昨日の朝礼では、聖書の朗読がダビデの詩編からの引用で、メッセージ(講話)はそれに関連した話だった。
自分にとって、ダビデと言えば、ミケランジェロの像やユダヤ人のダビデの星に象徴される神話の世界の人でしかなかったので、聖書朗読で、詩編の一部に出てくるのがとても新鮮に感じた。
あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
あなたの記録に それが載っているではありませんか。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。
以下、この詩編の解釈についてネットで検索したサイトから編集して引用します。
http://www.shibusawa-church.com/pp_100808_a.html
「恐れをいだくとき、わたしはあなたに依り頼みます。
神の御言葉を賛美します。 神に依り頼めば恐れはありません。」
このような神信頼の表現は、 さらに11~12節に繰り返されています。主なる神さまへの信頼、それが詩編56編のテーマなのです。そして、その神への信頼が、 「あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」という祈りになったのでした。
別の人物を演じたダビデ
ダビデは、 ペリシテ人から殺されそうになった大試練に遭遇し、別の自分を演じたのでした。次のように書かれています。
「そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。 彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした」
――別の自分を演じなければならない嘆きの時というものがあるのです。私どもには、ダビデのようにふるまう涙の時はまず無いとしても、 悲しみや痛みを抱えているのに、それを隠して別の自分を演じることなら、私どもの嘆きの時にもあったのではないでしょうか。
わたしの嘆き、 わたしの涙は、主なる神さまの革袋に蓄えていただけるのだ……」。
真実はどうであれ、信仰の詩人は、 私どもの信頼する神さまが私どもの涙を蓄える「革袋」を持っているという意味深い発見をしたのです。
引用終わり
再び、昨日の朝に戻る
涙を蓄える革袋、詩的な表現の余韻が残っていたが、朝礼が終わった。チャペルを出ていく人ごみに紛れゾロゾロと歩いていると、後ろから事務長さんが話しかけてきた。
「毎朝、朝礼に出ておられますね」、「今日もいい話でしたでしょう」と声をかけられた。先日の歓迎会で、朝礼が好きなので、毎日出たいと思っていると発言した手前、急に朝礼を欠席するわけにはいかないのだ。
講話のこと
講話の事である。聖書については全くの初心者である自分の場合、聖書の話は神話の世界である。名前だけしか知らなかったダビデの逸話、神様に自分の涙をあなたの皮袋に入れてほしいというフレーズなど、あまりにも奇抜すぎてピンとこない。
しかし、自分が知らないだけで、世界中の人が知っている話なのだろう。そう思うと、興味が湧いてくる。有名なダビデの星のマークが、なぜか先日まで住んでいた離島の小学校の校章になっていたりして、そのギャップが面白いが、狂気を演じることの出来るダビデについてもっと知りたい。
これからも、英雄の話や不思議な逸話が出てくるのだろうと思うと、楽しみだ。
新病院のチャペル
さて、5月も終わりに近づいている。5月31日(明後日)に、新病院が建設会社から法人に引き渡されるそうだ。来週の週末から土曜日に移転のリハーサルが行われる。
新病院は「チャペルを中心とした癒しの病院」だそうで、チャペルは、今よりももっと広く大きくなり、建物の4階までの吹き抜けだそうである。
知り合いに見せて自慢したくなるような立派なチャペルなのだろう。ワクワクしています。
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