エネルギーを出し切る
去年から有料放送(WOWOW)に加入しているのだが、時々バレーダンサーのドキュメンタリーをやっている。
先日観た番組は、元ボリショイバレー団で20年以上、プリンシパルのバレリーナだったニーナ・アナニアシヴィリ に密着取材していた。彼女は現在、故郷グルジアに戻りバレー団の監督をしている。
バレーのレッスンや公演などの様子は、とても興味深く面白かったのだが、その中で印象に残ったシーンがあった。
彼女には幼い娘さんがいるのだが、太極拳を習わせており、一緒にレッスンについていくシーンの事だ。
小さな娘さんが、集団レッスンで太極拳の緩やかな動きをしているのだが、元プリマバレリーナは、遠くから娘さんを見ながら、手の動きとか身体の動きについて指示していたが、これは当然だ。
面白かったのは、レッスンの後、幼い娘に「エネルギーは最後まで出すのよ」と言っていたことだ。
バレーの苦しさ
ソロでバレーを踊るのはとても苦しくて辛いそうだ。
1分から3分の間、全力で踊り切ると息が続かなくなる。しかし、苦しそうな表情を微塵たりとも出してはいけない。一つの踊りで消耗しきってしまうこともあるという。
しかし、世界の頂点を究めたプリマ バレリーナはエネルギーは最後まで出し尽くせという。
自分がすっかり忘れてしまっていた事を思い出させてもらった。
エネルギーは出せば出すほど入ってくる
以前、気功の呼吸法を習いに行っていたことがある。
その流派の創始者である西野先生は、もともとバレーダンサーであり、バレーの苦しさの話は先生の著書の中で知ったことだ。
同じ本で、気のエネルギーは出せば出すほど入ってくると書いてあった。
実際、気功の練習に行くと、どんなに疲れていても身体にエネルギーが満ち溢れるのを感じた。
力の出し惜しみ
前回、視力の件で、結局、近視も老眼も両方とも眼鏡をかけることをやめたことを書いた。
問題は、自分は目のピントがあわないことへの不安と怖れがあって、調整力を使うことをためらっていた。
即ち、力を出し惜しみしていたように思うのだ。
そんな訳で、このところ、何かに取り掛かるとき、エネルギーを出し尽くそうと心の中で叫んでいる。
勉強しかり、対人関係しかり、筋トレも出来るだけ頑張るようにしている。
さて、なぜ自分は力を出し惜しみしていたのだろうか。
最大の原因は不安感である。
視力では、目のピントが合わないことで眼精疲労になりたくないという不安感であり、筋トレも、頑張り過ぎると腱や筋肉を傷めるのではないかという不安があった。
それで、老化を言い訳にして、何ごとにも力を出し切らないまま、最後までやり切らない状態になっていたのだと思う。
思い悩むな
力を出し惜しみする事に至った不安感について、ぼんやりと考えていたところ、朝の礼拝で以下のような聖書の一節が紹介された。
以下、引用
新約聖書:マタイによる福音書6章25,31,32,33,34
思い悩むな
25:「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
31:だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
32:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
34:だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
引用終わり
ネットで見つけた牧師さんの説教から、大事な部分を引用させてもらいます。
http://www.nishitani-church.jp/blog/2009/07/post-199.html
【思い悩みは自害行為】
思い悩みは、それ自体まるで一つの人格を持っているかのように、どんどんエスカレートし、私たちの意思に反して私たちと論じ、ああ言ったかと思えば、こう答え、ついに私たちをとりこにします。
色々な人に相談し、アドバイスを求めても、本気で自分がそこから抜け出たいのか分らなくなるほど、思い悩みは私たちをとりこにします。
誰かが親切に熱心にアドバイスをくれても、「ありがとう。確かにそうですね。でも今はそれで良いかも知れませんが、来月は、来年は、どうなるのでしょう。本当に大丈夫でしょうか」
と、思い悩みは巧妙に先へ先へと際限なく不安を広げ、ついに私たちから神への信頼を奪い取り、神への不信を増長させ、時には正常な精神をも破壊しかねません。思い悩みがサタンの手口だというのは、こういうことです。
引用終わり
感想
やりたいこと、やらねばならないことに対して、全力で対応しない理由に、思い悩んで力を出し惜しみすることが根底にあったようだ。
自分の心の中には色々な不安が常に浮かんでは消えていく。若いころにくらべたら随分ましになったと思う。
しかし、まだまだ心の中に澱がたまっているかのように1杯蓄積しているようだ。
最後までエネルギーを出し尽くそう、そう思っても、あまり疲れすぎたら・・・・と考えてしまっていたことが問題だったのだろう。
疲れたら休めばいい、そう思って何事にも全力でぶちあたろう。