意識せずにタイミング良く休みを取っている坂崎です。土曜に休みが取れず、前日の4月1日に休みを取っていましたが、なんと岡豊城址の望櫓の完成・公開日でした!!なので朝からいそいそと岡豊に向かいました。
そして、これが公開された望櫓!!(南側三ノ段から見た図)

…国史跡の上に建てているものですから、永久的な建物の建設許可は下りず、あくまで一年限定の仮設的建物です。なので、結構足場とかベニヤ板が見えていますが、それはご愛嬌と言うことで(笑)。山の上で風が強い事を考慮し、風が通り抜けるよう壁も透かしてあります(近年ルートが変わったとはいえ、台風常襲県ですしね…)。瓦も置けなかったそうですが、この櫓を元に、現存するお城等の中身を考えながら、そこは想像と妄想で補う(笑)。あ、角度は本来の史跡基礎からすると南北に長い建物だそうですが、この望櫓は基礎から90度回転して東西に長く造られています。

そう、外観はどうであれ、この眺望です!!ちょっとぶれていますが、この眺めがかつて450年近く前、元親が見た景色の高さ(とはいえ160㎝未満の坂崎視点)なのです!!現在的な建物は頭の中からとっばらい、広がる田園風景を頭の中に描く。桜が咲き始めるこの時期、岡豊始め高知県内では田植えの準備が始まっています(水を張った田んぼが点々としています)。遠くには土佐湾が見えていますし、何と高知龍馬空港も見えています!!もう広がる景色を見ていたら興奮状態!!!大津御所があった位置とか、香宗城がどの辺りで…とか指差しながらついつい確認。朝が早かったのか、春だからなのか遠くが霞んでいたので、もっと空気が澄んでいる季節に………というか、暇さえあればいつでも登りそうな予感がします。
そして、視線を下に転じると…

詰ノ段・三ノ段・四ノ段…そして土塁群まで見えます。左側には伝家老屋敷跡のある森。天守から城の防御機能群が見えてさらに自分の屋敷まで見えていた…っ!!想像してそこでも興奮!相当テンションが上がっています。木が無ければ竪堀まで見えていたのではないかと考えたりもしました。うん、本当に良いものを造ってくれましたvvありがとうございます、宅間館長さんっ!!櫓から降りて駐車場に向かう途中も興奮が続き、二ノ段の芝生をみて、思わず転げまわりたくなりましたが、地元新聞に載っていた(友人情報)せいか、お客さんも多くて、グッと転げまわりたい衝動を堪えました(笑)。
でも…豪勢なお城と石垣がある高知城も好きですが、林の中にある閑静とした遊歩道を歩いていると、聞こえるのは風の音と木々が揺れる音、鳥の声、鳥が飛ぶ音、鳥が歩く音だけ。差し込む陽の光もどこか優しくて、ゆっくりと歩くのは、岡豊の方が好きですね。
昔、何度か企画展の時に歴民を訪れましたが、その時は長宗我部にもあまり関心がなかったせいもあるでしょうが…何度も城址まで行こうとして、でも、なぜか遊歩道の途中で引き返したりして…寺社仏閣や歴史建造物、史跡や遺跡、遺構を見るのが好きな私なのに、この岡豊の遺構を見る勇気がなぜかなかったのです。何度も言っている某番組でのきっかけが背中を後押しして、そこで初めて詰ノ段に登り山を一回りして四ノ段から南を望んだ時、なぜか涙が出ました。この景色を見るのが怖かった、でも懐かしくて愛しくて……この風景はきっと、土佐人の心の原点ではないかとその時思いました。小心者でおよそ土佐人らしくない私でも、この時ばかりは土佐の血が騒いだのでしょうかね~…。
しんみりしましたが、今では私の大のお気に入りの場所になっていますv桜がもっと咲いたら、お弁当を持って花見も兼ねてまたここに来ますvv
そして…対岸の国分川から見た岡豊城望櫓……ちっちゃくて可愛いことこの上ない!!可愛すぎるにもほどがあるぞ(笑)vvv
そして、これが公開された望櫓!!(南側三ノ段から見た図)

…国史跡の上に建てているものですから、永久的な建物の建設許可は下りず、あくまで一年限定の仮設的建物です。なので、結構足場とかベニヤ板が見えていますが、それはご愛嬌と言うことで(笑)。山の上で風が強い事を考慮し、風が通り抜けるよう壁も透かしてあります(近年ルートが変わったとはいえ、台風常襲県ですしね…)。瓦も置けなかったそうですが、この櫓を元に、現存するお城等の中身を考えながら、そこは想像と妄想で補う(笑)。あ、角度は本来の史跡基礎からすると南北に長い建物だそうですが、この望櫓は基礎から90度回転して東西に長く造られています。

そう、外観はどうであれ、この眺望です!!ちょっとぶれていますが、この眺めがかつて450年近く前、元親が見た景色の高さ(とはいえ160㎝未満の坂崎視点)なのです!!現在的な建物は頭の中からとっばらい、広がる田園風景を頭の中に描く。桜が咲き始めるこの時期、岡豊始め高知県内では田植えの準備が始まっています(水を張った田んぼが点々としています)。遠くには土佐湾が見えていますし、何と高知龍馬空港も見えています!!もう広がる景色を見ていたら興奮状態!!!大津御所があった位置とか、香宗城がどの辺りで…とか指差しながらついつい確認。朝が早かったのか、春だからなのか遠くが霞んでいたので、もっと空気が澄んでいる季節に………というか、暇さえあればいつでも登りそうな予感がします。
そして、視線を下に転じると…

詰ノ段・三ノ段・四ノ段…そして土塁群まで見えます。左側には伝家老屋敷跡のある森。天守から城の防御機能群が見えてさらに自分の屋敷まで見えていた…っ!!想像してそこでも興奮!相当テンションが上がっています。木が無ければ竪堀まで見えていたのではないかと考えたりもしました。うん、本当に良いものを造ってくれましたvvありがとうございます、宅間館長さんっ!!櫓から降りて駐車場に向かう途中も興奮が続き、二ノ段の芝生をみて、思わず転げまわりたくなりましたが、地元新聞に載っていた(友人情報)せいか、お客さんも多くて、グッと転げまわりたい衝動を堪えました(笑)。
でも…豪勢なお城と石垣がある高知城も好きですが、林の中にある閑静とした遊歩道を歩いていると、聞こえるのは風の音と木々が揺れる音、鳥の声、鳥が飛ぶ音、鳥が歩く音だけ。差し込む陽の光もどこか優しくて、ゆっくりと歩くのは、岡豊の方が好きですね。
昔、何度か企画展の時に歴民を訪れましたが、その時は長宗我部にもあまり関心がなかったせいもあるでしょうが…何度も城址まで行こうとして、でも、なぜか遊歩道の途中で引き返したりして…寺社仏閣や歴史建造物、史跡や遺跡、遺構を見るのが好きな私なのに、この岡豊の遺構を見る勇気がなぜかなかったのです。何度も言っている某番組でのきっかけが背中を後押しして、そこで初めて詰ノ段に登り山を一回りして四ノ段から南を望んだ時、なぜか涙が出ました。この景色を見るのが怖かった、でも懐かしくて愛しくて……この風景はきっと、土佐人の心の原点ではないかとその時思いました。小心者でおよそ土佐人らしくない私でも、この時ばかりは土佐の血が騒いだのでしょうかね~…。
しんみりしましたが、今では私の大のお気に入りの場所になっていますv桜がもっと咲いたら、お弁当を持って花見も兼ねてまたここに来ますvv
そして…対岸の国分川から見た岡豊城望櫓……ちっちゃくて可愛いことこの上ない!!可愛すぎるにもほどがあるぞ(笑)vvv

そこまで熱く語られてるのなら、朱元璋興味深いですね。オススメの小説等ありますか?
やはり、加久見氏でしたか!私は必要性があったので、清水の舞台から飛び降りましたが、確かに、図書館にもあると思いますので、興味のある論文のみをコピーするのが良いと思います。
いわゆる羽柴秀吉による太閤検地と刀狩りを境に、中央の武士の専業化が確定したのですが、それまでは、どの地方の武士も生業としての農業とは無縁ではありませんでした。国親の時代ならなおさらだったのでしょう。一領具足はおっしゃるように、もともと専業の地主層の農民が武装したものと思われます。長宗我部氏の本領以外に居住していたいわば長宗我部権力降った旧本山、安芸、一条家臣をも一領具足と規定している方が多いのが問題なのかなぁ?と漠然と思ったりしています。
近年、帰高していないので、機会があれば、歴民博にも寄りたいです。
またまた、長々と失礼しました。
朱元璋のおすすめ小説は…と、いうかまだこれしか完読していないのですが(爆)、伴野朗著『朱龍賦』がオススメです。なぜか中国史の明史(太祖洪武帝の項目だけ・笑)を読み漁った後で、小説に入りましたが、史実の流れとそれほど差はないので、違和感なく楽しめましたvv年末に買った『皇帝の貌・朱元璋』はまだ途中までしか読んでいません(汗)。こちらは創作部分が多いですね。朱元璋は子供の頃の牛エピソードが大好きですv
清水は…はい、研究者ではなく、あくまでも趣味の範囲なので舞台から飛び降りるのは図書館で見てからにしたら?とストップ入りました(笑)。でも、趣味にしてはディープすぎるとも言われました(汗)。
一領具足については、確かに敵対した家の領民までは…疑問ですね…。母方の実家が佐川の郷士で、元々は一領具足だったようなのですが、佐川は元は一条勢力下と言われていますからね…。久武家に付いて入って来たのか、その地で取り立てられたのかは不明です(かなりの土地持ちではあったようですが)。この辺りは地元での掘り起しがもっと必要なのかもしれませんね…。
今年、高知は龍馬のみならず、長宗我部でも打って出ることを画策しているようですから、この機会に、もう少し戦国関係の資料が出てくる事に期待、ですかねぇ…。