本日、横浜市栄区にある「あーすプラザ」にて、横浜市議の輿石且子氏を招き、講義を受けました。現在の横浜市が抱える環境問題についてです。私は横浜市民ではないし、大都会にも住んでいませんが、主催側でもあったこともあり参加しました。大都市と田舎町では環境問題のとらえ方も違う点はいくつもありますが、共通する問題も多々あります。
その中で2例気付いたことを紹介します。
一つめは「生物多様性の維持が人間にとっても重要である」ということです。そして、生物の食物連鎖にも触れられ、生物の構成はピラミッド型になっていて、人間はその頂点にいると説明しておりました。「生物多様性」の重要さは理解していますが、食物連鎖の点については異論があります。
食物連鎖はピラミッド型ではなく、循環型であるはずです。ある生物にとってみると、その循環型の一部に属していますが、循環システムは幾重にも複雑に絡まった構図をなしています。この循環システムの中で「人間」はどの位置にいるのでしょうか?循環ですから頂点はありません。私も以前はこの問題に悩みましたが、今はすっきりしています。確かに人間は殆どの動植物や菌類を食べて、天敵はいない様に思われます(つまり頂点)。しかし私の答は「人間は循環システムの外側にいる」という考えです。「もし人間がいなかったら」と想像してみれば分かります。人間がいなくても自然は正常に回っていくでしょう。地球上に生物が現れてから10億年以上、ごく最近の数万年前までは人間は自然の生き物たちと同化していたのです。こんな人間が生物の頂点だと思うのはエゴだし、オゴリだと思います。私たち人間は循環システムの外側にいて、その自然システムを壊そうとしている単なる破壊者ではないでしょうか?
また、最近では絶滅種が年5,000種と言っていましたが、別のところで聞いた話では年間4万種とも10万種超という話を聞いたことはあります。いずれにせよ、超加速度的に増えているのでしょう、驚きです。一方新種誕生も人工物を含めれば、絶滅数を遙かに上回っている気もします。この辺をメディアはもっと声を大きくして取り上げて欲しいものです。
もう一つは、緑化の為に街路樹を植えたは良いが、落ち葉清掃や剪定が進まない現状や、葉の茂りで交通標識が隠されてしまう不具合も起きているとのことです。これは大都市故の問題かも知れません。落ち葉はともかく一般人が(親切心で)剪定や枝打ちは公共物破損となり禁止されていますが、かといって積極的に手を加えてくれる人も不足している模様です。結局業者に頼むのですが、こんどは予算確保に限界が見えます。落ち葉や剪定等が出来なければ、街の景観だけでなく、ムク鳥の繁殖→フン害や騒音、害虫の増加、落ち葉による転倒等々の連鎖的弊害が生まれてきている様です。
一見市民の為に(緑を増やすという)良いことをしたのに、結果迷惑をかけてしまっていることになります。緑化活動はその後の維持管理を続けていくことまでを考えておかなければ意味がない無駄な活動となってしまいます。こういう例は他にも沢山ありそうです。
ところが、私たちの田舎町ではこんな問題はありません。街路樹自体が少ないし、家の周りの低木帯はその家できちんと始末する習慣(?)になっている様です。我が家も同じです。我が家に接した道路は我が家で清掃管理しています。・・・で良いと思っていますし疑いません。都会の住人にはその感覚や余裕がないのかもしれません。私は多少の不便さは有っても都会に住んでなくて良かったと思いました。
さて、話は戻りまして、輿石市議の話は分かり易かったし、何といっても議員としての意気込みというか信念に溢れていて頼もしいと感じました。こういう方が一人でも我が町議に居ればと羨ましくも感じた次第です。機会があればまた話を聞きたいですね。環境問題以外でも良いので。
その中で2例気付いたことを紹介します。
一つめは「生物多様性の維持が人間にとっても重要である」ということです。そして、生物の食物連鎖にも触れられ、生物の構成はピラミッド型になっていて、人間はその頂点にいると説明しておりました。「生物多様性」の重要さは理解していますが、食物連鎖の点については異論があります。
食物連鎖はピラミッド型ではなく、循環型であるはずです。ある生物にとってみると、その循環型の一部に属していますが、循環システムは幾重にも複雑に絡まった構図をなしています。この循環システムの中で「人間」はどの位置にいるのでしょうか?循環ですから頂点はありません。私も以前はこの問題に悩みましたが、今はすっきりしています。確かに人間は殆どの動植物や菌類を食べて、天敵はいない様に思われます(つまり頂点)。しかし私の答は「人間は循環システムの外側にいる」という考えです。「もし人間がいなかったら」と想像してみれば分かります。人間がいなくても自然は正常に回っていくでしょう。地球上に生物が現れてから10億年以上、ごく最近の数万年前までは人間は自然の生き物たちと同化していたのです。こんな人間が生物の頂点だと思うのはエゴだし、オゴリだと思います。私たち人間は循環システムの外側にいて、その自然システムを壊そうとしている単なる破壊者ではないでしょうか?
また、最近では絶滅種が年5,000種と言っていましたが、別のところで聞いた話では年間4万種とも10万種超という話を聞いたことはあります。いずれにせよ、超加速度的に増えているのでしょう、驚きです。一方新種誕生も人工物を含めれば、絶滅数を遙かに上回っている気もします。この辺をメディアはもっと声を大きくして取り上げて欲しいものです。
もう一つは、緑化の為に街路樹を植えたは良いが、落ち葉清掃や剪定が進まない現状や、葉の茂りで交通標識が隠されてしまう不具合も起きているとのことです。これは大都市故の問題かも知れません。落ち葉はともかく一般人が(親切心で)剪定や枝打ちは公共物破損となり禁止されていますが、かといって積極的に手を加えてくれる人も不足している模様です。結局業者に頼むのですが、こんどは予算確保に限界が見えます。落ち葉や剪定等が出来なければ、街の景観だけでなく、ムク鳥の繁殖→フン害や騒音、害虫の増加、落ち葉による転倒等々の連鎖的弊害が生まれてきている様です。
一見市民の為に(緑を増やすという)良いことをしたのに、結果迷惑をかけてしまっていることになります。緑化活動はその後の維持管理を続けていくことまでを考えておかなければ意味がない無駄な活動となってしまいます。こういう例は他にも沢山ありそうです。
ところが、私たちの田舎町ではこんな問題はありません。街路樹自体が少ないし、家の周りの低木帯はその家できちんと始末する習慣(?)になっている様です。我が家も同じです。我が家に接した道路は我が家で清掃管理しています。・・・で良いと思っていますし疑いません。都会の住人にはその感覚や余裕がないのかもしれません。私は多少の不便さは有っても都会に住んでなくて良かったと思いました。
さて、話は戻りまして、輿石市議の話は分かり易かったし、何といっても議員としての意気込みというか信念に溢れていて頼もしいと感じました。こういう方が一人でも我が町議に居ればと羨ましくも感じた次第です。機会があればまた話を聞きたいですね。環境問題以外でも良いので。