野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成25年3月10日 龍ヶ谷城跡から皇鈴山を経て植平峠から金ヶ岳

2013年03月13日 | 奥武蔵へようこそ
(龍ヶ谷城跡の展望スポットから左に宝登山 右手前の針葉樹のピークが金比羅神社のピーク)

とある日。「安戸」の地形図を見ていて、気になることがあった。皇鈴山(みすずやま)から西に下る尾根を辿っていくと標高400メートルの線の辺りに神社記号が描かれているのだ。通常神社記号は車道の近くなどに描かれることが多く、車道から離れた尾根上に描かれていることはあまりない。この尾根を更に辿ると親鼻駅近くまで延びていることが分かった。ネット上で色々調べてみるとこの尾根上にある321のピークは龍ヶ谷城あるいは千馬山城と呼ばれているらしい(※1)。さらに皆野町観光協会のHPを見るとこの龍ヶ谷城跡はハイキングコースとして整備されていることが分かった。そこでこのハイキングコースを利用して龍ヶ谷城に上がり、そのまま尾根を上がって不詳の神社から皇鈴山まで縦走し、下山先はまだ歩いたことの無い植平峠から金ヶ岳を経由して野上駅とした。

先日福島から所沢に帰ってきて、その暖かさに驚かされたのだが、今日は朝から既に初夏のような陽気である。それでも西武秩父駅に降り立つといくらか風が冷たい。御花畑駅まで歩き、電車を待っていると地元の人らしきオバチャンと駅員さんの会話が耳に入る。オバチャンの話によると、今年は宝登山の蝋梅園の入りが悪いらしい。「皆飽きちゃったんかねぇ」などと言っていたが、ボクは単純に寒かったのが原因なんじゃないのかと思う。古い国鉄仕様の電車は図体の大きい蓑山を回りこむように進む。親鼻駅に下りた登山者はボクだけで、駅にいるのは高校生たちと地元の人たちばかりだ。桜の咲く頃になると蓑山を目指す登山者がたくさん降りるのだが、まだその時期には早い。

駅前の道路を進み、広い道路に出る手前で踏切へ向かう細い道路に入る。民家は疎らでむしろぶどう果樹園が広い。正面には今日最初に目指す金比羅神社のあるピークが見えてきた。麓からの標高差は100メートルほどしかないから、それほど厳しいそうな山には見えない。踏切を渡ると広い国道に差し掛かる手前に龍ヶ谷城跡を示す道標がある。道標に従って細い車道を進む。やがて道路は川の手前で大きくカーブし、畑の中へと姿を消してしまう。よく見ると歩行者専用の橋が渡してあり、これで龍ヶ谷城跡の麓まで行けるらしい。橋からは川底の岩が渓谷美を見せる三沢川の流れが見られる。

(手前の盛り上がったピークが金比羅神社のピーク)


(龍ヶ谷城跡の道標 この種類のものが点在する)


(三沢川)

皆野長瀞インターチェンジへつながる交通量の多い道路を慎重に渡り、尾根への取り付きを探す。よく観察すると三沢川近くの整体クリニック奥に遊歩道らしきものが延びている。クリニック脇を静かに抜けると綺麗に整備された遊歩道が山へと続いている。これで一安心と浮かれていると、遊歩道は川へ下りる所で途切れてしまった。戻って角山側から登れば確実であろうが、このまま山側の斜面をよじ登って尾根に上がる方法もある。見たところ傾斜は緩いし、尾根上まで距離もなさそうだ。このまま上がっていこう。先人が歩いたらしい踏み跡らしきものを上がっていくと行く手を阻む大岩が見えてきた。直登するのは無理なので、右から回り込む。この辺りは傾斜がきつく、ズルズルと滑り落ちてしまいそうである。ここを登りきると尾根上に出た。振り返るとボクが登ってきた所は当然道ではなかったことがわかる。

(一見整備された遊歩道)


(尾根に上がったところ)

尾根上は遠くから見ても分かったように雑木林に覆われている。その割に下草も無く、歩きやすい。誰も居ない尾根を緩々と登っていくと針葉樹に覆われたピークが見えてきた。ピーク手前に先ほど見たのと同じような道標が立っている。ピークを巻く道が龍ヶ谷城跡への道で、目の前のやや急な坂を行くのが琴平(金比羅)神社への道。北へと下りる道がスポーツ公園・親鼻駅への道で、越し方には×が付けられていた。つまり道はなかったのだ。

(歩きやすい道)

目の前の急坂を登っていくと鳥居があり、そこを抜けると土造の大きな社がある広い山頂に出る。鎮守の森となっているのか、ここだけは檜に覆われている。そのまま社の脇を抜けていくと角山への道につながっている。途中少し視界が開け、向かいの418の三角点ピークが見える。気持ちの良い雑木林を抜けると狭い角山(つのやま 261.8)の山頂に至る。展望は無いが、木の間越しにグラウンド場と端整な三角形を描く宝登山が見える。

(金比羅神社)


(418.0の三角点ピーク)


(角山)

角山で少し休憩を取り、縦走再開。金比羅神社のピークを慎重に巻く。この巻き道からも418のピークの眺めが良い。縦走路に合流した所に道標があり、スポーツ公園から登ってくるコースは前山コースと呼ばれているようだ。縦走路には依然として気持ちの良い雑木林が広がる。遥か先の皇鈴山を目指す縦走でなければ、ゆっくりと歩きたいところだ。皆野寄居有料道路の下田野トンネルが貫く辺りからも418のピークが望める。クルマの音がうるさいのはご愛嬌だ。龍ヶ谷城跡の本丸といえる321のピークが近づいてくると、北東に延びる尾根がまるで壁の様だ。321のピークへの登りはロープの付けられた急斜面となっている。防衛にはもってこいの天然の要害ということか。ロープを頼りに登ると広い山頂部に出る。まずは小さな祠のある321のピークに上がる。祠の周りに生える檜の枝に竜谷山と書かれたプレートが掛けられていた。個人的には千馬山でも良いと思う。山頂部の北西側は断崖絶壁となっており、山城として使われていたことも頷ける。

(金比羅神社の巻き道から418のピーク)


(気持ちの良い雑木林の道)


(山頂への道)


(龍ヶ谷城跡の321のピーク)

一息入れたところで出発しよう。まだ今日の行程の半分も終わっていないのだ。北東に延びる尾根を下るとロープが掛けられた掘割が現れる。これを見ると城跡だなと実感する。掘割を上がるとロープ柵が付いた展望地があり、金比羅神社のピークの向こうに姿の良い宝登山が見える。それにしても今日は随分と霞んで視界が悪い。ロープの付いた二つ目の掘割を越えれば、あとは緩やかな雑木林の道が続く。冬場の寒い時期ならさぞや気持ちの良い道であろう。しかし今日は25℃を越える予報も出ているほどに暑い。300の図根点の手前のピークに差し掛かる辺りで、南側の展望が開ける。だがすぐ近くの山ですら霞んでおり、遠くの山はどの辺りが見えているのか見当がつかない。ただ三沢川の対岸にある蓑山のスケールの大きな山容だけはよくわかる。



(掘割)




(展望スポットとそこからの眺め)




(図根点手前のピークから)

300の図根点手前のピークにはお馴染みの道標があり、直ぐそばには皆野町の二級基準点が埋設されていた。このピークを下りるとまもなくハギノソリ峠である。おそらく地形図上だと300の図根点手前の鞍部の辺りだろう。峠には道標が立ち、強石方面にはマジック書きで通行不能とされ、新作コースだけが利用できるようだ。そしてこれから向かおうとする東に延びる尾根には×印が付けられていた。ということはここを歩いている人は殆ど居ないのだろう。但し尾根上には林業の人が歩いているのか、何となく踏み跡らしきものはある。神社を目指し進むことにした。あまりにも暑いので、Tシャツ一枚になった。多少の藪は我慢することにしよう。

(二級基準点のピーク)


(ハギノソリ峠)

意を決し、歩き始めるとすぐに大量の獣の糞を見つける。う~ん、この大きさはイノシシだろうか。その程度で怯んでいてもしようがないので先へ進むと、10分ほどで再び大量の糞が落ちている。あまり良い気分はしないが、何せ周囲は雑木林である。ここまで杉や檜の林は殆ど無いのだから、獣も多いことだろう。雑木林の急斜面を登りきると檜の林が続くフラットな尾根に出る。大岩の辺りでまた雑木林となり、落ち葉の積もる鞍部へと下る。結構深く積もっているせいか、落ち葉で滑って転ぶ。鞍部からは雑木林の急斜面の登りとなる。地形図を深く読んでいた訳ではないが、何となく神社が近いような気がしてきた。急斜面を登り始めるとまたまた獣の糞だ。だが大分時間が経っているのか、乾燥している。近くにはいないのだろう。一旦傾斜が緩むと右手に何やら建物があるのがチラっと見える。おそらく神社の建物だろう。建物の手前で急斜面となり、踏み跡も消えている。そこで登りやすそうな所をぐるっと回り込んで尾根に上がる。

(歩き始め やや藪っぽい)


(獣の糞 おそらくタヌキの溜め糞ではないかと思う)


(神社のピーク近く 中央上に少し建物が見える)

尾根は広く、更に東へと踏み跡は続いているようだ。だがまずは神社らしき建物へと向かう。神社の建物は思ったよりも新しいもので、古峯神社という看板が掛けられていた。南に石段があり、おそらく下の車道から登って来られるのだろう。神社の西はちょっとした展望スペースとなっていて、目の前には大きく蓑山が見え、その右隣には宝登山が見える。気候が良ければ気持ち良さそうな所だが、霞んでいる上に風が恐ろしく強くなってきた。風に耐えられないので、建物の東側に避難して休憩を取る。

(古峯神社)


(神社横の展望スペース)


(展望スペースから)

歩き始めて2時間でとりあえず目標の古峯神社まで来ることが出来た。皇鈴山まで尾根を歩くか、それとも林道を歩いて釜伏峠まで行くかは林道に出た時点で考えることにした。踏み跡の無いフラットな尾根を東に進む。藪は無いので、とにかく歩きやすい所を進めば良い。少し傾斜が出てくると林道なのか、それとも水流の跡なのか広い道が現れる。たぶん神社を建てるときに利用した林道なのだろう。広い道を進むと南側が潅木帯となっている荒地に出る。南に大きな展望が広がり、皇鈴山から大霧山までの尾根を見渡すことが出来る。特に鋭角な山頂部を突き出す大霧山が顕著だ。周囲の山がなだらかなので、余計にそう思う。

(フラットな尾根)


(潅木帯の荒地)


(大霧山)


(荒地からのパノラマ)

広い道はやがて舗装された車道へとつながる。ここからしばらくは足には厳しい車道歩きだ。ややきつい登り坂を行くと464のピーク辺りは柵が設けられた農地となっているようだ。その先の荒地からは木の間越しに登谷牧場周辺の眺めを得ることが出来る。緩く登ると車道の分岐点に出る。目の前に広がる檜の林の中が皇鈴山へ直接つながる尾根らしい。さてどうしようか。時計を見ると10時半を少し回ったところである。一時間掛けて山頂に行っても十分に下山する時間はある。思い切って皇鈴山の山頂を目指すことにした。

(登谷牧場周辺)


(尾根の取り付き)

暗い檜の急斜面を上がるとすぐに緩やかな雑木林の尾根となる。それにしても今日のルートは雑木林が多い。広い尾根を進むと峠のような所に出る。脇には大きな穴が開き、熊がねぐらにできそうである。人の通らない雑木林の尾根なので、熊などが居てもそう不思議なことではない。この峠のような所を過ぎると尾根は一気に急斜面となる。はっきりとした踏み跡は無いが、人が通れそうな切り開きはある。しかし傾斜が増すにつれて蔓性の植物が行く手を阻むようになる。必ずしも尾根が広い訳ではないので、蔓を避けるように回り込むにも一苦労である。木が低くトンネル状になった所を過ぎると暗い檜の林が見えてくる。林の中は緩斜面で上のほうは明るくなっている。

(大きな穴)


(行く手を阻む蔓性の植物)

明るい所へと出るとそこは皇鈴山直下の林道上であった。そばには道標があり、山頂へ向かって広い道が延びている。クルマが通れそうな整備された道を上がると山頂近くにあるアンテナ設備が見えてきた。道標を見送れば雑木林に囲まれた皇鈴山の山頂(679)に到着である。強い風が吹き、山頂には誰も居ない。東屋で休憩を取ろうとすると風で帽子が吹き飛ばされてしまった。なんとか昼食のスコーンを食べる。東屋の前からは蓑山の平たい山容はよく見える。だがその背後の宝登山や城峯山は霞んで殆ど見ることができない。

(皇鈴山直下の林道 左の踏み跡が尾根へ上がる道)


(皇鈴山頂上)


(蓑山を望む)

早々に昼食を済ませ、次の登谷山を目指すことにする。下り始めると初老の男性に会う。今日初めて山中で人に会った。先ほどの道標のある鞍部から緩やかに登り返す。この辺りの雑木林は何度来ても気持ちが良い。小ピークから見晴らしの良い崩壊地の脇を下っていくと恐ろしい光景が目に入った。東側に広がる杉林から白い煙が立ち上っているのである。まさか山火事か?よく見るとそれは強風にあおられて撒き散らされる杉の花粉であった。あれだけ勢い良く吹き上げれば、火事と間違える人も出てくるだろう。見ると登谷山の東側斜面の杉林からも風が吹きつける度に白い花粉が舞い上がっている。

(登谷山 東側斜面から舞い上がる花粉)

車道の乗り越すグミの木峠から登谷山へと登り返す。西側が開けた尾根上は風が西から吹きつける。舞い上がった花粉を想像するとゾッとするが、西からの風なので、それほど花粉症は酷くならないようだ。最後の急斜面を登り、登谷山の山頂(668)へと出るとまさに花粉が風で舞い上げられているところであった。もちろんのんびりと関東平野の眺めを楽しむどころではない。振り返れば、皇鈴山も花粉を吹き上げているところであった。

(登谷山頂上から 白いのは全て花粉)


(皇鈴山)

早々に山頂から下る。登谷山は主に東側の眺めが良いのだが、アンテナ施設の脇からは西側の眺めも少し得られる。柵越しに宝登山と城峯山の眺めが得られるのだが、手前の荻野山から吹き上がる花粉がおぞましい。更に奥の金網脇からは武甲山も見えるはずなのだが、薄っすらと三角形のシルエットが見える程度だ。閉鎖されて久しい登谷牧場まで下りると、しばらくは車道歩きだ。前回歩いたときはこの釜伏峠までの道から真っ白な浅間山などが望めた。だが今日はのっぺりとした蓑山しか見えない。やや切り通し状の車道を抜けると、車道が乗り越す釜伏峠だ。ボクは意外にこのこじんまりとして開けた峠が好きだ。皇鈴山を経ずに平草・高中の集落を抜ける車道を歩くのも面白いのではないかと思う。

(宝登山と城峯山の眺め)


(薄っすら武甲山)


(車道から蓑山)


(釜伏峠)

峠からいつものように釜山神社へと足を運ぶ。参道はよく清められているものの、以前より寂れた雰囲気がある。拝殿脇の社務所には「宮司 体調悪くお休みです」との張り紙がしてあった。このままで大丈夫なのだろうか?拝殿左脇から山道に入り、釜伏山への道を見送って荻野山の脇の車道に出る。パワースポット云々を過ぎると下田野への山道が下っている。ここもいずれ一度歩いてみたいところだ。下田野の分岐を見送ると東屋の建つ関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)の休息所がある。ここからも日本水(やまとみず)水源への道が延びているが、依然として立入禁止だ。東屋の前には大展望が広がるのだが、今日の空では今一冴えない。せいぜい阿弥陀ヶ谷の耕地とその奥の宝登山が見える程度で、城峯山になるともうシルエット程度にしか見えない。

(釜山神社参道)


(休息所下の車道からの眺め)


(下の耕地が阿弥陀ヶ谷 その上が宝登山 左奥が城峯山)

休息所から塞神(さいのかみ)峠まではダルい車道歩きが続く。車道が乗り越す広い塞神峠からは阿弥陀ヶ谷へ下りる山道と長瀞・寄居の町境の尾根道も延びている。この町境の尾根道を歩くのは実に二年ぶりだ。まずは465のピークを東から巻いていく。雑木林の広がる落ち着いた尾根だ。仙元峠に差し掛かる所で大神部山へ連なる尾根が見えるのだが、ここでも舞い上がる花粉の白い煙が凄まじい。小さな社の建つ仙元峠は明るく開けた広い所だ。扇沢と蕪木への峠道が乗り越し、少し離れた所に植平への道も延びている。ボクは以前この峠に来たときに一度でこの尾根のファンになってしまった。それくらいこの峠は落ち着いた気持ちの良い雰囲気を醸し出している。

(大神部山への尾根 右の白いのはやはり花粉)


(仙元峠 写真では伝わりにくいが広く落ち着いた雰囲気である)

仙元峠から先は杉・檜の林と雑木林が混在した中を歩いていく。すると突然風が強く吹き、気温が下がってきた。半袖のTシャツ姿なので、この気温の変化はかなりきつい。それでも体を動かしている分には何とか我慢できる。小ピークを越えると首にひびの入った石仏がおわす名も無い峠に下り立つ。周囲は暗い杉・檜の林なので、少々心細い。大神部山へ向かっては緩やかな登りが続く。そして暗い杉・檜の林も続く。林の中まで白い花粉が撒き散らされているのには流石に閉口した。おまけに雨も降り出した。もう早く下山したい。大神部山(505)は尾根が西に張り出し、山頂部だけが雑木林に覆われているので、その場所はわかりやすい。だがいちいち寄るのも面倒なので、東に付けられた巻き道を行くことにした。

(石仏のある峠)


(石仏 首が折られたのだろうか)


(林の中まで花粉が凄い)


(大神部山)

大神部山を巻くとまもなく植平峠へと下りてくる。石柱の道標がなければ、峠であるとは気付かないだろう。ここで一息入れて上着を着込むことにした。雨は降ったり止んだりしている。植平峠から植平への道は峠道というよりは尾根道と言ってよいだろう。やや藪っぽい細い道だが、よく整備され、歩きやすい。細かなアップダウンを繰り返し、岩根山への分岐に差し掛かる。ところが現在地が何処なのかよくわからない。おそらく白実線が尾根を乗り越す辺りではないかと思う。すると5分と経たない内にまたも分岐にやって来る。越し方は葉原峠と書かれていて、これはおかしなことではない。これから向かおうとしているのは春日神社・法善寺方面だ。もう一方は植平・二十二夜堂と書かれている。するとどうもここは尾根が西と北に分かれる所らしい。とにかく春日神社へと書かれたほうへ歩いていく。

(植平峠)


(歩きやすい道が続く)




(道標各種)

相変わらず踏み跡ははっきりとしており、尾根上のルートなので、道を外すこともない。但し強い風と慣れない道とで疲労は激しい。やがて法善寺方面と春日神社方面を示す道標が現れた。ここはエアリアで見た記憶があり(ボクは山の中ではあまりエアリアは見ない)、法善寺方面は金ヶ岳を経由しない道だったはずだ。春日神社方面へと向かうとすぐに春日神社の建物が見えてきた。ここも岬のように突き出たピークなので、風が強い。建物の少し手前の高みには金ヶ岳と書かれたプレートが三つも付けられていた。標高は370メートルくらいだろうか。

(踏み跡は明瞭)


(金ヶ岳分岐)


(春日神社)


(金ヶ岳のプレート)

神社前には道標があり、野上駅方面を指している。強風吹き付ける急斜面を恐る恐る下っていく。しばらく歩きにくい九十九折を下っていくとオリエンテーリングポストのある緩やかな尾根に出る。ポストの脇からも道が分岐していたが、これを無視して尾根を進んでいく。しばらくするとまたも分岐だ。尾根を進む道は木が置かれ、どうも通せんぼしているようだ。そこで尾根を外れて斜面を下っていく。またも分岐。どうもおかしい。おかしいが分岐に入ってみる。少し下ると道が急傾斜の中に消えてしまった。どうやら外秩父辺りにありがちな作業道だったらしい。分岐を戻り、もう一つの道を下っていくと今度は沢に下る手前で道が消えてしまう。これも違うようだ。そこで一旦尾根へ戻り、その先通せんぼする木を越えて進んでみよう。尾根の先は急傾斜でどこへも下ることは出来ない。どうやら完全に道に迷ってしまった。下界は直ぐ近くに見えているのだが下ることが出来ない。こんなとき無理矢理に下ってしまうと遭難一直線である。時間はまだ早いし、体力も残っている。一先ずポストのあった所まで戻ってみよう。下山したときに飲む予定だった炭酸飲料を取り出し、一息入れる。何だかちょっと元気が出てきた。

(おそらく間違った所を下っている最中)

ポストの所まで戻り、今度は尾根の北側を下る道へ入る。もしこれが間違いだったら…。いや考えないようにしよう。道はやや藪っぽいものの、踏み跡ははっきりとしているし、これまで歩いてきたのと同じように歩きやすい斜度になっている。それでもなかなか信じられず、「これが間違いだったら…」と不安な気持ちで下っていく。杉・檜の植林から雑木林へと変わると踏み跡は落ち葉に隠されて分かり難くなる。それでも切り開きをぐんぐんと下っていくと椎茸栽培用のほだ木が置かれた広場に出た。ということはつまり麓から上がってくる道があるということだろう。これでほぼ助かった。広場から更に下ると民家の裏手に出る。民家を回り込む道を進むと車道に出る。ようやく下山することが出来た(※2)。車道からは荒川の流れを望むことが出来る。一体どの辺りに居るのだろう?

(ポスト脇からの道 整備状態は良好)


(落ち葉で滑りやすい下り)


(荒川の流れを望む)

細い車道を下ると眼下に見えていた広い車道へとつながる。振り返ると岩根山徒歩入口と書かれた看板がある。ここはミツバツツジで有名な岩根山の入口だったのか。以前来たことがあるはずだが、全く覚えていなかった。あとはいくらか見覚えのある道を歩いて野上駅に着く。強風で電車が遅れていて、まだ間に合うと駅員さんに言われる。切符を買ってホームに着くと今度は駅舎に財布を忘れたことに気付く。いくら疲れていたとはいえ、あまりにもミスが多すぎた。前回に続き反省の多い山歩きとなってしまった。

(岩根山徒歩入口)


(紅梅)


(高砂橋から荒川)


DATA:
親鼻駅8:02~8:20龍ヶ谷城跡の取り付き~8:42金比羅神社~8:46角山~9:16龍ヶ谷城跡~9:48ハギノソリ峠~10:14古峯神社
~11:16皇鈴山~11:44登谷山~12:02釜伏峠~12:31塞神峠~12:38仙元峠~12:55植平峠~13:24金ヶ岳~14:20岩根山入口
~14:31野上駅

地形図 皆野 安戸 寄居 鬼石

歩数 35,580歩

※1 「余湖くんのお城のページ」から「埼玉県の城址」「皆野町 千馬山城」を参照
※2 おそらくこの尾根を下りてきたと思われる。無事に下りられたからといって、計画外の道を下りてきたことは
   自慢できることではない。

親鼻駅から龍ヶ谷城跡そしてハギノソリ峠までは一般ルートです。ほぼ雑木林なので、杉・檜が苦手な人にオススメ。ハギノソリ峠から古峯神社までは藪っぽいものの、踏み跡があります。地形図・コンパスはお持ち下さい。古峯神社から皇鈴山頂上までは林道などを除き、踏み跡はありません。雑木林の尾根なので、夏場は通行困難でしょう。植平峠から金ヶ岳を経て野上駅のルートも一般ルートです。但し金ヶ岳(春日神社)の分岐に戻ったほうが道は分かりやすいでしょう。

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