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戦場のなでしこ隊

2008年09月21日 | Weblog
<戦場のなでしこ隊>を見た。

見ていて涙が止まらず
思わず大きな声をあげて泣いてしまった。


昭和20年。第二次世界大戦末期、薩摩半島の
小京都と呼ばれる美しい町・知覧には
爆弾を抱えた戦闘機に乗り、敵艦めがけて
我が身もろとも突っ込むという究極の作戦部隊
「特攻隊」の知覧特攻基地があった。

その特攻隊の奉仕を命じられ
特攻隊員たちの死への旅立ちを最も近くで見送り続けた
「なでしこ隊」の真実の姿を
ドキュメンタリーを織り交ぜながらドラマ化したものが
~63年目の証言~となったのだ。


戦争を知らない世代に生まれた
なにひとつ不自由ない生活をしている私にとっては
とても衝撃的な事実を知る番組だった。

<自殺兵器>と呼ばれ、アメリカが恐れていた特攻隊は
片道分の燃料しか与えられない戦闘機に乗り
自らの命を犠牲にし敵艦へ激突していった。


「父上母上長い間お世話になりました。
今度選ばれて特別攻撃隊の一員となり
いよいよ晴れの戦時場へと向かうことになりました。
私も一死を持って体当たりにより日本人として
忠節を尽くす事ができるのだと思いますと
新たなる感激に決潮の逆流するのを覚えます。
父上母上私はやります。必ずやってみせます。
その時には、どうかよくやったと誉めてやってください」



出撃直前の特攻隊員(22歳)の肉声を聞いたとき
言葉にはならないほど心が痛んだ。

日本人として自らの命を犠牲にし戦うことが
当たり前の正義だと思わなければならなかったこの時代。
戦争とは、なんと惨いものなのだろう。


昭和20年4月特攻作戦は重大な局面を迎えていた。

<自殺兵器に立ち向かえ>
アメリカは、特攻の詳細を徹底的に研究し現役対策を練り上げていた。

「急降下突入」「水平突入」「降下突入」とあらゆる非行パターンを把握し
またレーダーにより200キロ先の特攻歩測が出来た為
戦闘機は次々と到達前に撃墜されていった。

成功率2割以下。
それでも特攻隊員は出撃しなくてはならなかった。


天候不良や戦闘機の不具合等で出撃に失敗した
特攻隊員を再教育する施設もあった。

そこでは「命が惜しくて帰ってきた」「死ぬのがいやだったのか」
「卑怯者。お前ら人間のクズだ」「軍人のクズ以上に人間のクズだ」と言われ続け
自殺をする若者もいたそうだ。


63年間、一人の男性を思い続けた84歳の女性がいた。
特攻隊員であった婚約者のたばこの吸い殻を
彼の身に触れた物として今でも大切に保管されているのだ。

国の為に笑顔で喜んで出撃するだなんて
そんなことは絶対に嘘だ。
そんな気持ち、あってはならないことだ。


愛する人への想いを断ち切っての出撃。
最後まで家族を思い、夢や希望を置き去りにし
空へと消えていく特攻隊員の本当の気持ちを知り
平和であることの尊さと私たちは与えられた自らの命を
どこまでも大切にして生きてゆかなくてはならない
ということを
この番組を通して痛切に感じ学ぶことが出来た。
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