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菅前総理の原発対応は非難されるべきか?そして原発は必要か?

2012-12-04 19:27:16 | 雑感
 昨年の3.11東日本大震災の際に福島第一原発事故が発生したことは周知の通りです。本日公示された衆議院選挙でも各党が原発反対か否かを争点の一つとして論議しています。
 ところで、原発事故の反省と称し、各委員会から総括結果が出そろいました。中でも共通していることは菅前総理の拙速対応だと決めていることでした。本当に彼の行動は非常識だったのでしょうか?私は総括結果の出た時から疑問が生じていまして、自分なりに制してみました。そして「もし、この時の総理が別の人だったら、もしこの時の総理が自民党員だったら」と考えてみたのです。
結論は次の通りです。
①菅前総理が、大震災翌日にヘリをチャーターして原発を視察に行った事は正しかった。理工系総理でもあったからこそ、大震災が原発へ与えるかも知れない大惨事を一番懸念していただろう。彼以外の総理なら官邸であたふたして関係部門に事実確認に奔走していただけだったろう。取り巻きの伝える話を事実として信じただけだろう。しかし、彼は多分東電や安全保安院などの言葉は信用できないと認識していたのではなかろうか?結果はこれが正しかったのである。
②各委員会では原発が壊れ、東電社員が撤廃すると聞いて一括した事を問題視した。
総理として現場に立ち入りすぎと言うのである。しかし、原発損壊ということは国家を揺るがす大問題であると認識していたからこそ、彼はその現場に立ち入ったのである。これも正しいと言える。

 さて、皆さんも考えていただきたい。
もし、当時が自民党政権だったらどうなっていただろうか?
電力会社から手厚い献金をもらい、原発地元は電力会社から献金や補助金をもらい、その首長や地方議員も電気会社寄りの人間ばかりである。殆どが自民党系の議員ばかりである。自民党議員の中にも重鎮も含め数多く電力族議員がいる。彼らは電力会社を擁護するだろう。
 こんな状態で、自民党政権だったら、東電報告や安全保安院の言いなりだったろうし、事実も長く隠されてしまっただろう。官僚も事実を国民に隠し通し、やむを得ない事態になって小出し小出しで発表されたであろう事は容易に推察される。
どちらが良かったかは皆さんの判断だが、私は前者を支持したい。
別に私は政治家としての菅氏が良いとか悪いとかを言っている訳ではなく、ましてや民主党がどうのこうのと言うつもりはありません。しかし、原発事故発生直後の対応は良かったと思っています。

 自民党や日本維新党は、原発停止に色々な言い訳をしつつ反対している。
「安全を追求した原発研究をやめてはならない」という事が理由らしい。本当だろうか?
原発研究は国内でなくても出来る。もし国内で研究のみを進めることを認可したとしよう。研究者は必ず実物で確認したがるものであるし、しなければならない。その時点で国内に原発施設が無いとなると研究は意味をなさない。海外施設を使いたくても、おいそれと使わせてくれる国などあるまい。即ち彼らは国内に原発の存続を熱望しているというのが本音であろう。
 放射能研究は今でもできる。日本には原爆被爆者やその子孫が大勢いる。彼らを直す研究を進めていけば達成できる。現在でもほとんど進んでいないではないか。放射線研究は原爆以外にも医科学などでは結構進んでいるしテーマには事欠かない。それでも原発が日本に必要なのだろうか?第一、原発処理済み燃料の廃棄方法や場所さえ決まっていない実情を見ても、原発を建設認可する前に、こちらを解決すべきだろう。除染技術も全く進んでいない。これらが、今後数十年間で解決する見込みなど全く無いのである。もし原発賛成者が当選して原発稼働を進めるのなら、彼らと彼らの子息や孫の代まで、私財を担保にした責任を取る位の覚悟をしてほしいと思います。無責任な彼らに出来るかな?

笹子トンネル崩落事故は設計不備?

2012-12-04 08:40:36 | 雑感
 12月2日に中央高速道路の笹子トンネル天井が崩壊し多くの犠牲者が出たニュースは衝撃的でした。私もこのトンネルは何度も利用していましたので、とても他人事とは思えません。「長いトンネルだなあ」とは感じても、「もし途中で地震でも起きたらどうなるんだろう」とふと思っても、当たり前のようにトンネルを通過していました。
 さて、この事故の原因や再発防止は道路会社や学者達に任せるとしても、報道番組を見ていて彼らの感性に疑問が生じました。私は土木技術者ではありませんが、長く機械設計を経験した立場から見ると、このトンネルの構造からして、不可思議な点があります。
構造上、左右対になっているコンクリート板を中央の吊り棒で支えています。吊り金具の強度は十分過ぎるほどあるはずです。でもそれを固定しているアンカボルト部が抜けたか、天井のコンクリート塊ごと崩れ落ちたかが主因の様だとのことです。また、走行方向に並べた板は、隙間が出来ないようにオーバーラップさせていたとのことです。これにより、130mに渡り連鎖反応の如く計330枚もの板が崩落しました。安全点検も板面からトンネル最上部までの高さが5mもあって目視検査しか出来なかったとの事です。
 疑問は次の4点です。
①吊り具を固定しているアンカボルト部分の経時劣化が言われますが、設計時この吊り金具が外れる事を想定した設計をしなかったかと言うことです。強度的に十分と言っても、普通の設計者は、これが外れた場合も想定し、補助的な吊り具なり他の方法でも板が崩落しえない様な構造に設計するのが基本です。2重3重の安全対策を何故しなかったのか?が問題です。多分費用面からの制約が大きかったのでしょうが、設計者としてはそれを言い訳にしては絶対にいけません。
 また、恵那山トンネルの様に、板が左右の対ではなく、一枚板なら(吊り具が外れても)簡単に崩落することも無かったかもしれません。吊り棒が全壊しても、対の板がお互い踏ん張って、(多少落ちこんでも)崩落できない形状にすべきだったでしょう。
②130mに渡り連鎖的に崩落しましたが、これも設計上考え方がおかしいと思います。
仮に1箇所の吊り具が外れて崩壊現象が発生したとしても、その衝撃力が隣の板に数倍かかったとしても、それに耐えうる安全率を設定しておくことが必要です。安全率が10なのか20なのかは分かりませんが、少なくとも2~3では無いはずです。安全率を無視した設計だったと言わざるをえません。
③天井の高さが高すぎて、直接の打音点検が出来なかったとの事ですが、そもそも点検も出来ないような構造にしておくこと自体が設計者の怠慢です。点検が出来る様に屋根裏部屋を2階構造にするなり、専用の動く踏み台を準備するなり、高くても確実に点検できるシステムを準備するなりの設計が必須なはずです。高すぎて点検できなかったというのは詭弁以外の何者でもありません。
④大地震が起きたとき、耐えられますか?
今回以上のトンネル内惨劇が考えられます。当然ながらトンネルは山の多い地域に作られます。地震による山崩れなども想定され、トンネル内はその非難場所としてシェルターの役割も有用であり、絶対安全な場所であって欲しいものです。

 以上私の考えですが、トンネル設計者も設計時は同じ様に万一の事態を想定していたと思います。(想定していなかったら、その方は設計の初心者です!)でも、予算が限られたりしていて、経営側からの圧力などなどで、心ならずも今の構造にせざるを得なかったのだと信じたい。でもそれは設計者の恥です。頑としてでも安全を優先できなかった設計者の怠慢です![設計ミス]とまでは言いませんが、私は少なくとも「設計不備」だったと思います。報道番組に出てくる学者達は設計本質について全く突っ込みをしていません。あたかもNEXCOに遠慮している様にさえ見えます。
 皆さんは、このトンネル構造についてどうお考えでしょうか?

いよいよ選挙モードですが・・・

2012-11-20 15:41:13 | 雑感
 先日衆議院が解散となって、いよいよ来月16日に投票となりました。
予めお断りしておきますが、私はノンセクトですがノンポリではありません。
訳が分からない程、色々な政党が乱立していますが、選ぶのは難しいって感じです。どの政党の政策も人材も一長一短あります。与党民主党は苦戦を強いられていますが、元々は政策の異なるグループの寄せ集めであり、また簡単に政治主導できる様なノウハウも無ければ、官僚達に屈するのは当然でしたね。彼らが与党として実力を発揮できるとすると、まだまだ10年くらいは時間が必要でしょう。
 今回は第三極の政党集団が注目を集めていますが、彼らが政権を請けたとしても、党分は民主党と同じ道を歩むことになりそうです。それほど自民党政権の時代が長く、この下で官僚支配が続いていた訳ですから、おいそれと改革はできないでしょうね。
 自民党は相変わらず旧体質から抜けていません。また官僚中心の政治に逆戻りです。公明党は結局スポンサーである学会員の事しか考えていません。第三極の各党は政策は二の次でなりふり構わず選挙に勝つことだけしか頭にない。これでは良い政治は出来ません。社民党はその存在さえ消滅する方向に向かっているし、共産党も日頃はなかなか良い活動をしているものの、中国や北朝鮮の「共産主義」とイメージが重なり大衆受けは困難。中国や北朝鮮と同じ共産主義を歩まないとするならば、党名を変えた方が良いだろう。と、さんざん各党の悪口を言うのは、実に楽しいものだ。
 さてさて、選挙結果はどうなるのかの興味はありますが、私が一番言いたいのは、各政治家は自分の信念や理念を貫いてほしいということです。党議拘束を多用する政党が殆どですが、これが自分の信念や理念と異なるのでしたら堂々と自らの意思で決議してほしいと思います。それで離党勧告という結果が出たなら整然と従えば良いでしょう。自分の意思を持たない(持てないほど愚かでは無いですよね・・・)政治家があまりにも多くて情けない気がしています。
 そういう意味でも芯の強い候補者を探したいと思っています。

イタリアでの地震予知について

2012-11-17 15:21:05 | 雑感
 少し前になりますが、イタリアで地震予知が出来なかった防災委員会の学者7人が実刑判決を受けたことをご存じの方も多いと思います。この判決には批判の声が高いのですが、私は必ずしもそうとは思いません。
 彼らは群発地震が起きていたにもかかわらず「大地震は起きないから、自宅でワインでも飲んでいて良い」とまで言ったそうです。現在の地震予知は全くといって良いほど不可能であることは周知の通りです。だから予知が出来なかったからといって罪を問うここと自体が非常に理解しがたいことです。
 しかし、予知が出来ないとされる現実の中で、彼らが「大地震は起きない」「ワインを飲んでくつろいでいて良い」とまで予知したとすれば、これこそが科学者として不謹慎きわまりないと考えます。せめて「大地震が起きる可能性は非常に低いと思われるが、引き続き警戒してほしい」というのが今の科学レベルで公表できる最低ラインでしょう。そういう意味で有罪判決が出たのでしたら、私はしごく当然と思います。不可能であるはずの予知を予知したのですから。
 地震予知は科学的にも経験的にも全くの未熟な科学分野です。「今後30年に起きる大地震発生の確率は○○%」などと公表されていますが、その発生確率の正確さの確度自体が低いのが現状です。阪神淡路地震では、地震そのものが発生するとは予測されていませんでした。近代でも予知されなくても発生した大地震はいくつもあります。
 地震発生後に「実は、私は以前から予知していた」という学者が現れたり、「実はここに活断層が有りました」などと後出しジャンケンを出して注目を集めていた学者(?)も多々おりました。H16年の新潟県中越地震の時も同様です。先の東日本大震災もM9.0までの予測など全くできていませんでした。この大震災が発生した後になって「数日前から猫の動きがおかしかった」、「地震雲が出ていた」、「気圧の状態が地震発生を予測していた」等などです。
 私は、こういった学者達だけでなく、多くの自然科学者の発言は信用していません。
彼らは「確実な科学」ではなく、「経験値、しかも希に起きる偶然的な事象の都合の良い処だけを取り上げて誇大表現している」からです。
現在の地震発生確率計算は過去の発生した歴史を元に将来予測をしています。その計算方法は、過去の地震発生は周期性があると仮定して、対数分布やワイブル分布、BPT分布などのいずれかの式に当てはめます。これらの式のどれを採るかにより、また過去の大小様々な地震のどの地震の、いつからの発生したものからを考慮するからによって計算結果が大きく異なります。また、過去の数百年以前の地震は当時のあやふやな文献等を根拠としており推測の域を脱していません。まして、その推測している地震発生回数も10回を超えていない程少ないデータ数が計算の元になっているのです。
 これは、現在の大地震発生確率計算の結果にも影響を与えています。地震発生確率計算はいくつかの方法がありますが、どれを採るのかだけでなく過去発生した大小様々な地震のどれとどれを考慮するのかによって結果が大きく違うのです。だれか知恵有る学者が、今ある各発生確率がどれほど正確なのかという確率を提唱してほしいと思うほどです。
では何故発生確率計算が大事かというと、防災費用をどこにどれ位投入すべきかという目安にすると同時に、科学者達が自説の研究予算を確保するために声を大にして、役人や政治家に認めさせようとしているからです。
 彼らは、猫などの生物の動き、雲や大気の変化、地場や波動等の地殻からの変化を地震発生と結びつけることで話題性を集め、スポンサーを確保することに勤しんでいるのです。私は、趣味の範囲としてならこれらを否定しません。しかし、科学となるともう少し確たる論拠が必要です。こういう事象を捉えて、今まで察知できた中で完全に予知できたという確率が正弦分布のせめて2σ(95%)以上あれば立派な科学と言えるでしょう。3σ(99.7%)以上なら、相関があるという確固たる法則になり得ます。
でも、今まで予知できたと宣伝する学者も、予知が外れた事は口に出しません。せめて予報が外れたら正式に謝ってほしいものです。(そう言えば、天気予報士も同様ですね)
 一方、地殻変動の歪みを測定して地震発生の可能性を突き止めようとする研究は立派な科学解析の方向と言えそうです。高い確率で地震発生が予知できる様なデータ収集には尚何百年、何千年とかかるかも知れませんが、忍耐強く頑張ってほしいと思います。なぜなら、現在でも火山の噴火予知は高確率で可能です。火山周辺に多くの地震計などを配置し地殻変動や火山性地震の特徴データが論理だって体系化されつつあり、常時監視出来ているからです。
 地震予知の結論から言うと、現在の科学では地震予知は不可能です。従って地震大国のイタリアや我が国などは、いつどこでどんな地震が起きても慌てることなく対処する心構えと備えが必要となるのです。学者の言っている発生確率なんて信じ過ぎてはいけないと思います。

大学新設問題について(3)

2012-11-10 17:18:55 | 雑感
 前回まで、文科大臣の勇み足にガッカリした話をしました。
ところで、この不認可問題が出た時に、一部大学関係者や知事から「大臣の不認可は暴挙だ!」とまで抗議していた人がいました。私はそうは思いません。正式許可を受けていないのに、許可は自動的に下りるものと勝手に決めつけて予算編成し、事前に校舎建設や学生募集までしている彼らの行為が余程暴挙です。繰り返しますが、こんな単純な法則も理解できない学校関係者や政治家のの意識の方が何倍も「暴挙」です!一般国民には知らない中で、堂々と不正行為がまかり通っている、しかもそれが正しいと言っている彼らこそが反国民であり、暴挙者だと思います。
 審査会の決定がそのまま通るのでしたら、大臣許可は不要でしょう。単に承認印を押すだけの単細胞な大臣が正しいと言うのなら、大臣なんか不要です。審査会の決定をそのまま認可に結びつければ良いはずです。大臣がこんな右から左に流すだけの仕事なら不要であり、大臣にはもっと大事な仕事を任せた方が余程明快で合理的です。
 審査会が決定承認した大学が、近い将来(例えば20年内に)定員割れが続いたり、経営が行き詰まったりしたり、学生の学力があまりにも低いまま卒業させたりした場合には「自分達がOKしたのだから、責任は自分達が取る」と(審査会メンバーが)身を切って責任を取るべきでしょう。そのくらいの意識を持って審査してほしいものです。それとも、こういう責任は時の(飾り物の)大臣に取らせることで、自分達は逃げているのではないでしょうね。
 官僚の中には口だけは立派だが、いざ責任をとる段になると逃げ回る輩ばかりが目に付きます。責任をきちんとさせ、(親子3代まで)身を切っての賠償する制度が必要だと思います。その位の覚悟をもてば、高い報酬の公務員にも納得できるでしょう。その為には行政裁判所を作って責任の所在を公正に明確にして判定させるのも良いのではないかと思っています。年金問題、ゆとり教育問題をはじめ、会計監査で指摘された不正使用等々、誰がきちんとした責任を取りましたか?単に役職を更迭させただけでなく、私財を没収するまでの決定が必要だと思います。それてこそ、本当に国民の為の公務員が育ってくるものと信じます。

大学新設問題について(2)

2012-11-08 06:45:49 | 雑感
 文科大臣が新設申請した3大学を一転認可するとの報道に、驚くと共にガッカリです。認可するにしても、せめて1ヶ月位は保留してほしかった。官僚からの圧力に押されたのだろうが、朝令暮改では大臣自身の度量の浅さを露呈している様なものです。
 昨日の午前には「新しい基準で再審査する」と言っていましたが、「新しい基準」をつくるのは迅速さの微塵もない官僚や知識人に委託しても簡単ではないでしょう。それよりも「経営や教育の専門家を招集して、大至急再精査するから1ヶ月ほど待って欲しい」と言うべきだったろう。
その中で、大学経営計画に無理は無いのか、水増し予測は無いか?、他の大学には無い教育方針や特徴は何か、そしてそれはどう有意義なのか?、定員割れが起きないような方策は?、経営者や教授達の報酬は妥当か?、教授達の人材は確保できるのか?、学生達の負担は適切か?、就職難の時代に学生達をどういう方策で世に出そうとしているのか?、経営難や計画通り運営できなかった場合は誰がどのように責任を取るのか?等々を再精査すれば良かったのに。正直、今回の騒動で「勝った」と叫ぶ経営者のいる大学は期待薄いですね。まるで無知なるガキンチョです。
 ただ、今回の騒動で大学新設手続きが何と出来レースの形骸化していたかが国民の前に明らかになったということだけは大いに評価すべきだと思う。この際、大学新設だけでなく、優秀な学生に育て上げられる様に大学教育の中身まで再検討して欲しいと願うばかりだ。言い出しっぺの現文科大臣には、その結末を見定めて評価してほしいと思うが、担当大臣がコロコロ変わるご時世ではそれも望めない。そういう意味でも2年くらいは担当大臣が変わらない政権にしてほしい。最初の1年で実情を把握し対策を講じ、次の1年で評価し不備を訂正して次の大臣に引き継ぐ位が好ましい。いつになったら安定政権が実現できるのか?政界も人材難の様相を呈している。まさか、所信表明から僅か2日後に政権を投げ出した無責任な元総理が再登板する訳では無いだろうし・・・、現総理では心許ないし・・・、知事経験したご老体ではお話にならないし・・・、期待される某市長も政策よりも政局優先とボロが出始めてきたし・・・日本のリーダーとなるべく若手のニューヒーローが出て欲しいものだ。
 話がズレてしまったが、今後の政権や文科大臣には、単なる大臣の勇み足として処理するのではなく、本質的に大学のあり方や責任の所在と取り方を国民が納得できる様にしてほしいものだ。特にメディアは勇み足の大臣を面白おかしく報道するのは今日一日で終わりにして、本筋の大学問題を国民に訴え続けてほしいと思う。

大学新設問題について

2012-11-07 07:53:29 | 雑感
久しぶりのブログです。
夏バテやら4人目の孫の誕生やらでゴタゴタして書けなかったのですが、なんとか再開できました。
 さてさて、最近文科大臣が大学新設を不許可としたニュースがメディアを賑わせています。大半は大臣の行動に批判・非難の声が大きいようです。で、私はと言うと「よくぞ不認可発言をされた」と賞賛します。まあ、異論も有ると思いますが聞いてください。
 話が急だとか、今までの流れやルールと違うとか、入学希望者が可哀想とか色々な反論があるかと思います。しかし、よく考えてみると今のルールにしても、大学のあり方にしても疑問だらけです。
①定員にも満たない大学や経営不振の大学が何と多いことか!→この尻ぬぐいには国民の税金が投入されています。
②大学生の学力レベル低下が止まりません。→大学生にもなっていながら、小中学生の問題がまともに出来ない学生がいるのは何故ですか?
大学は遊ぶところと言い張るバカ学生ばかり増やしても、国益にはなりません。
③最終の大臣認可が下りる前に、校舎を造り、翌4月の学生を募集済みとはどういう事か?また、だから認めろとは(理事長など学校経営者や地元知事や首長達は)どういう神経をしているのか?
④無理して大学を新設し、経営が悪化したとき、彼ら(認可を叫ぶ理事長など学校経営者や地元知事や首長、及び行政役人や政治家達は)はその賠償する等の責任をとるという意思はもっているのか?・・・こういう連中って、失敗しても責任は絶対とらないんですよね。口先だけで責任を取らない連中って私の大嫌いなタイプです。
⑤新設大学に応募した学生達は、現存の大学を受験する気力はないのですか?定員割れしている大学も多々あります。それでも、その力量がなければ大学を諦めて社会人を目指すのが国家の為です。
現在就職難だと言いますが、それはあなた方の目標が高すぎ/贅沢しすぎでもあります。現在でも一次産業(農林水産)、介護施設、中小企業などは多くの人が不足しています。こういう職場に進めば就職難もほとんど解決されると思います。あなた方は「楽して高給」を望むことになるから就職難となるのです。若いときは収入は僅かでも、一生懸命働き社会で学ぶことが大事なはずです。私たちは高学歴者だから高給をもらうのは当たり前という考えは捨てなさい。(もちろん、それにふさわしい実力の持ち主は大いに自己宣伝する事が重要です)
⑥今までの新設大学は円滑に認可されたのに、何故自分達だけが認可されないと嘆く新設大学の関係者達へ。利己主義もいいかげんにしなさいと言いたい。自動車運転でスピート違反して捕まった人が「あいつらもやっているのに何故自分だけを捕まえるんだ!」とわめき散らすのと全く同じです。

 という私の勝手な解釈・意見でして、今の文科大臣には「よくぞ不認可にした」と絶賛します。この不認可発言で、色々な議論が生まれ、質の良い大学、質の良い学生が増えていく事を望みます。学生自身のためにも。
 現文科大臣を批判・非難する方達も、この大臣がいなかったら今まで通り「ことなかれ主義」のまま、低質大学・低能学生ばかりが増加してしまうとは思いませんか?
そういう意味でも、あえて少数意見ながら現文科大臣の発言を応援します。(但し、この大臣が政治家として好きか嫌いかという事とは別ですヨ)

いじめ問題と教育委員会

2012-07-05 19:35:05 | 雑感
 ここ一両日、大津市での中学生いじめ自殺問題がメディアに取り上げられています。
同校が実施したいじめに関する生徒へのアンケート結果では、自殺練習の強制を含めていじめの有ったことが記述されていました。しかし同市教育委員会ではそれを取り上げることが無かったという件が話題となっています。教育委員会の言い分では「自殺といじめの因果関係が不明」「いじめの現場を見たという記述がなかった」「アンケート=事実とは言えない」といった内容でした。
 教育委員会はいつから裁判所になったのでしょうか?もしくは教育委員会の委員達は自分たちは裁判官だと思っているのでしょうか?いや、検察官かな?確実な証拠がなければ動かないという姿勢というか言い訳に私は唖然としました。
 教育委員会の目的は生徒達が安心して教育を受けることの出来る環境を確保する様に関係機関に指示したり協力依頼をすることではないのでしょうか?生徒達に不安が無いような学校生活をしてもらい、正しく成長が出来る様努めることでは無いのでしょうか?
 「推定の域を出ないから調査しなかった」・・・とんでもない思い違いです。教育機関を運営する人間にあるまじき言い訳だと憤慨します。それでなくても自分の意見が十分に言えない生地達が少なからずいるという事を理解していません。アンケートで自殺練習の強制について15名の記述があったそうですが、実態はこの何倍もあるのではないか(私でも)容易に察しがつきます。仮に事実が噂だけであったとしても、なぜ噂が起きたのかを見極め、真意を確認すべきと思います。
 裁判をしている訳ではありません。「疑わしきは罰せず」なんていう裁判用語は教育の場には存在しません。疑わしきは客観的・公平に調査することが大原則でしょう。公表するかしないかは時の首長の判断でも良いかとは思います。しかし、第一歩さえ踏み出せなかったこの教育委員会の存在価値はどこに有るのでしょうか?
 悲しいかな、同様の事なかれ主義はどこにも有ります。自分のミスや不手際を認めることを恐れて逃げようとする人や団体は数多くあります。政治屋、経済界人、メディア人、行政担当者、そして私たち一般国民などなど。そんな中で、自らの力量不足や誤りを素直に認め謝罪し、そして改めようと決意した人に対して、私たちは寛容の心と拍手を送りましょうよ、応援しましょうよ。
 教育委員会だけではありません。学校側はこのアンケートを実施した結果を受けてどのように動いたのでしょうか?この教育委員会の対応を見て、市長や市議会議員はどう感じどう対処すべきと思っているのでしょうか?大津市民はもっと声を大にすべきと思います。将来の大津市いや滋賀県、日本を背負っていくだろう生徒達が、こんな教育委員会の下で教育を受けていて良いのか否かを真剣に考えてほしいと思います。
 そう言えば、市長のコメントもまだ聞いていないですね。現市長も幼い頃にいじめを受けたと言っていませんでしたっけ。そうならいじめを受けている生徒達の気持ちも少しは理解できるでしょう。いまもいじめが進行中かもしれませんよ。もっと迅速にコメントを出した方が良いのでは?大津市以外でも似たような問題は潜在化していると思います。
 子供達の為に、大人達は勇気を出して正義を貫きませんか?子供達に「結局は先生も学校も教育委員会も市も誰も何もやってくれない。みんな自分の立場を守ろうとするだけで私たちの事を考えてはくれない」などと思われてはいけません。彼らが大人になって「人のことより自己保全だけをすることが正しい事だ」と思い込ませない様に、今の大人達がしっかりとした対応を求められていると思う次第です。
 以上この問題をTVで見た私の感想です。

大飯原発の再稼働に際し、原発を考える

2012-06-15 09:56:05 | 雑感
 関西電力の大飯原発再稼働がいよいよ始まりそうです。大飯町議会の承認も得て、賛成方向の福井県知事に提出されました。
 原発論争は各メディアのみならず、広く国民の間でも話題となっています。知識人によっても賛否両論ありますが「原発そのものの問題」と「電力エネルギーの問題」とが入り乱れて、どちらを重視するのか(その人の?)立場によって異なっています。
原発稼働が自分の利益になると考えている人は再稼働賛成、福島原発事故で被害を受けた人や利益や恩恵を受けない人、何となく不安を感じている人は反対といった具合です。原発で最も恐いのは放射能漏れであることは間違いありません。核反応を起こす際に放射線が発生するという自然現象を止めることは不可能に近いでしょう。
 ところで、私はというと「条件付き賛成」という立場になります。
私の言う条件とは何か?それは
 ●核反応を起こしても放射線を発生させない、または原子の状態でブロックできる
  技術をもっていること。
 ●万一、放射能が漏れて飛散しても、人間や動植物が被爆しても、速やかに(例え
  ば数日内)除染できること。(限度超の被爆を瞬間的に受けた場合、死に至のは
  止む無しと考える。大きな交通事故を起こして死亡するのと同じで、これまで
  否定することは自然の摂理として行き過ぎだと思う)
 ●使い終わった核燃料廃棄物の処理が一般金属ゴミ並レベルとなること。
  (要は放射線を発生させない状態にすること。一般金属としてリサイクルも良い)
以上の3点です。
 要は、「安全」という考えが「事故を起こさせない」を念頭にしているのに対し、私は「事故はいつかは起きるもの。起きても被害を大きくさせない」という考えである。
例えば、東日本大震災で発生した地震や津波の何倍もの災害の場合はどうしますか?
東日本大震災は千年に一回の災害だと言われますが、それが一万年/十万年に一度の災害発生時はどう言い訳するんだろうと思う。その時は不運だったと諦めてもらいますか?原発事故は十万年どころか百万年に一回でも起きては多過ぎると考えています。かといって、ここまでの災害を想定して対策をとることは非現実的です。
 私は原子力という超膨大なエネルギーの有効活用はこれからも不可欠だと考えています。だからこそ、前記の様に原発事故が起きても被害が小さくなる様に研究を進めなくてはならないでしょう。その見通しさえ無い現状においては、人類にとって原発の稼働は時期尚早と言えます。安定した代替えエネルギーの実用化・補助を訴えます。
 第一、N国やC国からミサイルで原発を攻撃されたら日本は即白旗を揚げるだけでしょうか?この時日本は死の国となるのを受け入れるのでしょうか?こちらの方が超地震や超津波の発生する確率よりも大きい気がします。その備えが出来ているとは思えません。
 日本は唯一の原爆被爆国です。被爆者やその子孫の人たちは今なお厳しい生き方をされています。(非情と非難される言い方かも知れませんが)日本ではそういう経験を持った被験者がたくさんいたのに、放射能除去技術は遅々として進んでいなかったというのが現状ではないでしょうか?これで良かったのでしょうか?行政機関も研究者・科学者もメディアさえも、そして私たちもこの機に反省し、放射線・放射能に立ち向かっていかなくてはならないのではないかと思います。
 私は大飯原発や他の原発施設のある地元の人たちが言う今日明日の生活も分かります。しかし今直ぐではなくとも、大局的に考えてほしいと望んでいます。我々は目先の利益ばかり追っていると、いずれ我々の子孫に大きな負担を強いるようになります。
最近でも、このことは年金問題で十分勉強したではありませんか?

 

リサイクル率100%とは何か?

2012-05-25 18:41:28 | 雑感
 先日、平塚市のとある製造工場を見学に行きました。
ここは、市街地の真ん中にある故、騒音や異臭、大気汚染、水質汚染等などに対しての環境整備に相当力を入れている様子でした。
 今回の工場見学も、製造工程ではなく、環境対策に関する施設などを見学しました。
さすがに、大企業らしく、工場周辺には植林活動の盛んなことが窺い知ることができました。地域住民との交流や全国の緑化活動にも力をいれているそうで、工場内ではその為の育苗場まで設けてあります。
 また、工場内のゴミ処理場も清潔でした。
私はここで説明していただいた方に質問しました。
「この工場ではリサイクル率100%と自慢していましたが、ここのゴミは工場を出た後、どう処理されているのですか?」
すると、「どうしているのか、知りません」との答。
そこで尽かさず「では、リサイクル率100%と言うのは、ここに集められたゴミは敷地内で焼却等されずに100%外部に引き取られているということですか?」
「その通りです。どこでもそうして計算しています」
 私は驚きました。リサイクル率ってそういう定義なんですか?
工場内で発生したゴミが全部工場外に運び出しただけで100%っておかしいと思います。
外部に持ち出されたゴミが一部焼却されたり、埋め立てされたりしても知らないよと言っているのです。
これで良いんでしょうか?
リサイクルの定義は「ゴミを資源として再利用、または有価物を回収・再生して有効利用すること」です。最終処分がどうなったかも把握しないで、リサイクル率100%なんてよく言えたものです。
そんなこと言ったら我が家も100%です。
発生したゴミは自宅内で焼却したり、土に埋めたりせず、廃品回収に出していますから。
廃品回収以降、最終処分がどうであれ「私は知らないよ」と言っている様なものです。
自分で出したゴミの最終処理がどうなっているのかを把握することで、本当のリサイクル率が分かるのではないかと思います。きちんと最後まで掌握するのは大企業なら当然すべきと考えます。ちなみに、そう言う意味での我が家はリサイクル率30%位でしょう。
 なんか言葉だけが都合良く使われ、それが大きな宣伝材料となっている気がします。
近年、やたら新語が生まれ、また略語も生まれています。こういった言葉を十分知らないと、気付かないうちにダマされてしまう。企業や科学だけでなく、政治や教育等の場でも起こり得る事です。
そんな気がしてなりませんでした。