道東を発見する旅 第3の人生

80を超えると悩みがなくなる、悩みの先は輝く、泣きだしてしまうとなぜか変な声

待ちに待った連休が始まりました。

連休の始まる前日、金曜の夜、うちの職場では新人歓迎会をしました。

私の発案で、どうせやるなら連休前のウキウキした気分の時に、それも去年入職した女性たちに幹事を、という事でやってもらったのですが、参加者は普段の5割増し、会も大盛会でとても楽しい宴会でした。

さて、連休が終わると、今度は「5月病」という厄介な病気になる季節です。これは適合障害だそうで、その背景には新しい環境にうまく馴染めないという若者特有の「悩み」があります。

今回は新聞の書評欄で見つけた「悩む」事に関連する詩を集めた本から、自分の心に残った部分を紹介します。

引用元
大人になるまでに読みたい15歳の詩 なやむ 蜂飼耳編 ゆまに書房より引用

まず、超有名な詩人、谷川俊太郎の巻頭文 「悩みとともに」 iiからivページから引用開始(小見出しは自分がつけています)

80歳を超えると悩みがなくなる

八十を超えた自分に、いまどんな悩みがあるのだろうかと考えてみると、個人的な悩みはもうほとんどないと言ってもいいような気がします。

若い頃は悩んでいることには、解決があると思っていました。

年取ってきて、解決がない悩みもあるということに気づくようになると、もうそれは悩みではなくなる。

解決のない悩みはいったいどうすればいいのか、解決しないままの悩みと一緒に生きていけばいいといまの私は思います。

そうすると悩みが悩みでなくなって、何か別のもの、生きることの複雑な味わいのようなものになっていく。

詩は悩みを変質させる

悩みをそんな風に変質させるものは、やはり言葉、それも散文よりも詩の言葉かもしれないと思います。

私たちがふだん使っている言葉は、ほとんどが生活している現実に張り付いた実用的な言葉です。

でも詩の言葉は良かれ悪しかれ現実から少し浮いている。浮いていることで、現実べったりの視点を、もっと俯瞰的な視点に変える。

共感することで心が解放される

言葉は一方では人を意味の囲いに閉じ込めますが、他方では人をそこから解放する働きを持っています。

詩は散文と違って言葉の意味ではなく、音楽と共鳴する言葉の声、言葉の調べがあるのです。そこでは理性的な解決よりも、共感による心の解放が大事になります。

引用終わり

ここまでの感想

詩人は、80を超えると個人的な悩みがほとんどなくなると言っています。

自分も40代の頃を思い返すと、毎日が今よりも、もっともっと息苦しかった事を思い出します。将来への漠然とした不安、健康への不安など、辛く苦しかった悩みを思い出すと、今はすごく生きる事が楽です。

さて、谷川氏俊太郎氏は、続けて「詩集を読むことは、好きな詩と出会うことであり、恋愛と一緒でまず好きにならなければ詩の世界に入って行くことができない」と書き、そして「詩が難しい、分からないという人は、好きな詩に出会っていないからである」のであるから、どんどん詩を読もうと書いています。

私も詩が分かる訳ではありませんが、この本に掲載されている90編の中に、気に入った詩がいくつかありました。

その中から2つ紹介します。一つは読んでとても分かりやすい詩で、もう一つは難しいけどなぜか心に残った詩の2つです。まず分かりやすい方からです。

八木重吉「暗い心」

ものを考えると

暗いこころに

夢のようなものがとぼり

花のようなものがとぼり

考えのすえは輝いてしまう

感想

誰でも悩んで色々考えます。暗くなった心が悩んだ末に明るく輝いていしまう、という妙に明るい言い回しに、作者の未来への強い意志が感じられるようです。

私は、なぜこの詩人が、こんな綺麗事の世界をイメージ出来るのか不思議に思い、詩人についてネットで調べてみました。

以下Wikipediaとネットで調べた内容を紹介します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E9%87%8D%E5%90%89

この詩人は大正時代に活躍した人で、学校の教諭だったそうです。しかし、結核に罹患して29歳で亡くなっています。

やっぱり、と思ったのですが22歳のときに洗礼を受けたクリスチャン詩人です。詩作を始めて亡くなるまでわずか5年で2000編の作品を残しています。

きっと真面目で頑固な人だったのでしょう。「自分の詩は、必ずひとつひとつ十字架を背負ふてゐる」と主張して、時として「詩作さえも罪悪だと考えるほどであった」そうです。ネットで次の詩を見つけたので、ついでに紹介します。

引用始まり

断章

天に

神さまがおいでなさるとかんがえた

むかしのひとはえらい

終わり

感想

自分が幼い頃、結核は死の病でした。結核の診断を受けると治療法がなく死を待つだけだったのです。戦後、アメリカからストマイが日本に入ってきて、状況は一変し治療で良くなる病気になりました。ただし、再発する場合がありますが。


だから、昔は結核と診断され、死に直面した過酷な毎日を過ごしている若者があちこちに普通に大勢いたのです。

結核に罹患した文学者が、常に死を意識しながら、死の直前まで書き綴った時代は、現代の我々には想像できないほど厳しい、しかし清冽な世界に生きていたのでしょう。

そんな背景を考えて詩を読むと、「夢のようなものがとぼり、花のようなものがとぼり」という言い回しが何とも切なく胸に迫ってくるようです。

もっと想像力を働かせれば、古代から人間は、自然の脅威に晒されながら、多くのことで悩み苦しみ、その過程で神様という概念が形成されてきたのではないでしょうか。それが完成されて苦しさや辛さから救われてきたのではないかとも思えてきます。

だから、自然の中に神の存在を見るというのは、ひょっとして我々のDNAに刻み込まれているのではないかと思ってしまうのです。

さて、次の詩は、どんな情況で何がメッセージなのか、まったく分かりません。だけど、作者の幻想的なイメージの世界が自分の心に強く印象づけられた詩です。自分でもうまく説明できる自信がありませんが、まず詩を読んでみてください。

閉められた扉の前で 吉行理恵

泣きだしてしまったら
なぜか 変な声でした

私は
夕焼けのような
桑の実を食べたのでした

桑畑の蝶を
つかまえようとして
私はすりむいた膝を抱えて

泣きだしてしまったら
なぜか 変な声でした

泣きだしてしまったら
その蝶は、また舞い降りていましたけど

感想

泣き出した自分を見ている冷めた自分

「泣きだしてしまったら なぜか 変な声でした」が、自分の心にドカンと響いてきます。

先日の歓迎会で、自分は最後に締めの挨拶をしたのですが、この詩の世界を体感しました。

宴会の最後なので、少し酔っ払っていましたが、皆の前に立ってマイクを握った瞬間、「皆さん、こんばんわ」と言葉が自分の口から勝手に出ていきます。

ちょっと声のトーンが高くなっていて、頭の片隅で冷めた自分が、「あれ、変な声で喋ってる」と思っています。しかし、それとは、まったく無関係に口が動いて言葉がどんどん出ていきます。

すると、また頭のどこかで、冷めた自分が参加者の表情を見ながら、「うん、これはいい反応だ」とか確認して、話が展開していくのです。

作者のこと

作者は、作家吉行淳之介と女優吉行和子の妹さんだそうです。兄同様、芥川賞を受賞した作家だそうで、きっと天から与えられた才能に恵まれていたのでしょう。

残念ながら、60代半ばで亡くなられています。

この方が書かれた本が今や古本屋に行かなければ本を見つけることができないほどマイナーになってしまっているそうで、忘れられた伝説のような感じです。

普通、自分でも詩を読んでいたら、だいたい何がメッセージなのか理解できるのだが、この詩はさっぱり分からない。ネットで調べても、ほとんど情報が得られないミステリアスな詩人です。

以下、自分なりの解釈です。ただ、これでいいのかどうか確認しようがない。あくまでも解釈は自分のバージョンですので、参考程度に読んでください。

原っぱで桑の実を見つけ、ラッキーとばかり食べて満足していたら、きれいな蝶が舞っていた。欲張ってそれもつかまえようとしたら、転んでしまい、すりむいた血だらけの膝が痛い。

誰に文句を言えるわけでもなく、欲張ってけがした自分が情けなくて、思わず泣きだしてしまった。すると、そんな自分を見ている、冷めた自分が、「おかしいよと自分をいさめている」というような心象風景なのでしょうか?

本音で言うときは変に聞こえる

時々、自分は、他人の愚痴を聞いてあげる(聞かされる)事があります。

愚痴を聞く場合、実にスムーズに愚痴を言う人がいます。

その逆で、ちょっとおかしな言い回しだったり、自信なさげにボソボソと言う場合、心の真実を語っているように思うのです。

韓国の沈没船事件で、遺族の人が泣きわめいているのを見ると、実にスムーズに迫力満点で泣いています。ネットで知ったのですが、韓国人の場合、迫力のある泣き方をするのが文化なのだそうで、涙を見せながらも泣くまいとする日本人とは対極的な生き方のようです。

それも合わせて考えると、あまりにも訴え方がスムーズだと話半分に聞いていた方がいいのかもしれません。本音を言葉で絞り出そうとすると、冷めた自分が変だよ、といさめるのです。

一方で、じつにうまく泣いている人は、きっと心の中で、うまく泣けていると納得しているのでしょうか。そんなとき、「変な声でした」と冷めた自分が言っていることはないのでしょう。

作者の不思議な感性

あまりに訳がわからない詩なので、梅田の巨大書店に行き、この詩人の詩集を買ってきました。

巻末の解説に吉行理恵の心の世界を象徴するエピソードが紹介されていたので、長いけど引用します。

ふつ* 清岡卓行  吉行理恵詩集、晶文社 200頁から引用します。

*原文では難しい漢字で、足へんに友です。印章に附けられた“ヒモ”で高貴な地位を表す象徴の事だそうです。

引用始まり

吉行理恵のはじめての小説「記憶のなかに」(群像1970年7月号)を読みすすんでいた時、彼女が自分の詩のある秘密をなかば無意識に淡くかたどっているような、微妙な箇所に行きあたり、私は久しく待ち望んでいたものに、やっとめぐりあえたような、ふしぎな喜びを感じたものであった。

それは敗戦後、疎開先の村から、東京の小学校に転入した、2年生の女の子の話で、彼女が自分をモデルにしているのは明らかである。

            先生が質問します。

            「上品な色とは どんな色ですか」

            「灰色です」

            私は答えます。
            
            「へえ、灰色が上品な色ですかね 鼠のからだの色ですよ」

            と先生は幅の広い肩をすくめます。すると、教室が笑いの箱に変わってしまいます。    
            ここから逃げ出してしまいたい、と思いながら、私は唇を噛んで、俯いています。

この女の子の主観にとって、<上品な色>、いわば知と情と意の要求が高められた一点で交叉しているような好ましい色、それが思いがけない灰色であるということは、吉行理恵の詩の本質の一面と、じつに見事に照応するように、私には思われたのであった。

なぜなら、彼女の詩作品の内部では、知恵と幻想と記憶などのあいだに、ことさらの区別がなく、それらはほとんど等質のものとして混ざり合い、たとえて言えば、中間的な灰色の静かに美しい火花で、一様に燃えつづけているようにも私には受け取られていたからである。

引用終わり

まとめ

詩集を買って良かったのは、解説文を読んで、自分と同様に、著名な詩人も、心に残る作品でありながら、評論できない難しさを感じているのを知ったことです。

日本人の場合、和服でも落ち着いた色を好みますが、灰色はありえないと思うのです。だから、この人の感性は独特の不思議な世界なのでしょう。

同じく解説文の中で、粟津則雄氏の文が引用されています。

「吉行さんの詩は語りがたい。 中略 その詩の発想のはじまりにおいて、彼女が何としても手なずけることの出来ぬ幻想の圧倒的な侵入があり、詩はこの侵入に対する控えめだが、おそろしく精一杯な、およそためらうことを知らぬ応答という形で成立している・・・・」と書いています。

この黄色いカバーの詩集は、しばらく本棚に積み上がったまま、大事に何年も置いてあるのでしょう。そして気になったとき、本を開き、詩人の清冽な生き方を学ぶことになるのだと思います。

いつもながら、長くなってしまいました。最後まで読んでくれた方には深くお礼を申し上げます。

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