルです。



池のそばにベンチがあったので、休憩します。

奈良県五條市 散策 その6

2019年04月06日 | 旅行



吉野川(紀ノ川)の土手道から散策を再開します。

地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。





この場所から、医院の先生に聞いた「五新鉄道」がよく見える場所を探しに行きました。

少し川沿いに歩くとありました。





五新鉄道は、五条から紀伊半島を縦貫して新宮までの壮大な計画でした。

建設の要望は明治時代終わりからありました。

奈良の特産品である吉野杉を輸送する目的です。

五条から新宮まで総延長120kmの鉄道。

昭和12年に着工されましたが、結局、鉄道は運行されることなく、五條駅から五條市西吉野の城戸までの路盤だけが残りました。

今、前に見ているのがそのごく一部です。


平成9年のカンヌ国際映画祭で、カメラドール(新人監督賞)を受賞した河瀬直美監督の「萌の朱雀」は、この五新鉄道と西吉野村の雄大な自然を物語の舞台にしていました。



ここから「民俗資料館(史跡公園長屋門)」に行きます。


再び、道標のところを通過しました。今度は、吉野川の土手道から降りていって、新町通りを横切ります。





ここをまっすぐ北へ歩きました。





ここを右へ歩きました。

しばらく行くと、代官所の横に出ます。





もう少し先から、代官所の正面に出れました。





史跡公園になっています。その説明です。





代官所の入り口の「長屋門」だと思います。





中に入りました。見学できる施設になっています。


「天誅組」の説明を中心に展示してありました。





高取城攻防のジオラマ。





天誅組の岡八幡宮に集結のこと。





天誅組に関係した人物。

尊皇攘夷派と公武合体派が複雑に絡み合い、尊王攘夷派の先陣をきった天誅組が、反乱を起こした賊として朝廷・幕府から討伐される側に立たされます。

明治維新は、たいへんなエネルギーで実現できたのでしょうね。

昨年、高知に旅行した時に、大政奉還、明治維新のどちらも約150年にあたるということで、「志国高知 幕末維新博」をしていました。


代官所から外に出ました。





代官所の横になぜかSLがあります。









今回の五條市のウォーキングは17000歩でした。

少し疲れました。


今から、五條駅に戻り、奈良駅まで行って、駅にあるスーパーホテルに泊まります。

温泉があるので、ゆっくり足を休めたいと思います。