道東を発見する旅 第3の人生

疲れ目、幼児がえり、遠視化現象

疲れ目

元旦の朝、初詣で心機一転、頑張って勉強しようと思った。まあ、毎年、そんなに変わるもんでもないのだけど・・・

だけど自分にとって老眼が労苦である。特に小さな字を無理して見ているとすごく疲れるようになった。と同時にやたらと光がまぶしくて仕方がない。

それに加えて、いつの間にか遠くが見えにくくなっている。

1年くらい前は、視力検査で両眼とも0.8とかだったので、こちらのほうも気がかりになった。

ちょっとおかしいな、と思って軽い気持ちで眼鏡屋に行った。

眼鏡屋ではいつものように検査されてしまったのだが、結果を聞いてびっくりした。

近眼も乱視も進行していたのである。両眼とも0.5になっている。水晶体が縮まなくなるのでいつまでも遠くは見えるものだと信じていたので愕然とする。

とりあえず、パソコン画面と手元の書類に焦点距離が連続して合わせることが出来るという近・近眼鏡をつくってもらう事にした。

近眼になっているのが分かったので、先週の初めから1年くらい前に作った黒ブチ眼鏡を一日中かけている。

そのころ、若く見えるにはどうしたらいいかを考えて、黒ブチ眼鏡をかければ、相手の視線は眼鏡を見て自分の顔の細かいシワには目がいかないと思い、作った眼鏡だ。

あの時は0.8と1.0だったので、眼鏡をかけたら両眼で1.2に矯正できていた。ただし、結構無理して「つ」とか「く」とかを判別しようとしていた。

加えてブルーライト対策も考えて作った眼鏡である。

この眼鏡をかけると、このところ、何となく感じていた光の「まぶしさ」をあまり感じなくなった。遠くの方もよく見える。

日常生活が凄く楽になった。なぜ、もっと早くかけていなかったのか、とも思うが、まさか遠視化現象(後述します)が起こっていたなんて想像もしていなかったので仕方がない。

むしろ、気がついてよかったと思う。

知らない人

先週は、眼鏡をかけているせいで、職場やジム、お店の店員などいろんな人に声をかけてもらった。

普段、声をかわすことがないジムの店長も、「雰囲気変わりましたね、眼鏡がかっこいいです」と言っていた。

また知り合いや部下とすれ違っても、自分を認識できなかったりしたのである。

昨日も、よく知っている若い医者が廊下の向こうの方から近づいてきた。

そして、いつもならにこやかに挨拶してくれるのに怪訝そうな表情でこっちを見ている。

自分が声をかけると、「あれ、見た事がない先生と思ったけど、先生でしたか・・・」と驚いている。

以前、20年くらいか逃亡生活をおくっていたオウムの元信者が捕まっていたが、自分がもし警察に追われて逃げ回っているとして、、眼鏡とつけヒゲ、カツラで完璧に変装できるかもしれないとも思い、妙な自信がわいてきた。

皆が言うのは、眼鏡がすごくオシャレなのだそうである。

それも当たり前で、1年前の自分は、眼鏡屋で色々眼鏡をかけて一番若々しく見える眼鏡を選んだのだ。

フレームも高価(2万数千円)もしたので、当然といえば当然なのかもしれないし、眼鏡選びの初心者なので、大胆にフレームを選べたのかもしれない。

「そのフレームは、なかなかいいですね。自分も・・・・」と言っている人もいたのだが、自分は正直なところ、たかが眼鏡のフレームでこんなにまわりの反応が変わるなんて・・・と驚いた。ただ、自分から見た世界はそれ以上で、それまで見えていた世界が大きく広がっているように思う。

さて、本題に戻る。老眼に加えて近眼も進んでいるなんて、いったい自分に何が起こっていたのだろうか。

ネットで調べてみると、どうやら、これも「幼児がえりの現象」の一つらしい。

註:幼児がえりという言葉があるのかどうかは知らないが自分が勝手にそう呼んでいる。肝臓癌の人で、血液検査で胎児の時にしか分泌しない癌抗原(アルファフェトプロテイン)が血中で増加することが知られている。それは先祖がえりと言われています。

以下のサイトから引用します。

老眼と近視、遠視~屈折異常と遠視化現象
http://www.me-kaiteki.com/eye-symptoms/presbyopia/myopia-hyperopia.html

遠視化現象

高齢になると、遠視化の現象がおきます。これは、”屈折の変化”であり、”調節異常”の老眼とは違います。

遠視とは、遠くも近くもよく見えない目です。ただ、若いころは、”調節力をはたらかせて”、むりにピントを網膜にあわせています

幼児期には、ほとんどの人は遠視です。

6歳ごろに正視になります。小学校から中学校、高校と進むにつれて近視が多くなります。

中略

高齢になると、遠視になり、幼児期に逆戻りするのです。

正視の人が老眼になると、遠くは今までどおり、よく見えます。近くだけが、ぼやけるようになります。

ところが、高齢になって遠視化現象がおきると、老眼による手元の見づらさに、遠視化による手元の見づらさが加わります。手元は二つの要因によって、見づらくなるわけです。

遠くの見え方も、遠視化が起きると、よく見えていたものが見づらくなります。

引用終わり

感想

何度も書くけど、自分は20歳ころまでは両眼とも視力2.0であった。遠くを見るのには自信があったので、老眼になっても出来るだけ老眼鏡を使わないようにしてきた。

視力がいいと思いこんでいたので遠くの方はいらない、老眼対策だけを考えていいと思っていた。だから、幼児がえりで遠くも近くも見えないなんて予想外だった。

ただし、眼鏡で矯正すればそれなりに改善できるのが有り難い。

明日、近・近眼鏡が出来上がるので勉強をしやすくなれば凄く有り難いし、出来上がりが楽しみである。

また、目でものを認識しにくかった事自体は、たぶん脳に凄くストレスをかけていたようにも思う。きっと光がまぶしい、というのも脳にストレスがかかっていたのだと思う。

そう考えると、これまで勉強しても集中力が続かないのは当たり前だ。

自分勝手に解釈していたことが大きな間違いをひきおこしていたようだ。

視力の幼児がえりは水晶体(光の屈折機能)や毛様体(調節機能)が失われて固定化してしまう事なのだ。これからの人生において、自分には眼鏡なしの人生は考えられない。

また、黒メガネをかけたら「5歳くらい若く見えます」と言ってくれた知り合いもいるし、今回の事は前向きに考えようと思っている。

今日の午後、近・近眼鏡を取りに行く予定です。

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