少年トッパ

『欲望』対『カミュなんて知らない』※ネタバレ少しあり<上>

 同じ時期に観た複数の作品に何らかの共通性を見つけるのは、映画好きにとって大きな楽しみである。描かれている題材や時代背景だけでなく、たとえば「似たような場面がある」「ロケ地が共通している」「出演者がダブっている」なんて他愛ない発見でも悦に入ることができるのだから、単純なものだ。
 また、何らかの形で対照的になっている作品を相次いで観ると、ついついその2本を比較して誰かに語りたくなってしまうものである。こういう時、映画好きの仲間が身近に(もしくはネット上に)いれば、ますます楽しい。昨年だと『コーヒー&シガレッツ』と『埋もれ木』を同時期に観て、その退屈ぶりを比較して一人で喜んでいたものだ(ただ単に「つまらん」と吐き捨てるのは、もったいないもんね)。この時は同調してくれる方も少しいて心強かったのだが、果たして今回はどうだろう。どっちもマイナーな作品なので心配だなぁ。

 というわけで、今回の「並べて語りたくなる映画」は『欲望』と『カミュなんて知らない』だ。前者は「元文学少女向け映画」であり、後者は「元映画青年向け映画」と呼ぶべき作品である。いや、性別とか「元」にはこだわらないけどね。

 まずは、小池真理子(すんませんが僕は一冊も読んだことありません)の同名小説が原作の『欲望』について。
 主人公は子どもの頃から読書好きで、長じて図書館の司書になった女性。で、彼女が中学生時代から想いを寄せてきた青年、その青年が中学生時代から想いを寄せてきた美女、その美女が結婚相手に選んだ精神科医、その精神科医がちょっかいを出していると思しきお手伝いさんなどが登場し、嫉妬や羨望、もしくは慈悲の情が絡み合いながら物語は進む。だが、物語そのものよりも、僕が一番楽しめたのは中学生時代の主人公たちが本について語り合う場面である。

「今、何を読んでるの?」
「安部公房、倉橋由美子、高橋和巳――」

 真っ先に安部公房の名前が出てくるとは! コーヒーとかを飲みながら観ていたら、ブブッと吹き出すところだったじゃん。実は僕が中学生時代に一番ハマったのが安部公房だったのだ。『欲望』の主人公たちはおそらく僕と同年代だろうだから嗜好が似ているのは当然かもしれないが、ここで僕は彼らに思いっきり親近感を抱いちまった。しかも、日本の前衛小説を代表する二人の名前を挙げるのだから、これは間違いなく文学好きの少年少女だった者の自尊心をくすぐるための選択だろう。
 ちなみに、その時代の文学好き少年少女(今は40代中盤)がほぼ間違いなく読んでいたのは太宰治なのだが、その名前は出なかった。要するに「それはとっくに読んでいる」ということなのだろう。なお、この映画では三島由紀夫の存在が大きな位置を占めているのだが、僕は今ひとつ三島由紀夫にはハマらなかった。気に入ったのも『午後の曳航』『美しい星』など、いわゆる代表作ではない作品だったのである。なので、この映画の世界観を理解できたとは言い難いのは残念だ。

 はっきり言って映画自体は冗長であるし、やたら文学チックなセリフを連発されるので気恥ずかしい。たとえば「色っぽさっていうのは、その女の人の性器を指して言うんだよ」なんてセリフ、密室以外の場所で言える? 無論、映画に現実味ばかりを求めるわけじゃないし、作品の世界観に合っていれば「ありえね~」と思えるセリフでもOKではある。でも……ねぇ。
 なんて言いつつもこの作品を嫌いになれないのは、人生において文学及びそれに類するもの(映画や音楽も含む)を必要とする者と、それらを必要としない者との対比が鮮やかであり、自分が明らかに前者に属することを改めて思い知らせてくれたからである。実際、四半世紀振りに安部公房や三島由紀夫、倉橋由美子、太宰治などを読み返してみようかと思っちゃったもんね。

                         <つづく>
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