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【やっと表門橋“復元”計画】

2012-06-22 13:18:26 | Weblog
【地の売買手間取った】
 『“復元”』
 出島は1922年に出島和蘭商館跡として国史跡に指定。 
1859年の開国まで海外文化の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たした出島。
鎖国時代、西洋に唯一開かれ、学術や医学、文化が伝えられた扇形の人工島。面積は約1万5千平方メートル。
当初出島には、ポルトガル人が暮らしていた。2年の無人期間を経てオランダ商館が平戸から移転。
当初、木製だったが1678年に全長4・5メートルのアーチ状の石橋に架け替えられた。
1888年の中島川の工事で約20メートルだった川幅を約30メートルに拡幅した際、撤去された。

長崎の豪商25人の出資で1636年に完成した島。
 建設費は96年10月に地元経済界を中心に設立した出島復元募金活動推進委員会が集めた基金約10億円を活用するという。
 同商館跡の昨年度の入場者は約40万人。架橋で往時の景観や人の流れがよみがえり、観光活性化の起爆剤となりそうだ。

【計画】
鎖国時代、日本で唯一、西欧と交易があった出島(長崎市出島町)

 対岸の江戸町を結ぶ「表門橋」の架橋を計画表門橋は、中島川を挟んだ対岸の土地約3千平方メートルを買収し、公園として整備した上で架橋する計画。
 1989年から用地交渉を進めてきた。架橋予定地にはビルと駐車場があり、市は今月中旬、地権者と土地(約920平方メートル)の売買契約と建物の移転補償契約を交わした。対岸の用地取得率はこれで95%となる。ビルにはテナント3社が入居しており、移転交渉を進めるという。
対岸の用地取得率はこれで95%となる。
 16年度完成を目指し、架橋予定地で発掘調査や測量を実施。川幅が広がっているため、完全復元は見込めず、今後、橋の形式を検討する方針。
市は表門橋を観光のシンボルと位置付け23年前から用地交渉を進めていたが難航、地権者の同意は長年の懸案だった。これで架橋計画は市が掲げる2016年度完成に向け、大きく前進する。

【同意で表門橋復活】
○皆さんに感謝したい/田上富久長崎市長
50年代に復元整備に着手、出島の顔は六十数年を経て“復活”することになりそうだ。
 表門橋の架橋は出島復元をより魅力的なものにする大きなポイントの一つ。
長年の懸案だったので、ほっとしている。

地権者やこれまでかかわってきた皆さんに感謝したい。まだテナントの皆さんとの交渉が残っているが、昔と同じように表門橋を通って出島に入る様子が再現できるよう今後とも精いっぱい努力したい。

『私も安堵した。よかった、よかった、
かつれた○○商会(紙箱、一般紙・不動産業)が、立ち退くとは・・・テナントには○○貿易、水産業者が入っている。グルになってごねていた汚いビル長崎の恥ビルだった。』



 

 










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