「メジャーの打法」~ブログ編

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徳利投げ

2006年05月21日 | スポーツ全般
 特に応援している野球チームはないが、強いて言えばBOS-NYY戦のファンというところか・・・。

 1980年頃からだが、2003年ポスト・シーズンのあの一戦がその感を強くした。松井が歓喜の雄叫びを上げて逆転のホームを踏んだ試合だが、話題の中心は派手な乱闘シーンだった。ペドロがドン・ジマーを投げ飛ばすシーンがそのハイライト

 蓮実重彦が「スポーツ批評宣言」(青土社)でそのことを取り上げている。アメリカのスポーツ紙があの場面を競って書きたてたようだ。
雑種の子犬のように怒りっぽく闘争心にみちたボストンのエースのマルティネスは、この日、98球のボールにとどまらず、72歳のヤンキースのベンチ・コーチさえ投げてみせた

マルティネスは、大きな枕のようにジマーを脇にトスした

マルティネスは、牛を避ける闘牛士さながらにジマーを倒した

マルティネスはジマーの頭を引っつかんで芝生にトスした

等等。

 しかし日本人ならあの場面をもっと簡潔かつ的確に表現できた。

○P・マルティネス(徳利投げ)D・ジマー●



 日本に相撲という格闘技があることに感謝すべきだろう。伝統文化の力は「記者たちの表現能力の低さ」(蓮実)を補って余りあるのだ。
 
 初代若乃花が相撲博物館の館長を務めていた頃、世界の相撲を見てまわって、「日本の大相撲が一番だ」と言っていた。このことには同感だし、決して身贔屓ではないと思う。
 「個体発生は系統進化を繰り返す」という進化論の仮説を敷衍することが許されるなら、

日本の大相撲は数多の組み技系格闘技の中で最も進化したものである

という表現も可能だろう。

 つまりこういうことだ。

 子供の頃は、一応地面に丸を描くが、組んでからが勝負で決まり手も投げ技が多かった。しかし大相撲は立会いの当たりが勝敗を大きく左右するし、相手を土俵外に出すことが戦略の中心になる。
 恐らく相撲も初めから土俵があったわけではないだろう。力士と観客を隔てる野球のフェンスのようなものだったかもしれない。しかし或る時期から「土俵を割ると負け」というルールができ、相撲が変わったと考えられるのだ。
 土俵を持たない他国の現在の相撲は進化の途上にあるか、或いは進化しそびれたということになる。

 このことが見るスポーツとしての相撲の面白さに繋がっているのは言うまでもない。柔道やレスリングのオリンピック・ルールは、見る競技としての質を高めることを狙って、地域外に出ることを厳く制限しているが、十分成功しているとは言えないようだ。


 この際だから蓮実重彦に言っておこう。

野球の乱闘を見て喜んでいる暇があったら、相撲をちゃんと見なさい!