
(西大峰の山頂)
注意:沢山峠道は道形が消失しています。一般の方は通行できません。
2025年は年明けから寒い日が続き、山歩きに行こうという気分にはならなかった。2月の最終週からようやく春の暖かさを感じられるようになったため、今年初めての山歩きを計画した。しばらく歩いていないので軽い所にしようと思ったのだが、芽吹きが進まない内に藪っぽい所を済ませておくべきだと考え、深沢から沢山峠への峠道を歩くことにした。深沢は過去三度(平成29年3月12日 山王峠から鎌北湖を経てユガテ、2023年3月5日 沢山峠の探索とみちさと峠・十二曲峠、2023年4月23日 越生から東吾野 大高取山・鼻曲山・深沢山・滝坂)歩いていて、沢山峠まで登ったこともある。しかし現在の地理院地図に描かれている峠道はまだ歩いたことがなかった。今回はこの現在の峠道を探索するとともに、「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)にある間野コースと呼ばれる尾根道を歩く周回コースを採ることにした。
深沢から峠道を辿って沢山峠
朝7時、東吾野駅に着くともう既に空は明るい。雲は多いものの、山間地にしては暖かい。その暖かさに誘われてか駅を降りる登山者は多かったが、ボクが準備を整えて出発する頃には皆既に駅を発った後であった。国道を渡り、15分ほど国道沿いに歩くと深沢の入口に着く。石造の道標は今でも残っているが、これを見て土山集落や毛呂山町を目指す人はいないだろう。

(朝の東吾野駅 背後に見えるのは屋船山)

(石造の道標)
2023年に二度深沢を歩いた時はどん詰まりの寂しい集落という印象を持ったのだが、今回は馬頭観音の碑の土台が整備されていたりして、人の営みが感じられるのは良きこと哉と思う。舗装路から砂利道へと変わるが、依然として整備された道が続く。多少倒木はあるものの、流石古い時代の地形図にも道が載っているだけのことはあるなと感じさせる。深沢を橋で渡り、道が左にカーブする所に沢山峠の入口がある。対岸に道形があるが、橋などは無いので渡渉が必要である。

(馬頭観音の碑)

(右は西光院へ 順路は左)

(この先の砂利道を行く)

(道はよく整備されている)

(沢山峠の入口 渡渉が必要)
峠道は右岸に付けられ、間伐された古い木材が目立つ。「奥武蔵登山詳細図」の著者である池田和峰さんのブログによると道は荒れ放題で、それ故「奥武蔵登山詳細図」には廃道と記したとのことだ。ただ実際に歩いてみるとそれほど倒木はなく、道形もはっきりしている。歩いて3分ほどで二又の沢に出る。この辺りは倒木が多く、道形が消えている。周囲を眺めた感じでは左の沢が緩く峠道がありそうに思えたが、スマホの地図ロイドで確かめると右の沢が峠道側であることを示している。

(沢山峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

(歩き始めはこんな具合)

(沢が二又になった所(上記地図だと①の場所) こちらは左の沢)
右の沢に入ってみると再び道形が現れる。最初の難所は越えたようで安心していると沢を塞ぐ倒木が目立ってきた。幸いなことにここは左岸に道形が付いているので先へ進むことが可能だ。だが進むにつれて道がかなり細くなってきた。道形が消えたなと思うと対岸に付いていたりするのでよく周囲を見回す必要がある。どうしても道がなければ沢床を行くしかないが、3月の現在はほとんど水流が無いのが幸いであった。

(右の沢を少し進むと道がはっきりする)

(倒木が目立ってきた ここは渡渉して左岸を進む)

(今度は右岸へ戻る こんな感じで両岸を行ったり来たりする)

(このくらい道がはっきりしているとありがたい)

(傾斜が緩いうちは道も明瞭)

(ここもまだ右岸を進む)
再び沢が分かれるが、今度は左に入る。道形が左の沢に続いているのでここはわかりやすい。問題は道を覆い隠すような倒木が増えてきたことと傾斜が急になってきたことだ。そしてついに道形が無くなってしまった。後は急な沢床を登るのみ。ここは幸いにも急なV字谷ではなく、倒木も多くない。でも他に道があるのではないかと周囲を見回しながら歩くが、もう高巻き出来るような所はない。倒木を潜ったり跨いだりしつつ登っていくと急斜面だが広い谷に出る。どうやらここは沢の詰めに当たるようだ。

(沢が再び分かれる(上記地図②) 今度は左へ)

(倒木に阻まれるが右岸に道がある)

(道はないので沢床を進む)

(倒木を潜ったり跨いだり避けたりする必要がある)

(だいぶ傾斜が急になってきた)

(詰めの部分にやってきた あとは歩きやすい所を上がっていくしかない)
周囲を見回すと倒木はなく、一見すると歩きやすそうだ。しかしいざ登ろうとするとかなり傾斜がきつい。しばらくはジグザグを切りながら直線的に登っていくが、登るにつれて傾斜が急になるのが嫌になって、結局ノッチョウネから南東に派生する尾根に逃げてしまった。この尾根は2023年3月に西漆久保から旧道を探った際に歩いた所だ。傾斜がきつくなる手前で南の斜面を東へトラバースするとその際に訪れた平場に着く。周囲をよく観察するとここは炭焼きの跡だったらしく、かまどらしき物がある。

(尾根に出る ここは以前にも訪れたことがある)

(炭焼きの跡がある平場)

(こちらが炭焼きの跡)

(明らかに何かを焼いた跡がある)
炭焼きの跡がある平場から更に東へトラバースしていくと尾根が見えてきて沢山峠に着く。ここまで来ればもう一般ルートと変わりない。少し休んだらユガテまで一気に行ってしまおう。

(沢山峠 狭い所だ)
ユガテとエビガ坂
沢山峠からノッチョウネと呼ばれる西大峰の南の肩のような所までは急坂が続く。それでもさっきまで歩いていた詰めの急斜面に比べれば、九十九折の道が付けられている分だけかなり歩きやすい。明るいノッチョウネに出れば西大峰までは緩やかな尾根が続く。「大峰」という名に相応しい広い尾根を進むと小さく突き出した高まりがある。ここが西大峰の山頂だ。

(ノッチョウネの辺り)

(大峰という名に相応しい広い尾根)

(左は西大峰の山頂 右は巻き道)

(西大峰の山頂)
西大峰から東へと下る。沢山峠からの登りに比べるとだいぶ傾斜は緩やかだ。私製の立派な道標が立つ鞍部には北向地蔵とユガテとを結ぶ中腹道が延びている。個人的にはこの中腹道は奥武蔵の道の中でもかなり面白い道だと思う。よく整備されていて歩きやすいだけでなく、途中の奥秩父線81号鉄塔下からはユガテと大高山を見渡せる展望地もある。北向地蔵からユガテへと向かう場合、スカリ山を経由する尾根道を行くかこの中腹道を使うか、悩ましいところだ。

(中腹道に突き当たる 右は北向地蔵 左はユガテ)

(ユガテへの道 よく整備されている)

(ユガテへの道を見下ろす)

(左上に見えるのは奥秩父線81号鉄塔)

(尾根を越えてユガテへ下る 右に登れば奥秩父線81号鉄塔)

(鉄塔下からの眺め ユガテ・虎秀山・大高山が見える)

(こういう道を見ると楽しくなる)
ユガテに上がる手前は道が付け替わっており、より民家に近いほうを通るようになっている。ユガテに入ると蝋梅と紅梅が花を付けている。ただ全体としてみれば花の季節には早く、柑橘類の木にはまだオレンジ色の実が多く残っている。農具小屋の周囲は更にベンチが増え、立派な東屋も出来ていた。ベンチで少し長めの休憩を取る。家から持ってきたポテトチップスを開けて食べると何だか懐かしい味だ。ボクは普段ポテチを全く食べないのだが、離れて暮らす兄がたまにやって来てはポテチなどのスナック菓子を置いていくので、勿体ないと思い、山で食べることにしていたのだ。3分の1くらい食べたところでどうも少し胸焼けがする。年々脂っこいものが受け付けない身体になってしまっているな。

(ユガテの紅梅)

(蝋梅など)

(柑橘類の実がたわわ)

(ユガテの中心地点)

(池には魚がいる 鯉だろうか金魚だろうか)
休憩を終え、ベンチのあるユガテの中心から南の分岐点に出る。ここから新田への道を下りたこともある。が、今回は尾根伝いにエビガ坂へと出る。明るい林道を進んでいると消防団の人たちがユガテの上の防火水槽を確認していた。岩手で山火事が起きている最中ということもあり、山での火の扱いは注意しないといけないなと改めて思う。林道を横切るとやや急な登り坂が続く。鞍部を越えて尾根道を行くとエビガ坂に着く。

(ユガテ南の分岐点)

(広い林道を行く)

(エビガ坂へ向かって これも古い道だ)

(エビガ坂)
エビガ坂からは尾根道を行く。明瞭でよく整備されているが茶嶽山へ向かって登り基調なのでなかなか歩みは捗らない。ゆっくり歩いているとトレイルランナーに次々と出会う。ユガテでは通常の登山者を見かけたが、丸山から日和田山を結ぶこの長大な尾根道においてはトレイルランナーの比率のほうが高くなったように感じる。「茶之岳山」と書かれた標識のある茶嶽山(450)を越えて、グリーンラインへと下り立つ。

(茶嶽山)
間野コースを下る
「奥武蔵登山詳細図」によると間野コースは茶嶽山と蟹穴山との間にある西へ派生する尾根道を下っている。この辺りは何度となく通っているが、間野コースを示す道標などはなかった記憶がある。とりあえず周辺を探ってみよう。グリーンラインと呼ばれる舗装された林道を進むと蟹穴山へと続く尾根道の入口が見えてくる。ここからは鎌北集落へと下る道も延びている。ここは少し行きすぎているので、戻ると広い待避所のある辺りから林道が下っている。どうやらこれが間野コースであるようだ。

(間野コース 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

(蟹穴山・鎌北方面の分岐 間野コースはここよりも南東側にある)


(この待避所が間野コースの入口)
「奥武蔵登山詳細図」を見ると間野コースは目立つ名無しのピークを南から巻いているらしい。広い林道を下っていくと確かに尾根を南から巻いていく。結構急な下りが続くので少し不安になる。途中分岐があり、更に下る道と尾根方面へ戻るように付けられた上り坂とがある。上り坂を行くと予想通り尾根道へ復帰する。尾根に出てからは歩きやすい広い道が続く。この道が続くと楽だったのだが、唐突に尾根が途切れる。縁へ近づくと下に道は続いているようだ。

(正面は名無しのピーク ここは南から巻く)

(巻き道は結構急だ)

(尾根に出るとなだらかで歩きやすい)

(尾根の縁 この先に細い道が続く)
細い道を下っていくと前方が明るくなる。民家上にある農地の上に出たようだ。問題はここから道がないということだ。下に見える林の奥には建物が見えるのでこの農地を避ければ正規の道へと出られそうだ。そこで農地を大きく迂回しようとしたのだが、これが失敗だった。迂回しようとすればするほど急斜面に差し掛かってしまい、下ることができなくなってしまった。結局農地が見える辺りまで戻ってきたところで明瞭な道に出る。10分も彷徨ってしまった。

(細道を下る 最初は明瞭)

(農地の上に出た 右に見える林の中にあるフェンス沿いに進むのが正解だったかもしれない)

(道へ復帰した所 右上にフェンスが見えるのでそれを目印に下ればよかったようだ)
道は民家の側を下っていく。民家は荒れ放題で廃屋になってから時間が経っているようだ。民家の中へ向かう道を避けて下ると土に埋もれた石段が見えてくる。ここが間野コースの集落側の入口だ。10分ほど彷徨ったのにもかかわらずグリーンラインから30分で民家のある所まで下ることができたので、農地の近くが整備されればエスケープとしても使えそうだ。

(廃屋 この辺りはもう人が住んでいないらしい)


(奥武蔵登山詳細図に書かれている石段)
集落内には数軒の民家が点在するが大半は廃屋となって久しいらしい。林道間野線に接続する手前の家辺りからクルマが停められた家が増えてきた。間野線を下れば今度は林道阿寺線と接続する間野の馬頭観音へとやってくる。周囲には馬頭観音以外に古い石造の道標があり、今歩いてきた方角は「阿すは たきの入」と刻まれている。「阿すは」は阿諏訪、「たきの入」は滝ノ入でどちらも毛呂山町にある地名だ。地理院地図はもとより古い地形図にも阿諏訪方面を示す道は描かれていない。しかし実際には林道間野線を登り詰めるか先ほど歩いた間野コースを登って阿諏訪・滝ノ入へと出る道があったのかもしれない。

(奥に見えるのが林道間野線)

(林道間野線を示す標識)

(古い道標 左にある石柱には「飯能講」と刻まれていた)

(間野の馬頭観音)
阿寺の岩場と博打岩
さて後は東吾野駅へと下るだけとなったが、時計を見るとまだ10時半を過ぎたばかりだ。林道阿寺線を上れば阿寺の岩場があるのでそこまで足を延ばすことにした。結構急な舗装路を進む。しばらく開けた所を通るので日差しが暑い。とても3月に入ったばかりの気候とは思えない。杉林に入ると阿寺の岩場の駐車場があるのだが閉鎖されている。岩場の管理が難しくなり、今年の1月からクライミング場として使えなくなったのだ。新聞の埼玉版にも掲載されていたので気にはなっていたのだが、入山も禁止と書かれている。どうやら近づいて見るのは難しそうだ。

(虎秀川を遡ると砂防ダムの向こうに大岩がある 阿寺の岩場を小さくした感じだ)

(入山・駐車禁止を示す標識)
阿寺集落へと向かう道を登ると岩場へ向かう分岐も閉鎖されている。クライミングができないのは致し方ないとして、下から眺めることもできないのはちょっと残念だ。というのもこの岩場には滝枕と呼ばれる滝もあり、岩場以外にも見所があるのだ。滝を上から眺められる所まで登って少し休憩を取る。ブログに載せるのでなければ閉鎖された向こう側へ入ってしまったかもしれないが、不特定多数の人に向けて公開する以上、明白に違法なことはしない主義なのだ。

(阿寺の岩場 左下に見える梯子から岩場の大きさがわかる)

(滝枕を上から眺める)

(かなり大きな岩場だ)

(クライマーへの通知)
阿寺の岩場から東吾野駅までは延々と舗装路が続く。過去に阿寺から新田までと福徳寺から東吾野駅の間は歩いている。したがって新田と福徳寺の間を歩けばここもつながる訳だ。馬頭観音を過ぎるとクルマの置かれた民家が現れる。間野集落は虎秀川沿いに人の営みが残っているらしい。材木店が点在する新田(しんでん)集落を下っていくと「奥武蔵登山詳細図」にも載っている東屋がある。まだ先は長いので一息入れる。すると一人の女性登山者が通り過ぎていく。ボク以外にもこんな所を歩く物好きな登山者がいるのだな。

(間野にある地蔵尊)

(この辺りの民家には人が住んでいる)

(新田の地蔵尊)

(地蔵尊のすぐ側に道標が立つ)

(地蔵尊の向かいにはユガテへの道が延びる)

(東屋)
中居橋を過ぎ、西側に平地が広がる。気持ちの良い光景だ。阿弥陀堂が立つ福徳寺は現在無住となっているらしく、納経などは興徳寺が行っているという。トイレが併設され、また飛脚道への入口となっているため、ここを訪れる登山者は多い。国道へと出れば東吾野の駅は近いが、駅へは向かわず踏切を渡る。すると右に建物が見えるのでその脇を進む。道なりに山道を行くと頭上に岩場が見えてくる。ここは博打岩と呼ばれる岩場で、こちらはまだクライミング場として利用されている。

(立派な石垣 この辺りは中居という集落)

(平地が広がる 良い景色だ)


(福徳寺阿弥陀堂)

(こちらが本堂だろうか 右奥にトイレがある)

(博打岩へはこの民家の脇を進む)



(博打岩)

(ここはまだクライミング場として使えるようだ)
来た道を戻り、今度は駅へと向かう。すると甘い香りが漂ってくる。線路沿いに植えられた蝋梅から香ってくるのだ。朝は気付かなかったので、暖かくなると香りも強くなるのだろう。東吾野駅の駅舎にはベンチなどがないので、さっさとホームに上がる。今回の山歩きで歩き残していた沢山峠道を無事に歩くことができた。これにて詳細のわからない道はもう今後歩かないつもりだ。そのつもりなのだが林道間野線の様子などを見ていると色々と気になってしまう。まだまだ人の歩かないルートの探索は続いていくのかもしれない。


(東吾野駅の蝋梅)
DATA:
東吾野駅6:57→7:13深沢入口→7:32峠道入口→8:21沢山峠→8:25ノッチョウネ→8:31西大峰→8:38北向地蔵・ユガテ分岐→8:52奥秩父線81号鉄塔→9:05ユガテ9:15→9:35エビガ坂→9:46茶嶽山→9:58間野コース入口(グリーンライン側)→10:28間野集落→10:39間野の馬頭観音→10:50阿寺の岩場(外)→11:24新田集落→11:44福徳寺→11:59博打岩→12:08東吾野駅
地形図 飯能 越生 原市場
トイレ ユガテ 福徳寺
交通機関
西武池袋線 小手指~東吾野 356円
未踏だった区間:沢山峠道、間野コース、新田~福徳寺、博打岩
関連記事:
平成29年3月12日 山王峠から鎌北湖を経てユガテ
2023年3月5日 沢山峠の探索とみちさと峠・十二曲峠
2023年4月23日 越生から東吾野 大高取山・鼻曲山・深沢山・滝坂
深沢から沢山峠への峠道は途中道が消失しており、一般の登山者は通行できません。山慣れた人が歩く場合でもコンパス・地形図またはGPS機器が必須です。
間野コースは本文中にもあるように民家に近づいた辺りから道がありません。登りに使うほうがわかりやすいと思います。
注意:沢山峠道は道形が消失しています。一般の方は通行できません。
2025年は年明けから寒い日が続き、山歩きに行こうという気分にはならなかった。2月の最終週からようやく春の暖かさを感じられるようになったため、今年初めての山歩きを計画した。しばらく歩いていないので軽い所にしようと思ったのだが、芽吹きが進まない内に藪っぽい所を済ませておくべきだと考え、深沢から沢山峠への峠道を歩くことにした。深沢は過去三度(平成29年3月12日 山王峠から鎌北湖を経てユガテ、2023年3月5日 沢山峠の探索とみちさと峠・十二曲峠、2023年4月23日 越生から東吾野 大高取山・鼻曲山・深沢山・滝坂)歩いていて、沢山峠まで登ったこともある。しかし現在の地理院地図に描かれている峠道はまだ歩いたことがなかった。今回はこの現在の峠道を探索するとともに、「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)にある間野コースと呼ばれる尾根道を歩く周回コースを採ることにした。
深沢から峠道を辿って沢山峠
朝7時、東吾野駅に着くともう既に空は明るい。雲は多いものの、山間地にしては暖かい。その暖かさに誘われてか駅を降りる登山者は多かったが、ボクが準備を整えて出発する頃には皆既に駅を発った後であった。国道を渡り、15分ほど国道沿いに歩くと深沢の入口に着く。石造の道標は今でも残っているが、これを見て土山集落や毛呂山町を目指す人はいないだろう。

(朝の東吾野駅 背後に見えるのは屋船山)

(石造の道標)
2023年に二度深沢を歩いた時はどん詰まりの寂しい集落という印象を持ったのだが、今回は馬頭観音の碑の土台が整備されていたりして、人の営みが感じられるのは良きこと哉と思う。舗装路から砂利道へと変わるが、依然として整備された道が続く。多少倒木はあるものの、流石古い時代の地形図にも道が載っているだけのことはあるなと感じさせる。深沢を橋で渡り、道が左にカーブする所に沢山峠の入口がある。対岸に道形があるが、橋などは無いので渡渉が必要である。

(馬頭観音の碑)

(右は西光院へ 順路は左)

(この先の砂利道を行く)

(道はよく整備されている)

(沢山峠の入口 渡渉が必要)
峠道は右岸に付けられ、間伐された古い木材が目立つ。「奥武蔵登山詳細図」の著者である池田和峰さんのブログによると道は荒れ放題で、それ故「奥武蔵登山詳細図」には廃道と記したとのことだ。ただ実際に歩いてみるとそれほど倒木はなく、道形もはっきりしている。歩いて3分ほどで二又の沢に出る。この辺りは倒木が多く、道形が消えている。周囲を眺めた感じでは左の沢が緩く峠道がありそうに思えたが、スマホの地図ロイドで確かめると右の沢が峠道側であることを示している。

(沢山峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

(歩き始めはこんな具合)

(沢が二又になった所(上記地図だと①の場所) こちらは左の沢)
右の沢に入ってみると再び道形が現れる。最初の難所は越えたようで安心していると沢を塞ぐ倒木が目立ってきた。幸いなことにここは左岸に道形が付いているので先へ進むことが可能だ。だが進むにつれて道がかなり細くなってきた。道形が消えたなと思うと対岸に付いていたりするのでよく周囲を見回す必要がある。どうしても道がなければ沢床を行くしかないが、3月の現在はほとんど水流が無いのが幸いであった。

(右の沢を少し進むと道がはっきりする)

(倒木が目立ってきた ここは渡渉して左岸を進む)

(今度は右岸へ戻る こんな感じで両岸を行ったり来たりする)

(このくらい道がはっきりしているとありがたい)

(傾斜が緩いうちは道も明瞭)

(ここもまだ右岸を進む)
再び沢が分かれるが、今度は左に入る。道形が左の沢に続いているのでここはわかりやすい。問題は道を覆い隠すような倒木が増えてきたことと傾斜が急になってきたことだ。そしてついに道形が無くなってしまった。後は急な沢床を登るのみ。ここは幸いにも急なV字谷ではなく、倒木も多くない。でも他に道があるのではないかと周囲を見回しながら歩くが、もう高巻き出来るような所はない。倒木を潜ったり跨いだりしつつ登っていくと急斜面だが広い谷に出る。どうやらここは沢の詰めに当たるようだ。

(沢が再び分かれる(上記地図②) 今度は左へ)

(倒木に阻まれるが右岸に道がある)

(道はないので沢床を進む)

(倒木を潜ったり跨いだり避けたりする必要がある)

(だいぶ傾斜が急になってきた)

(詰めの部分にやってきた あとは歩きやすい所を上がっていくしかない)
周囲を見回すと倒木はなく、一見すると歩きやすそうだ。しかしいざ登ろうとするとかなり傾斜がきつい。しばらくはジグザグを切りながら直線的に登っていくが、登るにつれて傾斜が急になるのが嫌になって、結局ノッチョウネから南東に派生する尾根に逃げてしまった。この尾根は2023年3月に西漆久保から旧道を探った際に歩いた所だ。傾斜がきつくなる手前で南の斜面を東へトラバースするとその際に訪れた平場に着く。周囲をよく観察するとここは炭焼きの跡だったらしく、かまどらしき物がある。

(尾根に出る ここは以前にも訪れたことがある)

(炭焼きの跡がある平場)

(こちらが炭焼きの跡)

(明らかに何かを焼いた跡がある)
炭焼きの跡がある平場から更に東へトラバースしていくと尾根が見えてきて沢山峠に着く。ここまで来ればもう一般ルートと変わりない。少し休んだらユガテまで一気に行ってしまおう。

(沢山峠 狭い所だ)
ユガテとエビガ坂
沢山峠からノッチョウネと呼ばれる西大峰の南の肩のような所までは急坂が続く。それでもさっきまで歩いていた詰めの急斜面に比べれば、九十九折の道が付けられている分だけかなり歩きやすい。明るいノッチョウネに出れば西大峰までは緩やかな尾根が続く。「大峰」という名に相応しい広い尾根を進むと小さく突き出した高まりがある。ここが西大峰の山頂だ。

(ノッチョウネの辺り)

(大峰という名に相応しい広い尾根)

(左は西大峰の山頂 右は巻き道)

(西大峰の山頂)
西大峰から東へと下る。沢山峠からの登りに比べるとだいぶ傾斜は緩やかだ。私製の立派な道標が立つ鞍部には北向地蔵とユガテとを結ぶ中腹道が延びている。個人的にはこの中腹道は奥武蔵の道の中でもかなり面白い道だと思う。よく整備されていて歩きやすいだけでなく、途中の奥秩父線81号鉄塔下からはユガテと大高山を見渡せる展望地もある。北向地蔵からユガテへと向かう場合、スカリ山を経由する尾根道を行くかこの中腹道を使うか、悩ましいところだ。

(中腹道に突き当たる 右は北向地蔵 左はユガテ)

(ユガテへの道 よく整備されている)

(ユガテへの道を見下ろす)

(左上に見えるのは奥秩父線81号鉄塔)

(尾根を越えてユガテへ下る 右に登れば奥秩父線81号鉄塔)

(鉄塔下からの眺め ユガテ・虎秀山・大高山が見える)

(こういう道を見ると楽しくなる)
ユガテに上がる手前は道が付け替わっており、より民家に近いほうを通るようになっている。ユガテに入ると蝋梅と紅梅が花を付けている。ただ全体としてみれば花の季節には早く、柑橘類の木にはまだオレンジ色の実が多く残っている。農具小屋の周囲は更にベンチが増え、立派な東屋も出来ていた。ベンチで少し長めの休憩を取る。家から持ってきたポテトチップスを開けて食べると何だか懐かしい味だ。ボクは普段ポテチを全く食べないのだが、離れて暮らす兄がたまにやって来てはポテチなどのスナック菓子を置いていくので、勿体ないと思い、山で食べることにしていたのだ。3分の1くらい食べたところでどうも少し胸焼けがする。年々脂っこいものが受け付けない身体になってしまっているな。

(ユガテの紅梅)

(蝋梅など)

(柑橘類の実がたわわ)

(ユガテの中心地点)

(池には魚がいる 鯉だろうか金魚だろうか)
休憩を終え、ベンチのあるユガテの中心から南の分岐点に出る。ここから新田への道を下りたこともある。が、今回は尾根伝いにエビガ坂へと出る。明るい林道を進んでいると消防団の人たちがユガテの上の防火水槽を確認していた。岩手で山火事が起きている最中ということもあり、山での火の扱いは注意しないといけないなと改めて思う。林道を横切るとやや急な登り坂が続く。鞍部を越えて尾根道を行くとエビガ坂に着く。

(ユガテ南の分岐点)

(広い林道を行く)

(エビガ坂へ向かって これも古い道だ)

(エビガ坂)
エビガ坂からは尾根道を行く。明瞭でよく整備されているが茶嶽山へ向かって登り基調なのでなかなか歩みは捗らない。ゆっくり歩いているとトレイルランナーに次々と出会う。ユガテでは通常の登山者を見かけたが、丸山から日和田山を結ぶこの長大な尾根道においてはトレイルランナーの比率のほうが高くなったように感じる。「茶之岳山」と書かれた標識のある茶嶽山(450)を越えて、グリーンラインへと下り立つ。

(茶嶽山)
間野コースを下る
「奥武蔵登山詳細図」によると間野コースは茶嶽山と蟹穴山との間にある西へ派生する尾根道を下っている。この辺りは何度となく通っているが、間野コースを示す道標などはなかった記憶がある。とりあえず周辺を探ってみよう。グリーンラインと呼ばれる舗装された林道を進むと蟹穴山へと続く尾根道の入口が見えてくる。ここからは鎌北集落へと下る道も延びている。ここは少し行きすぎているので、戻ると広い待避所のある辺りから林道が下っている。どうやらこれが間野コースであるようだ。

(間野コース 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

(蟹穴山・鎌北方面の分岐 間野コースはここよりも南東側にある)


(この待避所が間野コースの入口)
「奥武蔵登山詳細図」を見ると間野コースは目立つ名無しのピークを南から巻いているらしい。広い林道を下っていくと確かに尾根を南から巻いていく。結構急な下りが続くので少し不安になる。途中分岐があり、更に下る道と尾根方面へ戻るように付けられた上り坂とがある。上り坂を行くと予想通り尾根道へ復帰する。尾根に出てからは歩きやすい広い道が続く。この道が続くと楽だったのだが、唐突に尾根が途切れる。縁へ近づくと下に道は続いているようだ。

(正面は名無しのピーク ここは南から巻く)

(巻き道は結構急だ)

(尾根に出るとなだらかで歩きやすい)

(尾根の縁 この先に細い道が続く)
細い道を下っていくと前方が明るくなる。民家上にある農地の上に出たようだ。問題はここから道がないということだ。下に見える林の奥には建物が見えるのでこの農地を避ければ正規の道へと出られそうだ。そこで農地を大きく迂回しようとしたのだが、これが失敗だった。迂回しようとすればするほど急斜面に差し掛かってしまい、下ることができなくなってしまった。結局農地が見える辺りまで戻ってきたところで明瞭な道に出る。10分も彷徨ってしまった。

(細道を下る 最初は明瞭)

(農地の上に出た 右に見える林の中にあるフェンス沿いに進むのが正解だったかもしれない)

(道へ復帰した所 右上にフェンスが見えるのでそれを目印に下ればよかったようだ)
道は民家の側を下っていく。民家は荒れ放題で廃屋になってから時間が経っているようだ。民家の中へ向かう道を避けて下ると土に埋もれた石段が見えてくる。ここが間野コースの集落側の入口だ。10分ほど彷徨ったのにもかかわらずグリーンラインから30分で民家のある所まで下ることができたので、農地の近くが整備されればエスケープとしても使えそうだ。

(廃屋 この辺りはもう人が住んでいないらしい)


(奥武蔵登山詳細図に書かれている石段)
集落内には数軒の民家が点在するが大半は廃屋となって久しいらしい。林道間野線に接続する手前の家辺りからクルマが停められた家が増えてきた。間野線を下れば今度は林道阿寺線と接続する間野の馬頭観音へとやってくる。周囲には馬頭観音以外に古い石造の道標があり、今歩いてきた方角は「阿すは たきの入」と刻まれている。「阿すは」は阿諏訪、「たきの入」は滝ノ入でどちらも毛呂山町にある地名だ。地理院地図はもとより古い地形図にも阿諏訪方面を示す道は描かれていない。しかし実際には林道間野線を登り詰めるか先ほど歩いた間野コースを登って阿諏訪・滝ノ入へと出る道があったのかもしれない。

(奥に見えるのが林道間野線)

(林道間野線を示す標識)

(古い道標 左にある石柱には「飯能講」と刻まれていた)

(間野の馬頭観音)
阿寺の岩場と博打岩
さて後は東吾野駅へと下るだけとなったが、時計を見るとまだ10時半を過ぎたばかりだ。林道阿寺線を上れば阿寺の岩場があるのでそこまで足を延ばすことにした。結構急な舗装路を進む。しばらく開けた所を通るので日差しが暑い。とても3月に入ったばかりの気候とは思えない。杉林に入ると阿寺の岩場の駐車場があるのだが閉鎖されている。岩場の管理が難しくなり、今年の1月からクライミング場として使えなくなったのだ。新聞の埼玉版にも掲載されていたので気にはなっていたのだが、入山も禁止と書かれている。どうやら近づいて見るのは難しそうだ。

(虎秀川を遡ると砂防ダムの向こうに大岩がある 阿寺の岩場を小さくした感じだ)

(入山・駐車禁止を示す標識)
阿寺集落へと向かう道を登ると岩場へ向かう分岐も閉鎖されている。クライミングができないのは致し方ないとして、下から眺めることもできないのはちょっと残念だ。というのもこの岩場には滝枕と呼ばれる滝もあり、岩場以外にも見所があるのだ。滝を上から眺められる所まで登って少し休憩を取る。ブログに載せるのでなければ閉鎖された向こう側へ入ってしまったかもしれないが、不特定多数の人に向けて公開する以上、明白に違法なことはしない主義なのだ。

(阿寺の岩場 左下に見える梯子から岩場の大きさがわかる)

(滝枕を上から眺める)

(かなり大きな岩場だ)

(クライマーへの通知)
阿寺の岩場から東吾野駅までは延々と舗装路が続く。過去に阿寺から新田までと福徳寺から東吾野駅の間は歩いている。したがって新田と福徳寺の間を歩けばここもつながる訳だ。馬頭観音を過ぎるとクルマの置かれた民家が現れる。間野集落は虎秀川沿いに人の営みが残っているらしい。材木店が点在する新田(しんでん)集落を下っていくと「奥武蔵登山詳細図」にも載っている東屋がある。まだ先は長いので一息入れる。すると一人の女性登山者が通り過ぎていく。ボク以外にもこんな所を歩く物好きな登山者がいるのだな。

(間野にある地蔵尊)

(この辺りの民家には人が住んでいる)

(新田の地蔵尊)

(地蔵尊のすぐ側に道標が立つ)

(地蔵尊の向かいにはユガテへの道が延びる)

(東屋)
中居橋を過ぎ、西側に平地が広がる。気持ちの良い光景だ。阿弥陀堂が立つ福徳寺は現在無住となっているらしく、納経などは興徳寺が行っているという。トイレが併設され、また飛脚道への入口となっているため、ここを訪れる登山者は多い。国道へと出れば東吾野の駅は近いが、駅へは向かわず踏切を渡る。すると右に建物が見えるのでその脇を進む。道なりに山道を行くと頭上に岩場が見えてくる。ここは博打岩と呼ばれる岩場で、こちらはまだクライミング場として利用されている。

(立派な石垣 この辺りは中居という集落)

(平地が広がる 良い景色だ)


(福徳寺阿弥陀堂)

(こちらが本堂だろうか 右奥にトイレがある)

(博打岩へはこの民家の脇を進む)



(博打岩)

(ここはまだクライミング場として使えるようだ)
来た道を戻り、今度は駅へと向かう。すると甘い香りが漂ってくる。線路沿いに植えられた蝋梅から香ってくるのだ。朝は気付かなかったので、暖かくなると香りも強くなるのだろう。東吾野駅の駅舎にはベンチなどがないので、さっさとホームに上がる。今回の山歩きで歩き残していた沢山峠道を無事に歩くことができた。これにて詳細のわからない道はもう今後歩かないつもりだ。そのつもりなのだが林道間野線の様子などを見ていると色々と気になってしまう。まだまだ人の歩かないルートの探索は続いていくのかもしれない。


(東吾野駅の蝋梅)
DATA:
東吾野駅6:57→7:13深沢入口→7:32峠道入口→8:21沢山峠→8:25ノッチョウネ→8:31西大峰→8:38北向地蔵・ユガテ分岐→8:52奥秩父線81号鉄塔→9:05ユガテ9:15→9:35エビガ坂→9:46茶嶽山→9:58間野コース入口(グリーンライン側)→10:28間野集落→10:39間野の馬頭観音→10:50阿寺の岩場(外)→11:24新田集落→11:44福徳寺→11:59博打岩→12:08東吾野駅
地形図 飯能 越生 原市場
トイレ ユガテ 福徳寺
交通機関
西武池袋線 小手指~東吾野 356円
未踏だった区間:沢山峠道、間野コース、新田~福徳寺、博打岩
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2023年3月5日 沢山峠の探索とみちさと峠・十二曲峠
2023年4月23日 越生から東吾野 大高取山・鼻曲山・深沢山・滝坂
深沢から沢山峠への峠道は途中道が消失しており、一般の登山者は通行できません。山慣れた人が歩く場合でもコンパス・地形図またはGPS機器が必須です。
間野コースは本文中にもあるように民家に近づいた辺りから道がありません。登りに使うほうがわかりやすいと思います。