Good times & Bad times Diary(シルバーロードの徒然日記)

備忘録として日々の出来事や回想、家族や趣味の車、ドライブ、音楽、映画なども織り交ぜて気まぐれに綴れればと思っています。

~今日の徒然~過去の愛車たち

2011-04-19 20:54:29 | クルマ
<パルサーミラノX1>
免許をとって最初に乗ったクルマです。
当時中村雅俊がCMキャラクターだったのを覚えています。
このクルマは当時日産がアルファロメオと提携していて
見た目イタリアンテイストに仕上げていたクルマだったと思います。
外観は黄色と黒のツートンで当時珍しかったドアミラーと今で言うエアロ
パーツ風のものも付いていました。オプションでサンルーフをつけてこれが
すごく気持ちよくて、後に延長線上のオープンカー所有となったのかも。
その他にはケンウッドのコンポを付けていました。
今では手に入らないけどもし中古であったら買っちゃうかも。

このクルマを見ると当時の彼女を思い出します。
彼女と一緒に過ごせたのはほんの3年程でしたが、この時間はとても大切な
もので今でも自分にとって一生忘れることのできない宝物になっています。
本気で彼女と一緒に人生を歩みたいと思っていましたし、結果的には振られて
しまいそうできなかった自分の無力さを今でも思い出します。
自分の人生最大の後悔で20年以上経った今でも彼女を想うと切なくなります。
今は彼女がどこに住んでいるのか生死すらわかりませんが幸せに暮らしている
とうれしいです。一番最初の愛車でたくさんの思い出が詰まった1台です。
その後、このクルマは免許を取得した弟の手元へと渡りました。



<ホンダプレリュード>
2台目は一世を風靡したホンダプレリュード。リトラクタブルが懐かしい。
当時はデートカー、スペシャリティカーなどと言われソアラの双璧でした。
今思うとソアラのほうが車格が全然上でしたけどね。
この当時のホンダはすべての車種が「ワイド&ロー」のフォルムで
カッコよく、ワンダーシビックやCR-Xも好きでした。
いまでは当たり前ですがフル装備のクルマで、アダルトな外観の割には
走りも楽しめた気がします。サスもダブルウイッシュボーンだったような・・・
個人的にバンパーやモール類も車体に合わせて白に塗って輸出用のパーツを
つけて結構お金をかけた覚えがあります。毎週末、妻ともスキーに良く行った
記憶が残っていて、子供が生まれて2ドアクーペでは不便ということで
最後は会社の後輩へ譲りました。手をかけたクルマで今でも好きなクルマです。


<ユーノス100>
3台目は当時マツダの販売チャンネルのひとつであったユーノスブランドの
ユーノス100。当時、兄弟車のファミリア アスティナよりディティールが
より洗練されていてヨーロピアンテイストあふれるスタイリングでした。
セダンは好きではないので5ドアハッチバックのこのクルマを選びました。
車体色はブルーメタリックのBタイプの本革仕様の希少車でした。
写真を探しましたが残念ながら見つけることができませんした。
自分にとって最初のオートマ車でもありました。



<トヨタエスティマ>
初代トヨタエスティマ。家族での移動が多くなり購入。
ユーノス100は自分のプライベートカーとして残したためここからは2台体制。
初代エスティマはミニバンの草分け的存在で、もともとがアメリカ市場向けの
ため室内はとても広くて明るく快適で移動ツールとして最高でした。
インパネも当時としては未来的でエンジンはミッドシップで2400CC。
長く所有したが10万キロを超えたあたりからトラブルが多くなったため売却。
とても秀逸なミニバンでした。

クルマなんてなんでもいいやという視点で選んだクルマは1台もないので
それぞれに思い入れがあり、たくさん思い出が詰まった忘れられない
クルマたちばかりでした。今度は現在の愛車たちのことを書こうと思います。












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