
(経ヶ峰頂上の鐘楼前からの眺め)
奥武蔵の山を十数年歩いていると時々峠道を無性に歩きたくなる。集落同士を結ぶ山越えの道は歩きやすく作られていることが多く、歴史が感じられる道であることも多い。今回は西吾野駅からスタートして子ノ権現・竹寺を訪れて吾野駅へと下りる間に小床峠・穴沢峠・豆口峠・長久保坂・前坂の五つの峠道を歩く行程だ。そのうち、小床(こいか)から小床峠・穴沢峠から森河原・新館(にったち)から豆口峠は未踏のルートであり、暑くなる前にぜひ歩いておきたいと考えていたのだ。
小床から小床峠
朝7時、西吾野駅へとやってくる。前回山歩きをしたのは3月初旬だったせいか、今日はスタートから随分と明るく感じる。一緒に駅を降りた人が多かったのだが、大半は高山不動へと向かったようだ。国道に出て南へ向かう。ボクの前を歩いていた人たちは皆手前の森坂峠への道に入っていく。どうやら小床へ向かうのはボクだけらしい。子ノ権現の大きな看板が立つ小床橋を渡り、急坂の舗装路を登っていく。朝一から結構厳しい登りだ。

(小床橋)

(小床への急坂)
傾斜が緩むと右手に六地蔵が見えてくる。一つの石の六面に地蔵を彫った形は奥武蔵ではあまり見ないものだ。水場のある集落は小床と呼ばれる所で峠の名にもなっている。集落には道標が立ち、峠を指示している。以前小床峠から小床集落を目指した際、峠道がわからず林道を歩いてしまったので、入口が明瞭な上りに採ることに決めていたのだ。

(右に何か見える)

(六地蔵)

(小床集落内の水場)

(小床峠入口)
小さな橋を渡って小道に入ると道はすぐに左へと逸れていく。この明瞭な道を進むとかつて歩いた林道につながっているようだ。そこでカーブの手前まで戻ると沢沿いを行く形で薄い踏み跡が延びている。踏み跡を進むと左手に大岩が見えてくる。この大岩を右から回り込むと木の橋が架けてあり、そこから先は明瞭な道が延びている。

(小床峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(ここは左に逸れていく道ではなく、正面の細い道を行く)

(大岩を右から回り込む)

(この橋を渡ると道は明瞭になる)
しばらくは谷筋のトラバース道で傾斜としては歩きやすい。地形図で等高線が詰まっている所に差し掛かると九十九折になって登っていく。九十九折を登り切ると再びトラバース道になる。ここも傾斜が緩いのでかなり楽な道だ。やがて下草が煩くなってくる。道と知っていなければちょっと不安になる所だ。正面に広い鞍部が見えてくると小床峠に着く。以前小床へ下りようとした時は間違って尾根を下ってしまったのだが、実際は谷筋をトラバースしながら下る道であった。そして現在は谷筋の峠道を示す標識が付けられているので、ボクのように間違う人はそれほど多くは無さそうだ。

(歩きやすいトラバース道)

(九十九折を登る)

(ちょっと下草が煩くなってきた)

(小床峠)
子ノ権現をゆっくりと散策する
小床峠で一息入れ終わり、子ノ権現を目指す。西に延びる明瞭な尾根道に入る。尾根道からトラバース道へ変わり、尾根を越える所が青場戸への分岐だ。地理院地図を見ると小床峠から直接青場戸へと下ることができるように見えるのだが、実際は浅見茶屋よりも子ノ権現寄りに下る変則的な形になっている。それでも小床峠は小床からでも青場戸からでも歩きやすい道であるといえる。


(青場戸分岐)
問題はこの青場戸分岐から子ノ権現へ向かう道だ。道標は完備されていて道も明瞭なので迷うことはない。しかしかなり急な坂を登っていかなければならない。特に465m峰の東にある名無しのピークを登るのは正直しんどい。名無しのピークを登り切った後も所々急な斜面が現れる。少し下って登り返すと小床口参道に合流する。ここまで来れば子ノ権現は近い。

(道標は完備)

(名無しのピークへ向かって急坂を登る)

(小床口参道に合流)
舗装路に出て青場戸からの道に合流すると斜面に石段がある。歩きやすい石段でここを登り切ると二本杉と阿字山との鞍部に出る。阿字山は久しく訪れていないので偶には寄ってみることにする。木段が設けられた坂を登っていくと頂上に立派な東屋がある。東屋の奥には打木村治の文学碑があり、その側からは東側の眺めが少し得られる。ここで10分ほど休憩を取る。

(舗装路に出た)

(青場戸分岐)

(二本杉)

(阿字山頂上にある東屋)

(打木村治の文学碑)

(阿字山からの眺め)
休憩を終え、今度は本堂へ向かう。参道に入るとちょうどお土産屋の女将さんが店の準備を始めたところだった。女将さんが声をかけると二匹の三毛猫が現れる。写真を撮ろうとすると警戒されて逃げてしまった。山門を潜ると4.5頭身の仁王像が出迎えてくれる。正面に見えてくるのは寺務所で、そこから右に上がって回り込んだ所が本堂だ。ここは檀家がいない寺なので100円を賽銭箱に入れていく。本堂の右から上がっていくと鐘楼があり、軽く鐘を突く。意外と大きな音がする。鐘楼台のある経ヶ峰からは境内が見下ろせ、大持山を眺めることができる。

(子ノ権現の案内板)

(売店に居た三毛猫ちゃん)

(山門)

(仁王像)

(本堂)
(まだ枝垂桜が花を付けていた)

(経ヶ峰の頂上にある鐘楼)

(鐘楼前からの眺め)
逆側は東の眺めが大きく開け、空気が澄んでいればスカイツリーも見える。まあGWの頃の気候では遠くの景色を得るのはちょっと難しい。スカイツリーの展望台からスロープを下り寺務所まで戻る。今度は境内を左から回り込み、北側の展望台へ向かう。途中の鞍部からは鋭鋒の古御岳と双耳峰の伊豆ヶ岳が良く見える。その背後にある平たい武川岳は大きな図体とは裏腹にちょっと控えめな感じだ。北の展望台は樹木に覆われて暗いせいか訪れる人は多くない。特徴のある山が見えないのも人気が無い一因かもしれない。

(経ヶ峰にあるスカイツリー展望台からの眺め)

(愛宕山・竹寺方面へ向かうと伊豆ヶ岳・武川岳などが見える)

(北の展望台)

(北の展望台からの眺め)
穴沢峠を下る
鞍部から西の尾根道に入るとすぐに愛宕山方面の分岐がある。尾根を登らず中腹道を進んでいくと分岐がある。ここが穴沢峠であるが、道標には穴沢を示す文字はない。しかし穴沢へ下る峠道は名栗口参道と呼ばれる古い道で、現在の地理院地図だけでなく古い地形図にも掲載された由緒あるものだ。

(子ノ権現・穴沢峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(穴沢峠 正面は竹寺方面、穴沢へは右に下りる)
穴沢への道は落枝が多いものの、踏み跡は明瞭である。トラバース道が終わると急な尾根道となる。途中古い石造の丁目石があり、参道として使われてきたことを窺わせる。九十九折を交えつつ尾根道を下っていくと谷筋へと出てくる。ここまで来るといくらか傾斜も緩くなる。下るにつれて傾斜の緩む道を快調に下っていくと広い谷に出た。地形図で見ると道が二手に分かれる所だ。

(道標などはないが道は明瞭)

(七丁目と彫られた石 材木商組合による寄贈とある)

(この辺りは結構な急坂)

(傾斜が緩んできた パイプを踏んで右岸に渡る)

(十三丁目と彫られた石柱)

(地理院地図で道が分かれる所)
左岸の道は見当たらないので一旦深く抉れた沢を横切って右岸の林道に入る。少し下ると対岸に細い道があるのが見える。ということはやはり左岸にも道があるのか?分岐に戻り左岸を見回すと斜面に薄い踏み跡がある。この道が古くからある道であろう。下り始めると所々道が崩れている。安全面を考えるのならば右岸の林道を下ったほうが良さそうだ。天目指峠へ通ずる林道南川名栗線へ出る所にも丁目石が立ち、ここが入口であることを示している。

(左岸の道の入口)

(道が崩れている所がある)

(舗装された林道が見えてきた)

(穴沢峠入口にある石碑 左は子ノ権現と彫られているようだ)
麓の森河原までは長い舗装路歩き。GWということもあってか林道を走るクルマやバイクが次々と行き交う。10分ほど下ると民家の点在する穴沢の集落だ。山津波の被害を受けたことで知られる集落ではあるが、今でも住んでいる人はそれなりにいるようだ。林道を歩き続けると森河原集落に着く。バス通りである県道青梅秩父線が通っており、山の中にしては大きな集落だ。

(穴沢の集落)

(茶畑がある)

(森河原の集落 結構住宅が多い)

(森河原のバス停)
豆口峠まで登る
森河原から飯能駅方面へ向かって青梅秩父線を下る。バス停のある小出橋を過ぎると豆口峠と通ずる林道が延びているはずなのだが、今一つ位置がわからない。地形図を見ると川向うに学校があるので、それを目印に進んでいくと住宅が点在する舗装路が山へ延びている。ここが新館と呼ばれる豆口峠の入口らしいが、それを示す道標などは特に見当たらない。舗装路を登り、住宅地を過ぎると林道豆口入線の起点を示す標柱がある。ここはガードが置かれ車の出入りは禁止されているが、人の立入を禁止するとは書かれていない。

(小出橋バス停 奥に見えるのが小出橋)

(新館にある豆口峠の入口)

(車は出入禁止)

(林道豆口入線の起点に立つ標柱)
林道は現在でも使われているのか、下草が無くよく整備されている。ただ日差しが差し込む分暑い。起点から10分ほど歩くと地形図にも描かれているヘアピンカーブに差し掛かる。ここからも林道が分岐しているがどこに通じているのだろう?豆口入に沿って更に登っていくと林道の終点を示す標柱が見えてきた。その先は下草が地面を覆いつくしており、どうも道があるようには見えない。

(豆口峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(ヘアピンカーブの所で道が分かれる 分岐を進むと現在の登山道につながっているのだろうか?)

(林道は日当たりが良い)

(林道終点 この先道らしきものはない)
豆口入の右岸には多少人が通れそうなスペースがあるようだが、そこへ足を踏み入れると下草の下は石ころだらけである。そこを踏みしめながら進んでいくのだが、石ころの足場が崩れるのではないかと気が気でない。それに今日は舗装路歩きが長くなることを考え、ローカットのトレランシューズで歩いているので藪っぽい所はあまり歩きたくないのだ。傾斜の急な藪っぽい斜面を登っていくと左手に大岩が見えてくる。「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)によると乞食岩というらしい。大きな岩の下は人が入れるくらいの空間がある。

(不安定な急坂を登っていくと大岩が見えてくる 乞食岩だろうか?)

(岩の下には人が入れそうなスペースがある)

(なかなか立派な岩だ)
乞食岩?を回り込むと尾根に出る。ここからは道が明瞭だ。そしてその道は今歩いてきた斜面ではなく、乞食岩?の右(北)側を通って下っている。この道はどこへ通じているのだろう。とにかく今歩いてきた不安定な斜面を通過する必要はないということだ。明瞭な道へ出てしまえばもう歩きにくい所はない。九十九折を黙々と登っていると同年代の男性が上から下りてくる。この峠道を歩く人はあまりいないのではないかと思い込んでいたのだが、よく考えてみるとこの道を登ってきた団体さんに豆口峠で出会ったことを思い出した。尾根に出てから20分弱登ると豆口峠に着く。かつてここから並沢へ下ったこともあるが、今歩いてきた新館への道に比べると荒れ気味だった記憶がある。

(乞食岩を回り込むと良い道が延びる)

(九十九折を登る 結構急)

(豆口峠)
竹寺から長久保坂・前坂
豆口峠から竹寺へは歩きやすいトラバース道がのびる。これまでGWにしては登山者が少なく出会う人はほとんどいなかったのだが、流石にこの辺りではすれ違う人も多くなる。鐘楼台への道を分け、谷を下る。豆口峠まで登るのにかなり体力を消耗したのだが、この沢沿いの道は実に歩きやすい。牛頭天王を祀る本殿が高台にある竹寺に入り、境内で少し休憩を取る。

(右は竹寺鐘楼台へ通ずる 竹寺は正面を下る)

(牛頭天王を祀る本殿)

(マムシグサ 茎の模様が特徴的)

(本殿の案内板)
茅の輪のある石段を下ると広場のある寺務所の前に出る。ここはいつ来ても綺麗に整備されている。寺務所から更に下ると駐車スペースがあるため子ノ権現よりも観光で訪れる人が多い印象だ。砂利道を下り、舗装路に出た辺りで中沢に出たと思ってしまいがちだが、ここはまだ桜久保の集落だ。竹寺から10分弱であったが意外と長く感じた。

(茅の輪が置かれた石段)

(寺務所の前は綺麗に掃き清められている)

(牛頭天王の像)

(茅の輪の奥は駐車スペースになっている)

(桜久保の集落 左を上がると竹寺へ)
桜久保からは延々と舗装路を歩く。20分以上歩くと左手にトイレが見えてくる。ここは中沢の公衆トイレだ。中沢バス停はその先の交差点を更に飯能駅側へ下った所にある。次の目的地である長久保坂へはトイレの先の交差点を北へ向かう。5分程度歩くと権五郎神社のある分岐に出る。ここを左に入ると久々戸・並沢を経て子ノ権現に至る。長久保坂の入口がある栃屋谷(とちやがい)はまだ先だ。

(中沢にある公衆トイレ)

(中沢バス停は右奥に見える 交差点を左に入ると栃屋谷・子ノ権現方面)

(この辺りはまだ中沢)

(権五郎神社 左は子ノ権現、右は栃屋谷へ)
栃屋谷側の道は一層細くなり、クルマ一台が通るのがやっとといった感じだ。狭い谷を抜けると少し西側が開けた栃屋谷集落に出る。名郷行きのバスが通る青梅秩父線からかなり山奥へと入った場所ではあるが、結構人の住む家が多い。南沢峠・大棚集落跡への道を分け、更に北へ入ると石仏の置かれた大岩が左手に見えてくる。その向かいにある金属製の橋が長久保坂の入口だ。

(栃屋谷への道 かなり細い車道だ)

(シャガの花)

(栃屋谷の集落)

(長久保坂入口の向かいにある大岩)

(長久保坂入口)
長久保坂の峠道に入るとすぐに古びた道標が立つ。その割にはよく整備された道が続いており、谷を緩やかに登っていく。尾根を乗り越えると今度は南側斜面をトラバースしながら登る。傾斜が緩み、尾根を乗り越した所は南に南沢山、北にテシロへと続く尾根上の鞍部に当たる。鞍部の東にある名無しのピークを南から巻き、尾根に乗りあげる辺りが長久保坂の最高点に当たる。

(長久保坂周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(古びた道標 でも道は未だ現役)

(歩きやすい坂が続く)

(一旦尾根を乗り越す 今度は南側斜面をトラバースする)

(尾根上の鞍部に出た 左に見える尾根を登るとテシロに至る)

(振り返ったところ 右へ下ると栃屋谷 正面は南沢峠へ通ずる)

(マンリョウらしき木がある この辺りが最高点らしい)
東に延びる尾根伝いに下っていくと壊れた祠があり、その脇から谷へと下りていく。こちらも比較的緩い坂で最初は右岸、その後は左岸をぐんぐんと下っていく。傾斜がフラットになり、飛村の集落が近づいた所にはニリンソウの群落がある。大きな古い家屋の塀を回り込むと舗装路に出る。ここから前坂へはこのまま舗装路を下ればよいのだが、間違えて道を登ってしまった。まあ白い藤の花が見られたので良しとしよう。

(右の木の陰に壊れた祠が見える)

(谷を下る ここにもマンリョウらしき木がある)

(飛村へ出る直前にニリンソウの群落がある)

(古い道標 以前読み間違えたことがある)

(広い御宅の前が順路になっている)

(白い藤の花)
飛村は山奥の小さな集落ではあるが、それでもクルマが停まっていてまだ人が住んでいるらしい。林道平坂飛村線を西へ登り、林道栃屋谷線と合流した少し先から前坂への峠道が延びる。前坂周辺はすっかり歩き慣れた道だが、飛村から登るルートを歩く機会は多くない。やや傾斜の急な道ではあるが、10分も登れば前坂に出る。今回訪れた峠はどれも樹木に覆われていて見所には乏しい。でもこの控えめな感じが如何にも奥武蔵という雰囲気を醸し出している。
.
(飛村にある石垣)

(飛村から前坂への道 思ったより歩きやすい)

(前坂)
前坂から吾野駅へはしばらく緩い下り坂が続く。途中尾根を切り開いた所があり、道行く人の歩きやすさを優先した道づくりには感心させられる。奥武蔵登山詳細図に索道跡と書かれた尾根道を分けると後は長い九十九折だ。下りで15分という結構長い距離を歩くと霊園の前に出る。ここは訪れる度に霊園の中が綺麗に整備されていく。霊園を出て吾野駅を見下ろせる辺りに吾野湧水がある。以前訪れた時は飲用を禁じていなかったが、今回は飲料水ではないとの注意書きが貼り付けられている。少量なら飲んでも支障はないとは思うが、念のため顔を洗うだけにしておいた。

(吾野駅へは良い道が続く)

(小さな切通)

(霊園に出る 訪れる度に整備されていく)

(吾野湧水 今回は飲用不可とされていた)
坂を下り、トンネルを潜れば駅前の広場に出る。時計を見ると出発してから優に6時間を経過していた。5つも峠道を歩くのはやはり時間が掛かった。それでも峠を巡るのは山頂を目指す山歩きとは違って、道そのものを吟味するという楽しみがある。次はどこの峠を歩こうか。ホームで電車を待つ間もそんなことを考えてしまうのであった。
DATA:
西吾野駅7:08→7:23六地蔵→7:27小床(峠入口)→7:46小床峠→7:57青場戸分岐→8:34阿字山→8:48子ノ権現9:04→9:12穴沢峠→9:41林道南川上名栗線→10:02小出橋バス停→10:25乞食岩?→10:47豆口峠→11:08竹寺11:20→11:49中沢→11:53権五郎神社→12:02栃屋谷→12:17長久保坂→12:31飛村→12:55前坂→13:27吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
トイレ 子ノ権現 竹寺 中沢
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西吾野 387円 小手指~吾野 387円
未踏だった区間:小床~小床峠、穴沢峠~穴沢~森河原~小出橋~豆口峠
全ルート一般向けです。但し新館から豆口峠への峠道については下りにとる場合は分かりやすい道ですが、上りにとると林道終点付近で迷いやすい感じがします。特に乞食岩と思われる大岩を回り込むルートは入らないほうがいいでしょう。
奥武蔵の山を十数年歩いていると時々峠道を無性に歩きたくなる。集落同士を結ぶ山越えの道は歩きやすく作られていることが多く、歴史が感じられる道であることも多い。今回は西吾野駅からスタートして子ノ権現・竹寺を訪れて吾野駅へと下りる間に小床峠・穴沢峠・豆口峠・長久保坂・前坂の五つの峠道を歩く行程だ。そのうち、小床(こいか)から小床峠・穴沢峠から森河原・新館(にったち)から豆口峠は未踏のルートであり、暑くなる前にぜひ歩いておきたいと考えていたのだ。
小床から小床峠
朝7時、西吾野駅へとやってくる。前回山歩きをしたのは3月初旬だったせいか、今日はスタートから随分と明るく感じる。一緒に駅を降りた人が多かったのだが、大半は高山不動へと向かったようだ。国道に出て南へ向かう。ボクの前を歩いていた人たちは皆手前の森坂峠への道に入っていく。どうやら小床へ向かうのはボクだけらしい。子ノ権現の大きな看板が立つ小床橋を渡り、急坂の舗装路を登っていく。朝一から結構厳しい登りだ。

(小床橋)

(小床への急坂)
傾斜が緩むと右手に六地蔵が見えてくる。一つの石の六面に地蔵を彫った形は奥武蔵ではあまり見ないものだ。水場のある集落は小床と呼ばれる所で峠の名にもなっている。集落には道標が立ち、峠を指示している。以前小床峠から小床集落を目指した際、峠道がわからず林道を歩いてしまったので、入口が明瞭な上りに採ることに決めていたのだ。

(右に何か見える)

(六地蔵)

(小床集落内の水場)

(小床峠入口)
小さな橋を渡って小道に入ると道はすぐに左へと逸れていく。この明瞭な道を進むとかつて歩いた林道につながっているようだ。そこでカーブの手前まで戻ると沢沿いを行く形で薄い踏み跡が延びている。踏み跡を進むと左手に大岩が見えてくる。この大岩を右から回り込むと木の橋が架けてあり、そこから先は明瞭な道が延びている。

(小床峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(ここは左に逸れていく道ではなく、正面の細い道を行く)

(大岩を右から回り込む)

(この橋を渡ると道は明瞭になる)
しばらくは谷筋のトラバース道で傾斜としては歩きやすい。地形図で等高線が詰まっている所に差し掛かると九十九折になって登っていく。九十九折を登り切ると再びトラバース道になる。ここも傾斜が緩いのでかなり楽な道だ。やがて下草が煩くなってくる。道と知っていなければちょっと不安になる所だ。正面に広い鞍部が見えてくると小床峠に着く。以前小床へ下りようとした時は間違って尾根を下ってしまったのだが、実際は谷筋をトラバースしながら下る道であった。そして現在は谷筋の峠道を示す標識が付けられているので、ボクのように間違う人はそれほど多くは無さそうだ。

(歩きやすいトラバース道)

(九十九折を登る)

(ちょっと下草が煩くなってきた)

(小床峠)
子ノ権現をゆっくりと散策する
小床峠で一息入れ終わり、子ノ権現を目指す。西に延びる明瞭な尾根道に入る。尾根道からトラバース道へ変わり、尾根を越える所が青場戸への分岐だ。地理院地図を見ると小床峠から直接青場戸へと下ることができるように見えるのだが、実際は浅見茶屋よりも子ノ権現寄りに下る変則的な形になっている。それでも小床峠は小床からでも青場戸からでも歩きやすい道であるといえる。


(青場戸分岐)
問題はこの青場戸分岐から子ノ権現へ向かう道だ。道標は完備されていて道も明瞭なので迷うことはない。しかしかなり急な坂を登っていかなければならない。特に465m峰の東にある名無しのピークを登るのは正直しんどい。名無しのピークを登り切った後も所々急な斜面が現れる。少し下って登り返すと小床口参道に合流する。ここまで来れば子ノ権現は近い。

(道標は完備)

(名無しのピークへ向かって急坂を登る)

(小床口参道に合流)
舗装路に出て青場戸からの道に合流すると斜面に石段がある。歩きやすい石段でここを登り切ると二本杉と阿字山との鞍部に出る。阿字山は久しく訪れていないので偶には寄ってみることにする。木段が設けられた坂を登っていくと頂上に立派な東屋がある。東屋の奥には打木村治の文学碑があり、その側からは東側の眺めが少し得られる。ここで10分ほど休憩を取る。

(舗装路に出た)

(青場戸分岐)

(二本杉)

(阿字山頂上にある東屋)

(打木村治の文学碑)

(阿字山からの眺め)
休憩を終え、今度は本堂へ向かう。参道に入るとちょうどお土産屋の女将さんが店の準備を始めたところだった。女将さんが声をかけると二匹の三毛猫が現れる。写真を撮ろうとすると警戒されて逃げてしまった。山門を潜ると4.5頭身の仁王像が出迎えてくれる。正面に見えてくるのは寺務所で、そこから右に上がって回り込んだ所が本堂だ。ここは檀家がいない寺なので100円を賽銭箱に入れていく。本堂の右から上がっていくと鐘楼があり、軽く鐘を突く。意外と大きな音がする。鐘楼台のある経ヶ峰からは境内が見下ろせ、大持山を眺めることができる。

(子ノ権現の案内板)

(売店に居た三毛猫ちゃん)

(山門)

(仁王像)

(本堂)
(まだ枝垂桜が花を付けていた)

(経ヶ峰の頂上にある鐘楼)

(鐘楼前からの眺め)
逆側は東の眺めが大きく開け、空気が澄んでいればスカイツリーも見える。まあGWの頃の気候では遠くの景色を得るのはちょっと難しい。スカイツリーの展望台からスロープを下り寺務所まで戻る。今度は境内を左から回り込み、北側の展望台へ向かう。途中の鞍部からは鋭鋒の古御岳と双耳峰の伊豆ヶ岳が良く見える。その背後にある平たい武川岳は大きな図体とは裏腹にちょっと控えめな感じだ。北の展望台は樹木に覆われて暗いせいか訪れる人は多くない。特徴のある山が見えないのも人気が無い一因かもしれない。

(経ヶ峰にあるスカイツリー展望台からの眺め)

(愛宕山・竹寺方面へ向かうと伊豆ヶ岳・武川岳などが見える)

(北の展望台)

(北の展望台からの眺め)
穴沢峠を下る
鞍部から西の尾根道に入るとすぐに愛宕山方面の分岐がある。尾根を登らず中腹道を進んでいくと分岐がある。ここが穴沢峠であるが、道標には穴沢を示す文字はない。しかし穴沢へ下る峠道は名栗口参道と呼ばれる古い道で、現在の地理院地図だけでなく古い地形図にも掲載された由緒あるものだ。

(子ノ権現・穴沢峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(穴沢峠 正面は竹寺方面、穴沢へは右に下りる)
穴沢への道は落枝が多いものの、踏み跡は明瞭である。トラバース道が終わると急な尾根道となる。途中古い石造の丁目石があり、参道として使われてきたことを窺わせる。九十九折を交えつつ尾根道を下っていくと谷筋へと出てくる。ここまで来るといくらか傾斜も緩くなる。下るにつれて傾斜の緩む道を快調に下っていくと広い谷に出た。地形図で見ると道が二手に分かれる所だ。

(道標などはないが道は明瞭)

(七丁目と彫られた石 材木商組合による寄贈とある)

(この辺りは結構な急坂)

(傾斜が緩んできた パイプを踏んで右岸に渡る)

(十三丁目と彫られた石柱)

(地理院地図で道が分かれる所)
左岸の道は見当たらないので一旦深く抉れた沢を横切って右岸の林道に入る。少し下ると対岸に細い道があるのが見える。ということはやはり左岸にも道があるのか?分岐に戻り左岸を見回すと斜面に薄い踏み跡がある。この道が古くからある道であろう。下り始めると所々道が崩れている。安全面を考えるのならば右岸の林道を下ったほうが良さそうだ。天目指峠へ通ずる林道南川名栗線へ出る所にも丁目石が立ち、ここが入口であることを示している。

(左岸の道の入口)

(道が崩れている所がある)

(舗装された林道が見えてきた)

(穴沢峠入口にある石碑 左は子ノ権現と彫られているようだ)
麓の森河原までは長い舗装路歩き。GWということもあってか林道を走るクルマやバイクが次々と行き交う。10分ほど下ると民家の点在する穴沢の集落だ。山津波の被害を受けたことで知られる集落ではあるが、今でも住んでいる人はそれなりにいるようだ。林道を歩き続けると森河原集落に着く。バス通りである県道青梅秩父線が通っており、山の中にしては大きな集落だ。

(穴沢の集落)

(茶畑がある)

(森河原の集落 結構住宅が多い)

(森河原のバス停)
豆口峠まで登る
森河原から飯能駅方面へ向かって青梅秩父線を下る。バス停のある小出橋を過ぎると豆口峠と通ずる林道が延びているはずなのだが、今一つ位置がわからない。地形図を見ると川向うに学校があるので、それを目印に進んでいくと住宅が点在する舗装路が山へ延びている。ここが新館と呼ばれる豆口峠の入口らしいが、それを示す道標などは特に見当たらない。舗装路を登り、住宅地を過ぎると林道豆口入線の起点を示す標柱がある。ここはガードが置かれ車の出入りは禁止されているが、人の立入を禁止するとは書かれていない。

(小出橋バス停 奥に見えるのが小出橋)

(新館にある豆口峠の入口)

(車は出入禁止)

(林道豆口入線の起点に立つ標柱)
林道は現在でも使われているのか、下草が無くよく整備されている。ただ日差しが差し込む分暑い。起点から10分ほど歩くと地形図にも描かれているヘアピンカーブに差し掛かる。ここからも林道が分岐しているがどこに通じているのだろう?豆口入に沿って更に登っていくと林道の終点を示す標柱が見えてきた。その先は下草が地面を覆いつくしており、どうも道があるようには見えない。

(豆口峠周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(ヘアピンカーブの所で道が分かれる 分岐を進むと現在の登山道につながっているのだろうか?)

(林道は日当たりが良い)

(林道終点 この先道らしきものはない)
豆口入の右岸には多少人が通れそうなスペースがあるようだが、そこへ足を踏み入れると下草の下は石ころだらけである。そこを踏みしめながら進んでいくのだが、石ころの足場が崩れるのではないかと気が気でない。それに今日は舗装路歩きが長くなることを考え、ローカットのトレランシューズで歩いているので藪っぽい所はあまり歩きたくないのだ。傾斜の急な藪っぽい斜面を登っていくと左手に大岩が見えてくる。「奥武蔵登山詳細図」(吉備人出版)によると乞食岩というらしい。大きな岩の下は人が入れるくらいの空間がある。

(不安定な急坂を登っていくと大岩が見えてくる 乞食岩だろうか?)

(岩の下には人が入れそうなスペースがある)

(なかなか立派な岩だ)
乞食岩?を回り込むと尾根に出る。ここからは道が明瞭だ。そしてその道は今歩いてきた斜面ではなく、乞食岩?の右(北)側を通って下っている。この道はどこへ通じているのだろう。とにかく今歩いてきた不安定な斜面を通過する必要はないということだ。明瞭な道へ出てしまえばもう歩きにくい所はない。九十九折を黙々と登っていると同年代の男性が上から下りてくる。この峠道を歩く人はあまりいないのではないかと思い込んでいたのだが、よく考えてみるとこの道を登ってきた団体さんに豆口峠で出会ったことを思い出した。尾根に出てから20分弱登ると豆口峠に着く。かつてここから並沢へ下ったこともあるが、今歩いてきた新館への道に比べると荒れ気味だった記憶がある。

(乞食岩を回り込むと良い道が延びる)

(九十九折を登る 結構急)

(豆口峠)
竹寺から長久保坂・前坂
豆口峠から竹寺へは歩きやすいトラバース道がのびる。これまでGWにしては登山者が少なく出会う人はほとんどいなかったのだが、流石にこの辺りではすれ違う人も多くなる。鐘楼台への道を分け、谷を下る。豆口峠まで登るのにかなり体力を消耗したのだが、この沢沿いの道は実に歩きやすい。牛頭天王を祀る本殿が高台にある竹寺に入り、境内で少し休憩を取る。

(右は竹寺鐘楼台へ通ずる 竹寺は正面を下る)

(牛頭天王を祀る本殿)

(マムシグサ 茎の模様が特徴的)

(本殿の案内板)
茅の輪のある石段を下ると広場のある寺務所の前に出る。ここはいつ来ても綺麗に整備されている。寺務所から更に下ると駐車スペースがあるため子ノ権現よりも観光で訪れる人が多い印象だ。砂利道を下り、舗装路に出た辺りで中沢に出たと思ってしまいがちだが、ここはまだ桜久保の集落だ。竹寺から10分弱であったが意外と長く感じた。

(茅の輪が置かれた石段)

(寺務所の前は綺麗に掃き清められている)

(牛頭天王の像)

(茅の輪の奥は駐車スペースになっている)

(桜久保の集落 左を上がると竹寺へ)
桜久保からは延々と舗装路を歩く。20分以上歩くと左手にトイレが見えてくる。ここは中沢の公衆トイレだ。中沢バス停はその先の交差点を更に飯能駅側へ下った所にある。次の目的地である長久保坂へはトイレの先の交差点を北へ向かう。5分程度歩くと権五郎神社のある分岐に出る。ここを左に入ると久々戸・並沢を経て子ノ権現に至る。長久保坂の入口がある栃屋谷(とちやがい)はまだ先だ。

(中沢にある公衆トイレ)

(中沢バス停は右奥に見える 交差点を左に入ると栃屋谷・子ノ権現方面)

(この辺りはまだ中沢)

(権五郎神社 左は子ノ権現、右は栃屋谷へ)
栃屋谷側の道は一層細くなり、クルマ一台が通るのがやっとといった感じだ。狭い谷を抜けると少し西側が開けた栃屋谷集落に出る。名郷行きのバスが通る青梅秩父線からかなり山奥へと入った場所ではあるが、結構人の住む家が多い。南沢峠・大棚集落跡への道を分け、更に北へ入ると石仏の置かれた大岩が左手に見えてくる。その向かいにある金属製の橋が長久保坂の入口だ。

(栃屋谷への道 かなり細い車道だ)

(シャガの花)

(栃屋谷の集落)

(長久保坂入口の向かいにある大岩)

(長久保坂入口)
長久保坂の峠道に入るとすぐに古びた道標が立つ。その割にはよく整備された道が続いており、谷を緩やかに登っていく。尾根を乗り越えると今度は南側斜面をトラバースしながら登る。傾斜が緩み、尾根を乗り越した所は南に南沢山、北にテシロへと続く尾根上の鞍部に当たる。鞍部の東にある名無しのピークを南から巻き、尾根に乗りあげる辺りが長久保坂の最高点に当たる。

(長久保坂周辺 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図)

(古びた道標 でも道は未だ現役)

(歩きやすい坂が続く)

(一旦尾根を乗り越す 今度は南側斜面をトラバースする)

(尾根上の鞍部に出た 左に見える尾根を登るとテシロに至る)

(振り返ったところ 右へ下ると栃屋谷 正面は南沢峠へ通ずる)

(マンリョウらしき木がある この辺りが最高点らしい)
東に延びる尾根伝いに下っていくと壊れた祠があり、その脇から谷へと下りていく。こちらも比較的緩い坂で最初は右岸、その後は左岸をぐんぐんと下っていく。傾斜がフラットになり、飛村の集落が近づいた所にはニリンソウの群落がある。大きな古い家屋の塀を回り込むと舗装路に出る。ここから前坂へはこのまま舗装路を下ればよいのだが、間違えて道を登ってしまった。まあ白い藤の花が見られたので良しとしよう。

(右の木の陰に壊れた祠が見える)

(谷を下る ここにもマンリョウらしき木がある)

(飛村へ出る直前にニリンソウの群落がある)

(古い道標 以前読み間違えたことがある)

(広い御宅の前が順路になっている)

(白い藤の花)
飛村は山奥の小さな集落ではあるが、それでもクルマが停まっていてまだ人が住んでいるらしい。林道平坂飛村線を西へ登り、林道栃屋谷線と合流した少し先から前坂への峠道が延びる。前坂周辺はすっかり歩き慣れた道だが、飛村から登るルートを歩く機会は多くない。やや傾斜の急な道ではあるが、10分も登れば前坂に出る。今回訪れた峠はどれも樹木に覆われていて見所には乏しい。でもこの控えめな感じが如何にも奥武蔵という雰囲気を醸し出している。

(飛村にある石垣)

(飛村から前坂への道 思ったより歩きやすい)

(前坂)
前坂から吾野駅へはしばらく緩い下り坂が続く。途中尾根を切り開いた所があり、道行く人の歩きやすさを優先した道づくりには感心させられる。奥武蔵登山詳細図に索道跡と書かれた尾根道を分けると後は長い九十九折だ。下りで15分という結構長い距離を歩くと霊園の前に出る。ここは訪れる度に霊園の中が綺麗に整備されていく。霊園を出て吾野駅を見下ろせる辺りに吾野湧水がある。以前訪れた時は飲用を禁じていなかったが、今回は飲料水ではないとの注意書きが貼り付けられている。少量なら飲んでも支障はないとは思うが、念のため顔を洗うだけにしておいた。

(吾野駅へは良い道が続く)

(小さな切通)

(霊園に出る 訪れる度に整備されていく)

(吾野湧水 今回は飲用不可とされていた)
坂を下り、トンネルを潜れば駅前の広場に出る。時計を見ると出発してから優に6時間を経過していた。5つも峠道を歩くのはやはり時間が掛かった。それでも峠を巡るのは山頂を目指す山歩きとは違って、道そのものを吟味するという楽しみがある。次はどこの峠を歩こうか。ホームで電車を待つ間もそんなことを考えてしまうのであった。
DATA:
西吾野駅7:08→7:23六地蔵→7:27小床(峠入口)→7:46小床峠→7:57青場戸分岐→8:34阿字山→8:48子ノ権現9:04→9:12穴沢峠→9:41林道南川上名栗線→10:02小出橋バス停→10:25乞食岩?→10:47豆口峠→11:08竹寺11:20→11:49中沢→11:53権五郎神社→12:02栃屋谷→12:17長久保坂→12:31飛村→12:55前坂→13:27吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
トイレ 子ノ権現 竹寺 中沢
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西吾野 387円 小手指~吾野 387円
未踏だった区間:小床~小床峠、穴沢峠~穴沢~森河原~小出橋~豆口峠
全ルート一般向けです。但し新館から豆口峠への峠道については下りにとる場合は分かりやすい道ですが、上りにとると林道終点付近で迷いやすい感じがします。特に乞食岩と思われる大岩を回り込むルートは入らないほうがいいでしょう。