野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

防災の日に寄せて

2013年08月31日 | tokoroの日常
東日本大震災からいくらか経ってからのことだったと思う。
マスコミがやたらと「絆」とやらを強調するようになった。
ボクは普段から家族でもご近所でも仲良くすることは良いことだと思う。
それを「絆」というのなら何も文句を言わない。

しかし震災のときに「絆」があったから助かったのだ、というのなら、それは違うとはっきりと言いたい。
ボクはあの緊急事態で一番役に立たなかったのは「家族」の絆だと思っている。
もちろん家族が助け合ったから救われたという人は多いことだろう。それを否定するつもりはない。
ただ「家族」という絆が足枷になったことも多いのも事実だ。
家族を探しに行って津波に飲まれたというのは残酷な事実である。
でもそれについてボクが語る資格は無い。
ボクが「家族」が足枷になると考えるのは、あくまでもボク自身の経験に基づくものである。

緊急事態で家族が足枷になると考える一番の理由は家族が「依存し合う関係にある」ことにある。
そこがご近所と完全に異なるところなのだ。
家族のような付き合いをしていても、ご近所は他人でしかない。
だから緊急事態の際、「お互い様の精神」が生まれやすい。
しかし家族だとお互い様の精神は生まれない。エゴがぶつかり合うだけである。
ボクは震災が起きた日から落ち着くまで毎日外に出ていたが、気が休まるのは外出したときだけであった。
家にいれば家族特有の我儘にずっと付き合わされなければならない。
これは当時老人や子供を抱えていた人ならば容易にわかることだろう。
外で何が起きているのか。それを見なければ、人は緊急事態であることが想像できない。
「正常化バイアス」という言葉が有名になったが、それは何も津波に襲われた地域に限られたことではないのだ。
間違った認識を改めるには外にでなければならない。家族の絆は有害ですらある。

あまりにも極端な話だと感じる人も多いだろう。
それについては否定するつもりはない。それにこの意見はあくまでも一状況について語ったものでしかない。
ただボク自身は家族に助けられたと感じたことは、震災から一か月経つまでの間、殆ど無かった。
むしろボクが助けられたのはご近所であり、または見知らぬ人たちである。
「遠くの親戚より近くの他人」とはよく言ったものだ。
それが本当のことだと思い知らされたのは東日本大震災だったと言っていい。
はっきり言って、家族は遠いと何の助けにもならない。
物資を送られたところで届かないし、そもそもそんな気が無い奴らが殆どである。
それに比べて近くの他人であるご近所は福島に縁が無いボクでも何かと助けてくれたものだ。
どう助けてくれたのか中身についていちいち語るつもりはない。ただ家族よりは余程助けられた。
そして一番心に残っているのは見知らぬ人たちとの交流である。
スーパーや水汲みの行列に何時間も並ぶ人たち。何の「絆」も無いのに生まれる連帯感。
マスコミは当時あれだけ行列に並んだ人たちを称賛したのに、何故「絆」ばかりを喧伝し続けるのだろうか?
「絆」など無い人たちが見せたあの連帯を忘れてしまったから、再びエゴが噴き出すようになったのではないだろうか。

とにかくボクはもうこんな「絆」などという狭い檻にあの震災で得た教訓を閉じ込めておくのが嫌なのだ。
「絆」に意味があるのだとしたら、それは絆の無い者同士が緊急事態にあって絆を「創りだした」ことである。
逆に「家族」という粘着的な既存の絆を強調すれば、それは緊急事態の際にその絆の無い者たちを「排除」しかねない。
防災の日を前にボクらが考えておくべきことは、絆の無い者同士がどう助け合えるのか、ということなのだと思う。
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