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「環境問題」を中心に発信・フォローしていきます。

東京スカイツリー

2012-06-29 08:53:17 | 日記
一昨日の27日に妻とスカイツリーに行きました。公開前の時、外側からその姿は見ていましたが、今回初めて中に入りました。団体旅行は好きでないので、ネットで申し込み抽選に当たったのです。梅雨の真っ最中であり、一週間前から天気予報を気にしていましたが、所詮は天気予報。当日にならないと分からないものです。で、当日は日差しも程ほどで湿度もあまりなく快適な日和でした。13時入場なので10分前に行きましたが、専用ゲートは既に300人以上も並んでいました。でも受付カウンターは8つ並んでおり、意外にスムースに入場できました。ただ、7月11日からは当日入場が出来るので、この何倍も混雑するのだろうなと思いました。先ず感嘆したのはエレベーターの静かさと早さです。1分もしない内に350mの展望デッキに着きました。しかも、昇降始めと終わりは普通のエレベータ独特の重力を感じる違和感が殆ど無かったことに技術の高さが覗われます。
 展望デッキに到達するや否や、皆さん「ウォー」という歓声です。西方の山々や地平線は霧がかかっていて見えませんでしたが、それでも都内一望できました。ここは窓がオーバーハングしており、直下の町並みが望めます。妻は恐いと言って立ちすくんでいましたが私はGoogle Earthと同じ光景に見入ってしまいました。このデッキは早々に引き上げ、450mの展望回廊に向かいました。ここでのエレベータも快適且つ早い。また外の景色も見えるので爽快です。展望回廊での景色は展望デッキとはひと味違います。スロープを上りながら最上階に行きます。360°の景色を堪能しました。東京湾やお台場、千葉房総も見えました。埼玉など北関東側は晴天模様なので相当遠くまで見えたのですが、何がどこなのかはさっぱり。新宿副都心や皇居、池袋などは勿論、多摩地区の方まで望めます。ここは直下の町並みは見えませんが、それでもGoogle Earthを見ている様な錯覚になりますが、京成電鉄や東武電鉄などの電車が動くことで、そのとの違いが分かります。妻は「もし今地震が来たらどうなるだろう」と懸念しましたが、どうなるかはその時のこと、考える必要などないと一蹴。「ソラカラポイント」として最高到達点(451.2m)を記した柱があり、大勢の人が記念写真を撮っていました。私も。展望回廊をゆっくりして、展望デッキに戻りました。改めてここでもゆっくりと回りの景色を堪能し、スカイツリーカフェでコーヒーなどを飲みながら一休み。ここでは直下が見下ろせるガラス床がありました。大勢がその上に群がっていて下を見るのが大変、それでも何とか写真が撮れました。これでスカイツリーは終わり、地上に戻りソラマチタウンを散策。ソフトクリームを食べて4F→3F→2F→1Fと土産物店などを一通り巡り歩きました。平日にもかかわらず人が溢れるほどでした。がゆっくり歩いたのでそれほど疲れは有りません。蔵前のホテルに宿泊し、翌28日には国立新美術館→ミッドタウンに立ち寄り家路に着きました。天気予報が外れたおかげで天気も良く2日間楽しめました。またいつか行きたいですね。
<写真はツリー最高到達点と、展望回廊から北側風景(荒川と隅田川の分岐が分かる)>

梅雨の合間の鎌倉散策

2012-06-18 19:19:56 | 日記
 本日、妻と鎌倉に出かけました。昨日の天気予報で今日は雨は降らなさそうだったので急遽出かけました。藤沢駅から一日乗車券を買って江ノ電に乗り、先ずは長谷寺へ。
ここは、あじさいが咲くピークはやや過ぎていた様ですが、十分に堪能できました。種類の多さもピカ一で、本堂の裏手の斜面に咲く多種のあじさいに訪れていた多くの人も感嘆していました。花菖蒲も数は少なかったのですが、見頃でしたね。私たちは10時頃に着いて散策をしたのですが、人が段々と増えて、寺を後にした1時間後は小学生団体も加わり、あふれるほどでした。その後は、山あじさいが主の光則寺に立ち寄り、鎌倉に出て昼食を取りました。
 昼食後は鶴岡八幡宮に行き、例のイチョウの育ち具合を確認しました。昨年1月に行った時は、階段横の倒れた方の根からは100本を越える程の新芽が伸びていたのですが、今日行くと、その根は朽ちて、たった1本(~2本有ったかどうか?)の新芽が有るだけでした。長さも50cmを越えた位で、昨年との違いに驚きました。勢いの良い1本だけに絞ったのか、自然に1本しか残らなかったのかは不明ですが何とも寂しい情景でした。一方、移植した幹側のイチョウの太い幹からは新芽が10箇所程から10~20cmほど伸びていて多少は頼もしく思えました。これらの新芽が親の幹に劣らないほど成長するのは、数百年後先でしょう。(多分、結構長生きしないと確認できないだろうなと思いながら・・・)
植物の復元力に驚きながらも、年々大きくなっていつの日か親を越える大木になってほしいと思います。
 その後は、江ノ電で藤沢方面に戻り、成就院と極楽寺に立ち寄り帰りました。
月曜日という平日でしたが、年寄りと外国人の多いのは覚悟していました。でも、それ以上の人々に若宮大路や小町通りは占拠されている様に見えました。
世界遺産登録準備中でもあり、街中は整然とし清潔感も漂っていました。でも、世界遺産に登録されたらもっと観光客が来て混乱するのではないかと感じます。登録云々も大事かも知れませんが、ほどほどで十分な気もします。
 時々日差しも有り、日傘を差す婦人も多かったのですが、この日傘の先は一寸した凶器ですね。すれ違ったり、追い越したりする度に日傘の先にヒヤヒヤしていました。もし、これが顔や目に当たってケガをした時の責任はどうなっているのだろうかと思わず考えてしまいました。
 非常に蒸し暑くて、家に着いた時は疲れがいっぺんに吹き出してしまいました。
次回の鎌倉は「北鎌倉」を中心に行きたいと思っています。今回は電車で行きましたが、早く出かければ駐車場の空きも余裕有るだろうし、自動車の方が疲れないかも。
今日は早く寝よっと。
<写真はいずれも長谷寺です>

大飯原発の再稼働に際し、原発を考える

2012-06-15 09:56:05 | 雑感
 関西電力の大飯原発再稼働がいよいよ始まりそうです。大飯町議会の承認も得て、賛成方向の福井県知事に提出されました。
 原発論争は各メディアのみならず、広く国民の間でも話題となっています。知識人によっても賛否両論ありますが「原発そのものの問題」と「電力エネルギーの問題」とが入り乱れて、どちらを重視するのか(その人の?)立場によって異なっています。
原発稼働が自分の利益になると考えている人は再稼働賛成、福島原発事故で被害を受けた人や利益や恩恵を受けない人、何となく不安を感じている人は反対といった具合です。原発で最も恐いのは放射能漏れであることは間違いありません。核反応を起こす際に放射線が発生するという自然現象を止めることは不可能に近いでしょう。
 ところで、私はというと「条件付き賛成」という立場になります。
私の言う条件とは何か?それは
 ●核反応を起こしても放射線を発生させない、または原子の状態でブロックできる
  技術をもっていること。
 ●万一、放射能が漏れて飛散しても、人間や動植物が被爆しても、速やかに(例え
  ば数日内)除染できること。(限度超の被爆を瞬間的に受けた場合、死に至のは
  止む無しと考える。大きな交通事故を起こして死亡するのと同じで、これまで
  否定することは自然の摂理として行き過ぎだと思う)
 ●使い終わった核燃料廃棄物の処理が一般金属ゴミ並レベルとなること。
  (要は放射線を発生させない状態にすること。一般金属としてリサイクルも良い)
以上の3点です。
 要は、「安全」という考えが「事故を起こさせない」を念頭にしているのに対し、私は「事故はいつかは起きるもの。起きても被害を大きくさせない」という考えである。
例えば、東日本大震災で発生した地震や津波の何倍もの災害の場合はどうしますか?
東日本大震災は千年に一回の災害だと言われますが、それが一万年/十万年に一度の災害発生時はどう言い訳するんだろうと思う。その時は不運だったと諦めてもらいますか?原発事故は十万年どころか百万年に一回でも起きては多過ぎると考えています。かといって、ここまでの災害を想定して対策をとることは非現実的です。
 私は原子力という超膨大なエネルギーの有効活用はこれからも不可欠だと考えています。だからこそ、前記の様に原発事故が起きても被害が小さくなる様に研究を進めなくてはならないでしょう。その見通しさえ無い現状においては、人類にとって原発の稼働は時期尚早と言えます。安定した代替えエネルギーの実用化・補助を訴えます。
 第一、N国やC国からミサイルで原発を攻撃されたら日本は即白旗を揚げるだけでしょうか?この時日本は死の国となるのを受け入れるのでしょうか?こちらの方が超地震や超津波の発生する確率よりも大きい気がします。その備えが出来ているとは思えません。
 日本は唯一の原爆被爆国です。被爆者やその子孫の人たちは今なお厳しい生き方をされています。(非情と非難される言い方かも知れませんが)日本ではそういう経験を持った被験者がたくさんいたのに、放射能除去技術は遅々として進んでいなかったというのが現状ではないでしょうか?これで良かったのでしょうか?行政機関も研究者・科学者もメディアさえも、そして私たちもこの機に反省し、放射線・放射能に立ち向かっていかなくてはならないのではないかと思います。
 私は大飯原発や他の原発施設のある地元の人たちが言う今日明日の生活も分かります。しかし今直ぐではなくとも、大局的に考えてほしいと望んでいます。我々は目先の利益ばかり追っていると、いずれ我々の子孫に大きな負担を強いるようになります。
最近でも、このことは年金問題で十分勉強したではありませんか?