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ブログ再開しました!

「環境問題」を中心に発信・フォローしていきます。

横浜の環境行政の話を聞いて

2012-11-21 19:24:24 | 日記
 本日、横浜市栄区にある「あーすプラザ」にて、横浜市議の輿石且子氏を招き、講義を受けました。現在の横浜市が抱える環境問題についてです。私は横浜市民ではないし、大都会にも住んでいませんが、主催側でもあったこともあり参加しました。大都市と田舎町では環境問題のとらえ方も違う点はいくつもありますが、共通する問題も多々あります。
 その中で2例気付いたことを紹介します。
一つめは「生物多様性の維持が人間にとっても重要である」ということです。そして、生物の食物連鎖にも触れられ、生物の構成はピラミッド型になっていて、人間はその頂点にいると説明しておりました。「生物多様性」の重要さは理解していますが、食物連鎖の点については異論があります。
 食物連鎖はピラミッド型ではなく、循環型であるはずです。ある生物にとってみると、その循環型の一部に属していますが、循環システムは幾重にも複雑に絡まった構図をなしています。この循環システムの中で「人間」はどの位置にいるのでしょうか?循環ですから頂点はありません。私も以前はこの問題に悩みましたが、今はすっきりしています。確かに人間は殆どの動植物や菌類を食べて、天敵はいない様に思われます(つまり頂点)。しかし私の答は「人間は循環システムの外側にいる」という考えです。「もし人間がいなかったら」と想像してみれば分かります。人間がいなくても自然は正常に回っていくでしょう。地球上に生物が現れてから10億年以上、ごく最近の数万年前までは人間は自然の生き物たちと同化していたのです。こんな人間が生物の頂点だと思うのはエゴだし、オゴリだと思います。私たち人間は循環システムの外側にいて、その自然システムを壊そうとしている単なる破壊者ではないでしょうか?
また、最近では絶滅種が年5,000種と言っていましたが、別のところで聞いた話では年間4万種とも10万種超という話を聞いたことはあります。いずれにせよ、超加速度的に増えているのでしょう、驚きです。一方新種誕生も人工物を含めれば、絶滅数を遙かに上回っている気もします。この辺をメディアはもっと声を大きくして取り上げて欲しいものです。
 もう一つは、緑化の為に街路樹を植えたは良いが、落ち葉清掃や剪定が進まない現状や、葉の茂りで交通標識が隠されてしまう不具合も起きているとのことです。これは大都市故の問題かも知れません。落ち葉はともかく一般人が(親切心で)剪定や枝打ちは公共物破損となり禁止されていますが、かといって積極的に手を加えてくれる人も不足している模様です。結局業者に頼むのですが、こんどは予算確保に限界が見えます。落ち葉や剪定等が出来なければ、街の景観だけでなく、ムク鳥の繁殖→フン害や騒音、害虫の増加、落ち葉による転倒等々の連鎖的弊害が生まれてきている様です。
 一見市民の為に(緑を増やすという)良いことをしたのに、結果迷惑をかけてしまっていることになります。緑化活動はその後の維持管理を続けていくことまでを考えておかなければ意味がない無駄な活動となってしまいます。こういう例は他にも沢山ありそうです。
 ところが、私たちの田舎町ではこんな問題はありません。街路樹自体が少ないし、家の周りの低木帯はその家できちんと始末する習慣(?)になっている様です。我が家も同じです。我が家に接した道路は我が家で清掃管理しています。・・・で良いと思っていますし疑いません。都会の住人にはその感覚や余裕がないのかもしれません。私は多少の不便さは有っても都会に住んでなくて良かったと思いました。

 さて、話は戻りまして、輿石市議の話は分かり易かったし、何といっても議員としての意気込みというか信念に溢れていて頼もしいと感じました。こういう方が一人でも我が町議に居ればと羨ましくも感じた次第です。機会があればまた話を聞きたいですね。環境問題以外でも良いので。
 
 

若者の死に悲しむ

2012-11-09 16:12:36 | 日記
 今日は急遽不幸な話をします。
私と同じ町に、歩いて5分ほどの所に従妹が住んでいます。この従妹とは幼少の頃からお互いの家を行き来していて特別の親戚です。私より2学年下なのですが、夫婦そろって小学校の教諭を務め、現在は定年後の悠々自適生活を謳歌しています。この夫婦には2人の子供がいます。一子目の男の子と女の子です。我が家は逆に一子目が女で二子目がが男です。偶然ですが、一子目と二子目は同い年であり、小中学校も同じでした。同級生にはならなかったものの、お互いが良き競争相手でもあったのです。
 その従妹の長男が本日未明に亡くなりました。37才です。原因は癌で、しかも原発不明癌だったそうです。昨年夏から入院を始め、色々な病院で診てもらったのですが、癌発生箇所が特定できず、効果的な治療も出来ないままだったとの事です。両親や家族、もちろん本人にとって想像を絶する苦しみが有ったろうと察します。従妹はずっとこのことを隠していたので、今日知った時は非常に驚き愕然としました。私も勿論彼をよく知っていて「いい年だし、結婚話でも無いのかな」と気にかけていた矢先でした。
 遺体は癌のため痩せこけてしまい、かつての面影は有りませんでした。でも、彼が元気だった頃の明るい顔や走り回っている姿が思い出されてしまい、フッと寂しさが横切りました。今まさに働き盛りの年代です。天命とは言え、「神様もむごいことをするな」と思わず口走ってしまいました。
 「死」は誰でも迎えます。例え生命科学が進み、寿命が1万才になっても、1万年後にはやはり「死」を迎えます。この地球や宇宙でさえも、いずれは「死」を迎えます。死後の世界を唱える宗教家や哲学者も多いですが、「その人にとっての死」は「その人の世界の終わり」でしょう、私も。天国や転生を唱える人も少なくありませんが、それは期待のし過ぎだと思っています。私は「死ぬことは無になること」だと考えています。故にどんな宗教にも興味ありません。私の言う「神」は、現在の色々な宗教などで言う「神」では有りません。そんなちっぽけな神ではなく、宇宙や生命や心を支配する超次元に存在する方だと信じるからです。これが私の哲学です。生きている間に有意義な「生」を営みたいものです。この私なりの「死」についての考えは、追って紹介したいと思います。
 親族や知人で若い死に出会ったのは初めてではありません。小学生などの未成年も数人いました。私の兄弟でも4番目の子が生後間もなく亡くなっている話も聞いています。でも、自分自身が死に近づきつつ有るせいもあるのか、今度の若い親族の死は悲しい複雑な思いがしています。でも、彼はこの37年間の命の中で、未達の事がたくさんあっても、精一杯生き抜けたと信じています。お疲れ様、ゆっくりお休み、そしてありがとう。

東京スカイツリー

2012-06-29 08:53:17 | 日記
一昨日の27日に妻とスカイツリーに行きました。公開前の時、外側からその姿は見ていましたが、今回初めて中に入りました。団体旅行は好きでないので、ネットで申し込み抽選に当たったのです。梅雨の真っ最中であり、一週間前から天気予報を気にしていましたが、所詮は天気予報。当日にならないと分からないものです。で、当日は日差しも程ほどで湿度もあまりなく快適な日和でした。13時入場なので10分前に行きましたが、専用ゲートは既に300人以上も並んでいました。でも受付カウンターは8つ並んでおり、意外にスムースに入場できました。ただ、7月11日からは当日入場が出来るので、この何倍も混雑するのだろうなと思いました。先ず感嘆したのはエレベーターの静かさと早さです。1分もしない内に350mの展望デッキに着きました。しかも、昇降始めと終わりは普通のエレベータ独特の重力を感じる違和感が殆ど無かったことに技術の高さが覗われます。
 展望デッキに到達するや否や、皆さん「ウォー」という歓声です。西方の山々や地平線は霧がかかっていて見えませんでしたが、それでも都内一望できました。ここは窓がオーバーハングしており、直下の町並みが望めます。妻は恐いと言って立ちすくんでいましたが私はGoogle Earthと同じ光景に見入ってしまいました。このデッキは早々に引き上げ、450mの展望回廊に向かいました。ここでのエレベータも快適且つ早い。また外の景色も見えるので爽快です。展望回廊での景色は展望デッキとはひと味違います。スロープを上りながら最上階に行きます。360°の景色を堪能しました。東京湾やお台場、千葉房総も見えました。埼玉など北関東側は晴天模様なので相当遠くまで見えたのですが、何がどこなのかはさっぱり。新宿副都心や皇居、池袋などは勿論、多摩地区の方まで望めます。ここは直下の町並みは見えませんが、それでもGoogle Earthを見ている様な錯覚になりますが、京成電鉄や東武電鉄などの電車が動くことで、そのとの違いが分かります。妻は「もし今地震が来たらどうなるだろう」と懸念しましたが、どうなるかはその時のこと、考える必要などないと一蹴。「ソラカラポイント」として最高到達点(451.2m)を記した柱があり、大勢の人が記念写真を撮っていました。私も。展望回廊をゆっくりして、展望デッキに戻りました。改めてここでもゆっくりと回りの景色を堪能し、スカイツリーカフェでコーヒーなどを飲みながら一休み。ここでは直下が見下ろせるガラス床がありました。大勢がその上に群がっていて下を見るのが大変、それでも何とか写真が撮れました。これでスカイツリーは終わり、地上に戻りソラマチタウンを散策。ソフトクリームを食べて4F→3F→2F→1Fと土産物店などを一通り巡り歩きました。平日にもかかわらず人が溢れるほどでした。がゆっくり歩いたのでそれほど疲れは有りません。蔵前のホテルに宿泊し、翌28日には国立新美術館→ミッドタウンに立ち寄り家路に着きました。天気予報が外れたおかげで天気も良く2日間楽しめました。またいつか行きたいですね。
<写真はツリー最高到達点と、展望回廊から北側風景(荒川と隅田川の分岐が分かる)>

梅雨の合間の鎌倉散策

2012-06-18 19:19:56 | 日記
 本日、妻と鎌倉に出かけました。昨日の天気予報で今日は雨は降らなさそうだったので急遽出かけました。藤沢駅から一日乗車券を買って江ノ電に乗り、先ずは長谷寺へ。
ここは、あじさいが咲くピークはやや過ぎていた様ですが、十分に堪能できました。種類の多さもピカ一で、本堂の裏手の斜面に咲く多種のあじさいに訪れていた多くの人も感嘆していました。花菖蒲も数は少なかったのですが、見頃でしたね。私たちは10時頃に着いて散策をしたのですが、人が段々と増えて、寺を後にした1時間後は小学生団体も加わり、あふれるほどでした。その後は、山あじさいが主の光則寺に立ち寄り、鎌倉に出て昼食を取りました。
 昼食後は鶴岡八幡宮に行き、例のイチョウの育ち具合を確認しました。昨年1月に行った時は、階段横の倒れた方の根からは100本を越える程の新芽が伸びていたのですが、今日行くと、その根は朽ちて、たった1本(~2本有ったかどうか?)の新芽が有るだけでした。長さも50cmを越えた位で、昨年との違いに驚きました。勢いの良い1本だけに絞ったのか、自然に1本しか残らなかったのかは不明ですが何とも寂しい情景でした。一方、移植した幹側のイチョウの太い幹からは新芽が10箇所程から10~20cmほど伸びていて多少は頼もしく思えました。これらの新芽が親の幹に劣らないほど成長するのは、数百年後先でしょう。(多分、結構長生きしないと確認できないだろうなと思いながら・・・)
植物の復元力に驚きながらも、年々大きくなっていつの日か親を越える大木になってほしいと思います。
 その後は、江ノ電で藤沢方面に戻り、成就院と極楽寺に立ち寄り帰りました。
月曜日という平日でしたが、年寄りと外国人の多いのは覚悟していました。でも、それ以上の人々に若宮大路や小町通りは占拠されている様に見えました。
世界遺産登録準備中でもあり、街中は整然とし清潔感も漂っていました。でも、世界遺産に登録されたらもっと観光客が来て混乱するのではないかと感じます。登録云々も大事かも知れませんが、ほどほどで十分な気もします。
 時々日差しも有り、日傘を差す婦人も多かったのですが、この日傘の先は一寸した凶器ですね。すれ違ったり、追い越したりする度に日傘の先にヒヤヒヤしていました。もし、これが顔や目に当たってケガをした時の責任はどうなっているのだろうかと思わず考えてしまいました。
 非常に蒸し暑くて、家に着いた時は疲れがいっぺんに吹き出してしまいました。
次回の鎌倉は「北鎌倉」を中心に行きたいと思っています。今回は電車で行きましたが、早く出かければ駐車場の空きも余裕有るだろうし、自動車の方が疲れないかも。
今日は早く寝よっと。
<写真はいずれも長谷寺です>

嵐が去って

2012-05-06 17:25:56 | 日記
 5月3日から、娘とその子供達2人、5日からは娘婿が我が家に来訪し、本日の午後過ぎに帰った。孫は小学2年生と1才1ヶ月の共に男の子。下の子はまだ歩けないが、もう一息の感じ。ところが我が家に到着早々、娘が風邪気味となり(もしかしたらB型インフルか?とも思ったが結果は普通の風邪)、別室隔離静養させ、翌4日には休日診療所へ。更に下の孫までが風邪気味となり翌5日には小児科医が出勤する総合病院へと。いずれも処置が早かったせいか、本日は殆ど直って帰って行った。
 娘は5日午前中までは殆ど寝ており、この間、孫の世話や遊び相手を夫婦交代で見ることになった。必然的に妻は食事の支度があるのでウェイトは私の方にのしかかってくる。上の子は一人でビデオを見たり、工作をしたりする事も多くそれ程手はかからない。しかし、下の子は家中を這いずり回り、階段を上るわ、落ちているものは何でも食べてしまうわ、手にしたものは投げつけてしまうわ等々目を離すことができない。たまに抱きかかえことも有るが、腰に負担が来てしまい軟膏をベタベタと貼る始末。食欲も旺盛で大人の食べ物にも興味を持って取ろうとする。おちおち食事も出来ない。さりとて上の子を放っておき下の子ばかりに目を向けているのも教育上好ましくないので、相応の会話や一緒に遊ぶことも大切である。勿論二人とも愛嬌もあり可愛いし順調に成長しているので、我々夫婦も世話のし甲斐はあるが、その分張り切り過ぎてしまうことにもなる。
 そんな戦争状態が本日去った。気が抜ける様な感じと、寂しい思いが交錯する。
昨日は、息子側も嫁さんと子供をつれて来る予定だったが、娘が風邪を引いていたので来なかった。来たら尚戦闘激化していただろう。少しは助かったという気がする。孫が散らかしたオモチャや食べカスなどを片付けながら、ちょっと感傷的になりました。
 さて、これからは普通の生活に戻ることになるが、天気の具合を見て庭木の手入れ/消毒や草取りをしなくては、それにプランター野菜の手入れ、書道の練習やホームページの保守等々が目白押し。自治会活動も開始されるし、環境活動の準備もしなくてはならない。義父が安定している間に温泉にも行きたいし、そういえば3箇所の病院にも行かなくてはならないし、妻から玄関ドアのペンキ塗りも頼まれていたっけ。忙しい日々が続きそうだ。
 嵐が去って、別の嵐が来そうなゴールデンウィーク最終日でした。・・・疲れた。

Netがつながらない!

2012-05-05 10:29:05 | 日記
 5月1日昼間、急にNetがつながらない・・・という事態に陥りました。3台のPCを持っていますがいずれも使えなくなりました。と言うことは当然ルータ(無線)が原因として考えられます。慌てて、ルータの取説を確認して色々試みるもダメでした。最後はルータをリセットして最初から始めたのですが、何をしても取説にも載っていないランプ表示(All橙色)で変化無しとなり、全くのお手上げ状態となりました。当然PCメールは送受信出来ないし、これはもうルータ交換しかないと結論づけました。
 ・故障等の対応例のネット情報が得られない
 ・どのタイプが良いのかPCで探せられない。
 ・ネットでルータが買えない
という状態には、ガックリしました。
子供達の家に行って調べることも可能でしょうが、こんなことで訪問するのも迷惑でしょう。普段、携帯でのネット利用はしていない私は、唯一のネット情報収集手段が断ち切れたのです。(携帯電話ネットを利用しないのは、今の携帯会社のサービス担当(責任者クラス)の対応に不信感を抱かされた経験があり、通話・メール・電子マネー等以外の費用のかかる機能は使わないことにしています。会社を変えたいのですが、家族がその会社を使っているので通信費の面でやむなくそのままです)
今まで当たり前のように使っていたネットですが、使えない生活が如何に不便かを思い知らされました。勿論、ホームページもアップロード出来ないし、このプログ更新も出来ません。生活が不可となる訳ではないのですが、この状況に参りました。
 私は、現在ネット社会に生きており、生活の道具として何気なく使ってきましたが、考えてみると他にもたくさんあります。
最近話題となっている「電気」を始め、「飲料水」「下水処理」「ガスや灯油」「ガソリン」「新聞」「郵便」「宅配便」「電話」等々日頃何気なく無意識に利用しています。これらが無くなったらどうなるのか?を改めて考えさせられました。そして、安定して供給されたり入手できる事に感謝しつつ、万一の時の対応を検討しておかねばと痛感させられました。
 昨日夕方、ルータを近くの家電量販店に行ってそこで各社製品を比べて購入しました。早速、取り付けてセッティングし、つなげる事が出来ました。一安心です。将来iPadが外出先でも使えるWi-Fi通信のできるものを選びました。

結婚記念日に思う

2012-04-29 09:20:43 | 日記
 今日は私たち夫婦の結婚記念日です。既に38年が経ちました。夫婦の仲は普通と思いますが、特に大きな諍いもなく今日まで来たものです。後何年一緒に居れるかは神のみぞ知る事ですが、金婚式(50年)を目指していきたいと思っています。
 時々、どちらが先に逝くかとか、一人になっても生活できる様に準備が必要だとかという話も出てきます。同時に亡くなることは無いだろうし、危険な持病の多い私の方が先に逝くだろうとは内心覚悟は決めていますが、こればかりは分かりません。いずれは死を迎える訳ですが、かつて疑似体験(だと思っている)をした私は、思いの外「死」に対する恐怖やとまどいは有りません。
 「死」に関する私の考えは後日談として、結婚後の今までを振り返ってみると、厭なことは殆ど忘れています。妻は昔の些細な話を蒸し返す時が有りますが、楽天的な私はその事自体を思い出すだけで一苦労だし、それでも当時のいきさつ等詳しい経緯は忘れ切っている程です。妻にとっては「些細」では無かったのかも知れませんが・・・
 思い出すのは、新婚当時や子育ての時の楽しい事ばかりです。子供達も成人となり、社会人となり、そして恋をして家庭を持つようになり、また彼らが子育てをしている。その子供達も人に優しく愛嬌のある子に育ちつつあります。そんな順繰りの状況に小さいながら「幸せ」を感じられる事がまた嬉しいことです。
勿論、順調にここまで来た訳ではありません。確かに辛いこと、悲しいこと、やり場のない空しい時も、悔しいことも沢山経験しました。自分の行為を恥じたことも、隠れて涙したこともありました。それらは楽しいことより遙かに多かったことも事実です。でも私の持論としての「1割の幸せの為に、9割の苦労や悲しみ等を乗り越えていくのが人生だ」という信念でしたので、今の自分が有るのかなと思っています。
 自分同世代の人たちを見ると、多くは夫婦仲が悪いことや、子供達が家庭を持たず親と同居したままだとか、子供が非行に走っている/職がない等々家族が今一つうまく廻っていないと思われる家の多いことには驚かされます。家庭ごとに色々な事情があるので、他人がどうのこうのという資格はありませんが、我が家の事だったら私は潰れていたかも知れないと感じます。でも明日は我が身かもしれません。気を引き締めなくては。
 結婚記念日の今日、改めて家族の暖かさと大切さを感じ取ることが出来ました。妻に感謝しています。子供達や孫達にも。

GWの過ごし方

2012-04-28 08:35:46 | 日記
 私の職業は無職です。正確には年金生活者。大した年金額ではありませんが、現役時代の蓄えも少しは残っているし、両親は看取ったし、子供たちも結婚独立したので、贅沢しなければ夫婦二人だけの生活には特に支障はありません。今日からGWです。若い皆さんは景気高揚のためにも、健康やストレス解消の為にも大いに出かけて楽しんでほしいものです。我々定年後の高齢者は人が働いている時に遊び、人が遊んでいる時はじっとしているのが鉄則です。GWの時に我々がわざわざ出かけるのは人混みを助長させ、若い人たちに迷惑をかけるだけです。平日に出かけることで観光地の客も平準化されます。
 ということで、今年も原則は家に閉じこもって、庭木の手入れや草むしり、ホームページの保守や、書道に熱中する、好きな海外ドラマや映画をTVで見る、参加した講座の復習をする等々家で出来る活動に勤しむ予定です。ちょっと大工仕事も妻から頼まれていましたしね。これはこれで結構忙しいGWになりそうです。
 ところが、今年は孫の初節句だ、子供たちや孫たちが泊まりながら遊びに来るといった予定が入り込みました。これで少なくとも4日はつぶれます。嬉しい事なのですが一寸・・・
最初の孫は小学2年生の男の子ですが、運動が不得手なので、近くの広場に行ってキャッチボールだランニングだサッカーだのと少し鍛えてやりたいと思っていますし、そろそろ将棋や習字も教えたいと考えています。という楽しみを描きながら天気予報を気にしています。
 天気予報といえば、最近の天気予報特に数日後以降の天気予報ほど当てにならないものはありません。当日でも昨日の予想した事と違う場合があります。こんな場合でも天気予報士は謝ることをしないのが不思議です。自然相手なので当たらない予報を出すのは当然なのでしょうか?でも一言「間違えていました」と言っても良さそうなのですが・・・ いつかこのブログでも言ってみたいと思いますが、地震予測等の自然科学者達と同類ですかね?自分の言ったことに対して責任を感じないのは。(ゴメンナサイ、一寸言い過ぎでした)
 元に戻って、GWは国民の若い方々が大いに楽しんで日頃のうっぷんなどを晴らしてほしいと思います。無謀運転事故のニュースが続く昨今ですが、交通事故や海山の事故などには注意して、また、はしゃぎ過ぎない範囲で鋭気を養ってください。特に子供たちの声が響き渡るのは、とても頼もしく感じます。

御殿場線沿線の衰退を憂う

2012-04-26 09:21:34 | 日記
 私の町にはJR東海の御殿場線が通っています。こんな田舎町なので自家用車を利用しないと生活もろくに出来ない地域でもあり、私もこの御殿場線を利用する事はあまりありません。この御殿場線はかつては東海道線の一区間として繁栄していた時代もあった様ですが、今やさびれたローカル線になっています。特に静岡県側と神奈川県側とに行き来する乗客は極端に少なく、廃線論者まで出てくる昨今です。当然この現象は御殿場線駅周辺の繁栄状況と比例関係にある訳です。即ち、駅周辺の町の衰退が御殿場線の衰退を引き起こしていると言えます。このことを私は非常に憂いています。
 特に日用品や食品を買うのに町中には買いたいと思える店もスーパーもありません。必然的に隣町に車で買い出ししています。町中にも商店はありますが、品物が古い事(ひどい店ではビニール袋入れの中身に真新しい品に隠れて古い品を混ぜているところもあるし、観光客相手だと粗悪品を売るところもある)、病院や学校などの大口納入先が約束されている店などは店主の応対態度が悪い、雨ざらしの商品を売っている、食品を直接素手で掴んで並べている不衛生な店もある等々が目につきます。お客様に商品を買っていただくという基本姿勢が欠如している店が目につきます。
 また、日頃から新しい商品を開発して/売り方を考えて積極的に売っていこうという姿勢も見れません。閉じた町の中での競争相手がいないことも大きな要因だし、近年は車が利用できない年配者がそこそこに買いに来ることも競争意識に欠ける原因でしょう。これでは町は寂れます。町が寂びれば沿線を走る交通機関も寂れます。町の行政も地方交付金を当て込んで、庁舎を立派する予算は立てても、町を活性化する算段は遅々として進んでいません。町議会も同様です。議員には商店主が多いのはどこの地域も似ていると思いますが、自分の店も満足に繁栄できていないのに「町の商店を活性化しましょう」なんてかけ声には呆れるだけです。
 そんな中でも、僅かながら繁栄している店もあります。町内外からほどほどの評判を得ている店です。私はこういう店を前面に出して、沿線の復興に一役買えたらと考えています。古い歴史や過去の繁栄にすがっている店ではなく、新しい時代を見据えた店です。その店は都会の店のやり方を真似したものではなく、この地域に適した新しい手段で進めようとしている店です。
 先ずは神奈川県側の駅周辺の現地調査も含めて店の評判などを確認し、実際に利用したりして機会ある毎にPR活動をしていきたいと考えています。このことが、町の発展、ひいては御殿場線の発展に微力ながら後押しできると信じています。もちろん同じ考えの方がいれば歩調を合わせて協働推進していくつもりです。
 

地球温暖化と新エネルギー、原発について

2012-04-24 13:18:11 | 日記
 私は「神奈川県政モニターOB会」に属していて、その中の「環境部会」の役員をしています。この事もあって、「環境」に関する興味は高く、いくつかの講座や学習会に参加して自己啓発にも努めています。
 さて、近年話題となっているのが主にCO2やCH4(メタン)等の排出による地球温暖化の問題です。ところがこれも諸説有って何が真実か迷うことが多々あります。それらしき推論が先行して大局的事実が隠れている気がします。例えば、「地球の寒暖は自然の摂理であり、現在の温暖化といわれている現象もその範囲である」という説や、数日前発表された「太陽の地場逆転現象が通常とはことなり300年前と同じ4極化になる。これにより地球が冷える」などです。CO2やCH4が地球温暖化を引き起こす原因であるという事に異論は有りませんが、私が気になるのは、温暖化講習を受けていても、最新の環境データが示されないことです。情報収集能力の長けたこのIT時代なのに、ここ6~7年間のデータが出されていません。それ以前のデータが示されて地球温暖化が急激に上昇していると言われると、「では現在はもっとすごい値を示しているんでしょうね?」となる。これについては誰も答えてくれない。まさか都合の悪いデータではないでしょうね。
 温暖化が本当に起きているのか尚実感が湧かないが、化石燃料に依存する時代は近々に終わりにしたいものである。かといって、地球の資源の活用は不可避である。石油や石炭やウランなどに頼るのではなく、水や地熱、太陽光(熱)など自然エネを活用したい。最近は温度差発電など新たなエネルギー開発も進んでいるが、更に石灰石や炭酸ガス(CO2)や窒素、海水など無尽蔵にある自然材料を使っての新エネ開発研究もしてほしいと思う。日本だって、こういう資源は有り余るほど埋蔵しているしね。儲けるエネルギーではなく、人に優しいエネルギーを研究者は目指してほしい。
(人に優しいということは、自然にも地球にも優しいはずである。人間も自然の中の一員なのだから。)
 昨今、関西電力大飯原発の再稼働問題がメディアを賑わせている。私は反対の立場だし、原発そのものにも(少なくても当面は)反対である。原子力はそのエネルギーの大きさも効率もずば抜けていることは事実だろう。しかし、今回の様に放射能が漏れた時の対応が全く出来ていない事や、廃棄物の処理方法・場所・被害防止策が未定である事が反対理由である。万一原発が壊れ放射能が飛散しても、直ぐ飛散防止が出來、飛散先の除線も容易に素早くでき、被爆した人も数日の通院で元に戻るという様な状況になれば、再開する事に反対はしない。もちろん廃棄物もすぐ除線され、日用品と一緒に廃却できるレベルになっていなければならない。日本は原爆の被害を強烈に受けた経験をもっている。だからこそ、除線や健康回復研究をしなければならなかったのに、それを怠ってきたのではないだろうか?今からでも進めていただきたいと願うばかりである。