少年トッパ

名古屋の映画館状況・2005秋 <前編>



↑9月4日(日)の中日新聞より。

 9月4日にエンゼル東宝が閉館になった。栄の松坂屋の地下にあった東宝系封切館である。基本的には東宝の新作が公開されていたのだが、たまに「黒沢明特集」などの特集上映もあったし、外国映画が公開されることもあった。僕が最後に観たのは『コールド マウンテン』だ。特に思い入れのある映画館ではなかったけど、名古屋の都心部から映画館が消えるのは淋しいことである。

 さて、ここで最近の名古屋の映画館状況について書いてみよう。というか、実は以下の文章は2年ぐらい前に書いたものである。そのうちホームページ上に載せようと思いつつ、長らく放ったらかしになっていたのだ。それを少し加筆・修正して載せることにする。

*     *     *     *     *

 名古屋の都心部では、2002年から2003年初頭にかけて多くの映画館が閉館した。その要因となったのは、やはりシネコンが台頭したことだろう。駅から近くて座席を勝手に選べる古い映画館よりも、クルマで行けて座席を指定されて観る新しい映画館の方が支持されている、というわけである。まあ、当然と言えば当然のことだ。
 かつては名古屋市内のシネコンといえば中川区の中川コロナワールドのみだったが、港区のジャスコに隣接するヴァージンシネマズ名古屋ベイシティ(その後「TOHOシネマズ名古屋ベイシティ」に改名)が1999年、西区のジャスコに隣接するイオンシネマ・ワンダーが2000年にオープンした。近郊では、三好町のジャスコに隣接するMOVIX三好、東浦町のジャスコに隣接するTOHOシネマズ東浦、稲沢市のアピタに隣接するユナイテッド・シネマ稲沢、阿久比町のアピタに隣接するユナイテッド・シネマ阿久比も誕生している。これだけ多いとどこも大盛況とはいかないだろうが、それなりに賑わっているようだ。しかし、みんなジャスコかアピタにくっついてるなぁ。
 こうした状況とは裏腹に、名古屋駅前では毎日ホール、毎日地下、松竹座、そしてグランド系6館が姿を消し、栄の東映会館(名古屋東映、東映パラス)、伏見の名宝会館(名宝劇場、名宝スカラ座、名宝シネマ)と納屋橋劇場も閉館した。どこも僕にとっては、いろんな思い出がある映画館だった。

 たとえば、東映会館。もともと、ここには名古屋東映、東映パラス、東映ホールという3つの映画館が入っていた。だが、バブルの時期にメインの名古屋東映がゲームセンターに変わり、2番目に広かった東映パラスが名古屋東映になり、一番小さい東映ホールが東映パラスになり、東映ホールという名前の映画館は存在しなくなった。ああ、ややこしい。僕が石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』を観たのは東映ホールで、ジャッキー・チェン主演の『ゴージャス』を観たのは東映パラスなのだが、どちらも同じ映画館なのである。ああ、ややこしい。
 この東映会館で最も鮮烈に覚えているのは、1981年頃に東映パラス(しつこいけど、のちの名古屋東映)で『猟人日記「狼」』を観た時のことである。これは「ロシア文豪映画祭」という企画の中で一週間だけ公開された作品だ。初日に観た僕はあまりにも映像が美しいことに感動し、もう一度観ようと決意した。で、行ったのが確か木曜日の最終回。あの感動を再び味わえるとワクワクしていた僕は、目を疑う、いや、耳を疑うような出来事に遭遇する。同じ時間帯に上の階の名古屋東映で真田広之のファンの集いみたいなものが行われており、その様子がビックリするほどクリアな音で聞こえてくるのだ。そもそも『猟人日記「狼」』は、ほとんどセリフのない映画である。なので、真田広之と司会者が話す声も、ファンの歓声も、真田広之の歌声も、すべて丸聞こえなのだ。めっちゃトクした気分に……なるかいっ。いや、僕も真田広之は当時から好きだったけどさ、それとこれとは話が違うでしょ。ねえ。



                              <つづく>

コメント一覧

トッパ
文中にも書いてある通り、数年前に閉館しました。
もう跡形もありません。
名古屋納屋橋劇場は閉館した?
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