ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

こころに花を咲かせましょう②

2012-05-11 | 季刊誌なな色メールより
2月に行った野呂美加さんのお話会、最初の彼女の言葉。

「3.11以降、大人の生きる意味は何か“子供たちを行きぬかす”これ以外にありません。--経済のために子供たちを犠牲にするなら、そんな経済の作り方が間違っている。」

昨年からの原発事故は人災です。福島第一原発からの放射能汚染は被害を小さく見せたいという政府によって当初隠されていました。SPEEDYの情報も国民よりもアメリカ政府へ先に伝えるなど、本当に情報が入って避難をしなくてはならなかった人々の命を何だと思っているのでしょうか。福島県内で水の配給を待つ為に子どもに外に立たせていたお母さんはどんなに後悔しているか。
今までの原発「安全神話」のために事故時の対策が全く無策だったこと、今までの諸外国での事故も全く生かされていない、田畑についても、耕す前4月に上層の5cm土を除いてから耕すなど、対策が出来なかったために汚染されてしまったのです。それから海洋汚染・・・。全て日本政府の対応のまずさから起こったことです。

昨年11月の秋田駅前脱原発デモの後“NAZEN”の方のお話を聞く機会があり今日本で起きている事の根本的原因が社会の体制にあると気づいたのでした。またその頃にリヒテルズ・直子さんの『祖国よ、安心と幸せの国となれ』を読み、オランダの成熟した民主主義国家のシステムを知れば知るほど、日本が全く戦時中の体質を変えていないとわかりました。これまでの日本は本当のところ核武装をいつでもできるように核エネルギーを手放したくなかった、これが本当のところでしょう。フクシマは未だ収束されていないのに、日本国内では忘れさせようという動きさえ感じます。電力が足りなくなるから原発再稼動!?では節電しましょうよ!

「原発問題は原発問題単独として存在するのではなく現代の日本社会の縮図なのではないか」
「日本社会の歪みを正していくしかない」・・・・と東京新聞の田原牧氏の言葉です。

内部被爆について勉強すればするほど不安が大きくなります。「気にしていたら生活できないから気にしないわ。」と言う方々の考えも良くないと思います。私も1月末木下黄太さんの講演を聞くまで「秋田は大丈夫でしょう。」と思っていました。確かに福島県近県に比べると土壌の汚染は免れたようです。ですが、例えば福島で食べ物を選んで汚染食品を避けている子供と、秋田や福島県以外で汚染を気にせず食べている子供では内部被爆は後者の方が大きく起こってくると聞きました。毎日が手探りです。

「秋田だからまだ安心して住める。」「でもいくら協力を求められても子どもたちにはなるべくなら放射能汚染された食物は食べさせたくない。」「内部被爆を恐がりすぎ?」「瓦礫処理後も秋田の畑は本当に大丈夫?」などなど。目に見えないもの相手です。市民測定室が秋田にも必要となって来ました。前向きに働きかけをしていきたいです。お母さんは太陽でなくては。

---10歳のアンドレイに起こった奇跡 放射能と向き合い暮らす人々から学んだこと-----
                     (野呂美加さんの本より抜粋)
心が元気になることで奇跡が起こる。だから絶対にあきらめないで、最大限の努力をしたあとは、もう天にすべてを預ける心境で、日々子どもたちに向きあっていくしかありません。人間の寿命は放射能が決めるのではない、神のみぞ知る世界なのだとわたしたちは思っています。
そして、その子がなぜ自分のもとに生まれてきてくれたのか、そこからすでに神秘が始まっています。アンドレイのお母さんはただただアンドレイに「愛してる」ことを伝え続けていました。それこそが子どもの心の栄養なのかもしれません。

わたしたち日本人は寿命が長かったので、どうしても人生設計が長く先のことばかり考えて、いまをないがしろにして、長期にわたって安定できる人生を強制しがちです。
しかし、その前に、家族として人生を共有できるのはわずかな時間です。その時間を慈しみ、愛しつくしていくことが子どもたちの心の糧になり、やがては子どもたち自身で自分の人生の花を咲かせていくのだと思いました。「宿題したか」とか、「言うことを聞かない」だとか言う前に、愛している事を存分に伝えて、自分がしっかり生きていけば、子どもはちゃんと後ろから見ているのだということを。(中略)お母さんとアンドレイの強い絆があったからこそ、この困難を乗り越えることが出来たのだと思います。

補足:アンドレイ君はお母さんのお腹の中でチェルノブイリ原発事故により被爆しました。彼は様々な病気を併発させて、あたかも病気の花束を抱えている状態でした。8歳と10歳のとき、夏休みの一ヶ月の間日本の里親の下へ短期保養に来るプログラムに参加。その後消防士として働いていた父親が亡くなりショックを受けたアンドレイ君はその後体調を崩します。この時母親は次に保養の予定の無いアンドレイ君を再度保養へ行かせたいとベルラーシを訪れた野呂さんたちに懇願しました。野呂さんたちの努力の結果、何とか新しいプログラムに間に合い行ける事が決まったアンドレイ君は日本へ旅立つ前にもう見る見る元気を取り戻したというのです。希望を持つと体は良くなってきたのですね。成長したアンドレイ君は「お父さんと同じ国を守る仕事をしたい」と消防士になりました。

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