道東を発見する旅 第3の人生

巡視艇に乗ったこと

しばらく記事をアップしなかったら、「元気ですか、死んでませんか」という「天の声」が聞こえてきて・・

あわてて記事をアップしています。今回は、先日、海保の巡視艇に乗った話です。

一か月ほど前、緊急搬送を要する事案が発生した。患者さんも自分も大変な思いをして巡視艇で運んでもらった。患者さんは良くなって島に戻ってきているので、安心して読んでください。

冬が始まったある日のこと、夕方受診した患者をすぐ大きな病院に運ぶ事になり消防に連絡して搬送手段を検討した。

その日は、夕方から天候が悪化していて「漁船では運べない」事になりやむなくヘリを頼んだのだが、「自治体の防災ヘリ、つづいて自衛隊の救難隊」に悪天候で出動出来ないと断られた。そんな状況で海上保安部が巡視艇を派遣してくれた。

これが自分が乗った巡視艇である。(クリックしたら大きい写真になります、留萌管区 はまなす)

午後8時ごろ、海保から巡視艇がそちらに行くという連絡がはいり、島の港に着岸したのが10時20分頃だった。

乗船してキャビンの中に入ると、中が狭いのに驚いた。固定式の椅子が2つあり、患者さんはストレッチャーに寝かされて2つの椅子の間の床の上に寝かされた。キャプテンは右の椅子に座り、皆に指示を出している。

自分は、左の椅子に座らせてもらってその右下に患者さんが寝かされている。

キャプテンが「波が高いので揺れますが、2時間ほど我慢してください」と言って出港したら、すぐキャビン内の照明が消され室内は真っ暗になった。患者さんは自分の右下の床の上にいるのだが、暗闇で何も見えない。

右下の暗闇に向かって「〇〇さん、大丈夫ですか?」と声をかけると「ハイ、大丈夫です」、と か細い声が下のほうから返ってきた。

まだ港の中で波が高くないのに、波間に漂う枯れ葉のように左右前後に揺れ続けている。まるでバランスボードの上に立ちながら前後左右にバランスをとっている感じだった。

ここでなぜ真っ暗にしているか、である。経験がない人が多いと思うが、都会を離れると道路は真っ暗だ。北海道では道央道という重要な高速道路でも都会から離れると道路に照明がなく真っ暗闇なのだ。

そんな時は、車の車内を真っ暗にする(スピードメータなんかも消す)と外の景色がヘッドライトに照らされて、中と外でコントラストがついて見えやすくなる。

夜の海に出ると真っ暗だ。また、あの夜、外洋は荒波が次々と小さな巡視船に襲い掛かってくる。だから前方の甲板に設置されているサーチライトを船の真正面に叩きつけてくる波に当てて右に左に舵をとって進んでいくのだ。

港を出て外洋に出た瞬間からものすごく揺れた。時々ドーンと大きな波に叩きつけられ船体が持ち上げられたり急に落下するのだ。これが最後の最後まで続いた。

椅子に座っていても椅子の座面を手で支えていないと振り落とされそうだった。船酔いした時に使ってくださいとバケツを用意してくれていたが、もしゲロを吐いても正確にバケツの中に吐くという自信がないくらいで、吐いたらすべて自分に跳ね返ってきそうだった。

幸い、自分は気分不良にはならず、その代わり睡魔が襲ってきたのだ。

恐ろしいもので、激しい揺れが続いていても、だんだんとそれに慣れてきた。すると、いつもは寝てる時間なのでウトウトし始めた。これはいかん、頑張らないとと思っていた矢先に、ドーンという音がして船体が持ち上がり椅子から身体が離れて腰が空中に浮かんだ。

そして患者さんのストレッチャーを飛び越えてその横のスペースに腰からドーンと落ちてしまった。患者さんのキャーという声と船内の保安官さん達の視線がこちらに集まったのを感じた。ただし真っ暗なのでどこにどう落ちたのかもわからないままあわてて椅子に戻った。

そして、冷静なキャプテンが「揺れますから注意してください」と𠮟られてしまう。

そして暗くて腕時計の文字盤が見えないので、時間はわからないけど、そろそろ2時間たったかなと思っていたら、「キャプテンが後、どのくらいだ」と舵を握っている人に尋ねる声が聞こえてきた。すると「後、〇〇カイリです」という返事が聞こえて「だったら後2時間くらいか・・」という声が。

そんな・・・・もう2時間もこれが続くのか、と絶望的になりながらも、グッと堪えてひたすら椅子からずり落ちないように踏ん張った。

結局、目的の港に着いたのが午前2時過ぎで波が高くてスピードを出せなかったので4時間もかかったそうだ。下船する直前にキャプテンから「よく頑張られました。以前、乗った若い医者はヘロヘロになってました。」と褒めてもらった。

とても嬉しかったので、お返しに「こんなにひどい天候なのに命がけで船を出していただいて感謝しています」とお礼を申し上げたのだが、「波が高いときは、医療機関のほうから遠慮しますと言われることもあるんですよ」と言っておられた。

港には救急車が待っててくれて病院には2時半ごろ着いた。真夜中を過ぎて、救急隊が宿泊施設に電話してくれたがどこも断られた。看護師長さんに頼んで、病院の外来で、ベッドを借りて夜明けまで時間をつぶして島に戻った。

巡視艇での搬送は3,4年に一度あるかないか、くらいの事だが、初めて自分も体験してみて、あまりの過酷さに、正直なところ、もう2度と乗りたくないと思った。

それでも、島の人はその大変さを理解してくれているので、「まあ、いい経験になった」と思っている。

それ以上に、誰もできないようなスリリングな体験をさせてもらった事が誇らしい。

次、同じようなケースになったら近くの港まで運んでもらい、そこから陸上を救急車で運んでもらうつもりだ。

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