道東を発見する旅 第3の人生

大阪の秋、重ね着と秋の装い、古典を読もう、

大阪の秋

1年目の研修医の中に北海道の医大を卒業した人がいる。8月に納涼会が行われたのだが、その人と話したのでよく知っている。

先週、廊下ですれ違った時、暇そうにしていたので呼び止めた。

「先生、大阪の秋はどんな感じ?」と聞いてみた。

すると、「大阪は寒いです!」との返事が帰ってきた。

北海道の人は寒さに強い筈だと思っている人も多いだろう。だけど、実際はそうではないのである。

その人が、北海道以外の場所で過ごす初めての秋になって、自分に問いかける。「何でこんなに寒いんですか」、と。

そこで、まずアパートの気密度が全然違う事を説明して、容赦なくすきま風が入ってくること、エアコンだけでは室温が十分に上がらない事などを説明した。

そのうえで、下着やセーターを、すぐ買いにいったほうがいい、さもないと11月にはひどい風邪をひいいてしまう、と脅すと「重ね着が大事なんですね」と納得してくれていた。

重ね着と秋の装い


その先生が住んでいた旭川は、厳冬期になるとマイナス20度くらいになる場所で、北海道でも寒い町の一つだ。

ただ、外と中はまったく別である。部屋のなかは石油ストーブを点けると暑いくらいになるので、Tシャツ1枚でも大丈夫である住環境なのだ。

秋のこの時期、ちょっと気温が下がると、大阪では薄手のカーディガンやセーター、秋もののコートなどで秋のオシャレを楽しめるのだが、北海道では、突然寒くなり、じきに雪が降ってくるので、セーターとかちょっと羽織るものを持っている筈がないのだ。

我々が感じている秋の楽しみである、紅葉や美味しい果物、秋色のセーターや薄手のカーディガンなどのファッション、そして真冬に向けてだんだんと厚着していく習慣は、それなりに贅沢な事なのかな、と改めて感じている。

今週は、ドーンと気温が下がるようだが彼は風邪をひくかもしれない。

皆さんも風邪をひかないように重ね着をしましょう。

興味をひく話の内容

2週前の金曜日から始まり先週の木曜まで、合計4回、大勢の人の前で話をした。学会やセミナー、勉強会など色々だったけど、基本的には自分でストーリーを考えて、普段から考えていた事などをまとめて自分の意見をたくさん盛り込んだ話しをした。

ちょっとバイアスがかかっていたかもしれないが、おおむね、「分かりやすかった」とか「おもしろかった」という反応だったので安心した。

自分は、大学院生になってから、一流の研究者が人を惹きつけるような話をすることに圧倒されて、それ以来、発表するときには話の内容を工夫している。

だけど、講演会などに行くと、単に教科書をまとめただけのような話やまったく自分の意見が無いまま、他人の受け売りだけの場合も結構あるのだ。

そんな内容だと無味乾燥になってしまい面白くも何ともない。

それでは、自分なりの意見を言えるようになるには、どうすればいいのだろう?

ちょっとこじつけみたいになるけど、解剖学者の養老孟司先生は、「古典を読みなさい」と書いている。

この記事がとても良かったので紹介します。

以下、日経アソシエ10月号29頁から引用。

古典を読もう

質問: なぜ、古典なのか

回答: 文章が分かりにくく、抽象的なので慣れていなければ戸惑うことばかりであり、自ずと考えるようになる。

   今時の親切な仕様がないので、苦労しながら読むことが大事である。単語一つに戸惑い、どんな意味なのだろうと考えながら読み進めることができる。

   それで、考えることが苦にならない脳を作ることが出来る。

質問: 読んだものから得られるものは何か?

回答: 書いてあることはすぐ忘れる。重要なのは本に書かれている情報を吸収することではない。

   読む上で大切なのは、自分で解釈をつけていくことだ。特に、書かれていることに違和感を覚えたときにこそ、「どういうことだろうか」とよく考えてほしい。

   同意できる内容は既に自分が分かっていることなので、違和感を覚えるのは今の自分に分からないこと、そこを考えるのに意味がある。

質問: 自分が考えたことの「答え合わせ」はどうすればできますか?

回答: 正解を知る必要などありません。内容が抽象的で、いくらでも深読みできるものが多いということは、読んだ人が好きに解釈していいということです。

それだけでは不安だという人は、他人の解釈を聞けばいい。

引用終わり

感想

自分の回りを見ていると、偉い先生(肩書きではなくホントに偉い人)ほど、自分の意見を述べてから回りにどう思う?と尋ねる事が多い。

養老先生は、古典を読みなさいと言っておられるが、別に古典に限らなくて解答がない問題であれば何でもいいのだろう。

自分は今数式の問題を解いているが、解答がついてない本が多くて、困っていたが、この記事で目が覚めたような気がする。

受験勉強では、知識があるかどうかが試されるため、覚えるための勉強が中心となるのは仕方がないけど、自分はそれが苦手で、大学受験にもすごく苦労した。

今も細々と勉強しているのだけど、まず理解してしまってからでないと記憶が定着しない。そのために、まず解答のない問題を考えるべきなのだ。

「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」

論語にある、この一節を養老先生は、次のように解釈されている。

「朝に道を聞かば・・・・」は、単なるたとえ話ではない。学問を修める、すなわち何か重要な事を知ることで、世界が違って見えるようになる。

これを論語では、「夕べに死す」と表現したのではないかと言っておられる。

結局、「解答のない問題」に対して、自分なりに解釈を試みる事により、ガラッと世界観が変わってしまう可能性があるのだ。

自分が80歳や90歳になったとして、人生が残り少なくなったとしても、死ぬその日まで、解答のない問題を考えつづけるべきなのかもしれない。

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