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「環境問題」を中心に発信・フォローしていきます。

今年の地球温度は下がる?

2020-06-01 17:26:44 | 環境問題
今年早々から連日新型コロナウイルズの話題で持ちきりです。
恐らく、有効なワクチンが開発され、(インフルエンザ予防並に)普及されるまでは「完全収束」にはならないでしょう。
昨日、自粛制限が大幅緩和され、各企業や店舗、学校等々も再開され人々の表情にも安堵感が見られる様になりました。
それでも「完全収束」されるまでは感染再発が繰り返されると思いますので、しばらくは気は抜けないですね。
 さて、こんな中で世界のCO2排出量が大幅に減った(約17%減らしい)といニュースが有りました。
中国では経済活動再開が本格化して、また増え始めているかとは思いますが、地球規模からすれば大分減少している様です。
と言うことは、「CO2の増加と気温上昇は比例関係にある」という説が正しければ、今年は「CO2総量減少=世界気温が低下する」という式が成り立つことになるのでしょうか?
即ち、今年の夏(北半球)は冷夏となる?(もしかしたら秋以降?冷秋や厳寒冬かも?)
でも、地球環境研究センターでのCO2観測点「波照間」と「落石岬」の2020年5/31の速報値では大きな変化はなさそうです。
地球規模のCO2減少が日本にまだ届いていないせいかもしれませんし、CO2減少が一過性や特定地域のみで殆ど影響無いのかもしれません。
いずれにしても、WMO(世界気象機関)や前記センターからの地球規模の気温変化報告が待ち遠しいです。

菅前総理の原発対応は非難されるべきか?そして原発は必要か?

2012-12-04 19:27:16 | 雑感
 昨年の3.11東日本大震災の際に福島第一原発事故が発生したことは周知の通りです。本日公示された衆議院選挙でも各党が原発反対か否かを争点の一つとして論議しています。
 ところで、原発事故の反省と称し、各委員会から総括結果が出そろいました。中でも共通していることは菅前総理の拙速対応だと決めていることでした。本当に彼の行動は非常識だったのでしょうか?私は総括結果の出た時から疑問が生じていまして、自分なりに制してみました。そして「もし、この時の総理が別の人だったら、もしこの時の総理が自民党員だったら」と考えてみたのです。
結論は次の通りです。
①菅前総理が、大震災翌日にヘリをチャーターして原発を視察に行った事は正しかった。理工系総理でもあったからこそ、大震災が原発へ与えるかも知れない大惨事を一番懸念していただろう。彼以外の総理なら官邸であたふたして関係部門に事実確認に奔走していただけだったろう。取り巻きの伝える話を事実として信じただけだろう。しかし、彼は多分東電や安全保安院などの言葉は信用できないと認識していたのではなかろうか?結果はこれが正しかったのである。
②各委員会では原発が壊れ、東電社員が撤廃すると聞いて一括した事を問題視した。
総理として現場に立ち入りすぎと言うのである。しかし、原発損壊ということは国家を揺るがす大問題であると認識していたからこそ、彼はその現場に立ち入ったのである。これも正しいと言える。

 さて、皆さんも考えていただきたい。
もし、当時が自民党政権だったらどうなっていただろうか?
電力会社から手厚い献金をもらい、原発地元は電力会社から献金や補助金をもらい、その首長や地方議員も電気会社寄りの人間ばかりである。殆どが自民党系の議員ばかりである。自民党議員の中にも重鎮も含め数多く電力族議員がいる。彼らは電力会社を擁護するだろう。
 こんな状態で、自民党政権だったら、東電報告や安全保安院の言いなりだったろうし、事実も長く隠されてしまっただろう。官僚も事実を国民に隠し通し、やむを得ない事態になって小出し小出しで発表されたであろう事は容易に推察される。
どちらが良かったかは皆さんの判断だが、私は前者を支持したい。
別に私は政治家としての菅氏が良いとか悪いとかを言っている訳ではなく、ましてや民主党がどうのこうのと言うつもりはありません。しかし、原発事故発生直後の対応は良かったと思っています。

 自民党や日本維新党は、原発停止に色々な言い訳をしつつ反対している。
「安全を追求した原発研究をやめてはならない」という事が理由らしい。本当だろうか?
原発研究は国内でなくても出来る。もし国内で研究のみを進めることを認可したとしよう。研究者は必ず実物で確認したがるものであるし、しなければならない。その時点で国内に原発施設が無いとなると研究は意味をなさない。海外施設を使いたくても、おいそれと使わせてくれる国などあるまい。即ち彼らは国内に原発の存続を熱望しているというのが本音であろう。
 放射能研究は今でもできる。日本には原爆被爆者やその子孫が大勢いる。彼らを直す研究を進めていけば達成できる。現在でもほとんど進んでいないではないか。放射線研究は原爆以外にも医科学などでは結構進んでいるしテーマには事欠かない。それでも原発が日本に必要なのだろうか?第一、原発処理済み燃料の廃棄方法や場所さえ決まっていない実情を見ても、原発を建設認可する前に、こちらを解決すべきだろう。除染技術も全く進んでいない。これらが、今後数十年間で解決する見込みなど全く無いのである。もし原発賛成者が当選して原発稼働を進めるのなら、彼らと彼らの子息や孫の代まで、私財を担保にした責任を取る位の覚悟をしてほしいと思います。無責任な彼らに出来るかな?

笹子トンネル崩落事故は設計不備?

2012-12-04 08:40:36 | 雑感
 12月2日に中央高速道路の笹子トンネル天井が崩壊し多くの犠牲者が出たニュースは衝撃的でした。私もこのトンネルは何度も利用していましたので、とても他人事とは思えません。「長いトンネルだなあ」とは感じても、「もし途中で地震でも起きたらどうなるんだろう」とふと思っても、当たり前のようにトンネルを通過していました。
 さて、この事故の原因や再発防止は道路会社や学者達に任せるとしても、報道番組を見ていて彼らの感性に疑問が生じました。私は土木技術者ではありませんが、長く機械設計を経験した立場から見ると、このトンネルの構造からして、不可思議な点があります。
構造上、左右対になっているコンクリート板を中央の吊り棒で支えています。吊り金具の強度は十分過ぎるほどあるはずです。でもそれを固定しているアンカボルト部が抜けたか、天井のコンクリート塊ごと崩れ落ちたかが主因の様だとのことです。また、走行方向に並べた板は、隙間が出来ないようにオーバーラップさせていたとのことです。これにより、130mに渡り連鎖反応の如く計330枚もの板が崩落しました。安全点検も板面からトンネル最上部までの高さが5mもあって目視検査しか出来なかったとの事です。
 疑問は次の4点です。
①吊り具を固定しているアンカボルト部分の経時劣化が言われますが、設計時この吊り金具が外れる事を想定した設計をしなかったかと言うことです。強度的に十分と言っても、普通の設計者は、これが外れた場合も想定し、補助的な吊り具なり他の方法でも板が崩落しえない様な構造に設計するのが基本です。2重3重の安全対策を何故しなかったのか?が問題です。多分費用面からの制約が大きかったのでしょうが、設計者としてはそれを言い訳にしては絶対にいけません。
 また、恵那山トンネルの様に、板が左右の対ではなく、一枚板なら(吊り具が外れても)簡単に崩落することも無かったかもしれません。吊り棒が全壊しても、対の板がお互い踏ん張って、(多少落ちこんでも)崩落できない形状にすべきだったでしょう。
②130mに渡り連鎖的に崩落しましたが、これも設計上考え方がおかしいと思います。
仮に1箇所の吊り具が外れて崩壊現象が発生したとしても、その衝撃力が隣の板に数倍かかったとしても、それに耐えうる安全率を設定しておくことが必要です。安全率が10なのか20なのかは分かりませんが、少なくとも2~3では無いはずです。安全率を無視した設計だったと言わざるをえません。
③天井の高さが高すぎて、直接の打音点検が出来なかったとの事ですが、そもそも点検も出来ないような構造にしておくこと自体が設計者の怠慢です。点検が出来る様に屋根裏部屋を2階構造にするなり、専用の動く踏み台を準備するなり、高くても確実に点検できるシステムを準備するなりの設計が必須なはずです。高すぎて点検できなかったというのは詭弁以外の何者でもありません。
④大地震が起きたとき、耐えられますか?
今回以上のトンネル内惨劇が考えられます。当然ながらトンネルは山の多い地域に作られます。地震による山崩れなども想定され、トンネル内はその非難場所としてシェルターの役割も有用であり、絶対安全な場所であって欲しいものです。

 以上私の考えですが、トンネル設計者も設計時は同じ様に万一の事態を想定していたと思います。(想定していなかったら、その方は設計の初心者です!)でも、予算が限られたりしていて、経営側からの圧力などなどで、心ならずも今の構造にせざるを得なかったのだと信じたい。でもそれは設計者の恥です。頑としてでも安全を優先できなかった設計者の怠慢です![設計ミス]とまでは言いませんが、私は少なくとも「設計不備」だったと思います。報道番組に出てくる学者達は設計本質について全く突っ込みをしていません。あたかもNEXCOに遠慮している様にさえ見えます。
 皆さんは、このトンネル構造についてどうお考えでしょうか?

横浜の環境行政の話を聞いて

2012-11-21 19:24:24 | 日記
 本日、横浜市栄区にある「あーすプラザ」にて、横浜市議の輿石且子氏を招き、講義を受けました。現在の横浜市が抱える環境問題についてです。私は横浜市民ではないし、大都会にも住んでいませんが、主催側でもあったこともあり参加しました。大都市と田舎町では環境問題のとらえ方も違う点はいくつもありますが、共通する問題も多々あります。
 その中で2例気付いたことを紹介します。
一つめは「生物多様性の維持が人間にとっても重要である」ということです。そして、生物の食物連鎖にも触れられ、生物の構成はピラミッド型になっていて、人間はその頂点にいると説明しておりました。「生物多様性」の重要さは理解していますが、食物連鎖の点については異論があります。
 食物連鎖はピラミッド型ではなく、循環型であるはずです。ある生物にとってみると、その循環型の一部に属していますが、循環システムは幾重にも複雑に絡まった構図をなしています。この循環システムの中で「人間」はどの位置にいるのでしょうか?循環ですから頂点はありません。私も以前はこの問題に悩みましたが、今はすっきりしています。確かに人間は殆どの動植物や菌類を食べて、天敵はいない様に思われます(つまり頂点)。しかし私の答は「人間は循環システムの外側にいる」という考えです。「もし人間がいなかったら」と想像してみれば分かります。人間がいなくても自然は正常に回っていくでしょう。地球上に生物が現れてから10億年以上、ごく最近の数万年前までは人間は自然の生き物たちと同化していたのです。こんな人間が生物の頂点だと思うのはエゴだし、オゴリだと思います。私たち人間は循環システムの外側にいて、その自然システムを壊そうとしている単なる破壊者ではないでしょうか?
また、最近では絶滅種が年5,000種と言っていましたが、別のところで聞いた話では年間4万種とも10万種超という話を聞いたことはあります。いずれにせよ、超加速度的に増えているのでしょう、驚きです。一方新種誕生も人工物を含めれば、絶滅数を遙かに上回っている気もします。この辺をメディアはもっと声を大きくして取り上げて欲しいものです。
 もう一つは、緑化の為に街路樹を植えたは良いが、落ち葉清掃や剪定が進まない現状や、葉の茂りで交通標識が隠されてしまう不具合も起きているとのことです。これは大都市故の問題かも知れません。落ち葉はともかく一般人が(親切心で)剪定や枝打ちは公共物破損となり禁止されていますが、かといって積極的に手を加えてくれる人も不足している模様です。結局業者に頼むのですが、こんどは予算確保に限界が見えます。落ち葉や剪定等が出来なければ、街の景観だけでなく、ムク鳥の繁殖→フン害や騒音、害虫の増加、落ち葉による転倒等々の連鎖的弊害が生まれてきている様です。
 一見市民の為に(緑を増やすという)良いことをしたのに、結果迷惑をかけてしまっていることになります。緑化活動はその後の維持管理を続けていくことまでを考えておかなければ意味がない無駄な活動となってしまいます。こういう例は他にも沢山ありそうです。
 ところが、私たちの田舎町ではこんな問題はありません。街路樹自体が少ないし、家の周りの低木帯はその家できちんと始末する習慣(?)になっている様です。我が家も同じです。我が家に接した道路は我が家で清掃管理しています。・・・で良いと思っていますし疑いません。都会の住人にはその感覚や余裕がないのかもしれません。私は多少の不便さは有っても都会に住んでなくて良かったと思いました。

 さて、話は戻りまして、輿石市議の話は分かり易かったし、何といっても議員としての意気込みというか信念に溢れていて頼もしいと感じました。こういう方が一人でも我が町議に居ればと羨ましくも感じた次第です。機会があればまた話を聞きたいですね。環境問題以外でも良いので。
 
 

いよいよ選挙モードですが・・・

2012-11-20 15:41:13 | 雑感
 先日衆議院が解散となって、いよいよ来月16日に投票となりました。
予めお断りしておきますが、私はノンセクトですがノンポリではありません。
訳が分からない程、色々な政党が乱立していますが、選ぶのは難しいって感じです。どの政党の政策も人材も一長一短あります。与党民主党は苦戦を強いられていますが、元々は政策の異なるグループの寄せ集めであり、また簡単に政治主導できる様なノウハウも無ければ、官僚達に屈するのは当然でしたね。彼らが与党として実力を発揮できるとすると、まだまだ10年くらいは時間が必要でしょう。
 今回は第三極の政党集団が注目を集めていますが、彼らが政権を請けたとしても、党分は民主党と同じ道を歩むことになりそうです。それほど自民党政権の時代が長く、この下で官僚支配が続いていた訳ですから、おいそれと改革はできないでしょうね。
 自民党は相変わらず旧体質から抜けていません。また官僚中心の政治に逆戻りです。公明党は結局スポンサーである学会員の事しか考えていません。第三極の各党は政策は二の次でなりふり構わず選挙に勝つことだけしか頭にない。これでは良い政治は出来ません。社民党はその存在さえ消滅する方向に向かっているし、共産党も日頃はなかなか良い活動をしているものの、中国や北朝鮮の「共産主義」とイメージが重なり大衆受けは困難。中国や北朝鮮と同じ共産主義を歩まないとするならば、党名を変えた方が良いだろう。と、さんざん各党の悪口を言うのは、実に楽しいものだ。
 さてさて、選挙結果はどうなるのかの興味はありますが、私が一番言いたいのは、各政治家は自分の信念や理念を貫いてほしいということです。党議拘束を多用する政党が殆どですが、これが自分の信念や理念と異なるのでしたら堂々と自らの意思で決議してほしいと思います。それで離党勧告という結果が出たなら整然と従えば良いでしょう。自分の意思を持たない(持てないほど愚かでは無いですよね・・・)政治家があまりにも多くて情けない気がしています。
 そういう意味でも芯の強い候補者を探したいと思っています。

イタリアでの地震予知について

2012-11-17 15:21:05 | 雑感
 少し前になりますが、イタリアで地震予知が出来なかった防災委員会の学者7人が実刑判決を受けたことをご存じの方も多いと思います。この判決には批判の声が高いのですが、私は必ずしもそうとは思いません。
 彼らは群発地震が起きていたにもかかわらず「大地震は起きないから、自宅でワインでも飲んでいて良い」とまで言ったそうです。現在の地震予知は全くといって良いほど不可能であることは周知の通りです。だから予知が出来なかったからといって罪を問うここと自体が非常に理解しがたいことです。
 しかし、予知が出来ないとされる現実の中で、彼らが「大地震は起きない」「ワインを飲んでくつろいでいて良い」とまで予知したとすれば、これこそが科学者として不謹慎きわまりないと考えます。せめて「大地震が起きる可能性は非常に低いと思われるが、引き続き警戒してほしい」というのが今の科学レベルで公表できる最低ラインでしょう。そういう意味で有罪判決が出たのでしたら、私はしごく当然と思います。不可能であるはずの予知を予知したのですから。
 地震予知は科学的にも経験的にも全くの未熟な科学分野です。「今後30年に起きる大地震発生の確率は○○%」などと公表されていますが、その発生確率の正確さの確度自体が低いのが現状です。阪神淡路地震では、地震そのものが発生するとは予測されていませんでした。近代でも予知されなくても発生した大地震はいくつもあります。
 地震発生後に「実は、私は以前から予知していた」という学者が現れたり、「実はここに活断層が有りました」などと後出しジャンケンを出して注目を集めていた学者(?)も多々おりました。H16年の新潟県中越地震の時も同様です。先の東日本大震災もM9.0までの予測など全くできていませんでした。この大震災が発生した後になって「数日前から猫の動きがおかしかった」、「地震雲が出ていた」、「気圧の状態が地震発生を予測していた」等などです。
 私は、こういった学者達だけでなく、多くの自然科学者の発言は信用していません。
彼らは「確実な科学」ではなく、「経験値、しかも希に起きる偶然的な事象の都合の良い処だけを取り上げて誇大表現している」からです。
現在の地震発生確率計算は過去の発生した歴史を元に将来予測をしています。その計算方法は、過去の地震発生は周期性があると仮定して、対数分布やワイブル分布、BPT分布などのいずれかの式に当てはめます。これらの式のどれを採るかにより、また過去の大小様々な地震のどの地震の、いつからの発生したものからを考慮するからによって計算結果が大きく異なります。また、過去の数百年以前の地震は当時のあやふやな文献等を根拠としており推測の域を脱していません。まして、その推測している地震発生回数も10回を超えていない程少ないデータ数が計算の元になっているのです。
 これは、現在の大地震発生確率計算の結果にも影響を与えています。地震発生確率計算はいくつかの方法がありますが、どれを採るのかだけでなく過去発生した大小様々な地震のどれとどれを考慮するのかによって結果が大きく違うのです。だれか知恵有る学者が、今ある各発生確率がどれほど正確なのかという確率を提唱してほしいと思うほどです。
では何故発生確率計算が大事かというと、防災費用をどこにどれ位投入すべきかという目安にすると同時に、科学者達が自説の研究予算を確保するために声を大にして、役人や政治家に認めさせようとしているからです。
 彼らは、猫などの生物の動き、雲や大気の変化、地場や波動等の地殻からの変化を地震発生と結びつけることで話題性を集め、スポンサーを確保することに勤しんでいるのです。私は、趣味の範囲としてならこれらを否定しません。しかし、科学となるともう少し確たる論拠が必要です。こういう事象を捉えて、今まで察知できた中で完全に予知できたという確率が正弦分布のせめて2σ(95%)以上あれば立派な科学と言えるでしょう。3σ(99.7%)以上なら、相関があるという確固たる法則になり得ます。
でも、今まで予知できたと宣伝する学者も、予知が外れた事は口に出しません。せめて予報が外れたら正式に謝ってほしいものです。(そう言えば、天気予報士も同様ですね)
 一方、地殻変動の歪みを測定して地震発生の可能性を突き止めようとする研究は立派な科学解析の方向と言えそうです。高い確率で地震発生が予知できる様なデータ収集には尚何百年、何千年とかかるかも知れませんが、忍耐強く頑張ってほしいと思います。なぜなら、現在でも火山の噴火予知は高確率で可能です。火山周辺に多くの地震計などを配置し地殻変動や火山性地震の特徴データが論理だって体系化されつつあり、常時監視出来ているからです。
 地震予知の結論から言うと、現在の科学では地震予知は不可能です。従って地震大国のイタリアや我が国などは、いつどこでどんな地震が起きても慌てることなく対処する心構えと備えが必要となるのです。学者の言っている発生確率なんて信じ過ぎてはいけないと思います。

大学新設問題について(3)

2012-11-10 17:18:55 | 雑感
 前回まで、文科大臣の勇み足にガッカリした話をしました。
ところで、この不認可問題が出た時に、一部大学関係者や知事から「大臣の不認可は暴挙だ!」とまで抗議していた人がいました。私はそうは思いません。正式許可を受けていないのに、許可は自動的に下りるものと勝手に決めつけて予算編成し、事前に校舎建設や学生募集までしている彼らの行為が余程暴挙です。繰り返しますが、こんな単純な法則も理解できない学校関係者や政治家のの意識の方が何倍も「暴挙」です!一般国民には知らない中で、堂々と不正行為がまかり通っている、しかもそれが正しいと言っている彼らこそが反国民であり、暴挙者だと思います。
 審査会の決定がそのまま通るのでしたら、大臣許可は不要でしょう。単に承認印を押すだけの単細胞な大臣が正しいと言うのなら、大臣なんか不要です。審査会の決定をそのまま認可に結びつければ良いはずです。大臣がこんな右から左に流すだけの仕事なら不要であり、大臣にはもっと大事な仕事を任せた方が余程明快で合理的です。
 審査会が決定承認した大学が、近い将来(例えば20年内に)定員割れが続いたり、経営が行き詰まったりしたり、学生の学力があまりにも低いまま卒業させたりした場合には「自分達がOKしたのだから、責任は自分達が取る」と(審査会メンバーが)身を切って責任を取るべきでしょう。そのくらいの意識を持って審査してほしいものです。それとも、こういう責任は時の(飾り物の)大臣に取らせることで、自分達は逃げているのではないでしょうね。
 官僚の中には口だけは立派だが、いざ責任をとる段になると逃げ回る輩ばかりが目に付きます。責任をきちんとさせ、(親子3代まで)身を切っての賠償する制度が必要だと思います。その位の覚悟をもてば、高い報酬の公務員にも納得できるでしょう。その為には行政裁判所を作って責任の所在を公正に明確にして判定させるのも良いのではないかと思っています。年金問題、ゆとり教育問題をはじめ、会計監査で指摘された不正使用等々、誰がきちんとした責任を取りましたか?単に役職を更迭させただけでなく、私財を没収するまでの決定が必要だと思います。それてこそ、本当に国民の為の公務員が育ってくるものと信じます。

若者の死に悲しむ

2012-11-09 16:12:36 | 日記
 今日は急遽不幸な話をします。
私と同じ町に、歩いて5分ほどの所に従妹が住んでいます。この従妹とは幼少の頃からお互いの家を行き来していて特別の親戚です。私より2学年下なのですが、夫婦そろって小学校の教諭を務め、現在は定年後の悠々自適生活を謳歌しています。この夫婦には2人の子供がいます。一子目の男の子と女の子です。我が家は逆に一子目が女で二子目がが男です。偶然ですが、一子目と二子目は同い年であり、小中学校も同じでした。同級生にはならなかったものの、お互いが良き競争相手でもあったのです。
 その従妹の長男が本日未明に亡くなりました。37才です。原因は癌で、しかも原発不明癌だったそうです。昨年夏から入院を始め、色々な病院で診てもらったのですが、癌発生箇所が特定できず、効果的な治療も出来ないままだったとの事です。両親や家族、もちろん本人にとって想像を絶する苦しみが有ったろうと察します。従妹はずっとこのことを隠していたので、今日知った時は非常に驚き愕然としました。私も勿論彼をよく知っていて「いい年だし、結婚話でも無いのかな」と気にかけていた矢先でした。
 遺体は癌のため痩せこけてしまい、かつての面影は有りませんでした。でも、彼が元気だった頃の明るい顔や走り回っている姿が思い出されてしまい、フッと寂しさが横切りました。今まさに働き盛りの年代です。天命とは言え、「神様もむごいことをするな」と思わず口走ってしまいました。
 「死」は誰でも迎えます。例え生命科学が進み、寿命が1万才になっても、1万年後にはやはり「死」を迎えます。この地球や宇宙でさえも、いずれは「死」を迎えます。死後の世界を唱える宗教家や哲学者も多いですが、「その人にとっての死」は「その人の世界の終わり」でしょう、私も。天国や転生を唱える人も少なくありませんが、それは期待のし過ぎだと思っています。私は「死ぬことは無になること」だと考えています。故にどんな宗教にも興味ありません。私の言う「神」は、現在の色々な宗教などで言う「神」では有りません。そんなちっぽけな神ではなく、宇宙や生命や心を支配する超次元に存在する方だと信じるからです。これが私の哲学です。生きている間に有意義な「生」を営みたいものです。この私なりの「死」についての考えは、追って紹介したいと思います。
 親族や知人で若い死に出会ったのは初めてではありません。小学生などの未成年も数人いました。私の兄弟でも4番目の子が生後間もなく亡くなっている話も聞いています。でも、自分自身が死に近づきつつ有るせいもあるのか、今度の若い親族の死は悲しい複雑な思いがしています。でも、彼はこの37年間の命の中で、未達の事がたくさんあっても、精一杯生き抜けたと信じています。お疲れ様、ゆっくりお休み、そしてありがとう。

大学新設問題について(2)

2012-11-08 06:45:49 | 雑感
 文科大臣が新設申請した3大学を一転認可するとの報道に、驚くと共にガッカリです。認可するにしても、せめて1ヶ月位は保留してほしかった。官僚からの圧力に押されたのだろうが、朝令暮改では大臣自身の度量の浅さを露呈している様なものです。
 昨日の午前には「新しい基準で再審査する」と言っていましたが、「新しい基準」をつくるのは迅速さの微塵もない官僚や知識人に委託しても簡単ではないでしょう。それよりも「経営や教育の専門家を招集して、大至急再精査するから1ヶ月ほど待って欲しい」と言うべきだったろう。
その中で、大学経営計画に無理は無いのか、水増し予測は無いか?、他の大学には無い教育方針や特徴は何か、そしてそれはどう有意義なのか?、定員割れが起きないような方策は?、経営者や教授達の報酬は妥当か?、教授達の人材は確保できるのか?、学生達の負担は適切か?、就職難の時代に学生達をどういう方策で世に出そうとしているのか?、経営難や計画通り運営できなかった場合は誰がどのように責任を取るのか?等々を再精査すれば良かったのに。正直、今回の騒動で「勝った」と叫ぶ経営者のいる大学は期待薄いですね。まるで無知なるガキンチョです。
 ただ、今回の騒動で大学新設手続きが何と出来レースの形骸化していたかが国民の前に明らかになったということだけは大いに評価すべきだと思う。この際、大学新設だけでなく、優秀な学生に育て上げられる様に大学教育の中身まで再検討して欲しいと願うばかりだ。言い出しっぺの現文科大臣には、その結末を見定めて評価してほしいと思うが、担当大臣がコロコロ変わるご時世ではそれも望めない。そういう意味でも2年くらいは担当大臣が変わらない政権にしてほしい。最初の1年で実情を把握し対策を講じ、次の1年で評価し不備を訂正して次の大臣に引き継ぐ位が好ましい。いつになったら安定政権が実現できるのか?政界も人材難の様相を呈している。まさか、所信表明から僅か2日後に政権を投げ出した無責任な元総理が再登板する訳では無いだろうし・・・、現総理では心許ないし・・・、知事経験したご老体ではお話にならないし・・・、期待される某市長も政策よりも政局優先とボロが出始めてきたし・・・日本のリーダーとなるべく若手のニューヒーローが出て欲しいものだ。
 話がズレてしまったが、今後の政権や文科大臣には、単なる大臣の勇み足として処理するのではなく、本質的に大学のあり方や責任の所在と取り方を国民が納得できる様にしてほしいものだ。特にメディアは勇み足の大臣を面白おかしく報道するのは今日一日で終わりにして、本筋の大学問題を国民に訴え続けてほしいと思う。

大学新設問題について

2012-11-07 07:53:29 | 雑感
久しぶりのブログです。
夏バテやら4人目の孫の誕生やらでゴタゴタして書けなかったのですが、なんとか再開できました。
 さてさて、最近文科大臣が大学新設を不許可としたニュースがメディアを賑わせています。大半は大臣の行動に批判・非難の声が大きいようです。で、私はと言うと「よくぞ不認可発言をされた」と賞賛します。まあ、異論も有ると思いますが聞いてください。
 話が急だとか、今までの流れやルールと違うとか、入学希望者が可哀想とか色々な反論があるかと思います。しかし、よく考えてみると今のルールにしても、大学のあり方にしても疑問だらけです。
①定員にも満たない大学や経営不振の大学が何と多いことか!→この尻ぬぐいには国民の税金が投入されています。
②大学生の学力レベル低下が止まりません。→大学生にもなっていながら、小中学生の問題がまともに出来ない学生がいるのは何故ですか?
大学は遊ぶところと言い張るバカ学生ばかり増やしても、国益にはなりません。
③最終の大臣認可が下りる前に、校舎を造り、翌4月の学生を募集済みとはどういう事か?また、だから認めろとは(理事長など学校経営者や地元知事や首長達は)どういう神経をしているのか?
④無理して大学を新設し、経営が悪化したとき、彼ら(認可を叫ぶ理事長など学校経営者や地元知事や首長、及び行政役人や政治家達は)はその賠償する等の責任をとるという意思はもっているのか?・・・こういう連中って、失敗しても責任は絶対とらないんですよね。口先だけで責任を取らない連中って私の大嫌いなタイプです。
⑤新設大学に応募した学生達は、現存の大学を受験する気力はないのですか?定員割れしている大学も多々あります。それでも、その力量がなければ大学を諦めて社会人を目指すのが国家の為です。
現在就職難だと言いますが、それはあなた方の目標が高すぎ/贅沢しすぎでもあります。現在でも一次産業(農林水産)、介護施設、中小企業などは多くの人が不足しています。こういう職場に進めば就職難もほとんど解決されると思います。あなた方は「楽して高給」を望むことになるから就職難となるのです。若いときは収入は僅かでも、一生懸命働き社会で学ぶことが大事なはずです。私たちは高学歴者だから高給をもらうのは当たり前という考えは捨てなさい。(もちろん、それにふさわしい実力の持ち主は大いに自己宣伝する事が重要です)
⑥今までの新設大学は円滑に認可されたのに、何故自分達だけが認可されないと嘆く新設大学の関係者達へ。利己主義もいいかげんにしなさいと言いたい。自動車運転でスピート違反して捕まった人が「あいつらもやっているのに何故自分だけを捕まえるんだ!」とわめき散らすのと全く同じです。

 という私の勝手な解釈・意見でして、今の文科大臣には「よくぞ不認可にした」と絶賛します。この不認可発言で、色々な議論が生まれ、質の良い大学、質の良い学生が増えていく事を望みます。学生自身のためにも。
 現文科大臣を批判・非難する方達も、この大臣がいなかったら今まで通り「ことなかれ主義」のまま、低質大学・低能学生ばかりが増加してしまうとは思いませんか?
そういう意味でも、あえて少数意見ながら現文科大臣の発言を応援します。(但し、この大臣が政治家として好きか嫌いかという事とは別ですヨ)