先に断っておくと、原作は読んでいない。なので、以下に書くのはあくまでも映画を観ての感想だ。
激しい嵐の夜に、暗闇の中でヤギと狼が出会う。ヤギは相手も自分と同じヤギだと思い込み、狼は相手も狼だと勘違いする。会話を交わすうちに意気投合した両者だが、明るい場所で再会してビックリ仰天。なんと「食う者」と「食われる者」じゃん。しかし、圧倒的に立場が違うにも関わらず、このヤギと狼は大の仲良しになる。もちろん口外できないから秘密の逢瀬を重ねることになるのだが、ある時その関係がお互いの仲間たちにバレしてしまう。そして、どちらも相手の群れに関する情報を探り出すように命じられる。つまり相手への裏切りを強要されるのだ。さあ、二匹はどうする――。
種族や階級の違いに阻まれながら愛や友情を育んでいく物語は珍しくないし、傑作も多い。この作品の場合、歴史的背景とかを説明されなくても両者の立場が相容れないものであることは容易に理解できるので、あとはどうやって障壁を乗り越えるのか、そしてどんな結末を迎えるのかを、観客は固唾を呑んで見守ることになる。しかし、それ以前の問題として、この二匹の関係をどう解釈していいのか僕は戸惑ったのだ。えっと、率直に言っちゃうけど、これって要するに「同性愛」だよね?
むろん、同性愛だから悪いなんて言いたいわけじゃない。男同士でも女同士でも、愛し合った者同士が添い遂げたいなら添い遂げればいい。ただ、作り手が描きたいのが「男同士の友情」なのか「男同士の恋愛」なのか判別できないので、僕は混乱してしまったのである。ほら、ヤギが尻を振りながら歩く時のエロっぽい描き方とか。どういう意図なんだろ、って疑問に思わない? だってこれ、基本的には子ども向けの映画でしょ?
そもそもよく分からないのが、主人公たちの年齢である。特にヤギの方。おそらく10代だと思われるのだが、それにしては口調が中年くさい。「私ね、~~~なんですよ」というしゃべり方は、まるで冴えないサラリーマンみたいだもん。少年か若者だとしたら「私」じゃなくて「僕」の方が良かったんじゃない?
ヤギが群れを離れる心情も今ひとつ理解できない。狼の方は群れの中でも冷遇されているのだが、ヤギは周りに自分を心配してくれる仲間が大勢いるのだ。そっちに少しも未練を残さず狼と一緒にどこかへ去るってのはさ、いくらなんでも自分勝手じゃない? お前が行方不明になっちゃったら、おばあちゃんはものすごく気に病むって。気の毒じゃん。せめて逃避行の最中に思い出して心配するとか、そういう描写を入れれば良かったのに。
映像表現に関しては、かなりの高レベルじゃないかと思う。雪が吹き荒れるシーンとか狼たちがヤギを襲うシーンとか、ものすごく迫力あるもん。濁流だけはリアル感が乏しかった気がするけど、おそらく「あんまりリアルにしすぎると汚く見えちゃう」という配慮からじゃないかな? いや、推測だけどね。
そんなこんなで見応えある作品ではあるんだけど、主人公たちの関係をどう解釈すべきで僕は大いに戸惑っちゃったのよ。ご覧になった方がいたらご意見を聞かせてくださいませ。
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