スローライフ

タオヤカな生活を求め、団塊世代の一人として
残りの人生を豊かに過ごすことを考えてみたいと思います

元気な孫達

2011年03月29日 | 大地震
この子供達の為に避難生活を決断しました。孫達が元気に遊ぶ様子で気持ちが癒されます。
原発の放射能が気になります。早期に福島へ帰れることを願うばかりです。
エビ・タイさん、お気遣いありがとうございます。

避難生活

2011年03月28日 | 大地震


避難生活が始まりました。松山市役所のお世話になり、市営住宅に入居させて頂きました。必要な電気製品は勿論灯油まで戴き、至れり尽くせりです。町内会からお見舞いまで戴き、誠に恐縮です。心から御礼申し上げます。

妻・娘家族と合流

2011年03月22日 | 大地震
 東京で帰宅出来ずに娘宅に身を寄せていた妻と、娘家族と合流しました。通常ならそれぞれに帰宅となる所ですが、原発の放射能が気になります。暫らく様子を見る事になり、道後温泉の「松山ユースホステル」に宿泊しています。

 昨年末四国巡礼の際は、これ程早く再訪問するとは思ってもいませんでした。親戚と弘法大師のお導きだと、深く感謝致します。福島からとの事で、沢山の親切を戴きました。ここから先は「避難民」となります。

四国まで3泊4日

2011年03月22日 | 大地震
 年寄り二人と子供連れ・更に細切れの給油が必要な為(北陸自動車道は給油制限有り、滋賀県に入ると制限無し)ゆっくりの移動となりました。新潟県寺泊・名神高速多賀SA・尾道と3泊4日を要して四国へ入りました。尾道ではお好み焼き「鉄板のおのみっちゃん」を美味しく戴きました。

 残念ながら親戚の危篤は死亡へと変わり、生前に逢うことは出来ませんでしたが葬式には間に合いました。


二家族大移動

2011年03月22日 | 大地震
 四国松山の親戚が危篤との報を受け、妹の家族と大移動を開始致しました。福島県内のGSは全て閉店。新潟県津川で燃料切れとなり、妹夫婦に新潟市内から調達・搬送してもらいました。新潟市内も燃料は制限販売の所、「レントオール」さんのご好意でポリタンクく4個と満タン給油の口添えを戴きました。

 寺泊で宿泊の際は、消防署の所長さんが「越乃寒梅」を差し入れて下さいました。身も心も温まり、松山に向かいます。


避難所の様子

2011年03月16日 | 大地震
 我が市の避難所の様子を見てきました。主に浜通り(太平洋沿岸)の方々です。
 市の担当者の話では、今晩の食料予定は未定(PM3時現在)との事です。調達担当が食料確保に走り回って居るそうですが、閉店しているスーパーが多く難航しているようです。
 国は「要請が無いから送らない」とのニュースが流れておりますが、無策振りに腹立たしい限りです。我が県でさえこんな状況ですので、宮城県や岩手県の被災地は更に悪い状況だと思われます。
 
 無邪気に遊ぶ子供たちの姿に、目頭が熱くなりました。

 町内の皆さんにご協力頂き、義援物資を集めています。第一弾は既に市役所に届けました。少しでも暖かく過ごして戴きたいとの思いで、第二弾もお預かりしております。宜しくお願い申し上げます。


東日本巨大地震発生

2011年03月14日 | 大地震
 我が家は、太平洋から西へ60km程の一山超えた所にあります。
地震発生時は仕事中で、慌てて帰宅しました。途中、道路は地割れが多発し、ブロック塀や瓦屋根が倒壊し、電柱が曲がったり工場の煙突が折れたりと生まれて始めて実際に見る光景でした。
 母親一人を自宅に残してきたので心配でしたが無事!僅かに、本棚や食器棚の中身が飛び出し散乱した程度でした。妻は東京へ出掛けており、そのまま足止めとなりました。電車が運休しており、現在も帰宅出来る見込みは無さそうです。近隣にも大きな被害やけが人も無くひとまず安心です。母によれば、ネコは慌てて庭駆け回り、一時行方不明になりましたが、夕方にようやく帰ってきました。
 土日は、終日TVに釘付けとなり、被害状況の確認と成りました。我が家の近隣が比較的被害が少ないのが奇跡的に思えます。但し、電話が繋がらず親戚知人の安否確認が一苦労でした。
 被害に逢われた方々には深くお見舞い申し上げます。
 地震発生の翌日夕方から、我が家の直ぐ裏の小学校のグラウンドが臨時のヘリポートとなり、自衛隊のヘリコプターがひっきりなしに飛来するようになりました。主に、福島第一原子力発電所の事故被害者の搬送場所となった様子です。以前当該ブログ(2010.9.4付)で私が危惧した事が現実と成った様です。大事にならない様に祈るばかりです。
 コンビニやスーパーには多くの人が押し寄せ、残り少ない商品を買い競って居ます。オニギリやパン類・インスタントラーメンやお惣菜などは全く棚から姿を消しています。我が家の近隣を除いて、電気水道が供給されておらず、卓上コンロやガスボンベも商店から姿を消しています。GSの閉店も多く、開いているGSには長い車の行列が出来ています。インフラの復旧が長引くと大変なことになりそうです。幸い我が家では食糧の備蓄は充分で、キャンピングカーの中にも非常食が保存して有ります。皆さんに配る程では有りませんが、一週間程度は大丈夫でしょう。
 余震が続いており、コタツで母と寝る夜が3日目となりました。携帯の地震警報音を合図に窓を開け、何時でも母を抱えて逃げ出せるように準備しています。インフラの悪化や長期化、更には原発事故など最悪の状態に備えて逃げ出せるように、冬眠させておいたキャンピングカーの出動準備を始めました。安全な場所は何処でしょう?