道東を発見する旅 第3の人生

電車を乗り過ごす、脱抑制、文章が書けない人

モノレールで乗り過ごす

昨日の朝、いつものようにモノレールに乗った。毎朝、2つ目の山田駅で降りて阪急千里線に乗り換える。昨日も椅子に座るとあれこれ考え事をしながらボーっとしていた。

千里中央は覚えていたが、次の山田駅で降りるんだ、という意識がどこかにいってしまっていたようで、「えっ!まさか、山田?」と思った瞬間、ドアがガシャンと閉まってしまう。

その次の万博公園駅で降りて戻るかどうか迷った。だけど、「ええい、行ってしまえ」と心を決めて山田から3つ目の南茨木で降りて、阪急電車の京都線に乗り換えた。ちょうどホームに準急が入ってきて、そのまま乗り込み淡路駅で降りた。

10分早く到着

モノレールの駅3つ分乗りこし、さらに大きく迂回して淡路駅に着いたのだが、改札口で時計を見ると。それでも、いつもより5分早く到着している。

阪急千里線は古い住宅地の中を大きく蛇行しながら各駅に停車してのんびりと淡路までたどり着く。一方、京都線は通勤客を満載して飛ばしに飛ばして淡路駅まで来てしまうのだ。

所要時間は短いけど、運賃は高くつくはずだ。だが、実際はモノレールの運賃が240円と360円で120円違うだけで、阪急はどっちも180円であった。時間が余って得した気分になり、駅前のマクドナルドに入ってコーヒーを飲んで出勤した。

なぜ乗り過ごしたのか

再就職から2か月、絶対に山田で乗り過ごさないように強く心に誓っていた。なのに、なぜ乗り過ごしたのか。

その前の日の夕方、20年近く通った大学に顔を出したのが原因だと思う。3年ぶりに大学に行き懐かしい人と会ったのは、あまりに鮮烈な刺激であったし大学から直接家に帰ったのだ。

それで、脳に昔の通勤パターンが上書き保存されたのだろう。無意識のうちに、「山田駅は通過駅である」通勤パターンを選択していた・・・なんて考え過ぎかもしれないけど、どう考えたらいいのだろう。

脱抑制

これは、脱抑制(自分の意思でコントロールしてきた行動パターンの抑制が外れてしまう)かもしれない。無意識のうちに抑制がはずれて脳が合理的な行動を選択したのかな。

茂木健一郎氏のエッセイから、脱抑制に関する興味深いエピソードを紹介します。

「私、文章が書けないんです」を救う「脱抑制」のプロセス
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120326-00000301-president-bus_all

「私は文章が書けないんです」という方が時々いる。何か書こうと思って机に座っても、言葉が出てこない。あれこれ悩んでいるうちに、時間だけが虚しく過ぎていく。そんな経験をした方も多いのではないだろうか。

脳の働きから言えば、言葉を発するときに大切なことの一つは、「脱抑制」である。言葉を生み出す回路は、意識でコントロールできるものではない。側頭連合野の中にこれまでに蓄積された言葉のアーカイブから、文脈に合わせて言葉を紡ぎ出す、そんな無意識のプロセスが課題となる。

言葉を発するということは、本来苦労して「押し出す」ようなことではなくて、むしろ水道の蛇口をひねると水が出てくるような、そんな自然なプロセスである。うまく「抑制」を外してやれば、あとは自然に言葉が出てくるのである。大抵の人は、難しく考えて抑制を外せないでいる。

そうは言っても、書くことがないという人がいるかもしれない。しかし、そもそも内容があらかじめわかってなければ書けない、というのが間違った思い込みなのである。

私がお世話になった英国ケンブリッジ大学のバーロー教授が、あるとき面白いことを言った。文章が書けないで困っている学生が、「自分が何を考えているのかわからない」と嘆いていたら、一言、「書いてごらん。そしたらわかるよ」と声をかけたのである。

さすがは、私の尊敬する脳科学の大家。「書いてごらん。そしたらわかるよ」。この言葉には、脳が言葉を生み出すプロセスについての、深い洞察がある。

何を書こうと、悩むのはもったいない。とりあえず座って、脱抑制してみる。そのこつさえ掴めれば、自分の脳から流れ出てくる言葉の列に、びっくりするはずだ。
現に、私はそんなふうにしてこの文章を書いている。

引用終わり

感想

このエッセイから読み取れるのは、人間の決断や行動は、意外と簡単な原理に基づいているようだ。自分で出来ないと決め込んでいても、何とかなると抑制をはずそうとすることで、脳は以前の膨大な記憶の中から、最適な言葉の選択や重要な決断をしてくれるようだ。後は、それを繰り返すことで完成度があがっていくのだろう。

普段、何気なくやっている行動でも、自分で自分を自由にして、わざと有り得ないパターンに挑戦する、なんて事が新たな発見につながるかもしれない。先日のかっこいい帽子の件でも自分では大きく世界観が広がった。これも年の功かもしれないが、これから、時々わざと電車を乗り過ごしたり、手前で降りたりしてみよう。

「乗り越してごらん。そしたらわかるよ」。

以上の事を踏まえて今朝、モノレールに乗って感じたのは、座席に座ることで安心しきってしまうのが原因ではないかと考えた。これからは5番目ではなくて2番目と考えるようにする。

今日は金曜日

今日の午後、新病院をのぞきに行ってきます。技師長さんと2人で、事務室から自転車を借りて白衣のまま新病院の中に入り、検査課の部屋、そして5階まで吹き抜けのチャペルを見てきます。

週末には、久しぶりに京都市美術館に行ってみます。京展2012に息子の絵が入選し展示されているのですが、来週で終わりなので急いで見に行かないといけません。
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