ツアーコース表
B班コースで周遊いたします。
渋沢栄一と佐久地域の接点について
渋沢栄一は、14才から父に従い信州の佐久・上小地域の紺屋を巡り商いを学び、16才から23才までの多感な時期に年4回、藍玉の商売を行っている尾高惇忠やその弟の長七郎らとともに父に代わって商いをするようになった。
父のすすめもありその度に佐久下県の木内芳軒宅を訪れ、宿泊し一緒に詩を詠み、語り合うことを楽しみにしていた。
「順信紀詩」「青淵詩存」にその時々の詩が多く残されている。
さて、この度のツアーの概要は渋沢栄一、尾高惇忠らが佐久に訪れた時に立ち寄った場所やその足跡の一部を垣間みようというものである。
さらに、藍染の体験を通し藍染めの魅力を感じていただければと思い企画されたものです。
実際のコースにしたがい、写真を通してツアーの様子をみてみましょう。
(下写真は、以前、神社内に入れたときに撮影したものです。)
最初の立ち寄り場所。岩に刻まれた「内山峡詩」の詩碑です。
現在は、詩碑のとなりにある肬水(いぼみず)神社の岩が崩れ落ちてしまい工事中のため、神社の場所まで行けません。下の歩道から観ました。
お客様は、坂田先生の説明を熱心に聴かれていました。
次は、今回のツアーと直接関係ありませんが、この地では有名な「考勇亀松」(長岡亀松)の碑の場所に移動します。(揮ごう:勝舟)
この場所は、藍染体験をしていただく、「伝泊の宿 つたや」の道向かいにあり寄っていただきました。
亀松は、天明8年(1788年)9月25日 父・惣右衛門に連れられて、オオカミやイノシシなどからの作物の被害を防ぐための番小屋にみはりに出かけた。
父が番小屋に、亀松は周辺で薪拾いをしていました。その時、番小屋から大きな声が聞こえました。父がオオカミに襲われ顎をかまれたいました。亀松は持っていた鎌をオオカミの口に入れ追い払おうとしたが鎌の柄が折れ、オオカミに襲われそうになったその時、オオカミの両目をめがけ指を差し込んだ。視力を失ったオオカミは林の中に駆け込ませ退散させた。
というようなお話です。さらにこの事件が幕府の役人の耳に入り、褒賞されたということになる後日談も面白くなりますが、この辺で先は割愛させていただきます。
さて、それではお楽しみ「伝泊の宿 つたや」で、藍染体験です。
「伝泊の宿 つたや」URL: https://uchiyamatsutaya.com/infomation.html
藍染めののれんが下がり、趣きのある玄関
なかなか雰囲気のある宿です。
建物の中に入ると囲炉裏の火が迎えてくれ、日常から離れた場所に気持ちを運んでくれました。
まず、染める布を折ります。皆さん熱心!
これを、庭に準備された藍の液に浸け込みます。
横を流れる川に入り、藍染の布を洗います。
そしたら、庭で藍染めの布を干します。
不思議ですね。同じようにやっている筈ですが、模様も色の濃さが同じではないですね?
オーナーの岩崎さん作者の個性が出るそうですよ。
干された藍染め布を前に、岩崎さんの説明を熱心に聴きました。
藍染め布が乾くまで待つ時間に、囲炉裏を囲みおやきをいただきながら話に花が咲きます。
お疲れさまでした。
次は、田中翁碑(田中徳重)をバスから見学し、橘倉酒造へ向かいます。
田中徳重について
明治の初期(1871~)徳重は家督を相続せず、独立しこの内山峡からの河川による洪水と氾濫により荒れ果てた郷土の農地を守るため、私財を投じ堤防の造改修し河川の氾濫を防ぎ、7,000 坪(5.6ha)もの水田を開拓した。
橘倉酒造に到着しました。早速、2階の「不重来館(ふじゅうらいかん)」へ!
会長の井出民生さんに説明していただきます。
「資料一覧」
驚くような巨人、偉人たちの数多くの書物が展示されています。
それにしても、橘倉酒造 井出家の人脈、これらの方々との親交には驚きました。
渋沢栄一の書
世の大事なことは時を経て成し遂げられる。それには誠実な姿勢こそが肝要である。・・・という意味に口語訳してみました。
渋沢栄一の書「中願執」
本来の道は中間にあるということ。これは「内山峡に詩碑」の中間以降で言い表している「理想論ばかりではならないし、金銭にとらわれ、あくせくと目の前の事象だけを追いかけてはならない。」とする部分に共通する意味にとれました。
橘倉酒造の奥にある宿泊施設「KURABITO STAY」入口。
酒造りの職人たちが宿泊していた場所を宿にしたそうです。
さて最後の訪問地「木内芳軒生家」です。
木内芳軒宅の庭にある詩碑は、芳軒の孫らにより建立された。
渋沢清淵(栄一)詩「寄題 木内氏呑山懐学壑楼(どんざんかいがくろう)」
木内芳軒詩「送象山先生西上」
本日の参加者は、お隣の木内家の庭園を散策しながら帰路につきました。
お疲れさまでした。
半日のツアーでしたが、現物を観ながらの説明で、お客様は多くの質問もあり、木内芳軒と渋沢栄一、尾高惇忠らの足跡について、理解が深まり満足していただけたのではないでしょうか。
皆様、ありがとうございました。では、また。