アオの国から~徒然日記~

TRPG&ゲーム感想・日々の感想・映画&アニメ&漫画感想・歴史(主に長宗我部関係)等、私的趣味の気の向くままに。

明日は旧暦の5月19日…。

2013-06-26 16:04:10 | 戦国

 旧暦の5月19日…つまり、長宗我部元親の命日になりますね。なにかせねば…っ!!

 命日と言えば、いつも思うのですが、元親公自身は、どこまでが自ら望んだ人生だったのかと。私は戸次川以後、人が変わったと言われる元親公はそれまでの無理がいっぺんに出てしまったのではないかと思っているのです。もちろん、土佐の統一や四国の統一は元親公も願っていたとは思いますよ。誰かがやらなければ戦いは無くならないのですから。でも、力押しの戦いを嫌い、なるだけ血の流れないやり方を選んでいる所を見ると、好戦的な人物ではないし、どちらかといえば体裁を気にするかなり繊細な方です。
 強固な意志で戦国の世を歩いて来ていても、生まれついての繊細な優しい部分がどこかで悲鳴を上げていたような気はします。その弱い部分を認めてくれている家族や家臣達がいて…だからこそ、あえて意志を強くして戦国の世を歩いていてた。
 でも、土佐統一前に末弟・親房が死に、その死は元親のせいと言っても過言ではなく…それでも何とか周りに支えられて立ち直り、土佐統一を成し遂げた。
 四国統一を目指して、軍を整え、侵攻を開始した途端に長弟・親貞が急死した。恐らく土佐統一を目指す元親を一番に支えた人物だったのに、元親より先に亡くなった。更に後半、中富川の合戦の翌年には四男四女をもうけたほどの仲が良かった正室・石谷夫人を亡くした。そして、秀吉の前にそれまで描いていた夢は消えてなくなった。初陣から25年、元親の命により多くの家臣・領民が亡くなったというのに、その成果は土佐一国のみ。
 それでも、元親には「信親」という希望が残っていた。自分の弱いところを認め支えてくれるものが次々と死にゆく中、それでもまだ「信親」がいたから、自分を保てた。
 しかし、その信親が亡くなり、福留隼人が亡くなり…元親を支えていた多くの人々が亡くなった。谷忠澄さんや親泰がいたけれど、二人だけでは蓋いきれない悲しみや苦しみが襲ったんじゃないのかな…
 
それまで無理していた部分と、怒りと、悲しみとなにもかもがないまぜになって、何もわからなくなったんじゃないかな……だから、それまで支えてくれていた人がいなくなる恐怖があり、古くから支えてくれた人の言葉は聞きたくなかったんじゃないのかな?そして、厳しい言葉は自分を責める言葉に聞こえて聞きたくなかったんじゃないのかな?…だから、自分に都合のいい、耳に聞こえの良い言葉しか入れたくなくなったんじゃないかな…
 恐慌状態に陥った精神状態が、正常な判断を狂わせ、それを糾弾する者には死を与え、真綿でくるむようにただ甘やかしてくれる者には必要以上の権限を与えた。

 でも、そうして遠ざけた人物の中で、元親の狂気に追い詰められるようにして次男・香川親和は亡くなり、命を狙った孫をも殺し、ただ一人残っていた弟の香宗我部親泰も恐らく病気を元親に隠していて元親のいないところで亡くなった。

 狂気がいつまで続いたかはわかりませんが、その狂気の時代が長宗我部家の凋落を招いた。ただ、私は狂気の時代は親泰の死より立ち直っていけたと思いたいです…。事実、元親が凶行に及んだのは信親の死から1590年代初頭です。以降は地検帳の事もありますし、百か条も事もあります。死ぬまで心が壊れたままだとは思いたくないというのが本音です。
 ただ、立ち直ったところで、元親は自分の手で次世代の担い手を殺しているのです。特に吉良親実は次代の長宗我部家を支えるのに必要不可欠の人物だったはず。自らの娘を嫁がせている所からも元親自身もそれは考えていたはずです。でも奪ってしまった命は帰らない。一族には次の盛親を支える優秀な者がおらず、恐らく家督相続者としては盛親より相応しい親忠は自らが追い詰め、家督を継がせるに継がせない立場になってしまった。こうなると、頼るのは家臣であり、盛親の為の家臣団を早期に結成させなければいけなかったのに、それもできなかった。元親の目に家臣達は盛親を支えるに相応しい者が写っていなかったのかもしれません…

 親忠の幽閉に関しては、妄想だとしても親忠の身の安全と長宗我部家存続のための最後の布石だったというのは譲れないなぁ、うん(笑)。

 ともかく、本当に最期の時は心残りでいっぱいだったんじゃあないでしょうか。自らの望みもあっただろうけど、不本意な事が多かったような気がします。この方の場合……。



 しかし、ホームページの方は中々はかどりませんね…(爆)。現在長宗我部ファンクラブの方のホームページをちょこちょこ更新しています。史跡案内が超大変です…(涙)。紹介する予定の高知県内の史跡は一覧形式に書いて一つのページで表示、史跡の場所とか、案内はクリックしたら写真と説明が出るようにしましたが…まだこの案内の写真と説明が追いついていません…これは少しずつ更新する予定。
 
 あ、先々週に酔った勢いで書きあげた現代パロ(ブログタイトル:ほろ酔い気分で久々の創作小説!!ネジ一本飛んでます(爆))について…現パロだしな、削除しようかなと思いましたが、止めました…。と、言うのは編集画面は気が付かなかったのですが、『ブログを見る』機能で表示を確認していたらデスネ……なんとFaceBookの「いいね!」ボタンが押されているではありませんか!!現代パロでも「いいね!」と言ってくれる方がいる以上はやはりおろさない方が良いと判断しました。


 


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