徒然日記

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[雑考]以前は、コンピューターはクリエイティブのための道具だったはずだったのだが。

2018-07-11 17:08:03 | イノベーション!

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ITとコンピュータ関係で自分に影響を与えたアイテム達
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ほかにもいろいろなモノを使ったけれど、自身の人生に影響を与えたというほどのものはこんな程度だろう。

 1990年 SONY Hitbit Word
 1991年 SONY Produce PJ100
 1992年 キャスト C-Trace
 1992年 デービーソフト p1 EXE
 1992年 Zeit Z's Word JG 2.0
 1992年 Microsoft Windows 3.1
 1992年 Microsoft Fortran 90
 1995年 Microsoft Windows 95
 1996年 京セラ DataScope
 1998年 NEC PC 9821 Mobio NX
 2000年 カシオ ポケットポストペット
 2002年 SONY VAIO U
 2006年 SHARP Willcom W-Zero3
 2008年 SHARP Willcom D4
 2009年 SHARP NetWalker
 2009年 Viliv S5

モバイルコンピューティングの手元デバイスというのは、このあたりまでが華だった気がする。 これ以降ITの世界は加速度的に「仮想化」が進み、リアルから乖離し始め、リアルな世界のモノという意味でのコンピュータはあまり革新的な変化をしなくなってきた。 革新的な変化を遂げる対象はソフトウェアという目に見えない世界であり、ハードウェアは単に表示またはのぞき窓と化している傾向がある。 今後、モバイルデバイスに創造的な要素は帰ってくるのか?




初めてコンピューターに接したとき、自分のコンピュータの定義は「創作活動をする道具」だった。それは今でも変わらない。 1995年のインターネット開通でコンピュータは世界の情報を参照し世界と交流する道具になったが、同時に自身の創作物を世界に発信するツールでもあり続けた。 ここで紹介しているモノたちの前半(20世紀の頃)はコンピュータにかかわる人間はなにか新しいこと、常識として存在しないこと、とんでもないことを創り出したいという意欲に満ちていて、仲間内で「ああしたい、こうしたい、こんなことができるかもしれない」という議論を尽きずにしていた人たちだった。


いま、ITにかかわる人を見渡すと、そういう人種はいつのまにかいなくなり、言われたことをする(何をすべきか言わないと何もできない、何をすべきかすら思いつかない)人たちが多くなった。 IT=クリエイティブではなくなったのだ。 これは非常に驚くべきことだ。 そしていま、ITは衰退しつつある。 少なくとも日本は。 何事も、クリエイティブな素養がなくなると、停滞から退化へとかじを切るのだろう。 いまのIT屋はルールブックの通り反復することが得意な意思のない機械のような人々だ。




それはともかくとして、自身と超高級文房具&画材としてのコンピュータのかかわりを振り返ってみよう。






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ワープロ 1990年 SONY Hitbit Word 1991年 SONY Produce 100
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PCではないが、最初に創造的活動のためにコンピュータを入手したのはワードプロセッサーだった。 父の職業の関係で、子供の頃から"タイプライター"をいじっており、QWERTYキーボードに慣れていた。 文章を書くのも好きだった。 手書きだと、書き直すのが大変なのもよく知っていた。

だから、ワープロなる機械がほしかった。最初に入手したのがSONYの「Hitbit Word」 というワープロ。キーボードの日本語印字が「たていすかん(QWERTY)」ではなく、「あいうえお」という50音配列だった。液晶画面が1行しかなく、文章を推敲するのは結構難しかった。

 1990年 SONY Hitbit Word
 https://goodoldbits.wordpress.com/2016/02/26/hitbit-word/
 こちらのサイトで紹介されている。
 

Hitbitの次に入手した(そして最後のワープロとなった)のが、SONYの「Produce 100」 というワープロ。 たしか初代ではなくEXという改良版だった。液晶画面が10行あり、推敲して書き直すのが楽になった。 今考えればスクロールが超遅かったが当時は複数行が表示されるだけで十分素晴らしかった。

当時、SONYのワープロは無名(書院、文豪、RuPoあたりが大御所)でこれをわざわざ買うのは変人だった。 ただし、PJ100 はプリンター分離が可能で、本体だけで「モバイル」できる! という特色があった。 振り返ってみると、これが自分の「モバイル好き」の原点かもしれない

 1991年 SONY Produce 100
 http://buyee.jp/item/yahoo/auction/o234615300
 オークションでピカピカの状態に再生されたモノが売られていた!
 あまりにきれいな状態と稼働するという事実にびっくり。
 

 

 




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3D CG 1992年 キャスト C-Trace
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最初にパーソナルコンピュータを使いたいと思ったきっかけがこれだった。 手書きで絵を描くのは既にできたがコンピュータの良さは同じ構図でライティングを変えたり、同じ対象を角度を変えて書き直したりするのが簡単にできた。 この効率は手書きに比べて圧倒的であるように見えたのだ。

だから、2Dペイントソフトには初めから興味がなく、3D CG ソフトを使おうと思った。コンピュータ(PC)を買ったのはこれ(3D CG)がしたかったからだ。

当時使っていたのはキャストの「C-Trace」というソフト。 友人が使っているのを見て是が非でもほしくなった。 光線追跡法(Ray Trace)という手法を使うため、レンダリングにものすごく時間がかかった。 当時使っていた EPSON PC 386M(80386SX 16MHz)では1ピクセルの描画に十数秒かかるという状況で1枚の絵を描かせるのに数日かかった。

あまりに時間がかかるので、浮動小数点演算用のコプロセッサ(80387SX)を増設したところ、1ピクセルを1秒程度で描画するようになった! 当時、3DCGというのはそんなものだったのだ。 それでも描き出される手書きとは趣の異なる絵は素晴らしかった。

なお、当時のPC9801(EPSON互換機も)はVRAMが4096色中16色同時表示という非常にプアなもので、24bitフルカラーを実現するために拡張VRAMを増設しなければいけなかった。 自分は デジタルアーツ社のハイパーフレームを使っていた。

 1992年 キャスト C-Trace
 https://www.koka-lab.net/cg/history/my_3dcg_history.htm
 こちらのサイトの著者の方もかつてC-Traceを使っていたそうである。
 ここで紹介されている画像がC-Traceで作られたものだった場合、描画
 は恐ろしく時間がかかっただろうな。
 




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ワープロソフト 1992年 デービーソフト p1 EXE
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CG用にパソコンを買ったのでついでに大学のレポート作成用にワープロを使うようになった。 Produce は健在だったけれど、速度が遅かったから。 当時は「一太郎」というのが大御所だったが、自分が使ったのはデービーソフトの「p1 EXE」。 これを使った理由は数式入力と図形描画機能があったため。 理系の大学だったので数式と図形は必要だった。 一太郎Ver4がたしかフロッピーディスク4枚組だったのに対してp1 EXEは2枚組でFDD2つ装備のPC386Mならディスクの入れ替えが不要だった。

 1992年 デービーソフト p1 EXE
 https://ja.wikipedia.org/wiki/P1.EXE
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~naopy/pc_98.html
 




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ウィンドウズ 1992年 Microsoft Windows 3.1
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マイクロソフトウィンドウズに接したのは大学の研究室時代(4年生)だったと思う。MS-DOSの上で動くGUIとしてウィンドウズ3.1を使った。

当時はまだ、Windowsネイティブのソフトはほとんどなかったので、DOSアプリのタスクスイッチャ的にWindows3.1を使っていた。 それでも、MS-DOSのシングルタスク環境と違い、同時に複数アプリを起動し、切り替えできるのはとても便利だった。 Lotus123でグラフを描き、それを見ながら、p1EXEでレポートを書くことができた。 同時並行(マルチウィンドウ)というのはいいものだ! と思ったものだ。

 1992年 Microsoft Windows 3.1
  
 

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Fortran + グラフィックス 1992年 Microsoft Fortran 5.1
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計算結果の可視化(グラフ化)がしたかったので、グラフィクスサブルーチンを持つFORTRANコンパイラである点も良かった点だったように記憶している。 ただ、実際には前述の拡張VRAM(ハイパーフレーム)を制御できたのがN88 Basic だけだったために可視化プログラムはBasicで書いたように記憶している。ハイパーフレームを使えば24bitフルカラーでグラフが描けるから。

 1992年 Microsoft Fortran 5.1
 https://winworldpc.com/product/microsoft-fortran/5x
 




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ワープロ(WYSIWYG) 1993年 Zeit Z's Word JG 2.0
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Windowsが登場したときに「WYSIWYG」という言葉が提唱された。 これは「What You See Is What You Get」の短縮であり、画面で見たままの印刷結果を得る。または、最終アウトプットと同じものを画面上でイメージしながら創作活動をできる。 ということである。 アウトラインフォント(いわゆるTrue Type)フォントとGUI IF によりこれは実現される。

いまでこそ当たり前だが、当時のワープロソフトは「印刷イメージ」で編集することができなかった。 一太郎も p1 EXE も印刷プレビューモードでしかレイアウトが確認できず、このモードでの編集はできなかった。

当時、それができたのはDTP(DeskTop Pablishing)ソフトであるアドビのPageMakerだけだった。このPageMakerと同じコンセプトで文章も図も一括して霊アウティングできるワープロとして注目されていたのが、ツァイト社の Z's Word JG だった。 p1 EXE の次に使ったのがこのワープロ。 独自のアウトラインフォントも付属しており、WYSWYGを実現していた。 修士論文を書いたのはこのワープロ。 多数の解析結果のグラフをきれいにレイアウトすることができた。

 1993年 Zeit Z's Word JG 2.0
 http://www.geocities.jp/kazooou5/comhis/
 
 
 https://zigsow.jp/item/247729/review/202897
  


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インターネット 1995年 Microsoft Windows 95
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1995年にマイクロソフトWindows95の登場でインターネットが一般に普及するようになった。 私個人的には、仕事の関係でこれより少し早くUNIXワークステーションでインターネットを利用していたこともあり、95ショックはそれほど大きくなかった。 しかし、一般にインターネット利用を普及させたきっかけという点では絶大な効果があった。 

この当時、やってきたインターネット(黒船)とは SMTP(電子メール)、http(Webサイトとブラウザ)、NNTP(ネットニュース)だった。

今まで、知的創造活動のための「超高級文房具&画材」だったコンピュータにコミュニケーションツールと世界の情報を見る窓と世界に情報を発信する電波塔の役割が加わったのだ。

 1995年 Microsoft Windows 95


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スマートフォン 1996年 京セラ DataScope
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インターネットの登場でコンピュータで情報のやり取りができるようになった! となると、それをいつでもどこでもやりたくなる。 

当時、コンピュータにモデムをつなぎ、従量課金の電話回線を使えばインターネット通信を行うことができた。 このころ、携帯電話がすでに普及し始めており、携帯電話をモデムにすればノートパソコン+携帯でインターネットを場所を問わず使えるようになった。

とは言え、ノートパソコンはまだデカ(A4サイズ、厚さ3cm位)かった。 そんな時に早すぎる登場をしたスマートデバイスがこれ。 京セラの DataScope。 本体はPHSであり同時にWebブラウザとメールクライアント機能を持っている。 単体でインターネット利用ができ、パソコンにつなげばモデムになった。

現在流行のスマートフォンの元祖ともいえる。 ハードウェアは京セラで内部のソフトはIBMが作っていた。 電話機能しかない携帯が当たり前の中で、単体でメールしたりできる端末という機能面と見た目のごつさでとても目立った。

これが自分にとってスモールモバイルコンピュータというものへ傾倒する大きなきっかけとなったのだろうと思っている。 ファームウェアのバージョンアップ中にハングしてそのまま死ぬという劇的なお別れになった。 やめときゃあよかった… このトラウマでその後BIOSアップデートを絶対しないようになった。

 1996年 京セラ DataScope
 https://lancelot2.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07
 

 




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ウルトラモバイルPC 1998年 NEC PC 9821 Mobio NX
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DataScopeを使うと、ノートパソコンが妙にでかく感じられるようになってくる。ポケットに入るパソコンがほしいという思いはこのあたりから始まった。 当時は東芝のリブレットがその分野で最も有名だった。 が、リブレットを買うのでは面白くないということで手に入れたのが「NEC PC9821 Mobio NX」。

Windows95を搭載した超小型パソコン。リブレットもどきと言ってしまえばそれまでだが、個人的にはリブレットよりもキーボードの作りがよかったと思う。 Windows95時代のPCだったのでUSBポートがなく、それが致命傷となってあまり長く使えなかった。 2015年まで所有していたのだが、引っ越しのときに処分してしまった。 今思えば残念。

 1998年 NEC PC 9821 Mobio NX
 https://lancelot2.blog.so-net.ne.jp/2012-06-01
 




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スマートフォンもどき 2000年 ポケットポストペット
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Data Scope の後にポケットに入るメール&Web端末としてゲットしたのがこの端末。 見た目とは裏腹にとても高い実用性を発揮してくれた。 Data Scope 亡き後、普通のPHSに切り替えたが、それと組み合わせることで Data Scope のような使い方ができた。 少し大きかったが、十分なモバイルデバイスで、出張先でのメールのやり取りに大活躍した。

 2000年 ポケットポストペット
 https://www.watch.impress.co.jp/mobile/column/catchup/
 




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ウルトラモバイルPC 2002年 SONY VAIO U
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Mobio NX に次ぐウルトラモバイルPCがこれ。いまでも最高のUMPCだと思う。

何がすごいかと言えば、「立って使うというスタイルを提案した」のがすごい。 Mobio NX もキーボードのサイズからタッチタイプができないのだが、当時立ってつかえ、キーは親指で押せとはアピールされなかった。 リブレットも同じだった。 そういう意味でSONYの提案はすごい。

残念な点は、SONYらしいのだが、バッテリーが持たない。 標準バッテリーだとカタログ値で4時間だが、実働が2時間くらい。 これではモバイルできない。 コンセプトは最高だがそれを活かしきる技術はまだ存在しない当時に世に出てしまっている。 これはのちに出た VAIO Type P も同じ。

 2002年 SONY VAIO U
 http://www.vaio.sony.co.jp/Products/PCG-U3/
 



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スマートフォン 2006年 SHARP Willcom W-Zero3
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日本初のスマートフォン。 日本のスマホはiPhoneで始まったと思っているならそれは間違い。 最初に登場したのは、マイクロソフトのほう。 大衆に普及したのがiPhoneだったという事。

マイクロソフトのスマホ第1号として登場したのが WillcomのW-Zero3 。とても小さい筐体のくせにVGAの画面+スライド式フルキーボードが付いた Windows Mobile 5.0 をOSにしたスマートデバイス。

このデバイスはたくさんのことを教えてくれた。 Windows Mobile はクリエイター向けのツールであり、iOS(iPhone)は大衆がコンテンツを参照するためのツールであること。 クリエイターの要求には Windows Mobile は100%は応えられないこと。 それはアプリとデータの互換性の壁であり、それに起因するクリエーションワークの継続性の断絶であるということ。

どう頑張ってもスマホはパソコンにはなれない。 その身分の違いは事実だったが便利なものだった。USBで再充電できるのでモバイルバッテリがあれば電源の心配がいらなかった。UMPCではまねできなかったこと。 いつでもどこでも、フルキーボードとスタイラスペンで長文の作成も推敲もかなり高精細の手書きイラストも描けた。 意外なところでは、IMEの手書き入力の認識がとても秀逸で、変換すらせずにいきなり漢字で書けるのはとても効率的だった。

弱点はスライド式キーボードの機械的寿命による接触不良。 4台使ったが、うち3台がすべてこれで壊れた。 結局、スマホはクリエイター層には使われず、大衆のモバイルテレビであるiPhoneとそのモドキ達しかはやらなかったので、その後スマホを使うことはなかった。

 2006年 SHARP Willcom W-Zero3
 http://www.sharp.co.jp/ws/004sh/index.html
 




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ウルトラモバイルPC 2008年 SHARP Willcom D4
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これがUSB充電できて、バッテリー駆動時間6時間くらいで、画面が1280x800で、もっとキビキビ動いたら… 最良のウルトラモバイルPCだったかもしれない。 とにかくWindowsOSがネイティブに動作するのだから。 W-Zero3 のときに味わったデータの互換性のなさの問題はなく、デスクトップとの間でシームレスにコンテンツ編集を継続できたのだから。

しかし現実は厳しい。 USB充電不可、バッテリ駆動時間2時間、画面1024x600、何をやってもDISKが回るもっさり感…  このころから、日本パソコンは高性能という神話が崩れ始めた気がする。

 2008年 SHARP Willcom D4
 http://www.sharp.co.jp/d4/function/communication.html
 




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インターネット端末 2009年 SHARP NetWalker
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あまり期待せずに買ったが意外と大活躍した。 一番の用途は出先でコンテンツを「見る」専用機。 つまりスマホと同じ。 何がよかったかと言えば、忘れるほど長く使えるバッテリ稼働時間。 Ubuntu+Gnomeのマルチウィンドウ方式なので、同時並行で複数のタスクをこなせること。スマホはこれができない。

本格的なコンテンツ編集はハードの性能のプアさとOS(Ubuntuだ…)の制約でできなかったが、ちょっとしたことをメモしたり、備忘録的な作業には向いていた。 W-Zero3でも十分だったかもしれないが、それよりはパワフルだった。

普及しなかったのは当時まだポケットWiFiが普及していなかったにも拘わらず、ネットワーク機能が無線LANだけで、Ubuntuゆえ、Windows用のWiMax通信カードなどが使えなかったことだろう。 使うシーンの検討が不十分だった製品と言わざるを得ない。 もしくは早すぎたか。

 2009年 SHARP NetWalker
 http://www.sharp.co.jp/netwalker/pcz1j/about/index.html
 




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ウルトラモバイルPC 2009年 Viliv S5
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キーボード+マウスのないパソコンがいかに使い物にならないかを教えてくれた。 この小さなパソコンを買ったおかげで、その後タブレットPCを買うことは決してなかった。

 2009年 Viliv S5
 http://www.hanwha-japan.com/products/S5/
 

それだけだったら大失敗なのだが、その後、ずっとお蔵入りになっていたこいつにふと思い立ってミニキーボード(EWin)を装着したら状況が一転した。 W-Zero3 に期待して果たせなかったフルスペックWindowsが稼働し、デスクトップからモバイルまでシームレスにコンテンツを編集し続けることができるデバイスが出来上がってしまった!

もう少し薄ければとか、軽ければとか、画面の解像度(1024x600)が…とかはあるが、これが実は理想のウルトラモバイルパソコンだというものになったことは事実だ。 実稼働時間が5時間以上あるのでバッテリー再充電の心配がないのも強かった。

これがなかったら、もしかしたらスマホ(ブラックベリーとか)を買ったかもしれない。 スマホはパソコンになれないが、こいつは生まれながらのパソコン。 スマホでできることはパソコンでできるが、逆は真ではない。


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