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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

倉敷 美観地区 散策 その3

2018年09月27日 | 旅行



楠戸家住宅の前からブログを続けます。





黄色の線に沿ってウォーキングします。


この通りを、かなり東の端までやってきました。








東町という表示が見えます。ここら辺りは少し人が少ないように思えます。





石の道標がありました。

なんとか読んでみました。"右 由が山下津井下村あらわず観音寺“ 違っているかも。

ここは旧街道沿いと考えられます。


ここから、もときた道を西へ戻っていきます。





これだけ古い町並みが残っているのは、保存する地元の人の苦労もたいへんだったと思います。





なんともいえない雰囲気があります。”MuNi“とは。

どんな店なのでしょうか。

イタリア国旗。イタリア料理店か。



この通りを、ずっと戻ってきて、森田酒造を過ぎたすぐ次の筋を左に入りました。





右に見えるのは、「倉敷一陽窯」。備前焼を扱う店です。

ここら辺りまで戻ってくると人も多くなりました。








通りをふりかえった風景です。



この通りを先へ進んで行くと、「倉敷アイビースクエア」がありました。





江戸時代の代官所跡に、明治22年に倉敷紡績創業の工場がつくられました。

今は、ホテルを中心とした複合観光施設になっています。

中に入りました。





手前の井戸は、代官所時代のもの。

向こうの洋館は「オルゴール ミュゼメタセコイア」、アンティクのオルゴールコンサートを楽しむ博物館ですが、今はコンサートはやっていないみたいです。

100年前の音色が心を癒してくれていたそうです。





「倉紡記念館」。クラボウの創設80周年の行事のひとつとして建設されたそうです。

当時の原綿倉庫が改造されました。


奥の方へ入って行きました。





ホテルの施設とレストランがあります。





ツタがすごいですね。ツタのことをアイビーと言います。

倉紡の工場が明治22年につくられたとき、最先端のイギリスの技術を導入しました。

なにもかもイギリス式で、壁のレンガの積み方、工場のノコギリ屋根。

ただし、屋根角度がイギリス式では、直射日光が入り、高温になるので、それを和らげるためツタをはわせました。

しかし、結果としては、美しい町並みができることに。


門の手前に、「児島虎次郎記念館」がありました。





大原美術館の絵画収集に活躍した、洋画家 児島虎次郎の代表作品を展示しています。

建物は工場付属倉庫。


ここでウロウロしていると、若いカップルが二人で写真を撮りあっているところにそうぐうしました。

その姿を見て、なんとはなしに、ほのぼのした想いにひたっていると、この二人に写真撮影を頼まれました。

こころよく、撮影しました。すると、私も撮ってくれるとのこと。

嬉しくなって、お願いしました。

旅先で、自分の写真を撮るのはめったにないことです。


少しここで、休憩をとりました。


ブログは次に続きます。












倉敷 美観地区 散策 その2

2018年09月24日 | 旅行



大原本邸(語らい座)の前からブログを続けます。

大原家は綿仲買人として、栄えました。主屋は江戸期の建築です。

大原家は、倉敷川(運河)の終点に位置し、河岸の両側に、店舗や蔵がありました。





黄色の線に沿ってウォーキングします。



大原本邸と有隣荘の間の道を、北に向かって進んで行くと、次の東西に走る大きな通りにさしかかりました。





手前が「竹宝堂」 備前焼の店、隣が「ギャラリーサイジ」、洋風の建物が旧倉敷郵便局。


この通りを西の方へ行ってみました。








倉敷には、江戸時代、明治、大正、戦前にかけての様々な時代の約500以上の建物が残っているそうです。





「誓願寺」。この辺りから、東に戻って、進んで行くことにしました。








「有鄰菴」、古民家カフェとゲストハウス。外人さんが宿泊するみたい。

隣は「美観堂」、その隣が「大正亭」。









この日は、観光客が非常に多かったと思いました。






「三宅商店」。町屋喫茶。

ここから、さらに東へ歩きます。古い町並みばかりで、しかも店舗になっているので楽しいです。








「人力車駅」の木の看板が見えますね。

時代劇のセットみたいです。








「吉井旅館」です。一泊するならここで泊まりたいと思いました。

江戸時代後期に民家として建てられたそうです。

白壁と格子戸の伝統的な建物。料理が素晴らしいそうです。






「平翠軒」。日本各地の珍しいものが買えるみたいです。酒のつまみが楽しみな店です。

洋風建築。大正時代かな❓。

隣が「森田酒造」です。





森田家が酒造業を始めたのは明治42年。豪商です。

ブラタモリでも取材された家です。

萬年雪と言う名の酒。美味しそうですね。


ここからさらに東へ向かいました。





「市重文 楠戸家住宅」です。

東町の静かな通りにあります。明治2年創業のはしまや呉服店がはじまり。

敷地の中には、呉服店のほかに蔵を改装したカフェやギャラリーがあり、イベントやコンサートも開催されるみたいです。


少し長くなりましたので、次の回のブログに引き継ぎます。





倉敷 美観地区 散策 その1

2018年09月21日 | 旅行



新見の散策を終え、昼過ぎに新見駅から、特急やくもに乗って倉敷を目指します。

約50分で倉敷駅に着きました。





倉敷駅です。

ここから、約30分ほどで「美観地区」に着きました。





黄色の線に沿ってウォーキングします。

倉敷の名の由来は、領地の年貢米の集積地である「倉敷地」とされます。





倉敷らしい町並みが並んでいます。





猫関係の店らしいです。猫カフェもあるみたい。





店名の表示が「橘香堂」でしょうか。銘菓「むらすずめ」の本舗のようです。

「ヒルナンデス」でも紹介されたみたいです。




「倉敷物語館」が見えてきました。





倉敷物語館の入り口。






「旧大橋家住宅」を倉敷市が改修し、平成21年に開館しました。

建築年代は江戸期です。観光と文化の施設。

倉敷の歴史や町並みを紹介している展示室があります。観光案内所もあるみたいです。



町並みを見ながら、キョロキョロして歩きました。





創業50年、蕎麦の店。



倉敷川にさしかかってきました。運河です。ここが川の端っこみたいです。











喫茶「エル・グレコ」。ツタが印象的です。



先へ進んで行くと、「今橋」までやってきました。





かって、倉敷は高梁川河口に面した港町でした。

江戸時代から周辺の新田開発をし、内陸の町に。

埋めたての干潟の残ったところが入江になり、やがて運河としての機能ができます。


ここあたりの景観は、最も倉敷らしいところのひとつです。やなぎが素敵ですね。


今橋の上からの眺めです。





川船が遠くに見えます。




今橋を過ぎると、右手に「有隣荘」に出会いました。





大原家の別邸になります。昭和3年の建築。

大原孫三郎が病弱な妻を気づかって、家族のために落ち着いた住居を希望して建てたそうです。

屋根の瓦がみる角度によって緑に見えるそうです。当時の金額で瓦1枚が3万円。

当時、「倉敷紡績」で大原家は一大財閥でした。



道を挟んで、西隣りが「旧大橋家住宅」です。





大原家の歩みや数々の展示品があります。休憩、交流スペースもあります。


私も、ここらでひと休みします。


続きは、次のブログで。


















岡山県 新見 御殿町 まち歩き その2

2018年09月17日 | 旅行



太池邸の前から、ウォーキングを再開します。

百貨店のはじまりの店と聞いて、その様子を想像してみました。






黄色の線に沿ってウォーキングします。


ここからすぐのところに、カツマルギャラリーがあります。





創業117年の醤油店です。伝統の味を守り続ける店。長い時間かけてゆっくり大切につくられる醤油。

大正から昭和の初めの建築物だそうです。

レトロな建物の中にモダンなギャラリーがあり、まちの交流の場になっているそうです。


この筋を北のほうへ歩きました。





散髪屋さんもまちの雰囲気に合わせた建物です。





「新見御殿町センター」です。

「御殿町づくり」事業のシンボルの施設として、旧元福酒造跡地に平成6年に建てられたそうです。





本町郵便局。



ここから、もとの道を引っ返すことにしました。

少し歩くと、カツマルギャラリーのところに帰ってきました。

その前に「津国屋と津国屋の内蔵」があります。





津国屋は、札座、鉄問屋、造り酒屋、町名主等のいろんな商売や重要な役をはたしてきた家みたいです。

藩指定の六問屋。

内蔵は1814年の建物で、津国屋で使われていたものや、神棚、酒蔵の鬼瓦、山田方谷の手紙等があります。


松原通りを東へ戻って行くと、大西邸がありました。





明治大正時代の建物。商家です。中庭と応接間は今もその時代の雰囲気を残しているそうです。





大西邸のすぐ横の小路。「新見御殿町三味線横丁」。

中に入って行くと。





長屋の手前の方が「元仕出し 自由亭」。明治から昭和40年ごろまでつづいた有名な店で、鰻料理が有名だったそうです。

ハイカラで、テキ(ステーキ)も出されていたそうです。

写真のむこうがわが、「元料亭 松葉」。明治から昭和30年頃まで料亭として一世を風靡。

三味線の粋な音が聞こえたのでしょう。



ここから、きた道を引き返し、田原屋の前を通って、ふたたび商店街に来ました。






さらにしばらく歩くと、「城山公園」の登り口があります。





城山の名前に惹かれ、関長治のなにかが残っているという期待で登ってみることにしました。











期待していたものには会うことができませんでした。

後で調べてわかったのですが、このまちは元禄10年に関長治によってつくられた町で、この時代はすでにお城は造れない時代であったそうです。





城山から見た新見の街並みです。


ここから下に降りて、「新見美術館」を目指します。


江道橋まで戻ってきました。





この橋を渡って、姫新線の下をくぐり、美術館に向けて歩きました。








美術館に着きました。この前の石段を上がっても、美術館の玄関につくということですが、左側の山道を上がることにしました。











ようやく、それらしき建物がありました。美術館の裏みたいですね。





美術館の入り口です。「八代亜紀」の美術展をみる目的で新見に来ました。








中は、写真撮影が禁止なので紹介できません。彼女が使っている油絵の道具が展示されていました。





彼女の作品は、口では言い表されないほど感激しました。



新見駅に戻り、次は「倉敷」に行きます。



次のブログで。



岡山県 新見 御殿町 まち歩き その1

2018年09月14日 | 旅行
8月の中旬に、「八代亜紀」の美術展を見る目的で、新見市に行きました。






この電車に乗ります。

播州赤穂発5:59に乗ると伯備線で岡山を経由して、新見に8:52につきました。





新見駅です。





黄色の線に沿ってウォーキングします。

まずは、御殿町に行ってみることにしました。








駅前にある「祐清」と「たまがき」の像で、新見荘に関係する人物みたいです。

当時、新見荘は京都の東寺の荘園でした。






駅前からウォーキングします。初めて来たところなので、いつもよりより興味深いです。

キョロキョロしながら歩くので、不審者におもわれるかもしれません。







高梁川に沿って歩きます。







新見から津山へ行く姫新線の踏切です。この踏切をわたりました。







街の風景を見ながら歩きます。


「江道橋」を渡って、御殿町を目指します。







橋から見た、川沿いの町屋です。


商店街に入ってきました。







昭和レトロを感じる商店街です。自分の小さいときを思い出しました。

昭和の街が好きで、いろいろ、その雰囲気のあるところを旅したことがあります。豊後高田とか。















「田原屋」です。明治時代の建築物で、虫籠窓、なまこ壁が特徴です。

ここを左に曲がり、すぐに右へ曲がりました。

しばらく歩きました。






左に見えるのが「消化器庫」

この街をつくったのは、新見藩「関長治侯」と言われていますが、その前は、この辺りは高梁川が流れていたようです。

右側に見える屋敷は、「温故館(渡辺屋敷)」です。







温故館。この渡辺家は藩の用人で、商人との関係を取り次ぐところだったみたいです。

庭には、あの伊達政宗からもらった五葉の松があったそうです。

現在は市の施設として使われています。


ここから松原通りを進みます。


新見八景の石碑があります。










松原通りの風景です。











「茶寮 御殿町新見」がありました。






これから行く「太池邸」の蔵を利用したカフェ。雰囲気を感じる建物です。






右に見えるのが「太池邸」です。

近代、新見地域の商業の中心だった中町界隈のその中心の商家のひとつ。

明治末期の建物で、新見発の百貨店として、呉服をはじめとして、様々な商品を扱っていたそうです。

現在は、新見市が借り受けて、交流拠点施設として利用されています。

ここは、休憩所としても使えるので、途中休憩をとりました。


ブログもここで休憩。