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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

世界遺産 姫路城 西の丸にて

2018年08月31日 | 旅行



姫路城の大手門からブログを続けます。


大手門を通り、三の丸広場に入って行きました。


三の丸から見た、ほぼ正面の姫路城です。





一番背の高いのが大天守、左の奥にあるのが乾小天守、左の手前が西の小天守、他に東の小天守が大天守を守るように渡櫓で結ばれて連立している「連立式天守」が完全な形で残っています。


9:00 から登閣口が開いて、西の丸、大天守に入れるので、そこへ行ってみます。


まだ、少し時間があるみたいです。

入口が開くのを待っているときに、「黒田官兵衛が築いた石垣」を見に行くことにしました。





黄色の線に沿ってウォーキングします。



姫路城の上山里の下に位置する石垣のところにやってきました。





ここの野面積みの石垣が官兵衛が携ったとされるものです。下段の方です。

1580年ぐらいのものと推定されるそうです。




登閣口に戻ってみますと、入れる時刻になっていました。

今日はまだ人が少ないみたいです。


中に入りました。


進んで行くと、すぐに、「菱の門」があります。





城内で最も大きい門です。両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋があるので、この名前がつきました。

門の上の火灯窓(かとうまど)などの安土桃山時代の意匠が特徴です。(優雅ですね。)



菱の門を入りまっすぐ進むと、「いの門」に行きます。





まっすぐむこうに見えるのが、「いの門」です。

いの門には行かずに、ここを左に曲がって、さきに「西の丸」に行きます。





この石段を上がると、西の丸に行けます。





左手奥の「西の丸長局入口」より、中に入りました。





ここから化粧櫓まで、240メートルあり、とても長い廊下が続いている長屋群を「百間廊下」と呼んでいます。





ここの窓から外の景色を眺めました。





「木下家定」とのかかわりの瓦か。「桐紋飾瓦」。









長い長い廊下です。






ここは住居として使われたと思われます。





ときどき、外を見てみました。





石垣が見れます。垂直ですね。





もうすぐ、化粧櫓にきます。







千姫の姿です。

「千姫」と「本多忠刻」は大変仲睦まじかったと伝えられています。

本多家は、徳川四天王のひとりの「本多忠勝」。

千姫が、かって、大阪から江戸へ戻る途中に、本多家の船で、桑名宿から尾張の宮宿へ渡った時、船団を指揮していたのが美男の忠刻でした。この出会いが、馴れ初めです。


千姫と忠刻の間にはももなく長女「勝姫」が、1619年には長男「幸千代」が生まれました。

この時が、千姫にとって、最も幸せな時間であったに違いありません。


ところが、幸千代はわずか3歳で病死してしまいます。その後も流産などで、子宝に恵まれませんでした。


1626年に、忠刻が病死。姫路を去った千姫は、髪をおろして天樹院となり、忠刻や幸千代の冥福を祈る日々を送り、1666年、70歳でその生涯を閉じました。



ここから外へ出て、大天守に向かいます。


この続きは、次のブログで。





世界遺産 姫路城 その2

2018年08月27日 | 旅行



男山の配水池公園から、ブログを続けます。

ここから見た姫路城は最も美しく見えると評判です。

初日の出は、姫路城の天守附近から昇天し、絶景だそうです。








配水池公園です。





ここで、ゆっくり休憩したので、ウォーキングを再開します。





黄色の線に沿って歩きます。





この石の階段を降りて、下まで行かずに、途中で横道にそれ、男山八幡宮に行きました。





さらに行くと、また、八幡宮に登る石段がありました。





これを登り、八幡宮に着きます。








1345年に創建。この八幡宮は、京都の石清水男山八幡宮より勧請されました。

姫路城の「城山」に対し、夫婦山である「男山」に鎮座することから歴代藩主から庶民まで、「男山八幡」、「男山厄神さん」として親しまれています。







ここから、さらに少し下ると、「千姫天満宮」があります。





本多忠刻と再婚した千姫が、本多家の繁栄を願って、1623年に建立しました。

朝夕、西の丸長局の廊下から遥拝したとされています。

そのために、東向きに造営されました。


ここから、下へ降りていこうとした時、脇道があるのを発見しました。

ここは過去に2度ほど来たことがあるのですが、この脇道は初めてです。





「姫路文学館」の裏になるみたいです。


ずっと進んで行くと、竹林の風景に会いました。





この小径を通り抜け、「姫路文学館」に行きました。






司馬遼太郎、有本芳水、和辻哲郎などの姫路ゆかりの文人の作品や原稿が展示されています。

建物は「安藤忠雄」の設計です。



ここから「千姫の小径」に向かいました。





船場川を「いもせばし」で渡り、「千姫の小径」に入ります。





船場川です。





小径の風景です。モミジや桜が植えられ、その季節には楽しみです。

気持ちの良い散策路になっていました。





西部中濠です。これと船場川の間に、小径が南北にのびています。


ここを通り抜けて、「市之橋門跡」に来ました。








図のように、門は直接外濠の外に通じていました。


ここから、姫路城の大手門に向かいます。










大手門です。姫路城の外周を一周しました。ここから続きは、次のブログで。

世界遺産 姫路城 その1

2018年08月23日 | 旅行
8月のはじめ、姫路城を見に行きました。


播州赤穂から約40分ほどで、JR を使って、姫路に行くことができます。





姫路駅前から見た姫路城の風景です。遠くに小さく城が見えます。







古地図を見ると、城は三重に堀をめぐらし、この駅付近に外堀が施されていたことがわかるそうです。

駅前の大きな通りをまっすぐに見て、姫路城が見えるのは、素晴らしい眺めだと感じます。







この地図の黄色の線に沿ってウォーキングします。








駅前からゆっくり歩きはじめました。朝が早い時間で、暑さはまだ大丈夫です。











大手前交差点の付近です。城の土塁があったところで、石垣が残っています。







「中の門跡」の付近です。ここを右に曲がって、城に向かいました。








「桜門橋」です。この先に「大手門」があります。







「桜門橋」から堀を見た風景です。







姫路城の大手門です。「姫路城 世界遺産登録 25周年」の文字が見えます。


平成5年12月、奈良・法隆寺地域の仏教建造物とともに、日本で初めてユネスコの「世界文化遺産」に登録されました。




大手門から、三の丸に入り、姫路神社を目指して歩きます。

朝が早いので、登閣口から城の内部の見学がまだできません。9:00からです。


外周りを歩いて、楽しもうと考えました。







三の丸広場付近から坂道を上るところで見た姫路城です。姫路城の正面右横から見ています。











城の東側を見ています。





しばらくウォーキングをして、「姫路神社」にやってきました。







ここを過ぎると、天守閣の裏にある「姫山公園」にやってきます。













「北勢隠門跡」の場所です。ここを外に出て、「鷺の清水」を目指しました。






「鷺の清水」です。この石組み井戸は古くから名水として知られていました。

茶の湯に使われたそうです。


ここから、次は、男山の配水池公園を目指します。




公園に登る階段です。





男山の山頂に配水池公園があります。(高さは50メートルほどですが、急な階段で、ため息が出ます)

200段ぐらい、階段がありました。





(ああ、しんどい。)


息を切らして、頂上へ到着しました。








上から、姫路駅方面を見た風景です。


また、この場所は、姫路城が最も美しく見える場所として知られています。






白い天守群が、ちょうど目の高さと同じで、素晴らしい姿で見ることができます。


ここで、ウォーキングも休憩します。




ここから先は、次のブログで。








兵庫県 佐用町 ひまわり畑にて

2018年08月20日 | 旅行
7月の終わりに、ひまわりを見に、佐用町の方へ行きました。


妻に自動車の運転をしてもらい、のんびりとドライブを楽しみます。

自宅から佐用町までは、ゆっくり行って、1時間もあれば到着します。


佐用町の中の「東徳久」というところに行きます。

前に一度行ったことがあるのでスムーズに行けました。

「南光スポーツ公園」の駐車場に車を置きます。

700台も駐車できるそうです。

駐車の位置をよく確認しました。目印を記憶しておかなければ、見つけられない可能性を感じました。


ひまわり畑に向かいます。














屋台や、地元の農家の野菜、特産物を売っている店がありました。


妻は、地元の店で、ジャガイモの「きたあかり」、ミニトマトを買いました。





ひまわり畑が見えてきます。











ひまわりの町、佐用町南光地域は、7月上旬から8月上旬にかけて、このひまわりを咲かせます。

満開のひまわりの見頃は1週間ぐらいで、そのため、町内6地区で、咲く時期地区をずらして、全部で約120万本のひまわりを咲かせるそうです。



















ミツバチがひまわりにとまっていました。


「東徳久」だけで、約20万本のひまわりが咲くそうです。

見頃がすんでから、およそ1ヶ月後に、種を収穫し、搾油するそうです。

佐用町のひまわり油は、オレイン酸やビタミンEが豊富に含まれているそうです。















たくさんのひまわりを見ることができました。


帰りに、ひまわりの苗をいただくことができました。




次は、上月駅にまわってみることにします。農協の販売所でショッピングするそうです。





上月駅とひっついて、「ふれあいの里 上月」がありました。特産物販売所。

買い物は妻に任せて、この近くを少しウォーキングします。











のんびり、ゆったり、ぶらぶら歩きました。







駅の近くで、見た風景です。なんとも、故郷を感じる駅に思いました。







改札のわきから、駅のホームをのぞきました。


上月駅は姫新線の駅です。



販売所に戻って、妻と会い、何を購入したのかききました。

味噌饅頭、味噌、おからコロッケ。


店の前においてあったハーブのバジルの苗も買いました。



ここから、自宅に引き返します。




途中に、上郡町の「赤松」という所を通りました。


毎日新聞に、月に1回ぐらいの割合で、「ひょうご 見つめたい風景」というテーマで、画家 須飼秀和氏が、絵画を載せておられます。


描かれた絵の場所が、ここにあるらしいので、降りて探してみました。


「松雲寺」という赤松氏とかかわりの深い所です。あの赤松円心です。

白旗城も近くの山の上にありました。







私も同じ場所を絵に描きたくて。(下手くそで、すいません。)







寺の中に入ってみました。











この寺は、「カヤ」の樹で有名みたいです。





幹周 4.95メートル、樹高 25メートル、樹齢 700年と推定されます。




好きな画家の、描いた場所に出会えて、感激して、ここをあとにしました。





昼ぐらいに、自宅に戻ることができました。








因幡街道 大原宿 その2

2018年08月16日 | 旅行



田中酒造の前から、ウォーキングを続けます。

明治18年に建てられた、市内で唯一の造り酒屋です。

袖壁、虫籠窓、煙出しなどを備えた町屋形式で、大原宿の特徴が表れています。






黄色の線に沿って行動します。




少し南へ歩くと、大正ロマンの雰囲気が漂う建物が現れました。







司法書士事務所です。過去に、銀行として使われていた時の金庫がまだ残っているそうです。




ここからさらに南へ少し行くと、次のような風景が現れました。






ナマコ壁の建物が見られます。

もともとは防火のためです。2階壁面の足元を保護するもので、瀬戸内の沿岸地域には多く見られます。

白黒の模様が美しいですね。







消防器具庫。火の見櫓が裏に見えます。







大原宿の「ふれあい広場」です。

門を入ると、鯉が泳ぐ池があり、ゆっくり休憩できる施設になっていました。

ここにも水琴窟がありました。



ここの町の呼び名は「古町」。本陣、脇本陣を持ち、「小原駅(大原宿)」の中心となっていました。



この宿場町の南の端まで行ってみようと、歩きます。







きた道を振り返った風景です。だいぶん南の方へ来ています。







素晴らしい雰囲気のある豪邸ですね。


「南の土居跡」という、南の出入り口を指すような門があったそうですが、どこかわかりませんでした。







たぶん、南の出入り口はもう過ぎたのでしょう。


教会がありました。


ここから北へ向かって戻ります。






先ほどのお宅。





どんどん北へ戻っていきます。(少し、電車の時間が気になっています。)





「因幡街道と大原宿の歴史」という、説明の表示板がありました。

因幡街道は鳥取(因幡)から姫路(播磨)まで結び、古くから経済、文化、政治に、ある時は軍事目的にも利用されました。

後醍醐天皇が、舟上山(鳥取県)から京都へ引き上げるときも、この街道を利用したみたいです。

もちろん、鳥取藩主の池田侯が参勤交代に使いました。その行列は700人程度の人数だったそうです。







「本陣」がありました。

因幡街道を往来する賓客も泊まりましたが、1番の利用者は因伯二国の32万石、鳥取藩主池田侯でした。

現在の建物は、寛政年間(1789〜1801年)のものと考えられます。

数寄屋造の御殿と御成門が今なおその姿をとどめています。






本陣のすぐ近くに、観光案内所がありました。いきしは見逃したみたいです。

地図とパンフレットが欲しいと思っていたのですが、あいにく閉まっていました。

そろそろ電車の時間がせまってきたので、急いで大原駅に戻ります。



なんとか間に合いました。智頭急行線で上郡に戻り、自宅に帰ります。


充実した津山、大原の日帰り旅行でした。