歴史の日記

日本史についていろいろと書かせていただきます。

太田道灌について1

2007-02-10 22:07:24 | 日本史-人物関係
せっかく太田道灌の話題を書いたのでもう少し詳しく・・・

大田道灌は室町時代後期に関東で活躍した武将で関東管領を務める家柄である扇谷上杉氏の家臣です。

室町時代の関東は鎌倉公方が納めていましたが京の将軍家と争いが絶えずこのため関東はずっと戦乱状態でした。

このような状況の中大田道灌は主家扇谷上杉氏のために勢力拡大を図ります。
江戸城はこの戦いの中、秩父平氏の一族江戸氏を追って築城したもので、当時鎌倉を離れ古河に本拠を構えていた古河公方と対立したり武蔵各地に勢力を伸ばしました。

そういえば箱根の坂という北条早雲のことを描いた小説に大田道灌と北条早雲のやり取りが出ていますね。


う~んやはり最近このあたりに関する本を読んでないせいかかなり怪しいです。
やはりこれを機会にまたいろいろと調べてみたいと思います。

鎌倉権五郎景政

2006-07-22 08:11:47 | 日本史-人物関係
う~ネタが無く時代がさかのぼってしまいました・・・
今日は平安時代それも源義家の活躍した時代の話です。

たまに、鎌倉へ花の写真など撮りに行くのですが良く行くコースとして
極楽寺駅→成就院→古いお菓子や→御霊神社→長谷寺→どこか
ってなコースで歩きます。
今日はこの御霊神社に関係が深い鎌倉権五郎景政についてです。

鎌倉権五郎景政の一族はこの付近一帯を支配する平氏系のの武将で後三年の役に源義家に従って参戦した武将です。記録によるとそこでの奮戦はすばらしく目に矢を射抜かれても奮戦し、帰陣後も矢を抜こうと顔に足をかけた同僚の武将に、顔に足をかけられるなんて武士の恥だなどと言ったと伝わっています。

尚、この鎌倉権五郎景政からは、頼朝の時代に活躍した武将が出ます。

写真は御霊神社から見る江ノ電です。

あと御霊神社近くの古いお菓子屋は権五郎を冠した和菓子が売られており結構おいしいいです。甘党の方はぜひどうぞ。

毛利季光

2006-07-17 08:48:04 | 日本史-人物関係
源頼朝の家臣大江広元の四男で、毛利元就の先祖になります。
大江広元は文官系の家臣ですが季光は鎌倉武士です。
大江広元の領地のひとつ相模国毛利荘を与えられ毛利を名乗りました。
毛利荘は今の厚木市で今でも「毛利」の地名はありますが最近つけられた地名のようで実際当時の毛利荘の位置や季光の屋敷などは確実にはわかっていないようです。

この季光は、三浦氏と縁戚を組、執権北条時頼に娘を嫁がせるなど有力武将でしたが、北条氏と三浦氏の争い宝治合戦に三浦方について敗れました。

生き残っ子供が安芸国の所領を維持し戦国時代の毛利氏につながりました。

渋谷重国

2006-07-08 22:57:34 | 日本史-人物関係
せっかく歴史の日記として新装オープンしたので・・・

しばらくは神奈川県に関係ある歴史上の人物について書いてみたいと思います。

古い時代から順番ということで

渋谷重国

平安時代源平の合戦の頃の武将です。
吾妻鏡にも載っている武将で
平治の乱の時源氏方についた佐々木秀義一族が奥州へ落ち延びる途中に助けかくまいました。
ちなみにこの佐々木氏は近江源氏で佐々木道誉や尼子氏の先祖です。

渋谷氏の方ですが頼朝挙兵直後は平氏方でしたがその後源氏方に付き鎌倉時代は北条得宗家の家臣になったようです。

こう書いてみるとなかなか難しい
大した内容じゃなくてすみません。
本を読み返さないと1回で企画倒れだ・・・
次回は誰か鎌倉時代の武将を