和田義盛公の甥で養子でもある刈田郡地頭職の「刈田義季」と、刈田郡小原郷の領主「小原常輪」は、領地の支配を子息や一族の者に委任し、自身らは鎌倉に出仕し和田義盛公の側近くに仕えていたと思われ、「和田合戦(1213年5月)」では両名共に和田方で参戦し敗北。
その後、刈田郡は北条方に接収され、1215年前後に子息世代の「刈田義行(和賀氏初代)」と「小原義範」は、より北の地である和賀郡に領地替えとなります。
これにより和賀氏が起こり、1590年の奥州仕置による改易処分迄の約370年間、和賀氏は小原家と共に和賀郡を支配することとなります。
鎌倉市由比ガ浜の和田一族戦没地には、私達の先祖が眠っているかも知れません。