スローライフ

タオヤカな生活を求め、団塊世代の一人として
残りの人生を豊かに過ごすことを考えてみたいと思います

宮島泊

2011年11月28日 | 大地震
 今夜は宮島駅前の「宮島コーラルホテル」泊です。

 フェリー乗り場近くでオーシャンビュー、宮島だけで無く厳島神社の全容を望めます。

 ホテル泊は妻親子だけで、勿論私はネコと一緒に車泊です。夜の宴も、アウトドア「ネコ」と盛り上がります。


松山観光港~呉

2011年11月28日 | 大地震
 帰路、松山観光港からフェリーで呉へ向かいました。

 大和ミュージアムを見学。プラモデルみたいですが 1/10スケールだそうです。
ハワイの「戦艦ミズリー」の実物と比較するのは無理な様です。

 本物の潜水艦の方が見応えが有りました。

 呉へ来たら「海軍カレー」。肉など一切れも見つからず、950円は高い?

七五三

2011年11月27日 | 大地震
 曾孫のこの顔が見たくて、母が最後の力を振り絞って?作った着物です。

 兄は借り物の衣装ですが満足気です。

 正に「孫にも衣装」・・・・

 バカ殿とバカ姫の誕生です。

 松山市役所様、娘家族を宜しくお願い致します。

再び四国へ

2011年11月22日 | 大地震
 四国・松山へ移住した孫達の七五三のお祝いに、家族全員と妻の母も同行し四国へ出かけました。
北陸道経由の予定が、上越JCT付近が通行止めのため、関越道から中央道経由へ変更を余儀なくされました。

 県境の湯沢付近は冬景色です。

 とんでもない遠回りの末、2日がかりで四国へ上陸しました。
天候の違いに、日本の広さを実感する移動でした。

買い出し品の数々

2011年11月12日 | 大地震
 昨日は、仕事もきっちり消化し、帰宅が20時近くになりました。
米60㎏・野菜・柿・その他水など。階段に並べて見ると八百屋さんが開けそうです。

 帰路、山形自動車道寒河江で途中下車し、「菓子舗 くさかり(0237-84-2748)」で「健康半熟プリン」を購入。
甘いものが苦手な私も絶賛の一品です。180CC一個200円。皆さんも是非ご賞味あれ!

湯の浜温泉~酒田

2011年11月10日 | 大地震
 日本海に面した湯の浜温泉。従来は太平洋に比べて暗いイメージであった日本海も清々しく思えます。
50年弱前、私が高校生だった頃、親の代理で出羽三山参りに来た時の最後の宿がここ「湯の浜温泉」でした。
宿でアルバイトをしていた女子校生と、浜辺で暗い海を見ながら夜遅くまで話した淡い記憶が蘇ります。
勿論手も握りませんでした。今では顔も名前も覚えていません。あのオバサンでは無さそうです。

 酒田に来たら「山居倉庫」が好きな風景です。P傍の産直売店で、妻に頼まれた地場野菜を購入しました。

 「鳥海温泉郷 遊楽里」で♨。一人の宴会開始です。アイスは風呂上がりの一品。キャラメルはエネルギー補強用です。


遊び時々仕事(山形)

2011年11月10日 | 大地震
 遊び時々仕事をもっとうとする私としては、仕事の一日前に出かけ、まずは遊びから入らなければいけません。
一か月前に比べると、月山の頂上は雪化粧になっています。

 R112号線沿いの「米の粉の瀧」には虹がかかっていました。

 「道の駅月山」向かいのそば処「大梵字」で昼食です。

 天そば1,300円は私の昼食としては大奮発ですが、大満足です。
此処は「六十里越そば街道」と言うそうで、1,500円でそば食べ放題のコースもあるそうです。

集会所の除染

2011年11月07日 | 大地震
 昨日、早朝から集会所の除染を行いました。
張り付いた苔は放射能だけでなく、蚊の発生源にもなっています。

 苔を剥がし、水洗い後は25%も線量が下がりました。

 建物の壁に着いた汚れも放射線の好む処の様です。

 デッキブラシで水洗いすると30%も線量が下がりました。

二本松の菊人形

2011年11月05日 | 大地震
 我が家の裏庭(県立霞ヶ城公園)で、二本松の菊人形が開催されています。

 小春日和に誘われて、暫く振りに大手門から入って見ました。

 大震災の影響も有り、今年は入場無料です。

 例年よりは大幅な規模縮小ですが、大輪の菊は例年通りです。


   

 園内の散策も暫く振りです。紅葉も半月ほど早い様です。心地良い汗をかきました。
      

住民増加

2011年11月02日 | 大地震
 我が班に新たな住人が増える事になりました。
クレーンが持ち込まれ、周りの桜の木が切り倒されました。

 桜の花が咲く時は最高ですが、それ以外は全くの邪魔物です。

 おかげで見晴らしが良くなりました。
 

浪江町・STOP!

2011年11月02日 | 大地震
 浪江町は、福島第一原子力発電所から20㎞で街が分断されています。

 国道6号線はここで通行止めです。

 脇道も同様に通行止めとなっています。
5~6m先の民家の住人も、やはり立ち入り出来ないのでしょうか?

 
 青森県~福島県の約700㎞、太平洋沿岸の被災地を自分の目で見て、想像以上の被害の大きさに愕然としました。
住んでいた人々の心情を思うと、胸が苦しくなります。
特に、岩手県の宮古市から宮城県の石巻間の被害は甚大で、完全復興は可能なのだろうかと疑問に思うほどです。
その他の地域も、被害が小さかったとは言え悲しみや落胆に変わりは有りません。掛ける言葉も無いほどです。
自らの手で黙々と瓦礫の片付けをしている人々に、ついにカメラは向けられませんでした。
 更にここから先(通行止めの先)は未だ復興のスタートさえ出来ない、手付かずの状態でしよう。
日常的に、我が身にも放射線は降り注いでいると思われます。
勿論、政府や行政に早急で適切な対応を望むのは当たり前ですが、自らも出来る事から行動する事を再認識した旅でした。