道東を発見する旅 第3の人生

失われた芸術

中国国家博物館

北京滞在3日目、我々は地下鉄で天安門東駅で降りて中国国家博物館に行った。パルテノン神殿風の建物には10時半頃に着いたのだが、既に入館待ちの長い列ができていた。前日、天安門広場から故宮に行き、人混みに辟易していた。この日は朝から晴天で、暑くて行列に並んでいるのが苦しかった。

行列に並びながら、息子に「ディスニーランドの行列の方が並んだ価値があるかな?」と言ったら、息子が「何てことを言うんだ、この博物館をアミューズメントパークと一緒にするのは間違いだ。人類の偉大な文化の歴史をこの目で見ることができるんだよ」とたしなめられた。

割り込み

タオルで汗をぬぐいながら列に並んでいたら、いつの間にか、自分のすぐ横に10数人が並んで別に新たに列をつくっている。先の方を見たら、ちょっと先に行列と平行にバリケードが設置してあるので、割り込める最後の場所なのだ。えーっ、厄介だ、困ったなあと思った。

すると、立派な帽子をかぶり腕章をつけた白シャツの高校生くらいの男が歩いてきて、行列に向かって何かを叫んだ。そして割り込み者の列に向かって右手をあげて、横に払うような仕草をした。するといい年をした叔父さんやおばさんなどの割り込み者は仕方なくゾロゾロと解散した。ただ、それでも監視員の目を盗んで2人がいつの間にか列に割り込んでいた。

昔、外国に住んでいる時、外人が「中国の文化は尊敬するけど、中国人は嫌いだ」と言っていた事を想い出した。息子の先生は、中国人は現世の利益を追い求めることしか考えていないそうだ。隙が有れば少しでも自分の有利になるように行動するらしい。

中国に行き、その人間の多さを見れば、それも仕方がないように思える。誰が何を考えてどう行動するのか分からない。支配者階級が圧倒的な力を行使して人民を支配しない限り社会の秩序が保てないのだろう。行列の割り込みを見て、つくづく日本人の自分は性善説で甘い世界に生きていることを実感した。

抗テロリスト部隊

さて、中にはいると、アメリカ映画で出てくる黒づくめの制服を着た若者が数人横に並び入館者に我々に声をあげている。自分を含めた3人が横に行くように指示された。3人ともペットボトルを取り出させて指さして怒鳴っている。何がなんだか分からなかったが、横に並んだ2人の中国人がペットボトルのキャップをはずして飲み出した。

捨てている様子はないので、飲めば入館させてくれるようだ。ちょうど喉が渇いていたので、ゴクゴクと半分くらい飲んだら、警備の女の子の表情が笑顔になり、「OK、OK」と笑いながら許してくれた。どうやら、ガソリンとか可燃性の液体かどうかを検査する目的だったらしい。確かに、もし、全部回収するとなるととてつもない数になるのだろう。

紀元前2000年の青銅器

ようやく中に入り、建物の中を見てびっくりした。天井が高く、ものすごくでかい。天安門広場にしても故宮にしても、想像できないくらい広くて大きいのだが、この博物館もとんでもない大きさだ。中は冷房が効いていて快適だった。息子がどこにいくか考えて、地下1階の青銅器の部屋に行くことにした。

地下1階には紀元前2000年頃の青銅器が並んでいる。最初の部屋に入った瞬間、息子が声をあげた。「すごいよ、これ」と感嘆の声をあげながら、一つ一つじっくり見ている。自分はどう凄いのか分からないのだが、青銅器の表面にある模様が実に見事なのだそうだ。

息子の話では、並んで展示してある青銅器の1つ1つが、日本で言えば志賀島の金印に相当するような物なのだそうで、それ一個で日本なら博物館が1つ出来るのだと言う。青銅器の模様、カーブの描き方、立体的なバランス、全ての完成度が怖ろしく高いのだそうである。外側の模様が恐ろしく精密に作られており、現代でも再現できないそうである。製造法との記録が全くない。現存する1つの作品しか存在しない。これを「失われた芸術」と呼ぶらしい。

1週間を3時間

息子は感動しっぱなしで、全然前に進めなかった。博物館を隅から隅まで見るのには1週間かかるそうだが、今回は眺めるだけという事で3時間で素通りした。

青銅器から始まって紀元後の中国の歴史や書体など実に見応えのある博物館だ。多くの中国人はバチバチ写真を撮って物見遊山である。息子がスケッチを始めると、すぐ回りに人だかりが出来て、あれこれ回りで喋っていたそうだ。

その間、自分は歩きすぎで足が痛くてベンチに座っていた。靴を脱いでベンチの上に足を上げてあぐらを組んでいると警備員がやってきて、足を下げろと注意された。何がいかんのか、と思ったが、中国人は土足の生活だし、汚れ放題のトイレに出入りしている靴は確かにきれいとはいえないなあ、と納得した。

明言しないが、息子は機会があれば続きを見たいような感じだ。もし自分も、もう一度行くとしたら、今度はちょっと勉強して見に行こうと思っている。それにしてもスケールが大きすぎる博物館だった。

色々書きたいのだが

旅行で印象に残っている事の順に書いている。中国人の女性についで青銅器が印象に残った。長くなるので今日はこれでお終いにします。

最後に、命がけの一発勝負だったらしい青銅器作成について紹介しているサイトの記事を引用するので興味のある方は読んで下さい。

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65315644.html

紀元前1700年頃。中国は、殷(いん)、周(しゅう)といった古代王朝の時代を迎える。このころ、「青銅器」が作られるようになった。饕餮(とうてつ)を始めとする、古代の魔物、あるいは神々が、その表面に描かれ、それらを畏怖し、敬う(うやまう)ための祭事に用られるようになった。青銅器の表面には、1mmの隙間もないほど、びっしりと渦をまく文様が描かれ、非常に精巧に、かつ、美しいデザインがほどこされていた。

ここで少し、青銅器の作り方の説明をしよう。

青銅器は、「鋳造(ちゅうぞう)」という技法で制作される。模様をきざまれた表面側の鋳型(いがた)、(外型(そとがた))と、内面側をつくるための鋳型(いがた)、(内型(うちがた))との間(すなわち、両者の隙間)に、「青銅」を溶かしたものを流し込むのである。


「青銅」とは何かというと、銅と、錫(スズ)と、鉛(なまり)の合金である。熱せられると、流動的となり、上記のような、外型と内型との間の隙間を、進んでゆくことができる混ぜられた金属である。

鋳型のほうは、砂で作る。砂を固めて作る。黄河流域にある黄砂の中で、細かく、均質な砂が使われていた。で、この青銅器を作るには、いくつかの乗り越えなければならない問題点がある。

青銅器は、薄く、かつ均一になっているのである。理由は、厚さにムラがあると、その部分に力(重さ)がかかりやすく、壊れてしまい易くなるからだ。もう一つは、空気などの気泡の混入である。外型と、内型との間に、熱した青銅を、ゆっくりと注ぎ込んでいくという方法では、どうしても、気泡が混入してしまうのである。

熱されて体積が膨張している「青銅」が、徐々に冷やされて、体積が収縮していく過程でも、外型と内型の間に、隙間が生じる。これも、あまり起こってはいけない。外型に刻まれている複雑な模様が、正確に再現されなくなるかもしれないからだ。

そもそも、外型には、非常に微細で精巧な彫刻がほどこされており、その細かい隙間の、たった一つにでも、青銅が入っていかない、などということは、あってはいけない

当時の青銅器は、「神」を奉る(たてまつる)ために使われていた「神器(しんき)」であったと考えられており、それなのに、その「神」の模様を正確に表現していないことなど、許されることではなかったはずだ。

つまり、一つの作品を作るために、鋳型を壊さなければならなかったのだ。だから、量産など、できない。一発勝負。失敗したら、また鋳型から、数週間をかけて作り直しである。何百回もの試行錯誤が行われただろうことは、想像に難く(かたく)ない。

上記のように、青銅器は、彫刻と版画のような側面ももつ、総合芸術であり、かつ、鋳型が砂で作られていたことから、失敗が許されない、一発勝負の、命をかけた「芸術」であった可能性がある。なぜなら、神々をかたどる神器の製造に失敗した職人は、その責任を問われ、殺されていた可能性もあるからだ。

殷(いん)・周(しゅう)といった二つの王朝は、それらが滅亡する時に、他国によって、完膚(かんぷ)なきまでに破壊されつくしてしまったため、当時の青銅器技術は、完全に失われてしまった。

このため、当時、彼らが、どのようにして、上記の問題を克服し、製造していたかは、現代に伝わっていない。現在、それを復活させようとしても、真似することすらできないため、「失われた芸術」となっている。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事