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[意見]Google Cloud Next 2018 で感じたこと なぜ日本企業は会議を減らしたがるのか?
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「業務効率化のために会議を減らす」という事がよく言われます。
しかし、会議=ディスカッションは業務遂行上の根本であり、これをなくした場合、ゴールにいかにしてたどり着くのか? プロジェクトメンバーの意見の共有や方針の検討もできなくなります。 事業の推進にむけたブレインストーミングもできなくなります。 つまり、「会議を減らす、なくす=会社を潰す」という方向に進むのではないかと思うのですが、なぜか、それが推奨されています。
これは日本を沈没させるための深慮遠謀なのでしょうか?
私はIT業界のSIerで長いこと(1997年~)プリセールスとプロジェクトマネージャーをしてきた関係で、自社外の多くの企業の方達と一緒になってプロジェクトを推進しました。 この関係で、自分が籍を置く企業以外のたくさんの企業人の「考え方=思考のロジック回路」を見る経験に恵まれました。 この経験から感じていたのは「考え方・文化」の違いが「議論・会議への姿勢」の違いとして現れるということです。
「伝統的日本企業」、「外資の影響を受けた日本企業」、「外資系日本企業」の3種類の人たちと付き合ってみて感じる「考え方・文化」の違いで一番強く感じること。 それは「議論」に対する姿勢ではないかと思います。
私自身、最初の20年間は「外資の影響を受けた日本企業」、「外資系日本企業」との付き合いが殆どで、最近の10年間初めて「伝統的日本企業」と付き合ったのですが、「伝統的日本企業」とは議論が全く成立しないことに衝撃を受けました。 議論を試みても「反論がないのに同意もない」のです。 これはいかなることか???
これが「議論に対する姿勢」の違いだと考えています。
主観的ですが、3者の性格をまとめると以下のような感じとなります。
伝統的日本企業
基本 議論を好まない
認識 自分と異なる考え方を自身に対する攻撃と認識しする
反応 自分と異なる考え方に対しては排斥よりは無視に走る
対応 軋轢を回避するためには自身の意見を述べないのが良策と考える
比喩 面従背反 水面下談合
外資系企業
基本 議論を好む
認識 自分と異なる考え方を自身にとって参考となる情報と認識する
反応 自分と異なる考え方に対し議論で違いの理由を解析しようとする
対応 軋轢を回避するためには意見を述べ議論し結論を導出しようとする
比喩 喧々囂々 透明性議論
外資の影響を受けた日本企業
両者の中間ですが、外資系の考え方が強く表れつつも同時に日本的な婉曲性
が加わっていて曖昧さが増している。
外国人は「日本人は何を考えているのかよくわからない」という印象を受けることが多いようですが、たぶんこの「議論に対する姿勢」の違いにより、日本人に何かを問いかけたり、述べたりした時の日本人の「レスポンスに違和感」を感じるのではなかろうかと思います。
たとえば、欧米的思考で、落としどころを決めるために自身の意見を開陳すれば相手も意見を開陳してくれて、そのうえで議論をすればゴールへの道が開ける。 と期待して意見を述べると、伝統的日本人は自身を攻撃されたと考え、反論するわけでもなく、相手にノーレスポンスを返すので「なんだかわからん!」という事になるのではないか。と思います。
日本人がすべて議論嫌いかをいうと多分そうではなく、「旧家」的な長い伝統をもち、「しきたり」を重んじる企業の場合、この傾向が強いのだろうと思います。
物事を「円滑に」勧めるには綿々と積み上げてきた「慣習」に従って事を運ばないと駄目であり、水面下の折衝、調整を経て、表面的(会議)においては「満場一致(のような雰囲気)」で粛々と事が決まり、進む。といったイメージです。 羽織袴で髷を結った侍達が似合いそうな景色です。
たぶん、海外でも伝統的企業であれば日本ほど顕著でないかもしれないが、このような傾向があるのでしょう。
「効率化のために会議を減らす」べきか否か? その姿勢によって企業の性格を読めると思います。
[意見]Google Cloud Next 2018 で感じたこと なぜ日本企業は会議を減らしたがるのか?
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「業務効率化のために会議を減らす」という事がよく言われます。
しかし、会議=ディスカッションは業務遂行上の根本であり、これをなくした場合、ゴールにいかにしてたどり着くのか? プロジェクトメンバーの意見の共有や方針の検討もできなくなります。 事業の推進にむけたブレインストーミングもできなくなります。 つまり、「会議を減らす、なくす=会社を潰す」という方向に進むのではないかと思うのですが、なぜか、それが推奨されています。
これは日本を沈没させるための深慮遠謀なのでしょうか?
私はIT業界のSIerで長いこと(1997年~)プリセールスとプロジェクトマネージャーをしてきた関係で、自社外の多くの企業の方達と一緒になってプロジェクトを推進しました。 この関係で、自分が籍を置く企業以外のたくさんの企業人の「考え方=思考のロジック回路」を見る経験に恵まれました。 この経験から感じていたのは「考え方・文化」の違いが「議論・会議への姿勢」の違いとして現れるということです。
「伝統的日本企業」、「外資の影響を受けた日本企業」、「外資系日本企業」の3種類の人たちと付き合ってみて感じる「考え方・文化」の違いで一番強く感じること。 それは「議論」に対する姿勢ではないかと思います。
私自身、最初の20年間は「外資の影響を受けた日本企業」、「外資系日本企業」との付き合いが殆どで、最近の10年間初めて「伝統的日本企業」と付き合ったのですが、「伝統的日本企業」とは議論が全く成立しないことに衝撃を受けました。 議論を試みても「反論がないのに同意もない」のです。 これはいかなることか???
これが「議論に対する姿勢」の違いだと考えています。
主観的ですが、3者の性格をまとめると以下のような感じとなります。
伝統的日本企業
基本 議論を好まない
認識 自分と異なる考え方を自身に対する攻撃と認識しする
反応 自分と異なる考え方に対しては排斥よりは無視に走る
対応 軋轢を回避するためには自身の意見を述べないのが良策と考える
比喩 面従背反 水面下談合
外資系企業
基本 議論を好む
認識 自分と異なる考え方を自身にとって参考となる情報と認識する
反応 自分と異なる考え方に対し議論で違いの理由を解析しようとする
対応 軋轢を回避するためには意見を述べ議論し結論を導出しようとする
比喩 喧々囂々 透明性議論
外資の影響を受けた日本企業
両者の中間ですが、外資系の考え方が強く表れつつも同時に日本的な婉曲性
が加わっていて曖昧さが増している。
外国人は「日本人は何を考えているのかよくわからない」という印象を受けることが多いようですが、たぶんこの「議論に対する姿勢」の違いにより、日本人に何かを問いかけたり、述べたりした時の日本人の「レスポンスに違和感」を感じるのではなかろうかと思います。
たとえば、欧米的思考で、落としどころを決めるために自身の意見を開陳すれば相手も意見を開陳してくれて、そのうえで議論をすればゴールへの道が開ける。 と期待して意見を述べると、伝統的日本人は自身を攻撃されたと考え、反論するわけでもなく、相手にノーレスポンスを返すので「なんだかわからん!」という事になるのではないか。と思います。
日本人がすべて議論嫌いかをいうと多分そうではなく、「旧家」的な長い伝統をもち、「しきたり」を重んじる企業の場合、この傾向が強いのだろうと思います。
物事を「円滑に」勧めるには綿々と積み上げてきた「慣習」に従って事を運ばないと駄目であり、水面下の折衝、調整を経て、表面的(会議)においては「満場一致(のような雰囲気)」で粛々と事が決まり、進む。といったイメージです。 羽織袴で髷を結った侍達が似合いそうな景色です。
たぶん、海外でも伝統的企業であれば日本ほど顕著でないかもしれないが、このような傾向があるのでしょう。
「効率化のために会議を減らす」べきか否か? その姿勢によって企業の性格を読めると思います。
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