野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

東京でオリンピック開催

2013年09月08日 | tokoroの日常
2020年に東京でオリンピックを開催することが決まった。
ボクはこれで東京がどう変わっていくのだろうか、ということにしか関心がない。
二度目の招致レースが始まった頃、スポーツジャーナリストの玉木さんが
「東京は普通にやれば勝てるんですよ」
と言っていたのをよく覚えている。
まさしくその通りなのだと思う。東京の魅力をちゃんと再発見できていれば、招致レースの本命だったはずなのだ。
ところがマスコミを含め、どうも自信が無さそうであった。
それは何故東京でオリンピックを開催するのかという理由付けが今でも曖昧だからだろう。
今朝のテレビでも竹中平蔵氏が「オリンピック開催のコンセプトが弱い」と言っていた。
オリンピック開催を推進する立場の人間からも指摘されているのだから、ある意味で深刻な状況なのかもしれない。

どうもマスコミはオリンピック開催を機に日本が大きく変わると考えているようだ。
でもボクはそういうリセット願望はもう止めにしてほしいと考えている。
7年後に福島原発の廃炉作業が終わらないように、オリンピックを開催したからといって日本が劇的に良くなる訳じゃない。
復興五輪なんてものが嘘っぱちなことは、福島に関係する人なら、皆わかることだ。
そうではなく、東京という成熟した都市がオリンピックを開催する意義をもう一度考え直したほうが良い。
少なくとも前回東京で開催したときとは街も人も成熟しているはずなのだ。
前述の玉木氏は最近「淡々と準備して開催すれば良い」と語っていた。
ボクは上記の二人ともあまり好きな人物では無いのだが、その指摘は正しいと思う。

東京は日々変わる街だ。それはオリンピックを開催してもしなくても続いていく。
そこが地方の街とは全く異なる点だ。
成熟した街を変えていくのはオリンピックというイベントではなく、普段東京で暮らす人の生活のほうなのだ。
だからマスコミが期待したようなことは実はあまり起きないのではないか、という気がしている。
むしろオリンピックが良い影響を与えるとすれば、東京で暮らす人の心理に変化を及ぼすということかもしれない。
自国で開催されるオリンピックの感動を経験してほしい、という声は前回オリンピックを経験した都民からよく聞かれる。
ボクはそれに加えて成熟した都市に暮らす市民の底力を見せてほしいと思っている。
復興五輪、なんて言葉に頼らないオリンピックが出来れば、東京は一皮剥けた都市になるはずだ。
その変化を見てみたいと思う。

7年後。ボクはオリンピックを観に行くことは無いだろう。人ごみは苦手だからね。
人々がオリンピックに熱狂している頃、オリンピックで買い物なんかしているのだろう。きっと。


gooメールを使っている人は既に知っていると思うのだが、現在の無料版が来年の3月で廃止になるという。
現状有料版への変更は考えていないから、「はじめに」のアドレスも変更を考えなければならない。
う~ん、どうするかねぇ。メールでのやりとりは止めてしまうのも一つの方策かもしれない。
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