純じゃぱ の えいご道中膝栗毛

アメリカに12年もいたのにトホホな英語・・・純じゃぱが涙をインクにその叫びを綴ります。

62. Friends

2006年01月31日 23時15分22秒 | 英語えいごエイゴ
  アンからeメールで、ある詩が送られてきました。

その詩、読んだらなかなかいいなと単純な純じゃぱは思いました。

  内容はばらばらで、ひとつながりにつながってはいませんが、それぞれ好みに応じて好きなものを味わう”バイキング”的な味わい方ができる詩ではないかなと思いました。


  その詩とは以下のようなものでした。(訳:純じゃぱ(苦笑))


Friendship
  友情


Many people will walk in and out of your life.
  数多くの人たちが、あなたの人生に現れ、そして去ることだろう
But only true friends will leave footprints in your heart.
  しかし、あなたの心の中に足跡を残した人だけが、真の友人と呼べるだろう



To handle yourself, use your head;
  自分を動かすためには、あなたの頭を使いなさい
To handle others, use your heart.
  人を動かすためには、あなたの心を使いなさい


Friends
  友だち
Anger is only one letter short of danger
  怒りは危険という言葉の一文字を取り去った言葉です。



If someone betrays you once, it is his fault;
  もし誰かが、あなたのことを1度裏切ったとしたらそれは、その人が悪いということです。
If he betrays you twice, it is your fault.
  もし誰かが、あなたのことを2度裏切ったとしたら、それは、あなたが悪いということです。


Great minds discuss ideas;
  偉大な心は、考えを、議論します。
Average minds discuss events;
  凡庸な心は、事実だけを議論します。
Small minds discuss people; 
  狭小な心は、人について議論します。



He, who loses money, loses much;
  お金を失うものは、ただそれだけを失う
He, who loses a friend, loses much more;
  友人を失うものは、お金以上のものを失う
He, who loses faith, loses all.
  信頼のを失うものは、持てるものすべてを失う。



Beautiful young people are accidents of nature, 
  美しい若者がいたとしたら、それは、自然のいたずらでできただけのこと。
But beautiful old people are works of art.
  美しい老人がいたとしたら、それは、人生の技巧を凝らした芸術作品



Learn from the mistakes of others
 人の失敗を笑うことなく糧としなさい
You can't live long enough to make them all yourself.
自分の思うとおりに人を従わせることに時間を使うべきではありません。



Friends, you and me...
  友だち、それは、あなたと私
You brought another friend...
  でもあなたは、別の友だちをつれてくる
And then there were 3...
  それで、ふたりが、3人になってる
We started our group...
  それが、友だちのグループのはじまり
Our circle of friends...
  友だちと友だちでできた輪
And like that circle...
  そして文字通り輪のように
There is no beginning or end...
  始まりもなければ終わりもなくどこまでも友だちは広がっていく。



Yesterday is history.
  過ぎ去ってしまった昨日はもう歴史の一日
Tomorrow is mystery.
  やってくる明日は、どうなるのかもわからない謎の未来
Today is a gift.
  だから今日という一日は、とても大切な贈り物
That is why it is called the present.
  だからこそ、かけがえのない今を「プレゼント」というのです。
  (Presentを”贈り物”と”現在の”という掛け詞に使っている)

This poem is written by Eleanor Roosevelt(NOT ME)


  ロンの死を通して、友人たちのありがたさに触れ、同時に期待どおりの行動ではなかった友人たちもがいて、さらには人生そのものにも考えが及んで彼女の琴線に触れるものがあったのでしょう。

  上は、処世訓がばらばらに散りばめられています。

  純じゃぱは、最後のものが一番好きですね。

  掛け詞を使っているのと、今を大切に!というのが、毎日酒を飲んで無為に過ごしている自分に警告を発してくれているような気がしています。

  みなさんはどれが好きですか?


  この詩の作者

Eleanor Roosevelt

は、ルーズベルト大統領の妻にあたる人です。




******************************************************************

ご訪問ありがとうございます!コメント/感想/文句/批判なんでもどーぞ。

読んだらポチ!順位を確認して帰ろう!関係ない?(笑)→人気blogランキングへ
今35位。ポチポチありがとうございますです。感謝感激!。

こちらもどーぞ↓。
英語学習 ランキング
こちらは今28位。応援のお蔭です~。

61.  ハトがとんでいった

2006年01月28日 22時42分37秒 | 英語えいごエイゴ
  ロン(夫)が死んだ日の夜、アン夫人からメールをもらいました。

*** MEMORIAL SERVICE FOR RON POWELL ***
WHERE:HERE AT OUR HOME ON THE LAKE
WHEN:Wednesday January.25, 2006
TIME:12:00 PM
If you cannot attend, we understand and know you will keep us in spirit, prayers, and thoughts.



  もちろん行くよ、と短く言って電話を切りました。

  あの世に旅立ってからちょうど一週間目にあたる日の追悼式とのことでした。

  ニホンならさしずめ初七日だろうな、と思いました。


  その日は、朝から青空が広がり、キリリと冷えきった空気が、低い太陽の光にパリンと音を立てて割れるようなそんな朝でした。

  ロンの家は、緩やかに傾斜する湖畔にあります。

  多忙で厳格なビジネスマン生活を送った彼が、退職後の生活をすごす場所として、この湖を望む閑静な場所を選んだのは何の不思議もありませんでした。

  波打ちぎわには短い桟橋があり、以前、よく釣りにつれていってもらった時に使ったポンツンボートがちんまり浮かんでいます。

  今日は、その波打ち際の家の前庭を使っての屋外の追悼式なのだそうです。

  桟橋の脇には、以前、ハンバーガーなどを食べたときに使った簡易テーブルの上に白い布がかけられ、簡単な祭壇がしつらえられていました。

  真ん中には、ロンのash(遺灰)が、はいった四角い木のurn(骨壺)が鎮座しています。

  純じゃぱは、遺骨と言っても

ash

っていうんだな、

urn

は骨壺と言っても、木でできているし、陶器でできた丸いものじゃあ、ないんだなんて見ていました。

  そしてそれを取り囲む6枚の彼の写真。

  子供のときから、死ぬ直前までの、妻アンとの、子供たちとの、純じゃぱの知らない友人たちとの。

  ラジカセからは、明るいポップスが流れていて、追悼式を感じさせないところが、なぜか逆に悲しみがつのります。

  この音楽が流れているところには、いつもロンの笑顔があったのに・・・というように。

  
  始まる時間になるころには、50~60人くらいの人がcasualな格好で集まってきました。

  みるとロンの子供たちもジーンズを履いていたりして思わず笑ってしまいます。

  友人の司会で、式は始まりました。

  参列者たちは思い思いの場所にたたずみ、笑いもところどころにある明るいスタートでした。

  彼の略歴が話されたあと、友人たちの思い出の手紙の紹介。

  「楽しかったよ」という友人たちのジョークまじりの言葉には明るく笑い、「でも、やっぱり寂しくなってしまったね」というところでは、涙を流しました。

  ニホンのように一同がしかつめらしい顔をしてお葬式をやるのと比べると、これはこれで明るく、かつその中に哀愁があっていいな。

  彼の好きだった音楽をみんなで聞き、家族からお礼の挨拶が済むと、司会が祭壇の陰からなにやら箱のようなものを取り出しました。

  よく見るとそれはナンと鳥かごでした。

  司会がそれにそっと手を突っ込むと、真っ白の一羽のハトが出てきました。

  ひと呼吸おき「それでは、お別れです」と司会が一言いうと、両手を持ち上げるようにしてハトを放ちました。

  ところが、不思議なことに、ハトはすぐにロンの祭壇に降り立ち、ちょこちょこと歩いては止まり、司会が「早く飛べ」と払いのけるようなしぐさをしても一向に飛びたとうとしません。

  その一連のおどけた感じが参加者の軽い笑いを誘いました。

  でもそのとき誰かが「ロンは、まだみんなと一緒にいたいんだね」といいました。

  その言葉にアンはまた泣きました。その涙の母を息子が抱きしめました。

  ようやく、ハトは思いきったように飛び立ちました。

  さよならを言うようにみなの頭上をぐるっと旋回すると、いったん木の枝に留まり、そして、湖面を低く滑空すると山ぎわに向かって飛んでいきました。

  やがて、それは高く快晴の青空の中の点になっていきました。

  全員が涙をぬぐうことなくその一点を見つめていました。

  ああ、本当にロンはいなくなったんだなとそのとき心から感じました。

  最後にひとりひとりに一輪のカーネーションが渡され、桟橋の突端に行って湖に向かって、その花を投げ入れて冥福を祈りました。


  接客に忙しいアンとはあまり話す時間が取れませんでしたが次のようなことを話してくれました。  

  その日の朝、ロンは、少しずつこの世から足を抜けるようにして逝った。とても安らかな旅立ちだった。ベッドを作ってくれてありがとう。あの日、ロンのなきがらを、家族みんなで手をつないで取り囲み、冥福を祈った。そして、その日のうちに、家から一時間くらいの

crematory

  すなわち火葬場に運び、

cremation

  すなわち荼毘(だび)に付した。

  とのことでした。

  ボクは彼のなきがらを拝みたかったなといったら、顔をしかめながら「死んでしまったものを拝んでも意味がない」といいました。

  そこに西洋人とニホン人の死生観の違いを感じました。

  ニホンでは、死ぬと仏様になるので、なきがらは、大切に扱うと思っていますが、キリスト教では、どうも違うように思えました。

  また、ここ南部では、かなりburial(土葬)が残っています。

  カトリックとプロテスタントの

Baptist派(洗礼派)

  が土葬なんだそうです。

  アメリカ人にしては無宗教、北部のシカゴ出身で南部の人を毛嫌いしてきた、そして、死んでしまったものには、お金をかけても仕方がないという合理的な考えの持ち主でもあったので、荼毘(だび)に付したのだと思います。

  実際、土葬はお墓を掘らなければならないのでお金がかかるとのことでした。

  「ロンの遺灰はどうするの」と聞いたら、こう話してくれました。

  「彼が、まだ癌にかかる前にそんな話になってね。よく釣りをしたカナダの湖に散骨してくれっていったのね。でもそこは、車で数十時間かかる原始境で物理的に無理なの、ワタシには。それで、その次の候補はどこ?って聞いたら、サウスカロライナ州のエディスト島がいいな。そこに撒いてほしいって言ったのよ」

  「あるとき、

shrimping(エビ採り)

に出かけたのね。投網で取るんだけどエビがいっぱい取れてね。そのあとボートの上で二人でぼーっとしてたの。波はなく夕焼けがとてもきれいで、黄色い葦原がどこまでも続いて、あったかくて、こんなとこで死ねなたらいいなって彼がぼそっと言ったのね。あの日のことは、今でも良く覚えている・・・」


  帰りにふと気づいたらガレージでパソコンを使って彼の一生をたどった写真を40枚ほど変わるがわるフラッシュバックのように見せていました。

  赤ちゃんの写真から、副作用で丸坊主になってしまった死ぬ直前の写真まで。

  それを見ていたら、我が家に遊びに来てもらったときの記念写真が突然、現れました。

  もう10年近くも前の写真です。

  たくさん入れたい写真があったろうに、今日のただひとりの日本人参列者に配慮して挿入してくれていたのでしょう。

  10年前の家族。幼い子供たち。そして笑顔の彼ら。

  お互い、どこから来て、どうしてここで接点が出来たのかはおそらく神様しか知らないが、まぎれもなく一瞬の時間を共有化して瞬間の歴史を刻んだ。

  その共同作業をした人がいなくなったんだな、と思うと、自然に涙が頬をぬらしていました。


*********************************************************************

ご訪問ありがとうございます!コメント/感想/文句/批判なんでもどーぞ。

読んだらポチ!順位を確認して帰ろう!関係ない?(笑)→人気blogランキングへ
今33位。ずいぶんあがりました。ポチポチありがとうございます。感謝感激です。

こちらもどーぞ↓。
英語学習 ランキング
こちらは今27位。こちらもあがりました。応援のお蔭です。

60. あの世への旅じたく

2006年01月23日 22時19分07秒 | 英語えいごエイゴ
  月曜日のこと、突然、友人アンからメールが来ました。

  それは次のような衝撃的なものでした。

HI! Dear Friends,
 皆さん

Just a quick note to let everyone know...
 実は手短にお知らせしたいことがあって筆をとりました。

Looks like Ron is losing his battle with THE DRAGON..as of Friday we have called Hospice.
 (私の夫)ロンは、かねてからの「怪獣」との戦いにどうやら敗れてしまいました。
 先週金曜日、(実はもはや手の施しようもなく)ホスピスに人生最期のケアをお願いしたところです。

He is very comfortable and resting. PLEASE feel free to call us. We would certainly enjoy hearing from you and sharing..whatever.
 夫は(退院し)特に痛みもなく(ゆっくり自宅で)休んでいます。そこでお願いがあるのですが、お電話をいただけませんか?遠慮は無用です。夫も私も貴方から連絡があるのを楽しみにしているし、どんなことでもいいから(これまでの思い出などを生きている今のうちに)分かちあいたいと思っています。

Ron has battled the last two years and battled courageously. No side effects from all the chemo and radiation. We certainly feel we were given a gift of living while doing this battle and enjoyed all the days we were given to do so!
 (思えば)彼は(「怪獣」が発見されて以来)2年もの間、闘病生活をしてきました。勇敢に病気に向き合いました。幸いなことに化学療法や放射線治療でも副作用はありませんでした。この闘病生活を、まさに神からの贈り物としてありがたく感じていたし、また、そうするために与えられた贈り物を精一杯楽しみました。

Many enjoyable trips to the trailer in the North Carolina Mountains,A visit to the Oregon Coast and visiting with Bill in Seattle. The Beach in early December and many side ventures here and there.
 (例えば)ノースカロライナ州の山々にもキャンプに何度も行きましたが、とても楽しいものでした。オレゴン州の海岸を訪ねたり、息子のビルとシアトルにも行ったりしました。12月初旬には、サウスカロライナ州のマートル海岸など、とにかくそこかしこに小旅行をしました。

Again, please do not feel uncomfortable giving us a call or emailing. If we cannot talk when you call, please understand we just may be working on keeping Ron comfortable.
 とにかく、(末期患者ということで)電話やEメールがしにくいと存じますが、気になさらずにどうかお願いします。電話が通じないときは、夫が(最期の残り少ない日々を)快適に過ごせるよういろいろと身の回りの世話をしている(電話に出る気分ではないという意味ではない)とご理解いただければ幸甚です。

Thank you for all your support and encouragement.
 (最期になりましたが)いろいろと手助け戴いたり、勇気づけて戴いたり本当にありがとうございました。



 純じゃぱは、この手紙を読んでうろたえてしまいました。


 ロン(夫)とアン(妻)とはもう10年近いおつきあいとなります。

 アメリカに来て、さまざまな場面で困った我々家族を全面的に助けてくれたのが彼らでした。

 最初は英語の教師として、そしてそれが次第に家族ぐるみの付き合いになっていきました。

 もちろんロンが、アン夫人が「Dragon」と表現している「肺がん」に侵されていたことは知っていました。

 しかし、早期に見つかった癌だったし、化学療法もうまくいっていたから大丈夫と高をくくっていた。

 また、妻のアンも、それが本来であれば3ヶ月の命だったことを我々にあえて言いませんでした。

 だからロンとも、この2年間というもの癌のことをほとんど気にせずにハナシができたのです。


 ここのところ忙しくて、コンタクトを取っていなかったところにこの知らせが突然舞い込んだのでした・・・。


 こんなとき、どうしたらいいんだ? 矢も盾もたまらず家に向かいました。



 ロンは、暗い部屋にひとりで、ポツンと座っていました。

 近寄っていってとき、彼は、にこりともしませんでした。全くの無表情で、どちらかというと、自分の苦痛を背負いこんでもう精一杯という顔だったと思います。いつものハイ!という笑顔がないことにさらにうろたえは増しました。

  ひたすら酸素吸入器から細い管を使って、酸素を無心に吸っていました。

  そして、ときどき、大きな深呼吸をし、ときどき、居眠りをするそんな感じでした。

 僕は彼の横にちんまりと座って「一週間以内にあの世に旅立つことがわかっている本人にかける言葉」・・・それを一生懸命探していました。

 「元気?」
 「早くよくなってね」
 「あれ、楽しかったね」
 「あれ、おいしかったね」

 会話の糸口を思い浮かべては、これもダメ、あれもダメと頭の中で消していました。

 仕方なく「酸素おいしい?」なんてぼそっと言ってしまい、すぐに「なんて自分は、元気づけることのできない人間なんだろう」とひどく後悔しました。

  たまたま飼い犬がじゃれてきたので、これ幸いとばかり、犬をホラホラなんていいながら撫でながら、「どうしよう?」と思っていました。

 とうとうロンが苦しそうに口を開きました。

 「妻は元気か?、こどもは?」

 はっとして、即座に、
 
 「元気で毎日をバトルしてるよ」

 とジョークまじりに言いましたが、笑いが取れるはずもありません。



 しばらくして妻のアンがやっと一仕事終えて、会話に加わってくれました。

 乾いた空間に水が満たされたそんな感じがしました。ロンには悪かったけど。

 以下のように話してくれました。

 ふたりで癌と闘いことを誓い、残りの人生を思い残すことなく思う存分旅をし、離れて住む子供たちに会い、笑い、助け合いながらの2年間だった。
 癌を宣告されてから、それが治癒するものでないことは了解していた。薬物治療で延命してきただけであって、いつかはこの日がくる、ただそれだけのことだ。
 先週の金曜日に医者からもう手の施しようがない、「来週死ぬ」との宣告を受け、家に連れて帰り残り少ない日々を、住み慣れたこの家で、安楽に過ごさせてあげようとしている。それでホスピスを呼んだ。
 今年の元旦には、大騒ぎするくらい元気だったのが、先週からは、見る見る間に元気がなくなり、本当に気の毒だ、

 とざっとそんな話をしてくれました。


 それから話すこともなく、シューシューと酸素吸入器の音だけが、部屋に響いています。

 暫くしてロンのためにベッドを居間に組み立てて欲しいといわれ、手伝うことにしました。

 「来週、ロンが、あの世に旅立つ最後の場所なんだ」と思い心がふさぎましたが、無心に手伝い、終わったときは、間接的にせよ最後に彼にやってあげることがあってよかったと思いました。

 2時間ほどいて、最後に肩をたたきながらロンに「さよなら」を言ったら、

 彼はひとこと

Come again

 としわがれた声で僕の手を握りしめました。

 「うん、うん、絶対また来るよ!」と言いました。

 でも今度来たとき彼は、僕の手を握り返すことはないだろうと思うと涙が出ました。

 外はどんより雲が垂れ込め、湖畔の道も冬枯れの荒野の道。何だか、宙をふわふわと運転しているような感じがしてなりませんでした。

 家族連名のカードにはこう書きました。

We are thinking of you

 正直こうしか書けなかった。でもそれでいい、とアンは言ってくれました。

 ロンがそのベッドの上からあの世に旅立ったのは、わずか、その2日後のことでした。





********************************************************
 しめっぽい話題で済みません。

 英語道中としては

hospice

 を上げておきたいと思います。

 hospiceは、Hos-がつくのでどこか最終治療をする場所に入院するものだとばかり思っていましたが(世間知らず!)、必ずしもそうではないことをアンより教わりました。
 家をついの棲み家として選び、そこに看護士さんや、牧師さんなどが定期的に訪れ、あの世に旅立とうとしている人に”体と心の平安”を与えるようにするのもHospiceとのことでした。ひとつ勉強になりました。



*********************************************************************

ご訪問ありがとうございます!コメント/感想/文句/批判なんでもどーぞ。

読んだらポチ!順位を確認して帰ろう!関係ない?(笑)→人気blogランキングへ
今48位。ポチありがとうございます。低空飛行で墜落寸前?

こちらもどーぞ↓。
英語学習 ランキング
こちらは今34位。1位後退。こちらも低空飛行中。

59. 来るのか来ないのかハッキリしろと言われた日

2006年01月21日 13時17分30秒 | 英語えいごエイゴ
  先日、久しぶりに休暇をもらった。

  連続4日の休暇だ。週末を入れて6日。ご機嫌、ご機嫌~!。

  そしたらある太った(関係ないか)女性社員がつかつかとやってきて、

  「来週の月曜日の会議の議題ドウシマスカ?」

  という。いけねー、会議があったんだ・・・・・。

  「純じゃぱは出席できない。なぜなら、

I'm gonna take days off from next Monday to Thursday....

  (来週は月曜日から木曜日まで休暇だもんね・・・)」

  と開き直って(笑)答えた。

  そしたら、すかさず、相手から

Are you in the office on Thursday?

  という質問が飛んできた。

  はぁ? 木曜日まで休むって言ったじゃない!。ちゃんと聞いてよ!てな具合になった。

  なんでそんなこと聞くんだ?

  そしたら、

I am wondering if you will be on that day.

(なんでかって、その日にあんたがいるかなって思ったもんだから・・・)

  なんてヌカス。

  はたまた、純じゃぱのアタマは食べ残しラーメンツユなし状態に陥ったのであった。



  いろいろと根掘り葉掘り尋ねてみると、以下のような純じゃぱにとっては不思議としかいいようがない解釈の違いがあったのだった。

  ニホンゴで

月曜日から木曜日まで

  休暇を取るといったら、フツー金曜日には会社に来る。

  もちろん、「それじゃあ、金曜日には会えますね」などの会話はあるかもしれないが、それは、まあ念押しで、いちいち確認などしない。

  ところが英語になるとハナシが変わる。

  上のように

from Monday to Thursday

 に休暇を取るって言った場合、

  アメリカ人の半分は、

木曜日には会社に来る

  と思い、残りの半分は

金曜日に会社に来る(すなわちニホンゴと同じ解釈)

  と理解するのだ。

  正しく半々かどうかはわからないが、確実に解釈はふたつに分かれるのだ。

  実際、会社の社長秘書に聞いてみたら、「ワタシは木曜日には会社に来ると解釈するわ」と言い、弁護士に聞いてみたら「オレは金曜日じゃないと会議は設定できないと思うな」とはっきり言ったのである。

  全くややこしい。

  曜日や日にちを言う場合に使う

To

という前置詞クンの意味に曖昧に理解される要素があるらしいのだ。

  前者を”分析”するとこうなる。

  To Thursday と言った場合、Thursdayに行き着くのは、Thursdayの午前0時一分であるという考え方だ。

  その時間になれば、そのThursdayという曜日に「行き着いた」ことになる。

  東京都の端っこ例えば奥多摩に足を踏み入れて「東京に着いた!」というのと似ている。まだ東京駅には着いていないのに。

  よってTo Thursdayというのは、木曜日の一部にでも行き着けばいいのであって、木曜日の朝9時に出勤するときにはすでに行き着いて9時間も経過しているわけであるから、木曜日出社するとなる。

  一方、木曜日をひと固まりのものとみなし、To Thursdayと行ったら、その木曜日という固まりまでの休暇を取るというように解釈する考え方が後者である。

  これはニホン語解釈と似ていると言っていい。


  秘書の話によると、そいういう言い方をする人もいるので、必ず、

Are you coming back on Thursday or on Friday?

  と確認をしているそうである。


  なお、上のような誤解を起こさない言い方が実はある。


from Monday through Thursday

   というように

through

  を使用すればいい。

  これは100%間違いなく、木曜日は来ないと判断してくれる。

  throughという言葉により木曜日を”串刺し(笑)”にして休暇の領域に入れてしまっているので問題がないのだ。

  ○○から、○○まで、の「まで」に当たる訳語は、この場合、だからthrough
ということになるのである。

  このようなことは、中学の先生は教えてくれなかった。

  ような気がする・・・。

  覚えてないだけか?

  やたら難しい単語は覚えさせられたような気がするが。

  ま、授業中に寝てたからエラそうなこといえないか・・・・。





*********************************************************************
ご訪問ありがとうございます!コメント/感想/文句/批判なんでもどーぞ。

読んだらポチ!順位を確認して帰ろう!関係ない?(笑)→人気blogランキングへ
今45位。ポチありがとうございます。ちょっと低空飛行気味?

こちらもどーぞ↓。
英語学習 ランキング
こちらは今33位。4位後退。





57.  あたしはホステスのナ・オ・ミ 

2006年01月14日 14時03分57秒 | 英語えいごエイゴ
  会社の同僚が入院したのでお見舞いに行った。

  アメリカの病院は相部屋などはなく、患者ひとりひとりが個室に入っている。

  ニホンに比べれば優雅に見えるが、彼らの感覚からすれば他人と一緒の部屋で寝泊りするなんてもっての他なのである。

  職場でもそれぞれの机は、

partition

  と呼ばれる背の低い壁で区切られているのだ。

  エラい人になると窓際の個室になる。アメリカで「窓際族」は確実にエラいことの象徴である。

  おっと、ハナシがそれてしまった。

  とにかくお見舞いにいったのだ(笑)
 
  その個室に白板がかかっていることに気がついた。

  患者さんの面倒を見る担当の役割・名前が書かれている。ローテーションをしているせいか、名前は頻繁に変わるらしい。

  その白板いわく

Nurse:Mary

  これはいわずと知れた看護士さん。今は、メリーさんが担当らしい。

  次に

Tech:Lucy

  これは、Technitianの略。点滴などの装着や設定をしてくれるどちらかというと機器まわりの面倒を見てくれる人のことだ。今はルーシーさんだ。

  ニホンでは、テクニシャンといったら、ギターがうまい演奏家や女性をたぶらかすのがうまかったり(爆笑)するヤツのことをさすが、れっきとした職業名なのである。

  そして最後、これをみて純じゃぱは驚いてしまったのである。


Hostess:Naomi

  ホステスがいたのだ。しかも直美さんだ~!

  「え~っ!病院にホステスまでついてるんだ!いいね~!」と純じゃぱ。

  「ばかいうんじゃない。病院のホステスは『身の回りの世話をしてくれる人』だよ!」と滞米40年になる同僚。

  「でも、病院にニホンゴの意味のホステスがいたら、病気もすぐに治るかもネ」とふたりで爆笑したのだった。



  家にお客を招いた場合、男主人がhost/女主人がhostessというのが本来の意味だ。

  hostessは、他にもホテルの女性支配人/宿屋の女将/レストランの女支配人なども意味すると辞書にはある。

  病院のホステスの意味は載っていないが、病院にちゃんとホステスはいるのである。

  この場合、患者さんをお客さん、病院が招待したと見立てた上で、身の回りの世話をする人をhostessと呼ぶようにしたのが起源ではないだろうか。

  ニホン語のホステスは夜のバーなどに限定されてしまっているが、本来は、もっと広い場面に使用されるのがホステスなのである。



  ところで病院のホステスの名前は

Naomi

  さん。

  「へーぇ、このアメリカのクソ田舎にも日本人の女性が働いているんだねー」と純じゃぱ。「言葉が通じていいじゃん」

  「ナニ言ってんのよ!Naomiさんは、日系じゃなくてれっきとしたアメリカ人だったぞ」と同僚。

  「ええ?、うそっ、ほんと?」と純じゃぱ。

   真相は、こうだった。

   日本人の直美/尚美さんは英語でNaomiと綴るが、実は英語の世界にもオリジナルな名前としてNaomiが存在するのである。

   だから偶然、Naomiの綴りが同じなだけであって、本来、アメリカ人にもある名前なのだ。当然発音も違っていて”ネイオウミー”のように発音する名前なのである。

   Naomiという名前は英和辞書にも出ている。

   それだけNaomiという名前が有名というわけではなく、このNaomi、実は、旧約聖書にも出てくる由緒ある名前なのである。

   それで、それにちなんでアメリカ人の親が子供に付けるのである。

   帰りにそのホステスであるナオミさん(純じゃぱのアタマの中では直美さん(笑))にばったりあったが、太った黒人女性だった。

   ちょーっとイメージ違ったかなぁと思いつつ病院をあとにした純じゃぱだったのである。




*********************************************************************
ご訪問ありがとうございます!コメント/感想/文句/批判なんでもどーぞ。

読んだらポチ!順位を確認して帰ろう!関係ないってか?(笑)→人気blogランキングへ
今は50位。ポチありがとうございます。

こちらもどーぞ↓。
英語学習 ランキング
こちらは今は33位に上がって来ました。ポチありがとー!