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「環境問題」を中心に発信・フォローしていきます。

いじめ問題と教育委員会

2012-07-05 19:35:05 | 雑感
 ここ一両日、大津市での中学生いじめ自殺問題がメディアに取り上げられています。
同校が実施したいじめに関する生徒へのアンケート結果では、自殺練習の強制を含めていじめの有ったことが記述されていました。しかし同市教育委員会ではそれを取り上げることが無かったという件が話題となっています。教育委員会の言い分では「自殺といじめの因果関係が不明」「いじめの現場を見たという記述がなかった」「アンケート=事実とは言えない」といった内容でした。
 教育委員会はいつから裁判所になったのでしょうか?もしくは教育委員会の委員達は自分たちは裁判官だと思っているのでしょうか?いや、検察官かな?確実な証拠がなければ動かないという姿勢というか言い訳に私は唖然としました。
 教育委員会の目的は生徒達が安心して教育を受けることの出来る環境を確保する様に関係機関に指示したり協力依頼をすることではないのでしょうか?生徒達に不安が無いような学校生活をしてもらい、正しく成長が出来る様努めることでは無いのでしょうか?
 「推定の域を出ないから調査しなかった」・・・とんでもない思い違いです。教育機関を運営する人間にあるまじき言い訳だと憤慨します。それでなくても自分の意見が十分に言えない生地達が少なからずいるという事を理解していません。アンケートで自殺練習の強制について15名の記述があったそうですが、実態はこの何倍もあるのではないか(私でも)容易に察しがつきます。仮に事実が噂だけであったとしても、なぜ噂が起きたのかを見極め、真意を確認すべきと思います。
 裁判をしている訳ではありません。「疑わしきは罰せず」なんていう裁判用語は教育の場には存在しません。疑わしきは客観的・公平に調査することが大原則でしょう。公表するかしないかは時の首長の判断でも良いかとは思います。しかし、第一歩さえ踏み出せなかったこの教育委員会の存在価値はどこに有るのでしょうか?
 悲しいかな、同様の事なかれ主義はどこにも有ります。自分のミスや不手際を認めることを恐れて逃げようとする人や団体は数多くあります。政治屋、経済界人、メディア人、行政担当者、そして私たち一般国民などなど。そんな中で、自らの力量不足や誤りを素直に認め謝罪し、そして改めようと決意した人に対して、私たちは寛容の心と拍手を送りましょうよ、応援しましょうよ。
 教育委員会だけではありません。学校側はこのアンケートを実施した結果を受けてどのように動いたのでしょうか?この教育委員会の対応を見て、市長や市議会議員はどう感じどう対処すべきと思っているのでしょうか?大津市民はもっと声を大にすべきと思います。将来の大津市いや滋賀県、日本を背負っていくだろう生徒達が、こんな教育委員会の下で教育を受けていて良いのか否かを真剣に考えてほしいと思います。
 そう言えば、市長のコメントもまだ聞いていないですね。現市長も幼い頃にいじめを受けたと言っていませんでしたっけ。そうならいじめを受けている生徒達の気持ちも少しは理解できるでしょう。いまもいじめが進行中かもしれませんよ。もっと迅速にコメントを出した方が良いのでは?大津市以外でも似たような問題は潜在化していると思います。
 子供達の為に、大人達は勇気を出して正義を貫きませんか?子供達に「結局は先生も学校も教育委員会も市も誰も何もやってくれない。みんな自分の立場を守ろうとするだけで私たちの事を考えてはくれない」などと思われてはいけません。彼らが大人になって「人のことより自己保全だけをすることが正しい事だ」と思い込ませない様に、今の大人達がしっかりとした対応を求められていると思う次第です。
 以上この問題をTVで見た私の感想です。

東京スカイツリー

2012-06-29 08:53:17 | 日記
一昨日の27日に妻とスカイツリーに行きました。公開前の時、外側からその姿は見ていましたが、今回初めて中に入りました。団体旅行は好きでないので、ネットで申し込み抽選に当たったのです。梅雨の真っ最中であり、一週間前から天気予報を気にしていましたが、所詮は天気予報。当日にならないと分からないものです。で、当日は日差しも程ほどで湿度もあまりなく快適な日和でした。13時入場なので10分前に行きましたが、専用ゲートは既に300人以上も並んでいました。でも受付カウンターは8つ並んでおり、意外にスムースに入場できました。ただ、7月11日からは当日入場が出来るので、この何倍も混雑するのだろうなと思いました。先ず感嘆したのはエレベーターの静かさと早さです。1分もしない内に350mの展望デッキに着きました。しかも、昇降始めと終わりは普通のエレベータ独特の重力を感じる違和感が殆ど無かったことに技術の高さが覗われます。
 展望デッキに到達するや否や、皆さん「ウォー」という歓声です。西方の山々や地平線は霧がかかっていて見えませんでしたが、それでも都内一望できました。ここは窓がオーバーハングしており、直下の町並みが望めます。妻は恐いと言って立ちすくんでいましたが私はGoogle Earthと同じ光景に見入ってしまいました。このデッキは早々に引き上げ、450mの展望回廊に向かいました。ここでのエレベータも快適且つ早い。また外の景色も見えるので爽快です。展望回廊での景色は展望デッキとはひと味違います。スロープを上りながら最上階に行きます。360°の景色を堪能しました。東京湾やお台場、千葉房総も見えました。埼玉など北関東側は晴天模様なので相当遠くまで見えたのですが、何がどこなのかはさっぱり。新宿副都心や皇居、池袋などは勿論、多摩地区の方まで望めます。ここは直下の町並みは見えませんが、それでもGoogle Earthを見ている様な錯覚になりますが、京成電鉄や東武電鉄などの電車が動くことで、そのとの違いが分かります。妻は「もし今地震が来たらどうなるだろう」と懸念しましたが、どうなるかはその時のこと、考える必要などないと一蹴。「ソラカラポイント」として最高到達点(451.2m)を記した柱があり、大勢の人が記念写真を撮っていました。私も。展望回廊をゆっくりして、展望デッキに戻りました。改めてここでもゆっくりと回りの景色を堪能し、スカイツリーカフェでコーヒーなどを飲みながら一休み。ここでは直下が見下ろせるガラス床がありました。大勢がその上に群がっていて下を見るのが大変、それでも何とか写真が撮れました。これでスカイツリーは終わり、地上に戻りソラマチタウンを散策。ソフトクリームを食べて4F→3F→2F→1Fと土産物店などを一通り巡り歩きました。平日にもかかわらず人が溢れるほどでした。がゆっくり歩いたのでそれほど疲れは有りません。蔵前のホテルに宿泊し、翌28日には国立新美術館→ミッドタウンに立ち寄り家路に着きました。天気予報が外れたおかげで天気も良く2日間楽しめました。またいつか行きたいですね。
<写真はツリー最高到達点と、展望回廊から北側風景(荒川と隅田川の分岐が分かる)>

梅雨の合間の鎌倉散策

2012-06-18 19:19:56 | 日記
 本日、妻と鎌倉に出かけました。昨日の天気予報で今日は雨は降らなさそうだったので急遽出かけました。藤沢駅から一日乗車券を買って江ノ電に乗り、先ずは長谷寺へ。
ここは、あじさいが咲くピークはやや過ぎていた様ですが、十分に堪能できました。種類の多さもピカ一で、本堂の裏手の斜面に咲く多種のあじさいに訪れていた多くの人も感嘆していました。花菖蒲も数は少なかったのですが、見頃でしたね。私たちは10時頃に着いて散策をしたのですが、人が段々と増えて、寺を後にした1時間後は小学生団体も加わり、あふれるほどでした。その後は、山あじさいが主の光則寺に立ち寄り、鎌倉に出て昼食を取りました。
 昼食後は鶴岡八幡宮に行き、例のイチョウの育ち具合を確認しました。昨年1月に行った時は、階段横の倒れた方の根からは100本を越える程の新芽が伸びていたのですが、今日行くと、その根は朽ちて、たった1本(~2本有ったかどうか?)の新芽が有るだけでした。長さも50cmを越えた位で、昨年との違いに驚きました。勢いの良い1本だけに絞ったのか、自然に1本しか残らなかったのかは不明ですが何とも寂しい情景でした。一方、移植した幹側のイチョウの太い幹からは新芽が10箇所程から10~20cmほど伸びていて多少は頼もしく思えました。これらの新芽が親の幹に劣らないほど成長するのは、数百年後先でしょう。(多分、結構長生きしないと確認できないだろうなと思いながら・・・)
植物の復元力に驚きながらも、年々大きくなっていつの日か親を越える大木になってほしいと思います。
 その後は、江ノ電で藤沢方面に戻り、成就院と極楽寺に立ち寄り帰りました。
月曜日という平日でしたが、年寄りと外国人の多いのは覚悟していました。でも、それ以上の人々に若宮大路や小町通りは占拠されている様に見えました。
世界遺産登録準備中でもあり、街中は整然とし清潔感も漂っていました。でも、世界遺産に登録されたらもっと観光客が来て混乱するのではないかと感じます。登録云々も大事かも知れませんが、ほどほどで十分な気もします。
 時々日差しも有り、日傘を差す婦人も多かったのですが、この日傘の先は一寸した凶器ですね。すれ違ったり、追い越したりする度に日傘の先にヒヤヒヤしていました。もし、これが顔や目に当たってケガをした時の責任はどうなっているのだろうかと思わず考えてしまいました。
 非常に蒸し暑くて、家に着いた時は疲れがいっぺんに吹き出してしまいました。
次回の鎌倉は「北鎌倉」を中心に行きたいと思っています。今回は電車で行きましたが、早く出かければ駐車場の空きも余裕有るだろうし、自動車の方が疲れないかも。
今日は早く寝よっと。
<写真はいずれも長谷寺です>

大飯原発の再稼働に際し、原発を考える

2012-06-15 09:56:05 | 雑感
 関西電力の大飯原発再稼働がいよいよ始まりそうです。大飯町議会の承認も得て、賛成方向の福井県知事に提出されました。
 原発論争は各メディアのみならず、広く国民の間でも話題となっています。知識人によっても賛否両論ありますが「原発そのものの問題」と「電力エネルギーの問題」とが入り乱れて、どちらを重視するのか(その人の?)立場によって異なっています。
原発稼働が自分の利益になると考えている人は再稼働賛成、福島原発事故で被害を受けた人や利益や恩恵を受けない人、何となく不安を感じている人は反対といった具合です。原発で最も恐いのは放射能漏れであることは間違いありません。核反応を起こす際に放射線が発生するという自然現象を止めることは不可能に近いでしょう。
 ところで、私はというと「条件付き賛成」という立場になります。
私の言う条件とは何か?それは
 ●核反応を起こしても放射線を発生させない、または原子の状態でブロックできる
  技術をもっていること。
 ●万一、放射能が漏れて飛散しても、人間や動植物が被爆しても、速やかに(例え
  ば数日内)除染できること。(限度超の被爆を瞬間的に受けた場合、死に至のは
  止む無しと考える。大きな交通事故を起こして死亡するのと同じで、これまで
  否定することは自然の摂理として行き過ぎだと思う)
 ●使い終わった核燃料廃棄物の処理が一般金属ゴミ並レベルとなること。
  (要は放射線を発生させない状態にすること。一般金属としてリサイクルも良い)
以上の3点です。
 要は、「安全」という考えが「事故を起こさせない」を念頭にしているのに対し、私は「事故はいつかは起きるもの。起きても被害を大きくさせない」という考えである。
例えば、東日本大震災で発生した地震や津波の何倍もの災害の場合はどうしますか?
東日本大震災は千年に一回の災害だと言われますが、それが一万年/十万年に一度の災害発生時はどう言い訳するんだろうと思う。その時は不運だったと諦めてもらいますか?原発事故は十万年どころか百万年に一回でも起きては多過ぎると考えています。かといって、ここまでの災害を想定して対策をとることは非現実的です。
 私は原子力という超膨大なエネルギーの有効活用はこれからも不可欠だと考えています。だからこそ、前記の様に原発事故が起きても被害が小さくなる様に研究を進めなくてはならないでしょう。その見通しさえ無い現状においては、人類にとって原発の稼働は時期尚早と言えます。安定した代替えエネルギーの実用化・補助を訴えます。
 第一、N国やC国からミサイルで原発を攻撃されたら日本は即白旗を揚げるだけでしょうか?この時日本は死の国となるのを受け入れるのでしょうか?こちらの方が超地震や超津波の発生する確率よりも大きい気がします。その備えが出来ているとは思えません。
 日本は唯一の原爆被爆国です。被爆者やその子孫の人たちは今なお厳しい生き方をされています。(非情と非難される言い方かも知れませんが)日本ではそういう経験を持った被験者がたくさんいたのに、放射能除去技術は遅々として進んでいなかったというのが現状ではないでしょうか?これで良かったのでしょうか?行政機関も研究者・科学者もメディアさえも、そして私たちもこの機に反省し、放射線・放射能に立ち向かっていかなくてはならないのではないかと思います。
 私は大飯原発や他の原発施設のある地元の人たちが言う今日明日の生活も分かります。しかし今直ぐではなくとも、大局的に考えてほしいと望んでいます。我々は目先の利益ばかり追っていると、いずれ我々の子孫に大きな負担を強いるようになります。
最近でも、このことは年金問題で十分勉強したではありませんか?

 

リサイクル率100%とは何か?

2012-05-25 18:41:28 | 雑感
 先日、平塚市のとある製造工場を見学に行きました。
ここは、市街地の真ん中にある故、騒音や異臭、大気汚染、水質汚染等などに対しての環境整備に相当力を入れている様子でした。
 今回の工場見学も、製造工程ではなく、環境対策に関する施設などを見学しました。
さすがに、大企業らしく、工場周辺には植林活動の盛んなことが窺い知ることができました。地域住民との交流や全国の緑化活動にも力をいれているそうで、工場内ではその為の育苗場まで設けてあります。
 また、工場内のゴミ処理場も清潔でした。
私はここで説明していただいた方に質問しました。
「この工場ではリサイクル率100%と自慢していましたが、ここのゴミは工場を出た後、どう処理されているのですか?」
すると、「どうしているのか、知りません」との答。
そこで尽かさず「では、リサイクル率100%と言うのは、ここに集められたゴミは敷地内で焼却等されずに100%外部に引き取られているということですか?」
「その通りです。どこでもそうして計算しています」
 私は驚きました。リサイクル率ってそういう定義なんですか?
工場内で発生したゴミが全部工場外に運び出しただけで100%っておかしいと思います。
外部に持ち出されたゴミが一部焼却されたり、埋め立てされたりしても知らないよと言っているのです。
これで良いんでしょうか?
リサイクルの定義は「ゴミを資源として再利用、または有価物を回収・再生して有効利用すること」です。最終処分がどうなったかも把握しないで、リサイクル率100%なんてよく言えたものです。
そんなこと言ったら我が家も100%です。
発生したゴミは自宅内で焼却したり、土に埋めたりせず、廃品回収に出していますから。
廃品回収以降、最終処分がどうであれ「私は知らないよ」と言っている様なものです。
自分で出したゴミの最終処理がどうなっているのかを把握することで、本当のリサイクル率が分かるのではないかと思います。きちんと最後まで掌握するのは大企業なら当然すべきと考えます。ちなみに、そう言う意味での我が家はリサイクル率30%位でしょう。
 なんか言葉だけが都合良く使われ、それが大きな宣伝材料となっている気がします。
近年、やたら新語が生まれ、また略語も生まれています。こういった言葉を十分知らないと、気付かないうちにダマされてしまう。企業や科学だけでなく、政治や教育等の場でも起こり得る事です。
そんな気がしてなりませんでした。

民話に学ぶ

2012-05-15 15:11:39 | 雑感
 私は最近ホームページを立ち上げまして、その中で神奈川県西地方の民話を紹介しています。今日も町の図書館へ行って民話の情報を集めてきました。その一つに「左地蔵さん」の話がありました。合掌している地蔵さんも多いのですが、普通の地蔵さんは左手に宝珠(ほうじゅ-たま)、右手に錫杖(しゃくじょう-杖)を持っています。しかし、山北町の山市場(やまいちば)にある地蔵さんはそれらを左右逆に持っていたのです。
 昔、このことから山市場村の人たちは「縁起が悪いのでは?」「作り間違えだろう」「よその人からバカにされる」など迷惑がっていた。更には「村が栄えないのは、この地蔵さんのせいじゃないのか?」とまで非難を浴びせていました。そこで村人たちは、この地蔵さんを川に捨ててしまったのです。ところがそれ以降、地蔵堂以外の村の全ての家が全焼したり、疫病が流行ったりして何人も亡くなってしまった。そこで村人たちは「これは地蔵さんのたたりだ」と悟り、川から地蔵さんを引き上げて念仏を唱えて許しを乞うた。それ以降は火事も疫病もなくなった・・・というお話です。
 地蔵さんに限らず、魂の入った仏像や宝物や彫り物などの人工物から、大木など自然界でも際だった物に至るまで、それらを意味無く壊したり、無造作に扱ったりすれば災いが降りかかってくると言う話は多数あります。現代では、「物を大切にしましょう」という昔の教えから生まれたおとぎ話と言う方も、非科学的と言う方もいらっしゃるかと思います。
 私は「丹精して作ったり育てた物を大切にしない」という人には、いつかその報いが来るという教えに共感します。また、うわさ話に翻弄されたり、簡単に物事の責任を他人に転嫁したりするという心の狭さや汚れが、いつしか仇(あだ)となって我が身に降りかかる時が来るのも自然の摂理だと思います。こんな事を言うと宗教じみていますが、私のとらえ方はそんな「宗教」なんて言う狭いものではなく、もっと広い「人の心の奥深さ」を感じるのです。また時代も関係ありません。人の心の弱さはどの時代も同じです。
 特に人が汗水流して作った物や、育て上げた物にはその人の知恵や愛情等が詰まっています。そういう物を大事に感謝して使わせて頂く、食べさせて頂く気持ちが人として大事だろうと思っています。私はまだまだそういう心の持ち主になるには遙かに遠い人間ですが、少しでも近付きたいと思います。
 一つの民話をじっくり読んで、改めて自己を振り返ることが出来たと思う次第です。

今の若い奴らはどうしようもない・・・ン?

2012-05-09 19:47:29 | 雑感
 先日、○○教の方が我が家を訪れて、「今の若い人たちはどうしようも無い人が多いとは思いませんか?彼らの言動を直させなくてはならないと思いませんか?私たちはそういう若者に対して教えを伝えたいと・・・」と話しかけて来ました。私は即座に答えました。「そのどうしようも無い若者達を育てたのは、あなたや私達年代の人間ではありませんか?若い人たちにとやかく言う前に、私を含めたその年配者を直すのが先でしょう?そう思いませんか?」
○○教の方は「・・・そうですね」と言って、そくそくと退散しました。
宗教の勧誘であることは直ぐに分かりましたが、私はその方面に興味はありませんし、この話は宗教とは別次元のことです。
私の周りでも「最近の若い奴らはどうしようもない、オレ達が若い頃はそんなことはしなかった」と言っている年配者やオヤジ・オバサン連中が結構います。
でも、私は(天の邪鬼な性格の為か?)その様に考えたことがありません。若い人たちはその時代に一生懸命生きているのです。彼らは未来の星であるし、将来の日本や世界を担おうと頑張っているのですから。
 確かに若者達には犯罪を犯したり不道徳な者が少なからずいます。悪いことは世間の目に映りやすいものでメディアも過剰な程に取り上げています。でもこういう人間は年配者でも数多く見受けられます。よくTVでも報道するでしょう。「危険な河川敷での迷惑ゴルファー」や「立ち入り禁止区域に無理矢理入り込んでの釣り人」、「近くの横断歩道を渡らず道路を横切る人」等々。これらは人生の先輩達が非常に多いですよね。その人たちを差し置いて若者達に説教するなんてもっての他です。
 今の若者を嘆く人生の諸先輩達は昔を思い出してください。あなた方が若い頃、大人達に同じ事を言われたことはありませんか?そして「何言っているんだ、年寄りに俺たち若者の気持ちなんか分かるもんか!」と憤慨した覚えは有りませんか? そう誰でも若いときは同じ様な事を言われたものなのです。それで良いんです。年配者のいいなりになっている若者は大成しませんし、時代の進歩もあり得ません。時代と共に人の生活環境も考え方も変わって当然なのです。太古の昔から、そうソクラテスでさえ若いとき同じように言われたそうです。
 でも「今の若い者は・・・」と言いたくなる気持ちも分かります。しかし次の時代は若者達が継いでもらわなくてはならないのです。ほどほどに「今の若い者は・・・」としておき、私たち年配者は若者にお手本とならない様な行動を慎みましょうよ。我々は人生の先輩となったのですから。今の若者達には大いに期待しましょう。いつの時代でも頼もしい若者は沢山います。

嵐が去って

2012-05-06 17:25:56 | 日記
 5月3日から、娘とその子供達2人、5日からは娘婿が我が家に来訪し、本日の午後過ぎに帰った。孫は小学2年生と1才1ヶ月の共に男の子。下の子はまだ歩けないが、もう一息の感じ。ところが我が家に到着早々、娘が風邪気味となり(もしかしたらB型インフルか?とも思ったが結果は普通の風邪)、別室隔離静養させ、翌4日には休日診療所へ。更に下の孫までが風邪気味となり翌5日には小児科医が出勤する総合病院へと。いずれも処置が早かったせいか、本日は殆ど直って帰って行った。
 娘は5日午前中までは殆ど寝ており、この間、孫の世話や遊び相手を夫婦交代で見ることになった。必然的に妻は食事の支度があるのでウェイトは私の方にのしかかってくる。上の子は一人でビデオを見たり、工作をしたりする事も多くそれ程手はかからない。しかし、下の子は家中を這いずり回り、階段を上るわ、落ちているものは何でも食べてしまうわ、手にしたものは投げつけてしまうわ等々目を離すことができない。たまに抱きかかえことも有るが、腰に負担が来てしまい軟膏をベタベタと貼る始末。食欲も旺盛で大人の食べ物にも興味を持って取ろうとする。おちおち食事も出来ない。さりとて上の子を放っておき下の子ばかりに目を向けているのも教育上好ましくないので、相応の会話や一緒に遊ぶことも大切である。勿論二人とも愛嬌もあり可愛いし順調に成長しているので、我々夫婦も世話のし甲斐はあるが、その分張り切り過ぎてしまうことにもなる。
 そんな戦争状態が本日去った。気が抜ける様な感じと、寂しい思いが交錯する。
昨日は、息子側も嫁さんと子供をつれて来る予定だったが、娘が風邪を引いていたので来なかった。来たら尚戦闘激化していただろう。少しは助かったという気がする。孫が散らかしたオモチャや食べカスなどを片付けながら、ちょっと感傷的になりました。
 さて、これからは普通の生活に戻ることになるが、天気の具合を見て庭木の手入れ/消毒や草取りをしなくては、それにプランター野菜の手入れ、書道の練習やホームページの保守等々が目白押し。自治会活動も開始されるし、環境活動の準備もしなくてはならない。義父が安定している間に温泉にも行きたいし、そういえば3箇所の病院にも行かなくてはならないし、妻から玄関ドアのペンキ塗りも頼まれていたっけ。忙しい日々が続きそうだ。
 嵐が去って、別の嵐が来そうなゴールデンウィーク最終日でした。・・・疲れた。

Netがつながらない!

2012-05-05 10:29:05 | 日記
 5月1日昼間、急にNetがつながらない・・・という事態に陥りました。3台のPCを持っていますがいずれも使えなくなりました。と言うことは当然ルータ(無線)が原因として考えられます。慌てて、ルータの取説を確認して色々試みるもダメでした。最後はルータをリセットして最初から始めたのですが、何をしても取説にも載っていないランプ表示(All橙色)で変化無しとなり、全くのお手上げ状態となりました。当然PCメールは送受信出来ないし、これはもうルータ交換しかないと結論づけました。
 ・故障等の対応例のネット情報が得られない
 ・どのタイプが良いのかPCで探せられない。
 ・ネットでルータが買えない
という状態には、ガックリしました。
子供達の家に行って調べることも可能でしょうが、こんなことで訪問するのも迷惑でしょう。普段、携帯でのネット利用はしていない私は、唯一のネット情報収集手段が断ち切れたのです。(携帯電話ネットを利用しないのは、今の携帯会社のサービス担当(責任者クラス)の対応に不信感を抱かされた経験があり、通話・メール・電子マネー等以外の費用のかかる機能は使わないことにしています。会社を変えたいのですが、家族がその会社を使っているので通信費の面でやむなくそのままです)
今まで当たり前のように使っていたネットですが、使えない生活が如何に不便かを思い知らされました。勿論、ホームページもアップロード出来ないし、このプログ更新も出来ません。生活が不可となる訳ではないのですが、この状況に参りました。
 私は、現在ネット社会に生きており、生活の道具として何気なく使ってきましたが、考えてみると他にもたくさんあります。
最近話題となっている「電気」を始め、「飲料水」「下水処理」「ガスや灯油」「ガソリン」「新聞」「郵便」「宅配便」「電話」等々日頃何気なく無意識に利用しています。これらが無くなったらどうなるのか?を改めて考えさせられました。そして、安定して供給されたり入手できる事に感謝しつつ、万一の時の対応を検討しておかねばと痛感させられました。
 昨日夕方、ルータを近くの家電量販店に行ってそこで各社製品を比べて購入しました。早速、取り付けてセッティングし、つなげる事が出来ました。一安心です。将来iPadが外出先でも使えるWi-Fi通信のできるものを選びました。

結婚記念日に思う

2012-04-29 09:20:43 | 日記
 今日は私たち夫婦の結婚記念日です。既に38年が経ちました。夫婦の仲は普通と思いますが、特に大きな諍いもなく今日まで来たものです。後何年一緒に居れるかは神のみぞ知る事ですが、金婚式(50年)を目指していきたいと思っています。
 時々、どちらが先に逝くかとか、一人になっても生活できる様に準備が必要だとかという話も出てきます。同時に亡くなることは無いだろうし、危険な持病の多い私の方が先に逝くだろうとは内心覚悟は決めていますが、こればかりは分かりません。いずれは死を迎える訳ですが、かつて疑似体験(だと思っている)をした私は、思いの外「死」に対する恐怖やとまどいは有りません。
 「死」に関する私の考えは後日談として、結婚後の今までを振り返ってみると、厭なことは殆ど忘れています。妻は昔の些細な話を蒸し返す時が有りますが、楽天的な私はその事自体を思い出すだけで一苦労だし、それでも当時のいきさつ等詳しい経緯は忘れ切っている程です。妻にとっては「些細」では無かったのかも知れませんが・・・
 思い出すのは、新婚当時や子育ての時の楽しい事ばかりです。子供達も成人となり、社会人となり、そして恋をして家庭を持つようになり、また彼らが子育てをしている。その子供達も人に優しく愛嬌のある子に育ちつつあります。そんな順繰りの状況に小さいながら「幸せ」を感じられる事がまた嬉しいことです。
勿論、順調にここまで来た訳ではありません。確かに辛いこと、悲しいこと、やり場のない空しい時も、悔しいことも沢山経験しました。自分の行為を恥じたことも、隠れて涙したこともありました。それらは楽しいことより遙かに多かったことも事実です。でも私の持論としての「1割の幸せの為に、9割の苦労や悲しみ等を乗り越えていくのが人生だ」という信念でしたので、今の自分が有るのかなと思っています。
 自分同世代の人たちを見ると、多くは夫婦仲が悪いことや、子供達が家庭を持たず親と同居したままだとか、子供が非行に走っている/職がない等々家族が今一つうまく廻っていないと思われる家の多いことには驚かされます。家庭ごとに色々な事情があるので、他人がどうのこうのという資格はありませんが、我が家の事だったら私は潰れていたかも知れないと感じます。でも明日は我が身かもしれません。気を引き締めなくては。
 結婚記念日の今日、改めて家族の暖かさと大切さを感じ取ることが出来ました。妻に感謝しています。子供達や孫達にも。